「建築探訪 09」-Okayama

岡山市内には日本近代建築の巨匠-前川國男(1905-86)設計の現存する建築が3件あります。最も古いものが「岡山県庁舎」(’57) 上2点。
戦後すぐ資材難の時期ゆえの木造建築を多く手掛けた後、1952年に当時最新だったアルミサッシやPCパネルといった工業化素材を用い、最小の構造体で最大限の空間を得ようとする、前川の近代合理建築の出発点と言ってもいい、戦後の先駆的なオフィスビル「日本相互銀行」(’52)から続く金属カーテンウォールシリーズ・・27000平米を超える「岡山県庁舎」は前川にとっても当時初めてとなる大規模な建物、開放的で流動的な玄関のコンクリート柱で持ち上げられたピロティはその後の「京都会館」(’60)を思わせる構成だが、建築の印象としては「岡山県庁舎」は “明るい戦後民主主義” “明るい近代合理主義” “明るい工業化社会” を信じ目指した最後の時期。その後の「京都会館」や「東京文化会館」(’61)といった作品には、 もはや”明るい”ままでいる事が出来ないとでもいった 「近代への葛藤」が感じ始められます。県庁は50周年だ・・

「建築探訪 08」-Nara/室生寺

室生寺

大阪市内から近鉄電車に揺られ1時間、バスに乗って数十分・・奈良山中に佇む、8世紀末に興福寺の末寺として創建された「室生寺」。(上写真右) “懸造” ・・脚が伸びている部分の姿が印象的・・ 中世のリフォ-ム。
小学生の頃、遠足でここを訪れた時の印象は大人になっても忘れる事はなかった・・強く印象に残ったその理由が何だったのかと考えてみると・・それは建物そのものではなく、建物同士の配置に理由があったのではないかと・・ 
古都奈良を代表する法隆寺・薬師寺・唐招提寺・・等の多くの寺院が平坦な場所を塀できっちり四角に囲い、その中に塔・金堂・講堂を配置(これを「伽藍」と言います。)する方法が非常に大陸的/中国的な影響が強い事に比べ、室生寺の伽藍は山の高低差をそのまま利用し、地形に溶け込む様に配置されています。6世紀に「輸入」された仏教寺院建築が日本の風土/感性に適応したものへと変わり始めたと言っていいのでしょうか・・

室生寺

木漏れ日が時より差し込む 深い樹々の中、何段もの階段を頂上である 「奥の院」 まで 歩を進める毎に、自然/地形に隠れていた金堂や講堂や塔が少しづつ “現れては消えていく” その行程・・ “奥へ奥へと 続いて行く” その空間意識 ・・ その様な感覚が、忘れ難いものとして子供心にも響きました・・

「建築探訪 07」 -Kanagawa 2

神奈川県立近代美術館

「神奈川県立近代美術館」(’51) へ行って来ました・・戦後まだ間もない、占領下という状態の中で建てられた、日本で最初の公立近代美術館。(上写真) 北西を向いた建物正面を見る。鉄骨造の軽快さが建物外観にも現れている。建物高さは10m。建物を押さえる様にグルリと廻した、鼻隠しの波型アルミ板が効いてます。

神奈川県立近代美術館

設計者である坂倉準三(1904-69)といえば、近代建築の巨匠 ル・コルビュジェ のもとで学んだ、3人の代表的な日本人弟子 (前川國男、坂倉準三、吉坂隆正) のうちの一人。(上写真) 上部外壁はアスベストボード(1200×1800) を、巾50mmのアルミ目地金物で押さえている。下部外壁は大谷石積み。

神奈川県立近代美術館

坂倉準三は若干33才にして、戦前の設計コンペで勝ち勝ちとった「パリ万博 日本館」(’37) の成功で、若くして一躍注目の建築家となり・・ 戦後のこの「神奈川県立近代美術館」の指名設計コンペでは、前川國男を含む他の4案を抑えて見事当選。(上写真) 建物中央に設けられた吹抜けの中庭を見る。

神奈川県立近代美術館
池に面したテラスを見る。2階床は池まで大きく張り出し、それを支えている柱は池中の石上にその脚を下ろしている。(柱は池の下まで伸びて、池中繋梁で柱同士及び建物本体としっかり連結されている)
神奈川県立近代美術館
左側の池に面したテラスと、右側の中庭に挟まれた彫刻室を見る

「神奈川県立近代美術館」と「パリ万博 日本館」には共通するデザイン要素も多く・・ “露出した細い鉄骨柱”  “持ち上げられた直方体”   “流動する空間”  “建築的プロムナード” といった手法は、共通した設計言語として両建物に現れている・・ 建物中心の吹抜/中庭から、池に面したピロティ下のテラスへの繋がりは、ダイナミックでありながら繊細でもある、魅力的な空間となっていました。

景観法って・・

今進めている住宅の計画は私達にとって 「景観法」に関わる最初の物件となりました・・2003年に国土交通省から「美しい国づくり政策大綱」が公布され、それに基づき「景観法」という法律が施行されて2年半、景観法を背景に全国の地方自治体が条例を運用しようとしている・・その主旨は “良好な景観形成” “美しい/風格のある社会の実現”らしい・・
ひたすら「経済至上主義」で邁進し、ダム/護岸工事/道路建設/都市計画を行ってきた国土交通省(旧建設省)がいきなり正反対を向いて 「美しい・・」 なんて言うと、首を傾げたくなる人は少なくないはずだ、良好な景観/美しい/風格のある社会って・・国交省or景観法を実行する地方行政機関は何をイメージしているのだろうか?

少なくとも 景観というものを法で規制するんだから、安易に形態/意匠/素材というデザインを規制するような方法は止めて欲しいが、単純なノスタルジーで”伝統/日本的”なものを強要する様な事はもっと止めて欲しい・・

長いスパンで歴史を見た時、「本当の意味での伝統」とは ただ古いものを頑なに守ってきたのではなく、その時代時代において新しさと工夫を付け加えてきた歴史の結果に”伝統”があったんだから・・安易単純に、ただ地域的な意匠を取入れれば、瓦屋根を載せれば、木質系のやわらかな色にすれば・・”美しく”なると言うのだろうか、それは郊外にある和風ファミリーレストランや和風菓子店のキッチュさと同質のものになるのではないだろうか・・

また、生活/暮らしの質実な要求から乖離した表層的部分にだけ固執し、良い物なのに”目新しさ”故にそれらを拒む事は意味がない。当初は目新しく見えてもそれは 暮らし/暮らす人の必然の中から出てきたものであるなら将来へ繋がる普遍的価値を含んでいる可能性があるのだから・・現前している多数決的視点で見るならば”美しくない”と多くが考えるものでさえ、一面的な視点からの評価だけではなく、多面的に評価する多様性を許容しなければ、それにはそれが現れた理由があり、多くの人は建築的価値を”見る眼”をまだまだ持ってはいないのだから・・規則条例で”自由”を規制する事で 著しく醜いものの出現を阻止する事はできても、優れたデザインを生み出す事はできない・・
しかし、現前する街並みや風土を無視し、自己抑制する謙虚さを全く持ち合わせず、差異/差別化に固執した自己表現を繰り返し”表現の自由”を牽引してきたような「建築家」の時代はもう過去となるべきなのかとも思ったりもします・・”景観法による建築規制”は地方行政で温度差はあるが、これから本格的に実行されていくのでしょう・・。

「建築探訪 06」 -Kanagawa

神奈川県立図書館・音楽堂

神奈川県立図書館・音楽堂(’54) 設計: 前川國男へ行ってきました。
(上写真) 音楽堂を正面から見る。日本近代建築の名作。

前川國男(1905-86) は近代建築の巨匠ル・コルビュジェに学んだ日本人最初の弟子。1928年、コルビュジェにとって「白の時代」と言われるシンプル/ホワイト/キューブの住宅ばかりを設計していた時代が終わろうとしていた頃・・乾式工法住宅や土着的要素を取入れた住宅へとコルビュジェの作風が移っていった頃・・前川國男は卒業式後すぐに旅立ち、シベリア鉄道に乗り・・ パリのコルビュジェのもとへ。1930年に帰国。

帰国後に前川が完成させた処女作「木村産業研究所(1932) 」はまさに “コルビュジェ風”でした。・・ 帰国後も、戦中は仕事もなく・・実現されそうにもないコンペに、”新しすぎて”当選しそうにもない”コルビュジェ風の近代建築”を提案し続けたり。戦後も・・ 資材統制により木造の小規模建物しかできない状況で”木造モダニズム建築”を模索したり。苦しい時期が長く続きました。

神奈川県立図書館・音楽堂
正面が図書館。右側が音楽堂

コルビュジェに学んだ「近代建築」を力の限りに、やっと実現できたのが・・この「神奈川県立図書館・音楽堂」。前川が得意とする「卍型の一辺で配置した非対称型プラン」・・内外へ流動するような、透明感あふれる端正な空間 ・・前川にとっても珠玉の作品。清楚に咲いた日本近代建築の清純な花といった感じ。

神奈川県立図書館・音楽堂
音楽堂のホールを見る。床のテラゾーが素敵です。
神奈川県立図書館・音楽堂
図書館の入口を見る

この後には、1960年の「京都会館」、1961年の「東京文化会館」 などで、続けて建築学会賞を取るなど・・大活躍の前川國男。

しかし、少しずつ人間性を失っていった近代建築に限界と矛盾、絶望と無力感を抱きはじめていた。・・前川の作風に「庇」や「勾配屋根」や「タイル」など、近代建築の言語ではない要素が少しづつ取り入れられ。・・「希望に満ちた近代建築」の理想主義的な拘束から逃れ、地域性に考慮された現実的な「日本においての近代建築」を実現させようと大きく作風は変化していきました。

70年代の「埼玉県立博物館」や「熊本県立美術館」や「福岡市美術館」こそ、熟練の域に達した前川建築の神髄ではないでしょうか。・・前川さんの建築は、同時代の流行に敏感だった弟子でもある丹下健三(1913-05)の派手さと比べると・・地味でその良さを言葉で説明するのも難しく。私も学生の頃は興味もなく・・良さも分からなかったのですが、仕事を始めてからだんだんと興味が沸いてきたという感じです。

展覧会 2007

昨日・一昨日、東京へ6つの展覧会をまとめて見に行って来ました。
1.ル・コルビュジエ 展 /森美術館六本木
2.伊東豊雄 展 /神奈川県立美術館葉山
3.アルヴァロシザの建築 展 /ギャラリー間
4.GA INTERNATIONAL 2007 展 /GAギャラリー 
5.チョコレート 展 /21_21DESIGN SIGHT
6.スキン+ボーンズ 展 /国立新美術館
東京はいつも興味惹かれる展覧会や催しが事欠かない、特に建築にまつわる展覧会は東京以外は皆無に等しい・・今回も5カ所で建築展、この点ではただただ羨ましい限りです。
展覧会だけでなく、「神奈川県立図書館・音楽堂」や「横浜国際フェリーターミナル」や「神奈川県立美術館」や「東京ミッドタウン」・・建築探訪も織りまぜ、急遽お知り合いの方に誘われて築地魚市場で見学/朝御飯も食べ・・強行スケジュールで足は棒の様になりました・・

「建築探訪 05」 -Kochi

牧野富太郎記念館

「牧野富太郎記念館」(’99) 設計: 内藤廣 へ行って来ました。
高知市内からバスで20分ほど、高知出身の植物分類学の父・牧野博士の業績を顕彰するため、1958年に開園。1999年に教育普及/研究の拠点として”記念館”が新設。記念館には立面らしい立面はありません、丘陵地の地勢と一体化したような、湾曲したクロワッサンのような大きな屋根に覆われた建築・・

牧野富太郎記念館
テラスより中庭を見る。大きな屋根を支えているのは鋼製柱。大きな屋根が浮いている感じ
牧野富太郎記念館中庭
中庭を見る。大きな屋根の軒下空間がぐるり。「海の博物館」(’92)で注目されて以来、「素形」というコンセプトと共に大活躍の建築家/内藤廣さん・・近代以降の建築家が避けがちな “屋根” という建築要素を避ける事なくデザイン・・とても大きな屋根が、フレキシブルで、自由な感じ・・

内藤廣さんは“風”というメタファでこの建築を説明・・「近代主義の空間意識とは周囲の環境から孤立する”閉じた箱”であり、地球上どこにでも行け る宇宙船の様なものなのだと・・近代建築が多くの人々にとって希望となり得ないのは近代建築が、孤独で臆病に “閉じて” いるからなのだと、”閉じた箱”ではなく、内と外を繋いでいく方法を建築は見出していかなければいけないんだと・・」 「 重力と風  (’99/12 新建築) 

(上左) 建築家ヨーン・ウッツォンが描いた日本建築のスケッチ。屋根が浮いてます!
(上右) 唐招提寺の立面。屋根が立面の2/3
(下左) 伊勢神宮の立面。屋根と床で立面の80%
(下右) 桂離宮の立面。屋根と床で立面の70%

伝統的な日本建築において、屋根が立面に占める面積の多さには驚かされます・・「近代以降の建築には屋根がない」。屋根がないというのは間違いで、正確に言うと「陸屋根」という事だが・・近代以降の建築家は屋根を嫌い、屋根が在るという事は前近代的で・・屋根がないのがカッコイイのである。
しかしそれは今でも「カッコイイ感じの建築」にとって、屋根のハードルはわりと高い。屋根は”踏み絵”に近いローカルで、前近代的なイコン。とりあえず、四角く白く、ホワイトボックスにしておけば・・誰でも簡単に「カッコイイ感じ」が出来るのだから・・寺院や伝統的な民家の、大きな屋根への憧憬を想い起こさせる、見事な “大屋根” の建築・・牧野富太郎記念館は、very goodでした。

レオス・カラックス 1/3

Leos CaraxのVHSビデオ

レンタルショップで「BOY MEETS GIRL」(’83) 監督:レオス・カラックスを100円で購入しました・・ ビデオからすっかりDVD に変わり・・レコードからCDにあっさり変わってしまったように・・ 1万円以上していた映画ビデオがいまやワゴンセールで100円だ・・

夢想家で自意識過剰な青年の1日(夜~夜)を描いた青春映画。孤独で切ない現代の若物の心を等身大で描いた、やや自伝的な・・ 今あらためて見るとやや気恥ずかしくもなるが、大学生になったばかりの頃 初めてこの映画でレオス・カラックスに出会った時は・・ もの凄く共感を持って見ていたような気がします・・1960生まれのカラックスは16才で学校を辞めて、この映画の脚本を書き始め・・練り直しながら22才で書き上げ・・ 100万フランの制作資金援助を国から貰い、わずか8週間・・ “夜のパリ” という状況でそのほとんどが撮り上げられました。

映画は友人の裏切り/恋人達の別れから始まり・・ 登場人物は皆孤独、みんなの気持ちがすれ違い・・特に主人公アレックスのコミュニケーションは誰に対しても不自然で一方的・・ その極みが映画全体の半分近くを占めるパーティーシーン・・ 楽しいはずのパーティでも客は皆つまらなさそうに黙っている・・ そしてアレックスが “初めて” ヒロイン/ミレーユに会い、キッチンで告白(?)するのだが・・ 恋人との不仲状態でショックを受けたばかりで、話しをする気もないミレーユに・・アレックスは一方的に喋る喋る喋る・・ 恋/映画/自分について・・最後には「運命だ!!愛し合おう!!」と。登場人物は、皆悲しく淋しそうなのだが・・ 映画全体にはシュールな寓話のような雰囲気が漂う映画・・ 

サイレント映画とゴダールを溺愛するカラックスが夢見るように作った・・ 独特の映像美による、儚い寓話的世界。劇中では監督自身の分身である主人公アレックスに「2度人生をやれるほど案がある!」と強く語らせたのとは対照的に・・ カラックスが極めて寡作なのは、「 映画を撮る = 自らの世界の確立 」 と言えるまでに、映画を愛し 肉体化した・・ “早熟すぎた天才” ゆえの苦しみからだろうか。

建築の最新 2

Zaha Hadid

前投稿に引き続き 「最新CG建築」ギャラリー part2。
デ・コン(デ・コンストラクション-非構築的な、壊れたような崩れそうな格好をした建築スタイル)の元旗手 イラク生れの女流建築家Zaha Hadid 設計の高層ビルの完成予想CG。凄い!!・・ビルがうねっている!!!・・Photo Shopで画像加工したみたいで酔いそうだ・・
(下左)フランスの建築家Jean Nouvel設計の高層ビルの完成予想CG。
何とも言えない独特の艶・芳香を放つヌーベル建築らしさが漂うが、神柱or磐座を思わせる原初的なフォルム、注連縄でも巻いてたら拝んでしまいそうだ。
(Jean Nouvelはパリのカルティエ現代美術財団や最近できたケ・ブランリー美術館が有名、日本では電通本社ビルに関わったりしてます)
元・大阪人としては”丸い”ビルといえば、梅田「丸ビル」が 丸さがもたらすメンテナンスコストの高さにより倒産した事を思い出してしまう、ガラス変えるのもタイル張替えもどんな部材でも、確かに丸かったり歪んでたりするとコストは何倍もしますから・・そんな庶民的意見は世界的スター建築家のお二人には些末な事でしょうが・・

Jean Nouvel青木淳

(上中)は青木淳の大阪・南港にある結婚式用教会を思わせる、連結したリングが高層ビルを支える構造となっている様だ・・凄いな・・
(上右)は積木を積み上げた様な高層ビル、計画地は新宿の様だ・・これも出来ればこれまで見た事ないような物だが掃除は大変だろうな・・

しかし”建築の最前線”は凄いなぁ・・何でもあり状態という感じ・・
コストが掛かっても、メンテが大変でも、使い難くても、設計料が高くても・・それでも設計を頼みたくなる魅力がスタ-建築家にはあるのは確かだ・・彼らはクライアントに最新の[fashion=流行] -「人と違うこと」「新しいこと」「より洗練されていること」を提供する。
時代が変われば [fashion=流行] は必ず [out of fashion] になってしまうが、才能豊かなアーティストがその時代を真摯に映そうとした[fashion=流行]には、ON TIME でしか感じられない その時間を共に過ごした人にしか分からない、何とも言えない一言では表現し難いSYMPATHYが記憶に残る、10年20年経過した時 “滑稽”と思えたとしても、同時代で感じたSYMPATHYが共在した感動って特別だ。

「くらしき花七夕祭」

夜の大原美術館

8/4(土)と8/5(日)は「くらしき花七夕祭」です。
美観地区では美術作家によりコ-ディネ-トされた、オリジナリティーのある七夕飾りで倉敷川周辺が彩られています。
「大原美術館 本館」 (1930 設計: 薬師寺主計) では~PM8:00までの特別開館で浴衣着用の人は入館無料でした。「浴衣」と「暗くなってからの美術館」・・ほんの少しいつもと違う小さな企画というのも、見慣れた物・場所から再発見をする機会となり楽しいものでした。
and 「日本郷土玩具館」では~PM9:00まで(浴衣着用者は無料です)。

薬師寺主計(1984-65) は近代建築の巨匠ル・コルビュジェに会った最初の日本人建築家だそうだ、1922年パリで催されていたコルビュジェの「300万人都市」の展示を見たのがきっかけだったらしい・・薬師寺38才、コルビュジェ35才。1922年のコルビュジェと言えば「300万人都市」や「シトロアン型住宅」といった刺激的な計画案、雑誌「エスプリヌーボー」での過激なマニフェストで知られてはいたものの近代建築の実作らしい実作もまだなく、「白の時代」といわれる自身の近代建築5原則を応用した ホワイト/シンプル/キューブな住宅をつくり始めたばかりの頃。