「建築探訪 07」 -Kanagawa 2

神奈川県立近代美術館

「神奈川県立近代美術館」(’51) へ行って来ました・・戦後まだ間もない、占領下という状態の中で建てられた、日本で最初の公立近代美術館。(上写真) 北西を向いた建物正面を見る。鉄骨造の軽快さが建物外観にも現れている。建物高さは10m。建物を押さえる様にグルリと廻した、鼻隠しの波型アルミ板が効いてます。

神奈川県立近代美術館

設計者である坂倉準三(1904-69)といえば、近代建築の巨匠 ル・コルビュジェ のもとで学んだ、3人の代表的な日本人弟子 (前川國男、坂倉準三、吉坂隆正) のうちの一人。(上写真) 上部外壁はアスベストボード(1200×1800) を、巾50mmのアルミ目地金物で押さえている。下部外壁は大谷石積み。

神奈川県立近代美術館

坂倉準三は若干33才にして、戦前の設計コンペで勝ち勝ちとった「パリ万博 日本館」(’37) の成功で、若くして一躍注目の建築家となり・・ 戦後のこの「神奈川県立近代美術館」の指名設計コンペでは、前川國男を含む他の4案を抑えて見事当選。(上写真) 建物中央に設けられた吹抜けの中庭を見る。

神奈川県立近代美術館
池に面したテラスを見る。2階床は池まで大きく張り出し、それを支えている柱は池中の石上にその脚を下ろしている。(柱は池の下まで伸びて、池中繋梁で柱同士及び建物本体としっかり連結されている)
神奈川県立近代美術館
左側の池に面したテラスと、右側の中庭に挟まれた彫刻室を見る

「神奈川県立近代美術館」と「パリ万博 日本館」には共通するデザイン要素も多く・・ “露出した細い鉄骨柱”  “持ち上げられた直方体”   “流動する空間”  “建築的プロムナード” といった手法は、共通した設計言語として両建物に現れている・・ 建物中心の吹抜/中庭から、池に面したピロティ下のテラスへの繋がりは、ダイナミックでありながら繊細でもある、魅力的な空間となっていました。

「建築探訪 06」 -Kanagawa

神奈川県立図書館・音楽堂

神奈川県立図書館・音楽堂(’54) 設計: 前川國男へ行ってきました。
(上写真) 音楽堂を正面から見る。日本近代建築の名作。

前川國男(1905-86) は近代建築の巨匠ル・コルビュジェに学んだ日本人最初の弟子。1928年、コルビュジェにとって「白の時代」と言われるシンプル/ホワイト/キューブの住宅ばかりを設計していた時代が終わろうとしていた頃・・乾式工法住宅や土着的要素を取入れた住宅へとコルビュジェの作風が移っていった頃・・前川國男は卒業式後すぐに旅立ち、シベリア鉄道に乗り・・ パリのコルビュジェのもとへ。1930年に帰国。

帰国後に前川が完成させた処女作「木村産業研究所(1932) 」はまさに “コルビュジェ風”でした。・・ 帰国後も、戦中は仕事もなく・・実現されそうにもないコンペに、”新しすぎて”当選しそうにもない”コルビュジェ風の近代建築”を提案し続けたり。戦後も・・ 資材統制により木造の小規模建物しかできない状況で”木造モダニズム建築”を模索したり。苦しい時期が長く続きました。

神奈川県立図書館・音楽堂
正面が図書館。右側が音楽堂

コルビュジェに学んだ「近代建築」を力の限りに、やっと実現できたのが・・この「神奈川県立図書館・音楽堂」。前川が得意とする「卍型の一辺で配置した非対称型プラン」・・内外へ流動するような、透明感あふれる端正な空間 ・・前川にとっても珠玉の作品。清楚に咲いた日本近代建築の清純な花といった感じ。

神奈川県立図書館・音楽堂
音楽堂のホールを見る。床のテラゾーが素敵です。
神奈川県立図書館・音楽堂
図書館の入口を見る

この後には、1960年の「京都会館」、1961年の「東京文化会館」 などで、続けて建築学会賞を取るなど・・大活躍の前川國男。

しかし、少しずつ人間性を失っていった近代建築に限界と矛盾、絶望と無力感を抱きはじめていた。・・前川の作風に「庇」や「勾配屋根」や「タイル」など、近代建築の言語ではない要素が少しづつ取り入れられ。・・「希望に満ちた近代建築」の理想主義的な拘束から逃れ、地域性に考慮された現実的な「日本においての近代建築」を実現させようと大きく作風は変化していきました。

70年代の「埼玉県立博物館」や「熊本県立美術館」や「福岡市美術館」こそ、熟練の域に達した前川建築の神髄ではないでしょうか。・・前川さんの建築は、同時代の流行に敏感だった弟子でもある丹下健三(1913-05)の派手さと比べると・・地味でその良さを言葉で説明するのも難しく。私も学生の頃は興味もなく・・良さも分からなかったのですが、仕事を始めてからだんだんと興味が沸いてきたという感じです。

「建築探訪 05」 -Kochi

牧野富太郎記念館

「牧野富太郎記念館」(’99) 設計: 内藤廣 へ行って来ました。
高知市内からバスで20分ほど、高知出身の植物分類学の父・牧野博士の業績を顕彰するため、1958年に開園。1999年に教育普及/研究の拠点として”記念館”が新設。記念館には立面らしい立面はありません、丘陵地の地勢と一体化したような、湾曲したクロワッサンのような大きな屋根に覆われた建築・・

牧野富太郎記念館
テラスより中庭を見る。大きな屋根を支えているのは鋼製柱。大きな屋根が浮いている感じ
牧野富太郎記念館中庭
中庭を見る。大きな屋根の軒下空間がぐるり。「海の博物館」(’92)で注目されて以来、「素形」というコンセプトと共に大活躍の建築家/内藤廣さん・・近代以降の建築家が避けがちな “屋根” という建築要素を避ける事なくデザイン・・とても大きな屋根が、フレキシブルで、自由な感じ・・

内藤廣さんは“風”というメタファでこの建築を説明・・「近代主義の空間意識とは周囲の環境から孤立する”閉じた箱”であり、地球上どこにでも行け る宇宙船の様なものなのだと・・近代建築が多くの人々にとって希望となり得ないのは近代建築が、孤独で臆病に “閉じて” いるからなのだと、”閉じた箱”ではなく、内と外を繋いでいく方法を建築は見出していかなければいけないんだと・・」 「 重力と風  (’99/12 新建築) 

(上左) 建築家ヨーン・ウッツォンが描いた日本建築のスケッチ。屋根が浮いてます!
(上右) 唐招提寺の立面。屋根が立面の2/3
(下左) 伊勢神宮の立面。屋根と床で立面の80%
(下右) 桂離宮の立面。屋根と床で立面の70%

伝統的な日本建築において、屋根が立面に占める面積の多さには驚かされます・・「近代以降の建築には屋根がない」。屋根がないというのは間違いで、正確に言うと「陸屋根」という事だが・・近代以降の建築家は屋根を嫌い、屋根が在るという事は前近代的で・・屋根がないのがカッコイイのである。
しかしそれは今でも「カッコイイ感じの建築」にとって、屋根のハードルはわりと高い。屋根は”踏み絵”に近いローカルで、前近代的なイコン。とりあえず、四角く白く、ホワイトボックスにしておけば・・誰でも簡単に「カッコイイ感じ」が出来るのだから・・寺院や伝統的な民家の、大きな屋根への憧憬を想い起こさせる、見事な “大屋根” の建築・・牧野富太郎記念館は、very goodでした。

「建築探訪 04」-Hiroshima/呉

呉市庁舎/市民会館

週末、「呉市庁舎/市民会館 (’62)」を探訪・・ 設計は坂倉準三建築研究所。
濃青色タイル張りの二つの円筒形 ( ひとつは空に向かって螺旋状曲面を延ばす市民会館ホール。もうひとつは議会場。 ) と 水平要素(ブリッジ や 議会場の大きな庇 )の対比が美しかったです・・さすがの “コルビュジエ的な感じ” 。

呉市庁舎/市民会館
螺旋状曲面を空へと延ばす市民会館ホールを見る。
今は白く見える部分は、もともとは “コンクリート打放し” の様でした・・ある時ペンキで白く塗られました・・”濃青色タイル円筒形”と”打放し”の対比はすごく綺麗だったろうな・・
呉市庁舎/市民会館
大きな庇が効いている議会場を道路より見る

建物は全体的に傷み汚れが目立ち、あまりメンテされてない様な感じ。50~60年代の有名作品には “打放し建築” が多い。完成時の写真のイメージを頭に入れ見学に行くと・・”打放し建築” のひどい汚れ様/傷み様/ペンキ塗りされた様にガッカリする事は何度もあり・・プランや形が変わったわけではなく、ペンキを塗られただけなんだけれども、建物の印象としては・・全く違うものにすら見えてしまう・・ 色と素材と形 のバランスは非常に緊密なのだから・・ こんな時には竣工時の姿を当時の資料などから想像してみます・・

〈追記〉2017年解体

「建築探訪 03」 Kagawa 3

香川県立体育館

「香川県立体育館」(’64) 設計:丹下健三 に行ってきました。
高松市中心からバスで10分、少し歩くと見えて来ました・・住宅街に舞い降りた和風宇宙船の様なインパクトのある姿は、周囲の平凡な街並みからは完全に浮いていました・・50年ほど前に地方都市につくられた市民施設。当時日本を代表する建築家による新しい表現。今は細々と使われメンテは最低限でやや使いこまれ古びた感じ・・出来た当初はその過激な表現と高い理想と過剰な情熱で注目を集めた話題作が、今は静かな住宅街の中で寡黙に立尽くしています。

香川県立体育館
“舟底”になる大きなアールの天井に覆われたエンスランスホールは素敵でした。剣持勇の椅子以外は何も置かれてない、ポスター1枚も貼られていない、ガランとした建築空間だけがある竣工写真の様な状態でした
香川県立体育館

一つの作品としては非常に高いレベルにある大建築家の作品なのだが、周囲とはいつまでも馴染めなかった転校生のような寂しさ・・HP局面の吊り屋根・観客 席床の格子梁・それらを支える大側梁大柱による構造のダイナミックな構成による表現は同年竣工した丹下健三のピ-クと言ってもいい「東京オリンピックプー ル」を連想させずにはおきません。

「建築探訪 02」 Kagawa 2

香川県庁舎

「香川県庁舎」(1958) 設計: 丹下健三(1913-2005) へついに行きました。
コンクリート構造という近代建築言語による “日本”の直接的表現。近代建築に対する伝統継承問題への解答。モダニズムの地域的成熟。有名すぎる日本近代建築の名作。丹下健三の代表作のひとつでもある建築。
完全な中央コアプラン。外周部12本の柱で大きく持ち上げられた開放的な1階ホール。各階で大きく張り出したバルコニー(庇)。バルコニーを支える小梁のリズミカルな反復。強調された水平性。・・伝統の創造的継承のイコンとして、そのスタイルは・・庁舎建築のお手本として亜流を全国的に普及させていく事となる・・

香川県庁舎

伝統継承を復古主義or折衷主義ともいえる表現に押し止めようとする動きは、1930年代にはコンクリートの建物に瓦屋根を冠した”帝冠様式”などで見られる様なデザインを生みだしましたが・・その様な回顧的な表現では、近代と日本のより良い共存関係への・・明確な解答とはなりませんでした。

香川県庁舎

その問いかけの終点のひとつが丹下健三の「香川県庁舎」だったのではないでしょうか・・明快な平面。簡素な構造。素材美。無装飾。左右非対称。モジュール・・近代と伝統の両方に共通する概念・美意識によるデザイン。

香川県庁舎

1952年広島ピースセンターから1964年オリンピックプールまでの間の丹下作品は本当に眼を見張る様な”英雄的仕事”。今後もこの様な”国家的建築家”が現れる事はない様な気がします。現在国際的なスタ-建築家である安藤忠雄氏や妹島和世さんでも・・及ばない力強さと風格を備えた丹下作品。猪熊弦一郎の壁画、剣持勇の家具も花を添えています。

「衛生陶器のような白い四角い箱ではなく、帝冠様式のような日本式建築でもなく、近代建築と共通性のあるような新しい日本建築の造形を探したい・・」   丹下健三

「建築探訪 01」-Kagawa

イサムノグチ庭園美術館

「イサムノグチ庭園美術館」(香川県牟礼町)へ行って来ました。
高松から小さな電車”コトデン”で20分程揺られ、駅からテクテク20分程歩き・・倉敷からは2時間程・・見学には事前に葉書での申込みが必要です。

イサムノグチ庭園美術館

イサムノグチ(1904-1988)はニューヨークに居を構え、彫刻だけでなく家具や照明器具、舞台美術や庭・公園まで幅広くデザインをされました。戦後は日本でも活躍され、1969年から20年余りの間、年に2~3ヶ月はここ香川県牟礼町で過ごされたそうです。
彼の死後、アトリエと住居を美術館としてオープン。彼がここで住みながら制作した彫刻だけでなく・・ 宇和島から移築した”建築”、環状石積塀に囲まれた”庭”、自然豊かな周辺の “環境” “景観” まで・・ 全てに彼の意志が浸透して場所自体がひとつの作品となっていました。

イサムノグチ庭園美術館

訪れた時、真っ先に眼に飛び込んできた・・アトリエである米蔵と、たくさんの彫刻が立ち並んだ庭を囲い、周囲全体に強い存在感を放っていた石積塀と・・ 展示棟の薄暗い蔵の中に立ちつくしていた高さ3.6mの大きな黒色花崗岩の彫刻 「Energy Boid」が・・印象に残りました。