「建築探訪 27」 -Kochi 2

JR高知駅

最近 仕事で訪れるJR高知駅・・・内藤廣さんの手によりリニューアル。
(上写真) プラットフォームに降りると、鋼材と木材によるハイブリットの大きなトラスアーチ梁に包まれた空間に迎えられます・・頂部には内藤建築らしいトップライトが設けられています・・照明器具や待合室まで全体がデザインされていてGOODです。

JR高知駅
2階フォームから1階まで降りてくるトラスアーチ梁に囲まれたダイナミックな空間
JR高知駅
降りてくる屋根を受けている・・杉板型枠によるコンクリート打放しの “庇柱” の存在感/素材感が効いています
JR高知駅
大きな金属葺きのアーチ屋根がプラットフォームを覆う外観

高知といえば内藤廣さんの代表作と言ってよい「牧野富太郎記念館」が在ります・・・電車で高知へ訪れ、まずは駅舎を楽しんでから牧野へ。

「建築探訪 22」 -Osaka/大阪城南西 2

Halftecture大阪城レストハウス

大坂城公園の南西角にあるトイレ&休憩飲食施設 「Halftecture大阪城レストハウス」(’06)は遠藤秀平さん(1960-)の設計。

特筆すべき箇所は”屋根”・・白い箱の上に、細柱により支持された19mmのドーナツ型鉄板の屋根が乗っている・・径70mmの鉄パイプ3本(h=約3.0m)を上下プレートで固定したセットが1つの柱として計25組で直径約20mの鉄板屋根を支えている・・・室内部に面する屋根面には白く塗装、屋外部の屋根面は仕上げなし鉄板のまま(耐候性鋼板といって表面が赤錆で覆われた状態)

天井裏が全くない厚19mmの薄い面が、室内と空を隔てているだけだ・・しかもこの面は柱間で微妙に”たわんでいる”・・(上写真)で分かるだろうか・・
構造計算ミスでも施工ミスでもなく、設計した建築家の意図だそうだ・・

Halftecture大阪城レストハウス

遠藤秀平さんと言えば90年代中頃から続いてきたコルゲート鋼板(土木工事などに用いられる工業製品)による作品がよく知られていますが・・最近はこれまでとは少し違う方向へ向かわれている様です・・しかし遠藤さんの作品に一貫して見られるコンセプトは “鉄が鉄のまま”であるという素材があるがままにある状態を重視する姿勢 & “(屋根で)覆う”という建築の初源的行為を重視/伸展させようとする姿勢 ではないでしょうか・・

遠藤さんによる解説では、この建築のテーマは”重力”・・建築が逃れる事の出来ない拘束としての”重力(自然の摂理)”を排除することなく、受容することの可能性を試みること・・

(上写真右)の鉄扉を作られた彫刻家/吉田和央さんには、独立する前/大阪の事務所で何度かお世話になりました・・非常にデザイン&質の高い、素敵な金物(鉄扉/庇/手摺り等・・)を設計した住宅&福祉施設等にあわせて制作して頂きました・・

「建築探訪 21」 -Osaka/大阪城南西

NHK大阪放送会館+市立歴史博物館

大坂城公園南西部から「NHK大阪放送会館+市立歴史博物館」(’01)・・設計はシーザー・ペリ&日本設計&NTTファシリティーズの共同設計(シーザー・ペリは大阪では中之島の「国際美術館」(’04)も設計でお馴染み)・・・左棟タイル張りの建物が博物館、右側ガラス張りの建物がNHK・・”建築的”にはそんなに印象には残らないのですが・・

何か”子供心”をくすぐるものがある・・・アニメの1シーンに出てきそうな感じがするキッチュとも見える全体シルエット・・ロボットの胴体を思わせるようなNHK棟ガラス張り部の膨らみ(ガラス両側部が腕のように見えるし・・)、2棟の間に挟まれた”地球儀”・・・近未来特撮ものの「防衛軍本部」として出てきそうだ・・なんて馬鹿な事を思うのは私だけでしょうか?

週末、大阪でお世話になった皆様、本当に色々ありがとうございました。

「建築探訪 20」 -Okayama 4

岡山県の牛窓に手塚貴晴+手塚由井さんが設計された住宅を見学させて頂く機会に恵まれました・・・(Nさん、ありがとう。)

(上写真)高さ6m×巾6m×長さ18mの一室空間を、水廻り+収納部である5mキューブで、リビングと寝室に分けただけという・・コアプランのお手本の様な空間(上写真はリビングからコア部を通して奥の寝室を見る)・・・窓は、海を臨む側に遮るものが何もない巾18mの大開口の掃出し窓(上写真では右側)、とその反対側に巾18mのハイサイド窓の2箇所のみ・・
大きな白い空間に大きな窓という組み合わせだけによる空間は・・美術館の展示スペースのような・・一般的な住宅では感じられない”スケール”

手塚さんの建築ではこの「スケール」が非常に重要なキーワード・・空間/形態に表層的な操作を加える事よりも、”構造の工夫”による「大きなスケールがもたらす空間」に可能性を見い出そうとされている・・ (建築のつくりは一見簡単ですが、見えない構造的な部分ではかなり頑張ってます・・)

外壁は全面焼き杉板貼り。 当日は手塚さんも来られていました

日常の生活の中にある楽しさ/豊かさという・・時代が変わろうとも変わる事のない本質・・を抽出する為の「大きなスケールの獲得」・・その先に見える新しい建築の普遍性。「大きなスケールの獲得」の為に用いられる、眼にはみえないが壁/屋根の中で建物を支えている・・アクロバティック&ハイコストな過剰ともいえる構造体は、一般住宅では有り得ない様なものなのですが・・
過剰な構造体へ偏重した建築とは、はたして普遍性をもちえる事が出来るのだろうか・・・そもそもモダニズム以降において・・建築家が産み出す”建築”において普遍性/一般性を求めようとしてきた事自体にも・・建築家の矛盾があるのではないかとも思えますが・・

「建築が何であるか」という建築の初源的な存在意味を、”居心地の良さ”や”わかりやすさ”という日常的/一般的な視点から探求しようとする・・手塚さんの建築。

「建築探訪 19」 -Shimane 3

島根県立古代出雲歴史博物館

槇文彦さん設計の 「島根県立古代出雲歴史博物館」(’07) を探訪・・
訪れた日は残念ながら曇り、写真映りが悪いです。 (上写真) 南庭のメインアプローチ通路から見る。庭が正面ガラスボックスのエントランスホールを挟んで北庭まで続いています。

島根県立古代出雲歴史博物館
敷地奥になる北庭から見る
左側本館の外部主仕上材の “赤錆び色(コールテン鋼) ” がよく効いています
ランドスケープのデザインは三谷徹さん
島根県立古代出雲歴史博物館
3層吹き抜けのエントランスホール・・ 3階展望テラスから2階カフェテラスを見る

突当たりのX型柱(筋交い)で大きな気積のエントランスホール部の水平力(地震時の横からの力)を負担している。エントランスホール部には柱がないようです・・サッシの縦材が垂直力を受ける柱として兼用されているよう・・サッシ縦横材は一見普通のサッシ材(中空のアルミ材)に見えるが、全て押出鋼材(無垢鋼材)で出来ている・・凄いです。

槇文彦さんは日本を代表する建築家・・・東大-ハーバード大院-同大準教授-東大教授という素晴らしいノーブルな経歴・・建築学会賞/毎日芸術賞/高松宮殿下記念世界文化賞/UIAゴールドメダル/建築界のノーベル賞と言われるプリッツカー賞を含め(日本人では師匠である丹下健三についで2人目、その後の安藤忠雄で日本人は計3人)・・受賞多数。

“正統派/モダニズム建築の継承者”といわれてきた槇さんの作品は 「端正」「上品」「ハイセンス」・・という言葉がピタリとはまるが・・ミースの建築スタイルに代表される様な極端なシンプルイズムを磨き上げた初期モダニズム建築の表層/スタイルだけにただ憧れて真似する多くの”モダニズム風”建築家とは一線を画した・・・「モダニズムは百年間 常に在った・・モダニズムとは、技術/環境の変化を許容をしながら、空間/形態のあり方を変えても在り続ける強靱なシステム」と仰るように・・・硬直した見せ掛けのファッション(コンクリート打放しやホワイトボックスという様なアイコンで商品化されたデザイナーズマンションのように、形骸化したファッションとなってしまったモダニズム)としてのモダニズムではなく、適応/許容/変化/成長するものとしてモダニズム建築を探究/実践されてきた・・・槇さんも80才・・スパイラル(’85) 京都国立近代美術館(’86) テピア(’89) ザルツブルグ会議場案(’92) 慶應大藤沢大学院(’93) などの”メタリック”な作品が続いていた頃の作品が特に好きで・・大学生の時、お願いして少しだけ槇事務所にてバイトさせて頂く事が出来たのは・・LUCKYでした。

「建築探訪 18」 -Kagoshima

ホテル京セラ

先月、鹿児島へ行った時 「ホテル京セラ」(’95) に泊まりました、設計は今年10月に亡くなられた黒川紀章(1934-2007)さん・・鹿児島市内からJR日豊本線で30分 隼人駅近くにあるホテル・・ちょうど桜島のある錦江湾の真北あたり・・ 

ホテル京セラ
低い建物しかない周囲を・・ 見下ろすように大きな真っ白い楕円柱型の建物が聳え建っていました・・・失礼ながら、こんなところにこんなホテルがあるなんて!!!という感じ・・
ホテル京セラ
60m以上の高さがある、大きな楕円型アトリウムを囲むように客室を配した明快な構成・・三角の部分はガラス張りのチャペル

73才で亡くなられたのは早かったけれども、若い頃からその才能を開花された黒川紀章さん・・評価の高いものは60年代/70年代に多く・・代表作である「中銀カプセルタワービル (’72) 」 では ・・工場でつくられた住空間用カプセルが偶発的に集積したような・・メタボリズムの理念を鮮烈に視覚化/表現した前衛的な建築作品を発表され・・ その後は国内外で大活躍・・・黒川紀章さんのご冥福をお祈り申し上げます。

「建築探訪 15」 -Osaka/中之島

大阪中之島

大阪と言えば梅田やミナミという繁華街を頭に浮かべる方が多いですが、何と言っても大阪の中心は”中之島”・・(上写真-鉾流橋から水晶橋を見る)

堂島川(上写真)と土佐堀川の間に挟まれ東から西へ・・東洋陶磁器美術館/中央公会堂/旧府立図書館/大阪市役所(上写真左部)/日銀大阪支店/フェスティバルホール/朝日新聞/ダイビル本館/国立国際美術館/ロイヤルホテル・・と3km近く続く 長い”中之島”は 人気の少ない休日に散歩するには絶好の建築探訪ルートです(岡田信一郎/辰野金吾/村野藤吾/渡辺節/吉田五十八・・特に建築好きな方には very good です・・中之島から大阪城の方へ向かえば安藤忠雄/篠原一男/竹原義二/遠藤秀平などの作品も見られます・・)。

倉敷に移るまでは中之島の近く、部屋の窓から川も見えた場所に暮らしていた頃、時々散歩していた懐かしい/お気に入りの散歩ルート・・・先月 大阪でふと時間が出来た時、久しぶりに散歩してみました・・

「建築探訪 13」 -Osaka/梅田

BREEZE TOWER

ドイツ人新進建築家/クリストフ・インゲンホーフェン(1960- )がデザインアーキテクトとして手掛けた日本で初めての建築「BREEZE TOWER」が完成間近だ・・

凄い勢いで再開発が行われ、大きなビルが次々立ち上がって来る大阪・西梅田、ハービスプラザのすぐ南側・・近年ヨーロッパの高層オフィスビルでは多く用いられる省エネ/環境を重視したダブルスキンファサードによる自然換気型オフィスビル・・エンジニアリングとデザインとの調和を目指した・・ドイツ人らしい堅実そうな建築だ・・・国際指名コンペにて強豪-N.グリムショウ(英)、D.ペロー(仏)、M.フクサス(伊)-を押さえ彼が選ばれた・・

現在、国内外設計コンペの1等を次々獲得し続けているインゲンホーフェンは、「RWEタワー」(下左写真)を1997年に、「ブルダ・メディアパーク」(下写真中)を2001年に、「ルフトハンザ新社屋」(下写真右)を2006年に完成させ、環境/省エネ/エコロジー/場所性/居住性といったヒューマニティーな視点を重視しながら造りあげる透明性の高い端正な建築は、スター建築家が提案する奇抜な案が多い国際コンペの中にあっても存在感を放っています・・
今後も「シュトゥットガルト中央駅計画」や「欧州投資銀行計画」などの期待作の実現が待ち遠しい”スター建築家”候補の作品がいちはやく日本で見られる訳なのだが・・

クリストフ・インゲンホーフェン

日本には多くの有名海外建築家の作品があるが、やはり遠距離の為か作品に掛けるエネルギーがある程度減じてしまい、質/密度が下がってしまう感は否めない・・遠い国でのビックプロジェクト・・リスク減や安心感を考えて日本の大手と共同設計というかたちで組み、デザインアーキテクトとしておさまるケースがほとんだ、そうするとディティールやテクスチュアなど建築デザインの質を左右する部分がどうしても切れがなくなる・・彼らの本国での作品の質までには及んでいない気がします・・

「建築探訪 05」 -Kochi

牧野富太郎記念館

「牧野富太郎記念館」(’99) 設計: 内藤廣 へ行って来ました。
高知市内からバスで20分ほど、高知出身の植物分類学の父・牧野博士の業績を顕彰するため、1958年に開園。1999年に教育普及/研究の拠点として”記念館”が新設。記念館には立面らしい立面はありません、丘陵地の地勢と一体化したような、湾曲したクロワッサンのような大きな屋根に覆われた建築・・

牧野富太郎記念館
テラスより中庭を見る。大きな屋根を支えているのは鋼製柱。大きな屋根が浮いている感じ
牧野富太郎記念館中庭
中庭を見る。大きな屋根の軒下空間がぐるり。「海の博物館」(’92)で注目されて以来、「素形」というコンセプトと共に大活躍の建築家/内藤廣さん・・近代以降の建築家が避けがちな “屋根” という建築要素を避ける事なくデザイン・・とても大きな屋根が、フレキシブルで、自由な感じ・・

内藤廣さんは“風”というメタファでこの建築を説明・・「近代主義の空間意識とは周囲の環境から孤立する”閉じた箱”であり、地球上どこにでも行け る宇宙船の様なものなのだと・・近代建築が多くの人々にとって希望となり得ないのは近代建築が、孤独で臆病に “閉じて” いるからなのだと、”閉じた箱”ではなく、内と外を繋いでいく方法を建築は見出していかなければいけないんだと・・」 「 重力と風  (’99/12 新建築) 

(上左) 建築家ヨーン・ウッツォンが描いた日本建築のスケッチ。屋根が浮いてます!
(上右) 唐招提寺の立面。屋根が立面の2/3
(下左) 伊勢神宮の立面。屋根と床で立面の80%
(下右) 桂離宮の立面。屋根と床で立面の70%

伝統的な日本建築において、屋根が立面に占める面積の多さには驚かされます・・「近代以降の建築には屋根がない」。屋根がないというのは間違いで、正確に言うと「陸屋根」という事だが・・近代以降の建築家は屋根を嫌い、屋根が在るという事は前近代的で・・屋根がないのがカッコイイのである。
しかしそれは今でも「カッコイイ感じの建築」にとって、屋根のハードルはわりと高い。屋根は”踏み絵”に近いローカルで、前近代的なイコン。とりあえず、四角く白く、ホワイトボックスにしておけば・・誰でも簡単に「カッコイイ感じ」が出来るのだから・・寺院や伝統的な民家の、大きな屋根への憧憬を想い起こさせる、見事な “大屋根” の建築・・牧野富太郎記念館は、very goodでした。

「建築探訪 01」-Kagawa

イサムノグチ庭園美術館

「イサムノグチ庭園美術館」(香川県牟礼町)へ行って来ました。
高松から小さな電車”コトデン”で20分程揺られ、駅からテクテク20分程歩き・・倉敷からは2時間程・・見学には事前に葉書での申込みが必要です。

イサムノグチ庭園美術館

イサムノグチ(1904-1988)はニューヨークに居を構え、彫刻だけでなく家具や照明器具、舞台美術や庭・公園まで幅広くデザインをされました。戦後は日本でも活躍され、1969年から20年余りの間、年に2~3ヶ月はここ香川県牟礼町で過ごされたそうです。
彼の死後、アトリエと住居を美術館としてオープン。彼がここで住みながら制作した彫刻だけでなく・・ 宇和島から移築した”建築”、環状石積塀に囲まれた”庭”、自然豊かな周辺の “環境” “景観” まで・・ 全てに彼の意志が浸透して場所自体がひとつの作品となっていました。

イサムノグチ庭園美術館

訪れた時、真っ先に眼に飛び込んできた・・アトリエである米蔵と、たくさんの彫刻が立ち並んだ庭を囲い、周囲全体に強い存在感を放っていた石積塀と・・ 展示棟の薄暗い蔵の中に立ちつくしていた高さ3.6mの大きな黒色花崗岩の彫刻 「Energy Boid」が・・印象に残りました。