小堀遠州

小堀遠州京都通信社

「小堀遠州」。京都通信社から出ている “京の庭の巨匠たち” というシリーズ・・遠州の庭が5つ(金地院/南禅寺/二条城/仙洞御所/孤蓬庵)、伝遠州の庭が4つ(桂離宮/曼殊院/頼久寺/龍潭寺) ・・ 計9つの見事な庭を豊富なカラー写真で解説案内。

大名でありながら、茶人/建築家/作庭家として江戸初期に活躍した小堀遠州は、岡山とも関係が深く・・遠州の父が関ヶ原の戦功により受領した備中(現在の岡山県高梁市)1万2000石を遠州が引き継ぎ・・ 遠州が備中に滞在していた間には、備中松山城を修復・・仮の館としていた頼久寺には書院と庭も作りました。
明るく、優美で、洗練され、品があり、シャープな・・ 遠州の美意識には、モダニズム建築にもつながる近代的な精神性や、あるいは現在においても共感できる普遍性などが・・ 多くある様に思えます。
(上写真)表紙の写真にもなっている「孤蓬庵」はまちがいなく”心のベスト10″ 入りしている建築です。

*「小堀遠州」(京都通信社) の綺麗な写真の多くは、友人であり 机を並べて仕事も共にした北岡君の撮影・・北岡くん、good Job!!

「パッラーディオ」

パッラーディオ

「パッラーディオ」(1979)  福田晴虔著  を読みました。
薦められて、お借りしていたのになかなか進まず・・ 読み切れなかったのですが、やっと読み終える事が出来ました。(遅くなりまして、申し訳ありません・・ またお返しに伺います。)

アンドレア・パッラーディオ (本名 アンドレア・ディ・ピエトロ・デッラ・ゴンドーラ) は16世紀-後期ルネサンスのイタリア人建築家・・石工徒弟を11才から始め、現場で設計の知識を学び、書物や旅行で自身の教養を鍛え・・そして若干38才にして、彼の活動の中心であったヴィチェンツァ市の重要な建築を手掛た大きな成功が契機となり、彼の名は広く知られた。

パッラーディオのクライアントは・・高等な教育を受け、洗練され、各国を飛び廻り、絹の商いにより富を築いていたパトロン貴族達。 彼らヴィチェンツァ貴族達のコスモポリタンなセンスとプライドを満たす・・ 生活場所としての市街地に建つパラッツオや・・ 経済的的基盤でもあり農作業活動の基点ともなっていた郊外に建つヴィラの・・ 設計を数多く手掛けた。
デザイン性だけでなく、機能性、効率性においても・・それまでの建築とは一線を画し・・施主が望むステイタスを表現しながら(高価でない建材をうまく使用しながらコストも押さえ)・・ パッラーディオの建築はヴィチェンツァ貴族達を魅了した。「建物は使用される建材よりも形態によって評価される」とは職人出身とは思えないパッラーディオの言葉。

西洋建築の古典であるローマ建築の衣装をまとい・・明快なシンメトリー構成を基本とした・・ パッラーディオの建築は、非常にキャッチーで分かりやすく・・彼の作品集でもある「建築四書」(パッラーディオ以前に自身の作品とデザインメソッドをこのように紹介した建築家はいなかった)の力によるところも大きいが・・  彼の死去後、500年にわたり欧米ではパッラーディオの建築は強い影響を与え・・ “パッラーディアン・スタイル” として、ひとつの様式にまでなった。

時代の要望の体現、厳格なフォルムによる構成力、つつましい建材での存在感、外部周辺との応答、作品の分かりやすさ、メディア媒体の効果的利用・・ などなど書いていると、ルネサンスでも近代でも現代でも (パッラーディオでもコルビュジェでもANDOでも) ・・時代が変わっても、時代を代表するような建築家っていうのは・・どこか似ている。3人共に正式な教育として建築を学んでいないというのも共通しているし。非凡人にとって学校教育というのは・・ そんなに必要ではないという事か・・
今日は大学で受け持っている設計実習の今期最終日でした・・ 何か少しでも学生の為になる事を伝える事が出来ていれば良いのですが・・

吉岡徳仁 2

みえないかたち

「みえないかたち」(2009)  吉岡徳仁著  を読みました。
日本を代表するプロダクトデザイナーが吉岡徳仁 ・・初めて自らのデザインについて語った著書。 Yoshioka Tokujin の5原則・・「かたち はなくていい」「感覚を呼び覚ます」「その素材にしかできないこと」「不可能を可能にしている (何かちょっとしたことでいい)」「未来のふつう」 ・・ なるほど。

探しもの

最近いろいろと探しもので、古い資料を集めています・・・
(上写真)は古本で買った45年前の「新建築」・・・今だと1冊2000円の月刊誌が、この当時では350円!!・・・なかなか状態も良し。青ベタ塗りバックとしたデザインがなかなか渋い!!

字体も今時のコンピュータによるデザインとは違い・・なんか優しい感じがします。

杉本博司

「苔のむすまで」 杉本博司著

「苔のむすまで」 杉本博司著。
杉本博司は1948年生まれの写真家・・・博物館の展示品である再現ジオラマを本物のように写真で撮影した「ジオラマ」シリーズ、世界各地の海を同じ構図で繰り返し撮り続けた「海景」シリーズ、映画上映中の時間中ずっとフイルムを露光し 真っ白なスクリーンを撮影した「劇場」シリーズ、世界の記念碑的なモダニズム建築を無限大の倍で焦点のぼけた姿で撮影し続けた「建築」シリーズなどの作品で知られ・・・世界各地の美術館で個展を開催し、国際的に活躍&さまざまな賞を受賞し、つい先日も高松宮殿下記念 世界文化賞を受賞され話題となりました・・・「苔のむすまで」は杉本博司さんの初評論集。
(上写真)表紙写真は、「建築」シリーズの「World Trade Center」(1997)

 「Villa Savoye」 (1998) from the series of Architecture

「・・建築物は建築の墓なのだ。建築家の思い浮かべた理想の姿が現実と妥協した結果が建築物なのだ。無限の倍の焦点を当ててみると、死んでも死にきれなかった建築の魂が写っている・・・私が写真という装置を使って示そうとしてきたものは、人間の記憶の古層・・・我々はどこから来たのか、どのようにして生まれたのか思い出したい・・」by杉本博司

ルイス・カーン

先月号の「a+u」はアメリカの建築家ルイス・カーン(1901-74)が手掛けた住宅作品の特集号でした・・・1901年生まれのカーンはフインランドの建築家アルヴァ・アアルト(1898-76)と共に、近代建築の黄金期世代BIG3(ライト・ミース・コルビュジェ)に続く・・近代建築成熟期の巨匠。
(上右)写真の「フイッシヤー邸」(1960-67) はカーンの住宅作品の中でも特に素晴らしい代表作と言ってもいい作品・・リビングとダイニングを分ける秀逸な蒲鉾型暖炉の配置、換気と採光の役目をそれぞれに分け/ベンチと一体となったカーン独特の窓、還元的な素材の存在感・・このフイッシャー邸の大きな窓のあるリビングの写真は何度見ても考えさせられる事の多い勉強になる1枚・・ライトのカウフマン邸(1936)/ミースのチューゲンハット邸(1930)/コルビュジェのサヴォワ邸(1929)のようにカーンといえばこの”フィッシャー邸”・・・近代建築の住宅作品 BEST10には必ず入るだろう傑作のひとつに違いないと思います・・

カーンが1971年の展覧会の為に描いた「ルーム」という有名なドローイング・・緑を望む大きな窓の側に腰掛ける2人その傍らには暖炉、向き合い/話し込む彼らを抱え込むような大きな丸天井・・

スケッチと共に書きこまれた文章には哲学的抽象的な言説/作風と言われるカーンの建築に対する定義が述べられている・・「建築とは部屋をつくる事に始まる・・あなたの建築が太陽のどんなかけらをわがものにしているか・・・部屋とは心の場所である・・部屋は光を欠いては部屋とならない・・」

建築の根源的本質とは何かを問い続け、”始まり”を愛し、人間の行為に介在し・人間の関係に働きかけようとしたカーンの建築・・光がつくる心の場所=The Room ・・・うーん抽象的でいまひとつピンと来ないが・・フィッシャー邸はとても素敵だ!

「Optimum」

Optimum

「デザインの原形」を読む・・2002年に開かれた展覧会の本。
プロダクトデザイナー深澤直人によって選ばれた、50点以上の品々・・共通するキーワードはOptimum。“Optimumとは「最適条件、最適度」” 。

機能性が即シンプルな形へと繋がる画一的な単純化した合理主義ではなく、これ見よがしの個性が主張する目立ちたがりデザインでもなく・・・モダニズムの新しいフェイズとしての新合理主義とでも言ったような流れ。

深澤さんの言う「時代を経ても古びない原典性に基づくデザイン」、「人の行為/生活/身体性に溶け込んでしまっている必然を探し出すようなデザイン」・・・とはどんなものなのか?

「壁掛式CDプレイヤー」(2000)  Design by 深澤直人
換気扇のようなカタチ、紐を引くと回転し音楽が流れる。「壁に掛けて&紐を引く」・・これまでのCDプレイヤーと、少し違う行為を引き出される
「Aluminum Group Chair」(1958)  Design by チャールズ・イームズ
しなやかな筋肉のような鋳造アルミフレームとそれが支える薄い座/背との組合わせが美しい・・50年経っても古びない普遍的存在感が原形性を醸し出す
「Kartio」(1958)  Design by カイ・フランク
“グラス”と言われた時に誰もが絵に描くようなベーシックな形のグラス・・しかし、ただのシンプルグラスとは何かが違う・・カタチ/厚み/重さ・・絶妙なバランスの複合

「オリジナリティとは作者の個性や主観的意思の表れ・・・原形は作者が探し出した必然である・・急な登山道で誰もが無意識につかまってしまう木の枝や岩の角のような、成るべくして成った存在・・・原形になりうるデザインは緩やかな身体の変化の速度に歩調を合わせている気がする・・」  
by Naoto Fukasawa

未来の建築 ?

2008年4月に出版されたこの本・・「原初的な未来の建築」 
最注目の若手建築家の”初作品集”・・・実作品の写真は少なく、コンセプトをあらわすための図面と模型写真を中心に・・10のキーワードで彼の掲げる未来の建築への予感を簡潔な文章で語っていく構成・・

藤本壮介さんは1971年生まれの37才の建築家・・分かり易いコンセプトとともに挑戦的/刺激的な計画案で30代の若手建築家の中では飛び抜けた存在として2000年頃から注目されていました・・

第1章の始まりからして・・コルビュジェの有名な「ドミノシステム(1914)」(1920年代の白い住宅シリーズの基礎となる原理)の図と、自身のマニフェストとも言える原理的な計画案「N house(2000)」を見開きページに並置するという大胆さ(上右図)・・大物だぁ・・気持ちいいくらい”未来の建築”にまっしぐらに突き進んでいる・・

(下左図)「T House(’05)」・・妙な奥まりのような部屋が並ぶ住宅
(下中図)「安中環境アートフォーラム(’03)」・・必要に応じて必要な場所が出来て、外形を成すという計画案
(下右図)「青森県立美術館(’00)」・・森と同じような生成ルールにより美術館が出来ないかという案

彼の案に共通するのは・・全体性ありきではなく「部分の集積」で建築を構成していくという原理。
1本の木から構成される森のような or 小さな部分が集積してできた集落のような or 形がなく常に過程であるような。洞窟内で人が居場所を探すように・・分節しきれない「局所的な関係性の繋がり」から生まれる 「弱い全体」・・そんな緩やかな自然の多様性を再構築したような・・「部分の秩序」による「弱い建築」・・・それが、彼が未来に問いかけている原理。

近代という”強い/大きな秩序”にとって替わる “弱い/部分の秩序”による 「新しい建築の原理」を打ち立てようとする藤本壮介さん・・大学卒業直後の1994年からどこの設計事務所に勤めることもなく・・デビュー作となる「聖台病院作業療法棟(’96)」「聖台病院新病棟(’99)」から・・「しじま山荘(’03)」 「伊達の援護寮(’03)」 「授産施設(’04)」 「Thouse(’05)」 「7/2 house(’05)」 「登別のグループホーム(’06)」 「情緒障害児短期治療施設(’06)」 「house O(’07)」・・・彼が掲げた原理が見事に実現とは、まだまだ言い難く・・実現した建築も10にも満たないが・・意欲的な計画案はこれからどんどん実現されていくだろうし・・・現在のスター建築家とは一味違った・・・”原初的な未来の建築” が生まれるか否か・・

「僕はコルビュジエやミケランジェロのような建築家になりたい」 by 藤本壮介

図録

ペーター・メルクリと青木淳

東京国立近代美術館で行われている展覧会「ペーター・メルクリと青木淳」の図録・・
ペーター・メルクリは1953年生まれの建築家・・スイス人らしいスイスBOXな建築をつくる人・・”スイスBOX”とは建物のカタチが一見非常に単純な「四角い箱」なのですが、よくよく見ると奥が深い・・素材/開口/プロポーション/ディテール/配置等が丁寧に吟味され設計されていると・・スイス建築独特の流儀・・・その中にあってもメルクリはひときわ素朴でザックリした建築をつくり、比率/均衡/端正/美など建築の根幹に存在してきた変わらない概念/内的真実を深化させようとする建築家・・

メルクリのエスキスモデル

青木淳は「青森県立美術館」や「ルイ・ヴィトン」の銀座店・名古屋店・表参道店などを設計した1956年生まれの建築家・・青木さんの建築はなかなか屈折していてわかり難い建築です・・・
予定調和な建築のつくり方や暗黙化した形式を疑うところから建築が始まっているのだが、そもそも建築が現すべき意味が不在になってしまっているという現状認識もあり・・シナリオがない、決定要因がない、根拠がない・・いいも悪いもない、モノがモノとしてあるだけで十分・・・そんな感覚が建築をつくる前提としてある様だ・・・恣意性を消した客観的根拠だけで建築をつくろうとして様々な手法を試みられているようだ・・・
うぅん・・分かりにくい建築家だぁ・・・

青木淳のエスキスモデル

そんなあまり共通項がなさそうな2人の建築家の展覧会・・建築の展覧会にありがちな完成写真や図面といった展示物は一切なく、まだ”建築”になるまえのアイデアスケッチやエスキスモデルを並べ、建築家の頭の中にあるアイデアや思考過程を見せようとする展示はおもしろそうだ・・

面白かったよm

植松奎二

先週末は彫刻家/植松奎二さんの展覧会へお邪魔させて頂きました・・

展覧会は個人宅において行われていました・・・個人宅といっても建築家により設計された広く美しい住宅内に・・・居住者所蔵のドローイングから大きな立体まで植松さんの作品数十点が・・・展示された状態はまさに美術館でした (住んでいる家が美術館のようになるとは・・・並べられた植松さんの作品と共に、居住者の美しい暮らし方にも とても感銘いたしました・・)

当日は植松さんも居られ・・植松さんが関西出身であり、植松さんが私達のお世話になった先輩方々ともお知り合いという事もあり・・・色々とお話をして下さいました。

美術館やギャラリーで度々鑑賞させて頂いていた植松さんの作品・・ひと目見れば”植松作品”と分かる、眼に焼き付いて忘れる事のない植松作品のモチ-フ・・・観る者に何かを考えさせずにはおかない観念的でダイナミックな”円錐体”・・・表出する物質性と表出しないが潜んでいる観念の緊張関係・・
(上写真) 居住者の方に頂いた素敵な作品集にサインまで頂きました (ありがとうございます、Iさん 大切にします。)

「みえる存在、構造、関係を みえるようにすること。みえない存在、構造、関係をみえるようにすること。みえる存在、構造、関係を みえなくすること。」
by Keiji Uematsu, 1972