新しい舟

倉敷川の舟

今日大きな音と共に事務所前に大きなレッカー車が停車・・
アームで持ち上げられ、川に降ろされたのは “新しい舟”でした
倉敷川の遊覧舟は観光客に人気があり、今まで一艘では人の多い休日には乗れない事もあったので・・二艘になりました
川から眺める美観地区も素敵だと思うので(乗ったことはないのですが・・)、美観地区にお越しの際はぜひお乗り下さい。

「建築探訪 28」 -Ehime 3

坂の上の雲ミュージアムと菅井内科

愛媛建築探訪のメインであった・・安藤忠雄さんが設計され、昨年OPENしたばかりの 「坂の上の雲ミュージアム」 (上写真左)
5度傾斜したカーテンウォールの外壁に覆われた三角形平面の建築・・大きな池のあるピロティを眺めながら長いスロープを上がって 2階エントランスにいたります・・・エントランスの踊り場から建物裏を覗くと見えたのが・・ (上写真右)うねるカラフルなバルコニー腰壁が積層したただならぬ外観の建物・・・
(大御所”ANDO”先生のミュージアムはさすがにキチッと出来てました・・)

菅井内科

(上写真左)店舗が並ぶ通りからは、階段でかなり上がるかたちになるがこちらがメインアプローチのようだ・・「菅井内科」は長谷川逸子さんが1980年に設計された建築・・うねる壁面、軽く舞うパンチングメタル、華やかな色彩・・・過剰な装飾をまとい、押しが強く、理由もなく明るい・・ポストモダン建築時代の到来を予感させる・・
1986年「東京都庁舎」コンペで丹下健三が1等を勝ち取った年、もうひとつの話題コンペであった「湘南台文化センター」を”第二の自然”というコンセプトで見事に勝ち取った女性建築家(日本では女性建築家が大きな公共建築を手掛けるのはこれが初? だと思います)・・・長谷川逸子の80年代初期の作品・・

「建築探訪 27」 -Kochi 2

JR高知駅

最近 仕事で訪れるJR高知駅・・・内藤廣さんの手によりリニューアル。
(上写真) プラットフォームに降りると、鋼材と木材によるハイブリットの大きなトラスアーチ梁に包まれた空間に迎えられます・・頂部には内藤建築らしいトップライトが設けられています・・照明器具や待合室まで全体がデザインされていてGOODです。

JR高知駅
2階フォームから1階まで降りてくるトラスアーチ梁に囲まれたダイナミックな空間
JR高知駅
降りてくる屋根を受けている・・杉板型枠によるコンクリート打放しの “庇柱” の存在感/素材感が効いています
JR高知駅
大きな金属葺きのアーチ屋根がプラットフォームを覆う外観

高知といえば内藤廣さんの代表作と言ってよい「牧野富太郎記念館」が在ります・・・電車で高知へ訪れ、まずは駅舎を楽しんでから牧野へ。

「建築探訪 26」 -Shimane 4 /出雲大社

出雲大社

天照大神が大国主大神の御功績を称え、諸神に御造営を命じられたという・・毎年秋の”神在祭”には全国の八百万の神々が集う・・出雲大社が「平成の遷宮」にあたり、普段一般の人は全く立ち入ることの出来ない御本殿を特別に拝観させて頂けるとのこと・・現在の御本殿は1744年の造営以後-1809-1881-1953と3度の遷宮を行い、今回で4度目の遷宮となります(遷宮とは神社本殿の造営/修理に際し神体を移すこと)・・・出雲の遷宮記録を見ると 65年後(1回目)-72年後(2回目)-72年後(3回目)-55年後(4回目)となっており・・その機会を逃すと次は見られそうにないので・・最終日に参拝へ行ってまいりました・・御神体はすでに仮殿(拝殿)に遷され、本殿に還られるのは修理の終わる5年後だそうです
(上写真)2重の塀に囲われた本殿は普段は遠くから見るだけしか出来ません・・しかし今日は本殿の縁には特別拝観に訪れた人達で賑わっています・・

出雲大社

本殿の縁は地面から4.5mほどの高さ、縁から屋根の棟まで16mほどの高さ、総高さは24m・・・やはり大きいです、近くで見るとその大きさを再確認できました・・想像してみて下さい 7階or8階建てのマンションくらいの大きさですから・・さすが「天下無双の大廈(たいか)」と称えられる大きさは 神社建築としては比類なき壮大さ・・
拝観順路は妻側の階段から上がり、高欄のついた幅広い縁をぐるりと一周して、南面する妻側正面に戻り、開口部(蔀戸and開き扉)から殿内を拝観させて頂きました

殿内の天井板に描かれている鮮やかな”八雲之図”・・殿内は撮影禁止ですのでイラストですが

未来の建築 !!

2008年4月に出版されたこの本・・「原初的な未来の建築」 
最注目の若手建築家の”初作品集”・・・実作品の写真は少なく、コンセプトをあらわすための図面と模型写真を中心に・・10のキーワードで掲げる未来の建築への予感を、簡潔な文章で語っていく構成・・

藤本壮介さんは1971年生まれの37才の建築家・・分かり易いコンセプトとともに挑戦的/刺激的な計画案で30代の若手建築家の中では飛び抜けた存在として2000年頃から注目されていました・・

第1章の始まりからして・・コルビュジェの有名な「ドミノシステム(1914)」(1920年代の白い住宅シリーズの基礎となる原理)の図と、自身のマニフェストとも言える原理的な計画案「N house(2000)」を見開きページに並置するという大胆さ(上右図)・・大物だぁ・・気持ちいいくらい”未来の建築”にまっしぐら・・

(下左図)「T House(’05)」・・妙な奥まりのような部屋が並ぶ住宅
(下中図)「安中環境アートフォーラム(’03)」・・必要に応じて必要な場所が出来て、外形を成すという計画案
(下右図)「青森県立美術館(’00)」・・森と同じような生成ルールから生まれる建築

共通するのは・・全体性ありきではなく「部分の集積」で建築を構成していくという原理。
1本の木から構成される森のような or 小さな部分が集積した集落のような or 形がなく常に過程にある洞窟のような・・分節できない「局所的な関係性の繋がり」から生まれる 「弱い全体」・・そんな緩やかな自然の多様性を再構築したような・・「部分の秩序」による「弱い建築」・・・藤本壮介さんが未来に問いかける・・新しい建築の原理。

近代という”強い/大きな秩序”にとって替わる “弱い/部分の秩序”による 「新しい建築の原理」を打ち立てようとする藤本壮介さん・・大学卒業直後の1994年からどこの設計事務所に勤めることもなく・・デビュー作となる「聖台病院作業療法棟(’96)」「聖台病院新病棟(’99)」から・・「しじま山荘(’03)」 「伊達の援護寮(’03)」 「授産施設(’04)」 「Thouse(’05)」 「7/2 house(’05)」 「登別のグループホーム(’06)」 「情緒障害児短期治療施設(’06)」 「house O(’07)」・・・

掲げた原理が見事に実現とは・・まだまだ言い難く。実現した建築も10にも満たないが・・意欲的な計画案はこれからどんどん実現されていくだろうし・・・現在のスター建築家とは一味違った・・・”原初的な未来の建築” が生まれるか否か・・

「僕はコルビュジエやミケランジェロのような建築家になりたい」 by 藤本壮介

ペーター・メルクリと青木淳

ペーター・メルクリと青木淳

東京国立近代美術館で行われている展覧会「ペーター・メルクリと青木淳」の図録・・
ペーター・メルクリは1953年生まれの建築家・・スイス人らしいスイスBOXな建築をつくる人・・”スイスBOX”とは建物のカタチが一見非常に単純な「四角い箱」なのですが、よくよく見ると奥が深い・・素材/開口/プロポーション/ディテール/配置等が丁寧に吟味され設計されていると・・スイス建築独特の流儀・・・その中にあってもメルクリはひときわ素朴でザックリした建築をつくり、比率/均衡/端正/美など建築の根幹に存在してきた変わらない概念/内的真実を深化させようとする建築家・・

メルクリのエスキスモデル

青木淳は「青森県立美術館」や「ルイ・ヴィトン」の銀座店・名古屋店・表参道店などを設計した1956年生まれの建築家・・青木さんの建築はなかなか屈折していてわかり難い建築です・・・
予定調和な建築のつくり方や暗黙化した形式を疑うところから建築が始まっているのだが、そもそも建築が現すべき意味が不在になってしまっているという現状認識もあり・・シナリオがない、決定要因がない、根拠がない・・いいも悪いもない、モノがモノとしてあるだけで十分・・・そんな感覚が建築をつくる前提としてある様だ・・・恣意性を消した客観的根拠だけで建築をつくろうとして様々な手法を試みられているようだ・・・
うぅん・・分かりにくい建築家だぁ・・・

青木淳のエスキスモデル

そんなあまり共通項がなさそうな2人の建築家の展覧会・・建築の展覧会にありがちな完成写真や図面といった展示物は一切なく、まだ”建築”になるまえのアイデアスケッチやエスキスモデルを並べ、建築家の頭の中にあるアイデアや思考過程を見せようとする展示はおもしろそうだ・・

面白かったよm

「建築探訪 25」 -Osaka/枚岡

旧枚岡市庁舎

「旧枚岡市庁舎」(’64) 設計:坂倉準三建築研究所・・設計担当は西澤文隆(私達のボスのボス) & 東孝光(都市住宅の傑作「塔の家」で有名)

この建築は東大阪市東部、生駒山の麓に南北に長く伸びる商店街北端のあたりに位置しています・・近鉄瓢箪山駅から北へ商店街のアーケードを抜けて、真っ直ぐ進むと見えてきます・・・商店街の模型屋さん、本屋さん、この建物の前にあったレンタルレコード屋さん、この建物のすぐ横が夏休み水泳教室か何かの申し込み会場だったり・・・中学生くらいまではこの当たりは日常生活圏でしたのでいつも眼にしていた建築・・・反りのある “大きな庇” が子供心に印象的でした・・・

建築を勉強してよく知った今改めて見ると・・コンクリート打ち放しによる大胆な造形&ブリーズソレイユ/モデュロールによるリズミカルなスチールサッシ割り/屋上庭園/屋上に載っている三角屋根等・・コルビュジェのデザイン言語の多用・・設計担当であった東孝光さんの話しによると、東大寺大仏殿の屋根にひそかになぞらえたデザインだそうだ・・・コンクリート打放し庁舎建築に寺院建築の軒ラインかぁ・・・渋いなぁ・・

もともとは枚岡市の単独市庁舎でしたが、三市合併後は東大阪市東支所として利用されています・・「旧枚岡市庁舎」は Docomomo (近代建築の保存と調査のための国際組織)の運動に賛同した日本建築学会 近畿支部が独自の試みとして選んだ「関西近代建築20選」のなかに入っています・・

「建築探訪 24」 -Ehime 2

愛媛信用金庫今治支店

「愛媛信用金庫 今治支店」(’60) 設計:丹下健三 を探訪・・
コンクリート打放しの彫塑的外観・・・とにかく庇が大きい。
今治市民会館(’64)」の庇も大きかったが、こちらの方が先・・・コンクリート打放しの大庇のダイナミックな建築といえば・・コルビュジェのインド/チャンディガールの「高等法院」(’50)「国会議事堂(’50)」「ロンシャンの礼拝堂(’55)」を思い浮かべますが・・もともと17才の時に雑誌で見た「ソヴィエトパレス計画案(’30)」(コルビュジェ)に感銘を受け建築家を志した丹下さん・・ やはりコルビュジェの影響力は大きい。

愛媛信用金庫今治支店

その後の1961年竣工の「戸塚ゴルフクラブ」ではもっと過剰なまでに庇は大きくなっていきます・・・コルビュジェの直接の弟子である前川國男(もちろんですが丹下さんの師匠)の名作である「京都会館(’60)」「東京文化会館(’61)」、坂倉準三建築研究所の「旧枚岡市庁舎 (’64)」 など・・・1960年前後にはたくさんの “大庇建築” が・・ やはりコルビュジェの影響力は大きい。1929年のサヴォア邸以降は木や土やレンガ、荒々しいコンクリートなど手の痕跡や素材の厚み/重量が感じられる表現などそれまでには見られなかった方法へと移ったコルビュジェ・・そして戦後には人々を包み込む様に招き入れる象徴的な “大庇” をデザイン要素として取り入れたコルビュジェ・・影響力はとても大きい・・さすが近代建築の大巨匠。

「建築探訪 23」 -Ehime

今治市庁舎/公会堂/市民会館

愛媛県今治市にある 「今治市庁舎/公会堂」(’58) & 「今治市民会館」(’64) を訪ねました・・・設計は丹下健三。・・3棟の配置/ヴォリュームがつくり出す調和、各棟に変化をつけたデザイン要素のおもしろさ・・あまり期待せずに訪ねましたが、さすが 「世界の丹下健三」・・出来てから50年経っているのですが、”懐かしい近代建築らしい近代建築”・・・清々しい建築でした。
(上写真) 左から公会堂/市民会館/市庁舎

今治市公会堂
公会堂を見る

広島ピースセンター(’52,’55)」 「旧東京都庁舎(’57)」 「香川県庁舎(’58)」とコンクリート建築の柱梁による日本的表現で名建築を生み出してきた40代の丹下さん。1958年の折版構造によるこの建築は、「オリンピックプール(’64)」 「東京カテドラル(’64)」 「香川県立体育館(’64)」 「山梨文化会館(’67)」 等の・・50代の構造表現色の強い丹下さんの新しい展開への繋がりに位置する作品・・ 

今治市民会館
市民会館を見る

コンクリート打放しの大きな屋根庇や、縦リブ&サッシのリズミカルな壁面開口部の割付けによる表現が・・・「ロンシャンの礼拝堂(’55)」 「ラ・トゥーレット修道院(’60)」や一連のインドでの作品など・・コルビュジェ建築の強い影響を感じさせます。

今治市民会館
市民会館の詳細・・内部からみたコルビュジェ的サッシ割りが、綺麗
今治市民会館
市民会館の詳細・・庇部、バルコニー部、壁面など細かなところまでデザインされてます
今治市庁舎
市庁舎を見る

竣工時のコンクリート打放しの姿 (現在は市民会館以外は”吹付け仕上げ”に改修されています・・) を作品集で見ていると・・素材とヴォリュームが産み出す緊張感のある静謐な姿がとても美しい。・・丹下健三45才の作品 (当時の担当スタッフは磯崎新との事) 。・・やはり1950年から70年までの丹下作品は、抜群に造形感覚が敏感で秀逸・・カッコイイ