「建築探訪 77」-France 7 / La Defense

グラン・アルシュ

パリのラ・デファンス地区のシンボル「グラン・アルシュ」(1990)。は国際コンペで勝ち抜いたデンマーク人家ヨハン・オットー・フォン・スプレケルセン(1929-87) 。一辺105mの立方体の中心を四角く刳り貫いたような。高さ巾ともに凱旋門の倍。建物だけでは硬くなり過ぎる印象を柔らかくしているのは、ピーター・ライス設計のシースルーエレベーターと、雲の様なデザインの日除けテント構造体。

グラン・アルシュ
近くで見てもカッコイイ!!  ハイテク的な日除けテント構造体
グラン・アルシュ
かなり古典的で威圧的な感じもする建物なので・・建物以外の要素である日除けテント、エレベーター、大階段の存在が大きな役目を果たしている様な気がします
グラン・アルシュ
グラン・アルシュから南東にまっすぐ伸びる都市軸、はるか向こうに凱旋門が見えます (そのさらに先にはルーブル)

新都心として新たに開発されたこの地区・・ 都市の要として設けられたグラン・アルシュ、そこから一直線に伸びる都市軸、その軸に沿って並んだヒューマンスケールではない近代的高層ビル・・ いかにもと言った感じの、教科書的でさえある “新都市”・・ しかしこの様な街並みにある種の郷愁感めいた感覚や、居心地の良さを感じたりするのは、どういった事なのかと考えてしまいます・・

グラン・アルシュ

20年以上前、城のすぐそばにOBPという新都市が出来た時も・・そんな気持ちで・・ 月に突き刺さったモノリスを眺めるように・・「クリスタルタワービル」を見ていた。エドワード・ホッパーの絵ではないけれども、都市に対する郷愁感といったようなものは、近代以降ごくあたり前の感覚ではないかとも思ったりするのだけれども・・コルビュジェも実現する事はなかったが、古いパリを一掃する “新都市” の計画案をいくつも描いていた・・

PAUL

お昼はグラン・アルシュの地下にあった、日でもおなじみのパン屋さん「PAUL」で買って、大階段に座って簡単に済ませました。

グラン・アルシュを設計した建築家スプレケルセンは建物の完成を見る事なく、1987年に58歳で亡くなりました。その後の監理は「シャルル・ド・ゴール空港ターミナルビル」も手掛けた、人建築家ポール・アンドリューが行いました。

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