「くらしき花七夕祭」

夜の大原美術館

8/4(土)と8/5(日)は「くらしき花七夕祭」です。
美観地区では美術作家によりコ-ディネ-トされた、オリジナリティーのある七夕飾りで倉敷川周辺が彩られています。
「大原美術館 本館」 (1930 設計: 薬師寺主計) では~PM8:00までの特別開館で浴衣着用の人は入館無料でした。「浴衣」と「暗くなってからの美術館」・・ほんの少しいつもと違う小さな企画というのも、見慣れた物・場所から再発見をする機会となり楽しいものでした。
and 「日本郷土玩具館」では~PM9:00まで(浴衣着用者は無料です)。

薬師寺主計(1984-65) は近代建築の巨匠ル・コルビュジェに会った最初の日本人建築家だそうだ、1922年パリで催されていたコルビュジェの「300万人都市」の展示を見たのがきっかけだったらしい・・薬師寺38才、コルビュジェ35才。1922年のコルビュジェと言えば「300万人都市」や「シトロアン型住宅」といった刺激的な計画案、雑誌「エスプリヌーボー」での過激なマニフェストで知られてはいたものの近代建築の実作らしい実作もまだなく、「白の時代」といわれる自身の近代建築5原則を応用した ホワイト/シンプル/キューブな住宅をつくり始めたばかりの頃。

建築の最新

北京オリンピック水泳競技場
「北京オリンピック 水泳競技場」2008年完成予定 設計:PTWarchitects
(PTWarchitectsはオーストラリアの大手設計事務所)

設計コンペ案が発表された時、完成予想CGの水泡が集まって出来上がった様な外観には驚いた。最近の大規模な国際設計コンペの入賞案などには一目見ただけでは、どんな構造/どんな材料で出来上がるのかが分からない様なものが少なくない・・
フイルムやガラスといった建築表皮材の新しい可能性の追求。コンピュータ活用により複雑で挑戦的な構造でも解析が可能になった事や設計時のデーターをそのまま施工用データ-として利用できる事など。考える/表現する手段としてのコンピューターの浸透・・様々な新しい試みの積み重なりが「新しい建築」としてCGではたくさん”実現”したものを眼にしていたが・・
CGを見ながら、「こんなの本当にできるの!?」と言っていた様なものが次々現実のものとして建ち上がってきました、北京ではもうその骨格が現れ工事中の様子もメディアで多々取り上げられ、これから2008年が近づくとその姿を度々TV等で何度も眼にする事でしょう、2008年8月には北島君がここで泳いでる。

北京オリンピックメインスタジアムと中国中央電視台
(左)は”水泡”の横に建つ”鳥の巣”こと「北京オリンピック メインスタジアム」
の完成予想CG。スイスの建築家Herzog&deMeuronの設計(日本では彼らが設計したプラダ青山店は有名)
(右)その頃にはオランダの建築家Rem koolhaas設計 「中国中央電視台」も北京には出来ている・・50階もある双塔が地上150mのところで折れて繋がるというこれまでに類を見ない大胆な構造の高層ビル。
(イサムノグチの彫刻EnergyBoidに形が似てる・・)

実際の建物として、使う人の要望を聞き/大工さんや職人さんがつくる為に図面を書くというような設計過程/手法とは全く違う・・コンピューターの中でイメージそのものが、こんな事もできるあんな事もできると大胆過激過剰な「CG建築」として練られてゆく・・
そして、”そのまま”実際の建物として出来上がる。
なかなか”そのまま”という訳には行かず、完成予想CGでは綺麗だったが出来るとイマイチだったり、「CGと違うじゃないか」と突っ込みたくなるものも多いが・・「こんなの本当にできるの!?」がだいたい出来てしまう”建築の最前線”は凄く面白いが・・この大胆過激過剰さは70年代メタボ建築や80年代ポストモダン建築や90年代デ・コン建築の滑稽な悪夢を呼び起こされる人は少なくないはず。モダン終焉以降 建築の歴史がすごく滑稽に見える時があると言うのはシニカルすぎる見方だろうか・・

「建築探訪 04」-Hiroshima/呉

呉市庁舎/市民会館

週末、「呉市庁舎/市民会館 (’62)」を探訪・・ 設計は坂倉準三建築研究所。
濃青色タイル張りの二つの円筒形 ( ひとつは空に向かって螺旋状曲面を延ばす市民会館ホール。もうひとつは議会場。 ) と 水平要素(ブリッジ や 議会場の大きな庇 )の対比が美しかったです・・さすがの “コルビュジエ的な感じ” 。

呉市庁舎/市民会館
螺旋状曲面を空へと延ばす市民会館ホールを見る。
今は白く見える部分は、もともとは “コンクリート打放し” の様でした・・ある時ペンキで白く塗られました・・”濃青色タイル円筒形”と”打放し”の対比はすごく綺麗だったろうな・・
呉市庁舎/市民会館
大きな庇が効いている議会場を道路より見る

建物は全体的に傷み汚れが目立ち、あまりメンテされてない様な感じ。50~60年代の有名作品には “打放し建築” が多い。完成時の写真のイメージを頭に入れ見学に行くと・・”打放し建築” のひどい汚れ様/傷み様/ペンキ塗りされた様にガッカリする事は何度もあり・・プランや形が変わったわけではなく、ペンキを塗られただけなんだけれども、建物の印象としては・・全く違うものにすら見えてしまう・・ 色と素材と形 のバランスは非常に緊密なのだから・・ こんな時には竣工時の姿を当時の資料などから想像してみます・・

〈追記〉2017年解体

「建築探訪 03」 Kagawa 3

香川県立体育館

「香川県立体育館」(’64) 設計:丹下健三 に行ってきました。
高松市中心からバスで10分、少し歩くと見えて来ました・・住宅街に舞い降りた和風宇宙船の様なインパクトのある姿は、周囲の平凡な街並みからは完全に浮いていました・・50年ほど前に地方都市につくられた市民施設。当時日本を代表する建築家による新しい表現。今は細々と使われメンテは最低限でやや使いこまれ古びた感じ・・出来た当初はその過激な表現と高い理想と過剰な情熱で注目を集めた話題作が、今は静かな住宅街の中で寡黙に立尽くしています。

香川県立体育館
“舟底”になる大きなアールの天井に覆われたエンスランスホールは素敵でした。剣持勇の椅子以外は何も置かれてない、ポスター1枚も貼られていない、ガランとした建築空間だけがある竣工写真の様な状態でした
香川県立体育館

一つの作品としては非常に高いレベルにある大建築家の作品なのだが、周囲とはいつまでも馴染めなかった転校生のような寂しさ・・HP局面の吊り屋根・観客 席床の格子梁・それらを支える大側梁大柱による構造のダイナミックな構成による表現は同年竣工した丹下健三のピ-クと言ってもいい「東京オリンピックプー ル」を連想させずにはおきません。

やまぼうし

トリムデザイン設計の住宅にやまぼうしの花が咲きました

トリムデザインで設計させて頂いた「美和の家」のシンボルツリー”やまぼうし”に花が咲きました。
一度目に迎えた初夏には花が咲かず心配していましたが、2度目の初夏を迎えかわいい花を咲かせました。”山法師”の樹名は丸いつぼみを坊主頭、白い花を頭巾に見立て付けられたそうだ。
花が上部に咲き 上から眺めると蝶が舞っているような姿が美しいので、2階の窓から眺められる様に計画いたしました。

「建築探訪 02」 Kagawa 2

香川県庁舎

「香川県庁舎」(1958) 設計: 丹下健三(1913-2005) へついに行きました。
コンクリート構造という近代建築言語による “日本”の直接的表現。近代建築に対する伝統継承問題への解答。モダニズムの地域的成熟。有名すぎる日本近代建築の名作。丹下健三の代表作のひとつでもある建築。
完全な中央コアプラン。外周部12本の柱で大きく持ち上げられた開放的な1階ホール。各階で大きく張り出したバルコニー(庇)。バルコニーを支える小梁のリズミカルな反復。強調された水平性。・・伝統の創造的継承のイコンとして、そのスタイルは・・庁舎建築のお手本として亜流を全国的に普及させていく事となる・・

香川県庁舎

伝統継承を復古主義or折衷主義ともいえる表現に押し止めようとする動きは、1930年代にはコンクリートの建物に瓦屋根を冠した”帝冠様式”などで見られる様なデザインを生みだしましたが・・その様な回顧的な表現では、近代と日本のより良い共存関係への・・明確な解答とはなりませんでした。

香川県庁舎

その問いかけの終点のひとつが丹下健三の「香川県庁舎」だったのではないでしょうか・・明快な平面。簡素な構造。素材美。無装飾。左右非対称。モジュール・・近代と伝統の両方に共通する概念・美意識によるデザイン。

香川県庁舎

1952年広島ピースセンターから1964年オリンピックプールまでの間の丹下作品は本当に眼を見張る様な”英雄的仕事”。今後もこの様な”国家的建築家”が現れる事はない様な気がします。現在国際的なスタ-建築家である安藤忠雄氏や妹島和世さんでも・・及ばない力強さと風格を備えた丹下作品。猪熊弦一郎の壁画、剣持勇の家具も花を添えています。

「衛生陶器のような白い四角い箱ではなく、帝冠様式のような日本式建築でもなく、近代建築と共通性のあるような新しい日本建築の造形を探したい・・」   丹下健三

「建築探訪 01」-Kagawa

イサムノグチ庭園美術館

「イサムノグチ庭園美術館」(香川県牟礼町)へ行って来ました。
高松から小さな電車”コトデン”で20分程揺られ、駅からテクテク20分程歩き・・倉敷からは2時間程・・見学には事前に葉書での申込みが必要です。

イサムノグチ庭園美術館

イサムノグチ(1904-1988)はニューヨークに居を構え、彫刻だけでなく家具や照明器具、舞台美術や庭・公園まで幅広くデザインをされました。戦後は日本でも活躍され、1969年から20年余りの間、年に2~3ヶ月はここ香川県牟礼町で過ごされたそうです。
彼の死後、アトリエと住居を美術館としてオープン。彼がここで住みながら制作した彫刻だけでなく・・ 宇和島から移築した”建築”、環状石積塀に囲まれた”庭”、自然豊かな周辺の “環境” “景観” まで・・ 全てに彼の意志が浸透して場所自体がひとつの作品となっていました。

イサムノグチ庭園美術館

訪れた時、真っ先に眼に飛び込んできた・・アトリエである米蔵と、たくさんの彫刻が立ち並んだ庭を囲い、周囲全体に強い存在感を放っていた石積塀と・・ 展示棟の薄暗い蔵の中に立ちつくしていた高さ3.6mの大きな黒色花崗岩の彫刻 「Energy Boid」が・・印象に残りました。

タウトの画帖 「桂離宮」

ブルーノタウト桂離宮

先日古本屋さんで購入した「桂離宮」(1943) 。心惹かれたのは、巻末の・・タウト筆による、”スケッチ&メモ” が付いていたから。

ブルーノ・タウトは1880年生れのドイツ人建築家。アールヌーボーの熱狂の後、”ドイツ表現派”の建築家として1910年代には活躍を始め。クリスタルをイメージした”ガラスと鉄”による「ガラス・パビリオン」(1914)や、「アルプス建築」(1919)と称した幻想的なドローイングの仕事や、ベルリンでの大規模なジードルンク(労働者の為の衛生的な住宅団地)を手掛けた1920年代の活躍で、よく知られた、ヨーロッパの一流建築家。

ブルーノタウト桂離宮

その “ヨーロッパの一流建築家” が1933年5月3日に、亡命者として敦賀に船で着いた翌日(タウト53才の誕生日)に・・桂離宮を訪れ・・非常に感激賞賛・・「言葉に出来ないほど美しく、涙がこぼれてくる、パルテノンに比すべきもの・・円熟の極地と小児のごとき純真無邪を具えている・・」とKATSURAを賞揚し・・日本美の最高表現と、認め評したのは・・有名な話。

ブルーノタウト桂離宮

この画帖は1934年5月7日に1年振りに・・4時間半じっくり再拝観した、強い感銘をそのまま一気に筆で・・(5月8日と9日の2日間で)完成させたそうです。描写力の高い写真や、精緻な文章による解説ではなく・・荒々しいとも言える筆による表現は、彼の興奮した感動をそのまま描写したいという、想いが伝わってきます。タウトのスケッチに描かれている見学順序は、今の特別拝観コースとほぼ同じ・・

ブルーノタウト桂離宮

この画帖の出来には・・本人も深く大満足・・出版を念願していたが、生前には果たされず。彼は1936年10月には3年半の日本滞在を終え、トルコに向かい。1938年トルコにて客死。そして1942年に出版されたのがこの本。
「IN KATSURA DENKT DASAUGE」 (桂離宮では眼が思惟する)

ブルーノタウト桂離宮
KATSURAへ再訪する2日前に・・タウトは小堀遠州の忌日に、大徳寺孤篷庵へ赴き・・遠州の墓に花を供え、“偉大な建築家”に敬意を表したそうだ・・
ブルーノタウト桂離宮
出版は・・”第三版 昭和18年4月10日” とあり。帰ってから・・よくよく見ていると “裝幀 龜倉雄策”とあり、亀倉さん戦前の仕事による・・本だった事を発見し、感激!

「デザインの輪郭」 深澤直人

デザインの輪郭

「デザインの輪郭」深澤直人著 TOTO出版(2005) を読んだ。
1956年生れのプロダクトデザイナー、誰もが眼にした事がある 携帯電話「INFOBAR」や無印良品「壁掛けCDプレーヤー」などをデザインした人、「±0」のデザイナーでもあり、良品計画のアドバイザーなどもされています。
好きな建築家を聞かれても困るが、好きなデザイナーはと聞かれたらその名前を答える一人です。そして更に「作品そのものより、その考え方が好き」とつけ加えて・・ その考え方とは、簡単に言うと (本当に簡単で申し訳ありません・・ご興味のある方はぜひぜひお読み下さい!! ) ・・ 「無意識/無自覚/日常/共感/ふつう」といったキーワードを基に・・ 俳句のようなデザイン or とことんこだわったおいしい御飯のようなデザイン・・といった感じでしょうか。

倉敷ガラス

倉敷ガラス

昨日は倉敷ガラスの小谷真三先生の岡山県文化賞の受賞を祝うパーティーに参加させて頂きました。たくさんの人が集まり・・盛大な会でした。
小谷先生が謝辞の中でお話された、先生が若い頃に倉敷民芸館の外村館長に教えて頂き、作品をつくる上で大事にされている言葉「健康で無駄がなく真面目」は心に残る言葉でした。
「健康で無駄がなく真面目」とは当たり前の事ばかりですが、当たり前が当たり前でなくなってきている事柄が多い昨今の世の中では当たり前である事はとても難しく、それ故にとても大切な事だと思います。

建築をしながらいつも考える事は、自我の押しつけの様な、建築家の自己満足の様なものはつくらないでおこうと、「健康で無駄がなく真面目な建築」・・そんな風につくれたらとても素晴らしいと思います。