眼が思惟する

ブルーノタウト桂離宮

お気に入りの本、ブルーノ・タウトの桂離宮・・”永遠なるもの” や “日本建築の世界的奇蹟” など8つの小論。桂離宮や伊勢神宮、孤篷庵や日光などの探訪日記。そして”桂離宮の回想” と題された書帖・・タウトの建築探訪 – 絵日記!!!

「DA DENKT DASAUGE」 (ここでは眼が思惟する) との言葉と共に27枚の書帖は始まり・・探訪ルートの順のまま、筆による言葉と絵で、探訪が回想される。タウトの感動を、タウトの言葉&筆画という低解像度の情報で・・再トレースするという。アナログな感じがとても楽しい本。

ノベルティ

今日・・現調(これから計画する建物や計画地の現場調査)に伺わせて頂いた際・・作業中、Oさん宅の物置倉庫の中で発見したもの・・一目見た瞬間「オモシロイ!!」・・これが何の焼き物か分かりますか?
答えはこちら
再現された屋上の造形は・・師匠であるル・コルビュジエを思わせる?・・
裏面には「昭和三十二年三月十九日、新県庁舎落成記念」・・これは関係者向けのノベルティなんだろうか? (岡山県だけに備前焼!!)  
Oさんから「いいですよ、持って帰って下さい。」と・・ありがとうございます、Oさん!!  嬉しいです!!

こちらは「アアルト自邸」に置かれていた焼き物・・銀行のお客様向けのノベルティ(貯金箱)です。そのモデルとなっている建物は、分かりますか?・・かなり大胆な(オモシロイくらいの・・)デフォルメがされていますが・・答えはこちらで間違いないとは思いますが・・ 

「最高に凄かった。最高に光っていた。岡崎京子の作品、・・」

岡崎京子展

「岡崎京子展」を訪れる。もちろん “初の大規模展覧会”。岡崎さんは1985年に21才で初の単行本を刊行され、以降も次々と秀作を発表・・1996年に休筆されるまでの間、今なお忘れられない心に残る・・数々のきら星の様な作品を、鮮やかな感性で描かれました。

岡崎さんの作品には・・80年代から90年代へと移る、様々な事物や人が次々と消費され崩壊してゆく様な混沌としていた時代の・・あの空気感の明暗が見事に映し出されていた様な気がします。表面を覆っている “明朗快活” さと、その根底に在る “どうしようもなさ” がアンビバレントに存在していた心の機微・・ドライでもありエキセントリックでもあり曖昧でもある・・”ふつう”。そんな自分達の心情を映し出した様な・・登場人物たちの物語を思い出すと、今も心に響きます。

建築&デザイン関係の本ばかりが並ぶ事務所の書棚ですが・・ W.ギブスン、P.K.ディック、H.Murakamiと共にマイフェイバリットなコーナーには岡崎さんの作品が24タイトル。カラックスやヴェンダースやYMOと共に・・10年経っても20年経っても、マイフェイバリットなヒーローの作品は・・心の棚から消える事はありません・・いつもいつまでも一緒・・ですよね。

岡崎京子展

デザイナー祖父江慎さんによる会場構成のアートディレクションも素晴らしく。原画をはじめ、学生時代の作品から関連映画の物まで岡崎ワールドに・・ゆっくりと浸れました。(館内の図書室にもプチ展示コーナーが在りました)

(上写真) 会場出口に掲げられていた・・岡崎さんの言葉に感動。
展覧会は世田谷文学館で、3月31日まで。

mi stan smith

スニーカーを買いました。スニーカーの名作であり、おなじみの定番 (my定番でもあります)、アディダスの “スタンスミス” なんですが・・ これはアディダスのカスタマイズサービス「mi adidas」を利用して購入しました。

「世界に一足、自分だけのスタンスミスを作れる!」という宣伝文句に誘われ・・革の素材からはじめ、アッパー、ソール、ロゴプリント、シューレース、ステッチなどの色を、3次元で確認しながら・・自分好みで選んでいくと・・自分だけのスタンスミスが完成!! 

ロゴプリント以外すべて黒なので、面白みが全然ないのですが・・本人的には大満足!!!

中敷きには好きな文字が入れられるので「TRIM DESIGN」と入れてみました・・ これで他人の靴を間違って履いてしまう事はない?

YMO

YMOの紙ジャケットCD

YMOの紙ジャケットCDを 大人買い!!  ・・US版を含むオリジナルアルバム8枚、ライブアルバム2枚・・計10枚。
言うまでもありませんがYMOとは・・細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏の3人により1978年に結成され、1983年に散開した・・テクノ&ニューウェイブ音楽のグループで・・シンセサイザーとコンピュータを駆使した音楽で、日本だけでなくワールドワイドにも大活躍。
テクノカット 赤い人民服 で・・メンバー3人とマネキン2体が雀卓を囲んだジャケット「SORID STATE SURVIVOR (’79)」のインパクト(上写真 左下)は・・まだ何も分からない小学生にとって、音楽だけでなく・・そのビジュアルも強烈でした・・とにかくカッコイイ!!

YMO増殖

CDなので・・大きさ的には、レコードジャケットの様な迫力はありませんが (曲間にラジオコントが入るユニークな3rd アルバム「増殖 (’80)」)・・ディスクにはレコード盤の感じがきちんと再現されていて・・goodです。

村上春樹 3/3

新聞で偶然彼女の死を知った友人が電話で僕にそれを教えてくれた・・

いつも同じ席で本を読み耽っていた、”僕”が20歳の秋に出会った”女の子”が、26歳で死んだというプロローグで始まる・・処女作から続いた”鼠三部作”の最終章。これまでの前2作(「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」)とは大きく違う感じ・・ ページ数からして、前2作は1日でもすぐに読み切れてしまう程度・・しかし今作は上下2巻でヴォリュームからして、これまでの3倍以上。

前作の設定(1973年秋)で、翻訳事務所を友人としていた・・独身だった”僕”。今作の設定(1978年夏)では、広告コピーの下請けをしていて・・結婚するも4年で離婚、独身になって・・3日に2日はバーでサンドイッチとオムレツを食べている”僕”。(離婚した彼女は前作の翻訳事務所で働いていた女の子・・彼女は”僕の友人”と寝ていた。)

出版社のアルバイトをしながら、”耳のモデル”をしている “キキという女の子” に出会い・・あと10分で電話があるわ、羊のことよ」・・ 大冒険の物語が始まる・・

「P生命のPR写真、これをやめて下さい。」

ある日、”鼠”からの手紙が・・最初は1977年12/21の消印、”鼠が書いた小説” とともに青森から送られてきた。2番目の手紙は・・1978年5/7の消印、”2つの頼み”とともに北海道から送られてきた・・「ジェイと彼女に “さよなら” を伝えてほしい」・・ そして

“キキの予言”と”鼠のもう1つの頼み” で始まる・・”羊をめぐる大冒険”。政界の大物、高級コールガール組織、ジンギス汗、羊博士、北海道の羊史などなど・・これまでの作品にはない、大掛かりな、込み入ったエピソードに彩られて・・巨大な山の山頂を裾野から目指す様に・・クライマックスへと至る物語。

しかし・・至ったのは”鼠”と”ジェイズ・バー”。

村上春樹 2/3

見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった。
一時期、十年も昔のことだが、・・

村上春樹さんの2作目・・ 基本的には前作の続編。主人公の”僕”、友人の”鼠”、ジェイズ・バーの”ジェイ”、”女の子”・・登場人物もほぼ同じ。前作で(1970年夏)大学生だった21才の”僕”、3年後(1973年秋)大学を出て東京で翻訳事務所を始めている。物語はまず1969年の春・・大学での”直子”との出会いと、1973年春に直子(恋人であったが今はもう死んでしまった)の故郷を訪れた話・・から始まる。

これは「僕」の話であるとともに鼠と呼ばれる男の話でもある。その秋、「僕」たちは七百キロも離れた街に住んでいた。
一九七三年九月、この小説はそこから始まる。それが入口だ。出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない。

東京で順調に翻訳事務所をしながら、ただ一人深いプールの底にすわりつづけ・・ るようにモラトリアムな感じで暮らしている”僕”と・・東京から700キロ離れた”僕”の故郷でもある街でモヤモヤを抱えて、暮らしている”鼠”の・・エピソードが交互に語られる。今回の物語では、”僕”と”鼠”は話す事も、会う事もない・・物語の大半は、”僕”が住んでいる部屋に転がり込んで来た「双子の女の子」、「配電盤」、「ピンボールマシーン」・・

「殆んど誰とも友だちになんかなれない。」それが僕の一九七〇年代におけるライフ・スタイルであった。ドストエフスキーが予言し、僕が固めた。

僕に向かって何かを語ろうとする人間なんてもう誰ひとりいなかったし、少くとも僕が語ってほしいと思っていることを誰ひとりとして語ってはくれなかった。

メインは作品のタイトルである事からもして「ピンボールマシーン」について・・日本には3台しか輸入されていない 「シカゴのギルバート&サンズ社の1968年のモデル、”悲運の台”としても知られる・・スリーフリッパーのスペースシップ」というピンボールの機種を探し求める話。

しかし勿論ピンボールマシーンは何かについての比喩なんでしょうが・・物語の多くは、この「ピンボールマシーン」(あるいは「配電盤」も含めて) という機械についてのエピソードや会話・・

彼女は素晴しかった。3フリッパーのスペースシップ・・、僕だけが彼女を理解し、彼女だけが僕を理解した。

あなたのせいじゃない、と彼女は言った。


終ったのよ、何もかも、と彼女は言う。

前作よりも、「僕と鼠」は “どうしようも無い” 感が一杯になってきていて・・ 前作ではそんなものの影が「僕と鼠」の軽妙な会話と若さの勢いで・・ある程度は緩和されていた。しかし今回は物語全体に”勢い”がない・・前作の設定では「僕と鼠」は2人とも大学生くらいで、若さが”疾走”していました・・そんな2人も社会人の年齢・・700キロと離れ、コミュニュケーショもなく、それぞれの場所で苦闘している。

主人公である「”僕”の現実に対する距離感」の取り方は・・前作に続き、あいかわらず微妙な感じで (基本的には諦観したフラットな心境とシンプルなライフスタイル・・出てくるセリフや姿勢には、常に気負いがない・・そしていつもどこかに陰がチラついていて・・でも何とか少しでも前進しようとしている) ・・そこが”80年代的” でやけに心に響くんでしょうか?

「ねえジェイ、人間はみんな腐っていく。そうだろ?」

「ねえジェイ、俺は二十五年生きてきて、何ひとつ身につけなかったような気がするんだ。」


「あたしは四十五年かけてひとつのことしかわからなかったよ・・」

「僕と鼠」の調子だけでなく、たんたんと交互に展開していく”それぞれの世界”という構成方法、2人の会話レス、文体の調子・・すべてが全体的に前作より落ち着いている感じ・・まさしく前作が夏で、今作は秋。エンディングもなんとなく終わった前作に対して・・

“僕”は・・探し求めていたピンボールマシーンと再会&決別。
悩み続けていた”鼠”は・・女とジェイと街、全てに別れ。 

今回のエンディングではある程度はっきりして物語は終わり・・”鼠3部作”の最後となる・・村上ワールドの大きな転機ともなる、次作へと続く。

村上春樹 1/3

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」僕が大学生のころ偶然に知り合ったある作家は・・

という忘れられない印象的な書き出しと共に ” 軽妙な文体と会話による「僕と鼠」の物語 ” が始まる・・村上春樹29才のデビュー作
たいしたストーリーも大きな事件も無い、友人とビールを飲み女の子と知合い、バーに通い、軽口を叩き、音楽を聞いて・・ 大学4年生の・・僕の故郷での “退屈な夏休み” が・・終わっていく。

単行本で150ページ程のすぐ読み終えてしまうボリューム。作家宣言のような・・興味深くユニークな文体の「チャプター1」以外は、・・ バーでビールを飲んで、無駄話をしているだけの・・物語。

読後に残る印象のほとんどが・・ ストーリー本編とはあまり関係なさそうな、寓話の様なリアリティのない、どうでもいい様なエピソードの数々と、軽妙な会話の空気感・・

「僕たちが認識しようと努めるものと、実際に認識するものの間には深い淵が横たわっている。どんな長いものさしをもってしてもその深さを測りきることはできない。」

一見したところ、ゆるりと生きている・・ そんな表向きの、物語の大半を占めている登場人物達の表情とは・・別の感じも・・強く印象に残る。

表面的には、いつでも「何でもない様な」主人公の”僕”・・ 心の内では、いつも出口を捜しているのに・・ “どうしようも無さ” にしか行き着かない・・主人公の”僕”・・防ぎようがない、何かに・・少しずつ迫られながら、物語も夏休みも終わっていく。

「あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風にして生きている。」

寓話的なエピソード軽妙な会話が作り上げる・・ “何でもなさそうに見える日常” ・・そのエピソードが多ければ多いほど、面白ければ面白いほど、饒舌ならば饒舌なほどに・・反対の心象が強くなってくる。
幸福そうに見える未来へと向かう事を、誰もが困難ではないと・・感じている訳ではないし・・ 通り過ぎていったものたちの不在を、誰もが納得できている訳ではない・・ 有無も言わさない様なものに対する “どうしようも無さ” ・・

文章を書くことは自己療養へのささやかな試み・・ 何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない・・」

という作家にとって・・この作品が、”救済のメディア”となり得たのだろうか・・村上春樹さんは初期の2作(「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」)を “自分が未熟な時代の作品” とも言われているそうですが・・
でもしかし、作家への決意表明でもありスタートでもある今作は、村上さんと”僕”と”鼠”の・・若さ溢れる、その空気感や風景が、今も新鮮で・・ やっぱり「風の歌を聴け」は goodです。

倉敷ガラス

倉敷ガラスのペン立て

机の上にある最近のお気に入り・・「倉敷ガラスのペン立て」。倉敷ガラスの作家である小谷栄次さんにお願いして製作して頂きました。 同じ大きさのものですが、仕上げが異なる2種類。どちらか気に入った方をとの事でしたが・・並べて眺めていると、同じ大きさだけど異なる仕上げの・・この並びがgood !! ・・なので、2つ並べて使う事に。仕事の合間に、ふと眼を向ける・・いつまでも見ていたい色と形。

エリック・ホグランの灰皿

Erik Höglund

先日頂いた素敵な灰皿・・ スウェーデンのガラスデザイナー エリック・ホグランによるもの。このガラスの作られ方 (ガラス工芸に知識がある訳ではないので、想像でしかないのですが) ・・ 型に流したガラスをスタンプで押しただけ・・ ただそれだけ・・ 簡潔な製造方法とその成果。素材と構造とデザインの一体化がなされていて秀逸・・ 作意では調整の出来ないようなエッジのふくれあがりが、ガラスという素材の魅力を引き出しています。  Oさん、素敵な品を有難うございました。