「建築探訪 149」-Aichi 3

名古屋大学豊田講堂

「名古屋大学 豊田講堂」を探訪・・89才のいまも建築家として活躍されている槇文彦さん・・32才にしての実質的なデビュー作!!!  。トヨタ自動車の寄付により1960年に完成。地下鉄の階段を上がると・・目の前にある大きな広場の向こうに、アシンメトリーな建物の西側正面が見える。ゲートのない開放的なキャンパスの「門」として、その建物の姿はまさに「門」という字の直喩的表現を思わせる。(ちなみにトヨタ自動車さんは、求められた予算に対して、自ら「その2倍の寄付金を出す」と申し出たそうです・・)

名古屋大学豊田講堂

10年程前に、同じくトヨタ自動車の寄付により、大規模な改修工事が行われ・・とてもgoodな建築の状態。50年近くの年月を経て、同じ設計者の手による、良質で本格的な改修工事・・”docomomo japan100″にも選出されている日本近代建築を代表する建築の・・この様な保存/維持/活用は、とても素晴らしい事だと思います。

名古屋大学豊田講堂

“コンクリート打放し”の場合・・改修で「建物の雰囲気」が損なわれる事が多いのですが、コンクリートの質感やプロポーションに丁寧な配慮がなされ・・50年近く風雨に晒され、木目は消え、外壁表面には砂が浮き上がってしまっている状態で・・かなり劣化していた”コンクリート打放し”も・・「杉板本実型枠による極薄増打ち」という手の込んだ改修手法などが用いられたおかげで・・建物の雰囲気が損なわれる様な事は・・ありませんでした。

名古屋大学豊田講堂

リフレッシュされた姿を、改めて見ていると・・「白いBOXの浮いている感」や「ピロティと打放しによる構造的表現の力強さ」に・・メタボリズムやブルータリズムなどの、60年代的な建築表現の新鮮さを・・再感。

名古屋大学豊田講堂

建物正面右手・・大階段とピロティを見る。建物ヴォリュームに対しての、柱の細長感が際立つ・・西陽を浴びて、ちょっとジョルジョ・デ・キリコ的な感じ・・柱は正方形ではなく長方形。すこしでも正面からの見え寸法を抑えようという工夫。槇さんの建築は決して声高に主張しすぎない・・熟慮された控え目な表現が・・心地良いです。

名古屋大学豊田講堂

この建物を設計中だった当時・・2年に渡り、世界中を建築視察旅行していた槇文彦さんは・・インドで仕事をしていたル・コルビュジエのアトリエを訪ね・・この建物の設計図面を見て貰ったそうだ・・その時のコルビュジェからの言葉は・・「柱を大事にしなさい」との事。

名古屋大学豊田講堂アトリウム

増築され大きく変わった内部を見る。槇さんらしい階段がgoodです。このアトリウムのスペースは、もともと外部だった所、右手が既存部・・

名古屋大学豊田講堂アトリウム

改修工事により別棟だった建物が、アトリウムを介して一体化。外部だったとは思えない、さすがの改修。右手の壁は、もともと外壁だったという事・・既存部の豊田講堂を南北面で支えている、特徴的な「コの字型耐震壁」がアトリウム空間で、存在感を示しています。

名古屋大学豊田講堂アトリウム

アトリウムより外部へと繋がる、”透け感”がgoodな出入口部分を見る。槇さんの建築・・やっぱりgoodです、品があります。たまたまですが、岡山県出身だという・・施設スタッフさんが、突然来訪している私達2人のために・・照明を点灯して下さり、親切に建物内も色々と案内して下さりました・・感謝感謝。

「建築探訪 146」-Gifu 2

羽島市庁舎

大スロープ、水平に重ねられた高欄手摺と大きな開口部、屋上に載せられた凸凹屋根、聳える火の見櫓・・坂倉準三建築研究所の設計による「羽島市庁舎(1958)」を、今年の5月に・・探訪。羽島市は坂倉準三の故郷、実家は近くにある有名な造り酒屋(千代菊)・・北側から見る。坂倉の庁舎建築といえば、呉市庁舎旧枚岡市庁舎

羽島市庁舎

建物の東側には・・高く聳える”火の見櫓のような”望楼と、4Fまで繋がる折り返しの大スロープ。この角度から見ると、各建築的要素の構成による、建物のダイナミックさがよく伝わる。

羽島市庁舎

この建築の大きな特徴・・2Fのメインエントランスへと繋がる、建物を南北に貫く、大きな斜路。坂倉さんの建築と言えば・・建物をプロムナード的に巡っていく階段やスロープといった物の・・存在感や独立感 が際立っています。有名な1937年のデビュー作である「パリ万博日本館」もそう!!。

羽島市庁舎

南側の立面を見る。建物の廻りには小さな池が張り巡らされ・・坂倉準三の傑作である「カマキン」にも通じる、水辺と建物の関係性。屋上に突出物を載せるデザインは師匠ゆずりで・・いかにも「コルビュジェ」!!。

羽島市庁舎

坂倉の設計による東急文化会館呉市庁舎が撤去され・・そしてまたこの建物も”サヨナラの危機”(今月初めに新庁舎建設工事の公募型プロポーザル」の公告が羽島市より発表)・・個人的に思い出のある大阪の枚岡市庁舎も危なそうだし・・近年次々と撤去されていく坂倉建築・・。今は使われていない、折り返しながら4階まで上がる大スロープを見る。

羽島市庁舎

大スロープ横にある、望楼への入り口部に目がとまる・・壁面と開口のバランスが何ともgood・・それを際立たせているのが、この型枠の割付け・・

羽島市庁舎

昔の”コンクリート打放し”は・・コンクリートを流し込む為の木製型枠が、大きな1枚のパネルではなく・・フローリングのような板材を貼りあわせた物・・しかし、この割付けはとても手が込んでいて、goodです。

「建築探訪 135」-Yamaguchi 3

山口県立図書館

「山口県立図書館」(1973) を探訪・・設計は鬼頭梓さん。様々な量感がポコポコした外観・・タイル壁に挟まれたサッシュ部が正面入口(西面)。平面的に見ても、様々な室のヴォリュームがポコポコとした形になっています。

山口県立図書館

東側の入口より見る・・正面奥が西側の正面入口。右上に見える大きなトップライトと、このトップライト下にある中央ホール(開架室)が・・建物の中心となります。この微妙な階高設定の・・中央ホールの絶妙な位置付けが、この建築の居心地良さの・・要となっている様な気がします。

山口県立図書館

(左-写真)中央ホールには、スロープでアクセス。(右-写真)中央ホールから2階にも、スロープでアクセス。スロープ横のコンクリート壁が・・いい「ハツリ」具合です。スロープを中心とした建物構成も・・この建築の要。写真では分かり難いですが、天井は格子状ルーバーになっています。

山口県立図書館

2階より見る。中央ホールに面してグルリと廊下が廻っているのですが・・その廊下には様々な読書コーナーが幾つも、趣きを変えながら配置されていて・・very goodです。外部窓に面した机のコーナーや、廊下の腰壁に隠れる様に配されたプチコーナー・・

山口県立図書館

開架書庫の側に配されたベンチソファのコーナーや、光庭に面したラウンジソファのコーナーなどなど・・そして更に、廊下廻りから、まとまった大きさのある各室が・・四方八方へと繋がっていく、広がりのある伸びやかな図書館となっています。

山口県立図書館

図書館建築のパイオニアであり、名手でもある鬼頭さんが手掛けた図書館建築は “訪れた人を暖かく迎え入れる” ・・とても居心地の良い、とてもniceな建築でした!!! ・・が、その本当の良さは、写真や説明文では上手く伝えられない・・体験してみないと、その良さが分からない・・”建築らしい建築” 。

「東京経済大学図書館(’62)」から始まり「山梨県立図書館(’70)」「東北大学図書館(’72)」「山口県立図書館(’73)」、そして「日野市立中央図書館(’73)」・・生涯に30を超える図書館建築を手掛けられた、鬼頭梓さんが言われていた「図書館建築で大切な事」とは・・

山口県立図書館打込みタイル

“図書館員がしっかりしてくれている事が一番大切です”  との事・・デザインに対する主義主張は控え目で、設計方法論にも柔軟な・・鬼頭さんらしい言葉なのではないでしょうか。外壁のタイルは、鬼頭梓さんの 師匠と同じ “打込みタイル” ・・巾450×高150mmという、やや大きめのタイル。

「建築探訪 133」-Yamaguchi 2

山口県立山口博物館

「山口県立 山口博物館(’67)」を探訪・・設計は坂倉準三建築研究所
(上写真) メインアプローチとなる外部大階段の境壁に開けられた不思議な開口・・不正形なカタチに、角度を変えた切り込み・・goodです。

山口県立山口博物館
東側外観、建物正面を見る。もともとは全て・・コンクリート打放し仕上げの建築でしたが、今は一部分を残してタイル張りとなった建物外観。アプローチは右手にある外部大階段を上がった2階から
山口県立山口博物館
建物正面である東側外観とは、ガラッと雰囲気の変わる・・北側外観を見る。北側の外壁仕上げはボード張り・・硬軟強弱の付け方が・・goodです
山口県立山口博物館
1階ピロティ部を見る。左手奥に見えている屋外大階段・・いまは鉄骨造ですが、もともとはコンクリート造、打放し仕上げ・・だった様です
山口県立山口博物館
1階ピロティ部、ビビットな天井の色彩。もともとのデザインがこの色であったのか・・どうかは分かりませんが・・goodです
山口県立山口博物館
1階ピロティ部より敷地奥を見る。敷地奥には春日山・・敷地の環境条件から導き出されたという建築形態のイメージは “敷地に架け渡された橋” 

「建築探訪 132」-Fukuoka

福岡市美術館

「福岡市美術館 (’79)」を探訪・・設計は前川國男。32m角×高さ12mの”タイル張りの四角いヴォリューム” の展示棟を見上げる・・上部から斜め張り、縦張り、横張り・・全体の構成としては、この “タイル張りの四角いヴォリューム” が4つ、L型に雁行しながら配置・・その間を大きなエスプラナードやエントランスロビーで、繋ぐカタチ。”タイル張りの四角いヴォリューム” には、寄棟屋根が乗っていますが・・地上からは見えません。

福岡市美術館
北側のエスプラナード(散策路)より見る。福岡市民の憩いの場である、大濠公園の美しい環境を眺めながら、大きくゆったりした階段で・・大きな屋外彫刻作品に出会ったりしながらブラブラ・・2階エントランスロビーへ
福岡市美術館
南側のエントランスを見る。こちらから建物にアプローチする人は、2層分の建物を見ながら・・1階エントランスロビーへ
福岡市美術館
北側のエスプラナード部の2階より、中庭の大きな開口を見る。中庭の向こうにはエントランスロビーの吹抜けが見えます、その向こうに南側エントランス・・ヴォールト(蒲鉾型アーチ)状の屋根天井は、コンクリート打放しの “斫(はつ)り” 仕上げ
福岡市美術館打ち込みタイル
(左) コンクリートヴォールトの天井で抑えられた、落ち着きのある2階エントランスロビーを見る。(右)外壁の詳細を見る

前川國男こだわりの「打込みタイル」・・これは「釉薬」のかかった「磁器質」で「PC版」・・「前川國男の打込みタイル」は年代を経てバージョンアップ・・。

「建築探訪 131」-Yamaguchi

山口県立美術館

「山口県立美術館(1979)」を探訪・・設計は鬼頭梓(1926-2008)さん。エントランスへと向かう・・建物正面&広場がスパッと迎えてくれます。煉瓦ヴォリュームの南北に細長い美術館は、鬼頭さんの師匠である前川國男の「熊本県立美術館 (’77)」を思い起こさせる・・

山口県立美術館
煉瓦積みの壁面の中に・・コンクリート打放しの楣(まぐさ)が効いています
山口県立美術館
建物正面の下部を見る

ピロティ下の建具は当初のものではなく・・フレームレスな現代的なガラス建具にリニューアルされていましたが・・上部煉瓦ヴォリュームとガラスの対比感が当初よりも強まっていて・・goodなんではないでしょうか。(開館30年を期に2012年に大改修)

山口県立美術館
ピロティ部に増築された・・ショップ部を見る。ガラスの角に穴を開けて、支持金物のみでガラス面を固定して支える・・DPG工法による、フレームレスなスッキリデザイン
山口県立美術館
玄関を入った正面の1階ロビー・・大きな開口(西面)。ロビーから1段上がった場所にはカフェ。その向こうの外部は屋外展示場。来館者はロビー正面の壁に突き当たり、目的別に左右(南北)に別れていく・・
山口県立美術館ロビー
1階ロビーから、大きな長い斜路(北側)を上がり展示室へ・・そこからさらに斜路で上階の展示室へ

左右対称で南側にも同じカタチで斜路が配置されている。この美術館の建築構成の要は、やはりなんと言っても・・建物中央に配置された斜路。(斜路が建築構成の要となっている建築といえば、鬼頭さんの師匠の師匠による・・この作品!!)

山口県立美術館ロビー
1階ロビーを見る

階段は一切使うことなく、斜路だけにより展示室を巡る構成は・・気分の断続を強いられる事なく各展示室を歩き回れる連続性を・・鬼頭さんが重視された様です。美術館設計にあたり・・萩焼きの窯元や香月泰男のアトリエ、市内の古い社寺・・様々な”山口”の場所を、訪ね歩き・・”山口”の美術館を模索されたそうです。

山口県立美術館カフェ
カフェを見る

今は深澤直人デザインの椅子が並ぶ、おしゃれなスペースですが、もともとはこの場所もロビーだった様です。美術館設計の経験がなかった鬼頭さんは・・その不安を師匠(前川國男)に相談したところ・・前川が鬼頭に与えたアドバイスとは・・「何も教える事はない、物と人に聞け!!」・・物とは美術品、人とは学芸員。

山口県立美術館ミュージアムショップ

師匠である前川と同じく、建築家の職業倫理観に厳しかった鬼頭の言葉。
「デザインの自由は、常にクライアントと社会のために行使されるという限界を超えることは許されない」・・建築家のエゴやデザイン至上主義への戒め、社会/生活/人間/建築の関係性を増進する為のデザイン・・

さよなら「ホテルオークラ東京」

ホテルオークラ東京
“ホテルオークラ東京”の最後の日です・・
“日本美を体現した近代建築の名空間”の終幕
ホテルオークラ東京
53年間、多くの人をもてなしてきた「ホテルオークラ東京」が建替え・・
昨日(2015/8/31)を持って閉館
ホテルオークラ東京
建替えに関しては、日本国内だけではなく、海外からも惜しむ声はたくさん。2度と体験できなくなった “あのオークラの空間” ・・本当に残念
ホテルオークラ東京
2015年8月31日、グランドフィナーレの会場

節目節目の機会には、家族の思い出の背景として在った場所・・最後の日に宿泊できた事に感謝。

「建築探訪 123」-ISE SIMA

志摩観光ホテル

村野藤吾の設計による「志摩観光ホテル」を訪れる・・ 正面に見えるのは本館。本館が竣工した1969年当時は全体で200室を擁し・・国内最大規模のリゾートホテルだったそうです。屋根と軒が重層する外観が特徴的。

志摩観光ホテル
真珠養殖の発祥地でもあり、リアス式海岸が織り成す景勝地としても知られる・・英虞湾に面して建つホテル。左側、建物下にあるのが英虞湾・・しかし天気がやや悪い
志摩観光ホテル
本館の1階ロビーを見る。松材による力強い天井の意匠。突き当りの奥にレストラン「ラ・メール クラシック」
志摩観光ホテル階段
本館の1階ロビーにある階段を見る。ちょっとした部分にまで・・アールや面取りを施す・・細やかなディテールへの気配りが、心地良い ・・村野藤吾さんの建築
志摩観光ホテル
本館2階のロビーを見る。村野さんオリジナルデザインの障子・・ソファやテーブルといった家具・・いかにも村野調なインテリア
志摩観光ホテル
本館2階のラウンジ「アミー」を見る。1973年の映画「華麗なる一族」のロケが行われた場所としても有名。昭和天皇はじめ、今の天皇陛下・皇后陛下や、皇太子殿下・同妃殿下、秋篠宮殿下・同妃殿下・・ モナコのグレース王妃夫妻などなど・・皇室関係の方々が泊まられる事でも知られているホテル・・ 竹をギッシリと並べた天井が壮観
志摩観光ホテルラ・メールクラシック
藤田嗣治や小磯良平の絵画も壁に並ぶ・・本館1階にあるレストラン「ラ・メール クラシック」
志摩観光ホテル
戦後初の純洋式リゾートホテルとして、1951年に開業した建物である旧館を見る。開業当時は25室。開業した年の秋には昭和天皇も・・ご宿泊。旧館の奥にあった増築部(1960)は、今は撤去されていて・・在りません
志摩観光ホテル
旧館の建物自体は・・設計者である村野藤吾が戦時中に設計した「鈴鹿海軍工廠 航空隊将校 集会場(1943)」の木材を移築して、建てられたもの
志摩観光ホテル
開業当時の趣きを今も残す、旧館のロビーを見る。旧館部分は、今はホテルとしては使用はされていませんが・・内部は公開されており、自由に見て廻る事が出来ます
志摩観光ホテル
太い柱梁が露わしとなった高さのある空間・・旧館の和食レストラン「浜木綿」。これだけのスペースを何も使わずに維持されて・・見学の為に公開して頂けるとは・・感謝
志摩観光ホテル
ここも・・現在はもちろん営業していないが、今にもシェフが出て来そうな雰囲気・・旧館にある鉄板焼き「山吹」のインテリアを見る。ここの障子もオモシロイ・・そして天井も・・さすがの村野デザイン
ホテルには夕方、到着。窓から英虞湾を見下ろす。英虞湾に沈む夕陽は、このホテルの大きな魅力の1つなのだが・・残念(曇り)。ならば、このホテルの・・もう1つの大きな魅力である・・食事に期待 !!
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