「建築探訪 90」-Tokyo/ 上野 4

東京文化会館

前川國男の設計による「東京文化会館」(1961) を探訪。
(上写真) 東北隅より外観を見る。とにかく庇が大きい !!! ・・・庇下まで7m。庇の厚みは4.5m。庇出は5m・・ヒューマンスケールを超えている様にも思える大きさ・・庇の上には集会室や会議室もあるのだが・・部屋がある事も大ホールや小ホールの大きなボリュームも、大きな庇の存在によって全く気付かないくらい・・角は大きくアールを取り、大きくせり出した・・人々を迎え入れる “大庇” の建築。

東京文化会館
東面の関係者用入口まわりを見る。右上に小ホールの屋根がちらりと見えています・・「日本建築学会賞」「DOCOMOMO 100選」。この前年に竣工している「京都会館」とも共通するところも多い感じですが・・こちらの方が力強くてドラマチック。前川国男のエネルギーを感じます・・前川國男の代表作のひとつ。
東京文化会館

建物自体は竣工から50年以上が経ち・・普通なら痛み等が気になる時期だが (それどころか管理側である施設や行政によっては取壊しや理不尽な改修がなされても不思議ではない) ・・・状態はきわめて良好な感じ。メンテや改修が、建物を尊重して行われているからなのだろうか・・(上写真) 東面の竪繁のルーバーを見る。ルーバーはプレキャストコンクリート製。

東京文化会館
エントランスロビーより入口方向を見る。天井の 星が散りばめられた様な 照明器具の・・ランダムな配置がgoodです
東京文化会館
1階エントランスロビーから2階小ホールへと上がって行くスロープを見る。手摺りのヴォリュームな感じがgood
新建築 1961年6月号
出来たばかりの東京文化会館が表紙となっている「新建築 1961年6月号」

上空から見ると、地上からでは大庇の存在でよく見えない・・大庇上部の様子がよく分かる。右側の六角形部が大ホール、左側の勾配屋根部が小ホール。写真の右下に写っているのが コルビュジェの「国立西洋美術館」。左上に写っているのが吉田五十八の「日本芸術院会館」、その左横に上野駅。

「建築探訪 82」-France 12 / Le Corbusier 10

救世軍難民院

ル・コルビュジェ設計の「救世軍難民院」(1933)。非常に細長い平面をした10階立ての建物。
(上写真 左) 巨大な船の様にも見える、長手の長大なファサードを見る
(上写真 右) 短手の細長いファサードを見る
救世軍とは政府が、家のない人や働く場所のない人たちを、社会復帰させる事を活動の主眼とした組織・・その運動のための施設。しかし特徴的な長大なファサードを見ていると・・何か違和感が・・

竣工時のファサードデザインでは・・この長大な面は完全密閉された全面ガラス張りだったのです。しかもダブルスキン&完全機械空調・・ 今では普通の事ですが、この当時1930年頃では革新的な試みでした・・しかしコルビュジェが「正確な呼吸」と呼んだこの技術はうまくいかず・・ その後改修されました。コルビュジェの死後には、赤青黄にも彩色され・・もともとの様子が分かるのは今や玄関/ロビーのみ。
(上写真) 左下の四角いヴォリュームが玄関。その右手のV字柱で支えられたキャノピーを渡り、円筒形をしたロビーから建物に入ります。

救世軍難民院
(左) 円筒形のロビーから入り口を見返す
(右) ロビーへと至る通路。曲線を描くカウンター

コルビュジェが「正確な呼吸」と呼んだ試みは、この建物に先立つ意欲的な計画・・「セントロソユーズ」(下図) で初めて導入が考えられていた様です・・

台形型平面ホール & 細長い事務棟 による・・この頃のコルビュジェの大型施設の計画案は非常に面白く、興味深い。未完の超大作「ソヴィエトパレス案(1931)」(下図) はもちろん・・

理不尽な理由で選考から外された「国際連盟会館コンペ案(1927)」(下図) など・・(セントロソユーズは一応は実現はしたけれども) ・・ この頃の同じコンセプト “台形型平面ホール & 細長い事務棟” によるプランニング・・ この通りに実現していたら、どんな建築だったんだろうと、興味がつきない計画案ではあります。

コルビュジェは近代建築を代表する大巨匠と言われながらも・・この様な大型施設に関しては、なかなか実現の機会には恵まれず・・ 以外と大規模な作品が少ないのです。

「建築探訪 81」-France 11 / Le Corubusier 9

クック邸

ル・コルビュジェ設計の「クック邸」(1928) 。立面平面ともにほぼ正方形をした、4階建ての都市型住居。プラネクス邸 と敷地条件が似ている・・ 両側を建物に挟まれ、前面は道路。 (上写真) 道路より北東向きの外観を見る。4階の左半分はリビング吹抜け、右半分の道路側が屋上庭園となっています。

(右) 竣工時の外観の様子、そんなに変わっていない感じ
(左下) リビングから道路側を見たところ・・この中央壁と両サイド窓のデザインが・・なんとなくプレモダニズムな頃のコルビュジェの「シュウォブ邸 (1916)」を思わせていてオモシロイ

プラネクス邸と大きく違うのは・・ 上部マッスを持ち上げている、下部ピロティの様子・・ プラネクス邸が、実際は部屋が在りながらも・・ ガラスのカーテンウォールで、下部が浮いているかの様に見せているのに対して・・ クック邸の1階は小さな玄関と階段があるだけで (両サイドは壁で完全に覆われていますが) ・・ サヴォワ邸 の完全解放ピロティとまではいきませんが・・ かなり大きく開放されています。

吹抜けのある3階リビングの様子・・ 右手の低い部分 (4階屋上庭園の下) がダイニング。 リビングの奥には南西向きの大きな窓。階段奥にはキッチン。階段を上がると4階屋上庭園に面した図書室へ上がれます。

「建築探訪 80」-France 10 / Le Corbusier 8

プラネクス邸

パリ13区、マセナ大通りに面して建っている ル・コルビュジェ設計の「プラネクス邸」(1928)。(上写真) 道路より南側外観を見る。残念ながら見学はできません。樹が覆い茂ってやや見えにくいですが・・上部の3階/4階は開口の少ないマッスとして扱い、下部の1階/2階は全面ガラスのカーテンウォール・・ 建物が持ち上げられたような ピロティ 的な扱いのデザイン。

85年前の竣工時と比べても、そんなに外観は変わっていない様な感じです。両側を建物に挟まれ、前面は大きな道路・・最上階にはオザンファン邸のようなトップライトがある階高の高い部屋がある4階建ての都市型住居。4階部のバルコニー(3階寝室)となっている、建物ファサード中央の張り出した部分が外観のアクセント。

断面で見るとこんな感じ・・ 右手の南側前面道路からは、左手の敷地奥となる北側が・・かなり上がっている事が分かります。1階2階にはメゾネット式で2住居。3階4階へのアプローチは建物中央1階エントランスを抜けて、敷地奥の屋外階段からのようです。

敷地裏手から見るとこんな感じ・・ブリッジでもアプローチできる3階部分は、敷地奥の北側に大きく開口を設けています。こういったブリッジや屋外階段での建物アプローチというのは、ANDOさん的な感じですよね・・

最上階は画家/彫刻家であったプラネクス氏のアトリエでした・・ ドラマッチックに陽が差し込んでいます・・ トップライトの窓はアトリエなんだけど、南向きなんですね・・

「建築探訪 79」-France 9 / Le Corbusier 7

オザンファンのアトリエ

ル・コルビュジェ設計の「オザンファンのアトリエ」(1922) 。パリ市内の中心からやや南・・ルイユ通りから入る小さな道との角地に建っているアトリエ兼住居の3階建て・・コルビュジェの「白の時代」と言われる、白い四角い住宅ばかりを手掛けていた時代の・・最初期の実現作のひとつ。(上写真) 東側の外観を見る。

1階には車庫。外部の廻り階段から上がった2階が玄関・・3階は他階の1.5倍くらいの高さを取った、天井高が充分にあるアトリエ。このアトリエの主であったアメデエ・オザンファンは・・ コルビュジェと共に著書を出したり、雑誌を刊行したり・・絵画教育にも力を注いだ・・コルビュジェの盟友・・ピュリズムのフランス人画家。
(上写真) 残念ながら・・建物外観の大きな特徴であった、3階アトリエのトップライト(ノコギリ屋根)は撤去され・・ 竣工時とは様子が大きく違っています。

北側を向いた、2つの大きなノコギリ状屋根から取り込まれた光が・・トップライトとして降り注いでいる竣工時の3階アトリエ内部。トップライトと共に、北面と東面に向かった2つの大きな窓を、合わせて見ると・・ アトリエ内に “浮かぶ直方体” が見えてくる・・非常に明るく開放的なアトリエ。左手のロフト的な小スペースは階段で上がる小書斎。

「建築探訪 78」-France 8 / Le Corbusier 6

サヴォア邸

パリ北西の小さな町ポワシーに建つ・・ 近代建築史において “最も有名な住宅” と言っても過言ではない・・ル・コルビュジェ設計の「サヴォア邸」(1931) 。コルビュジェが唱え続けた “近代建築の5原則” を明確に体現した・・ 理想のヴィラ。計画案としての「ドミノ型住宅」(1914) や「シトロアン型住宅」(1920)、実作としての「ヴォルクソンの住宅」(1922) から始まった、白い四角い住宅ばかりデザインし続けていた・・ コルビュジェの「白の時代」を締めくくる作品。

サヴォア邸
西側より外観を見る。広い芝生の海原に浮かぶ “船” のような・・

コルビュジェの唱えた「近代建築の5原則」とは・・ピロティ/屋上庭園/自由な平面/水平連続窓/自由なファサード・・1階は細い円柱で持ち上げられたピロティ、正方形平面の2階には四周すべて水平連続窓・・非常に分かりやすい、一度見れば忘れようもない、単純な四角い箱の建物・・ しかし、3階の屋上庭園を囲っている曲面壁の存在が・・外観あるいは建物全体の印象をより豊かなものにする事に、大きく貢献している様な気がします。 

サヴォア邸

保険会社のオーナーであったサヴォア氏の週末住居として10年程は使われていたが・・1940年のドイツ軍進駐により退去。
(上写真)1階ピロティ下の玄関前を見る。建物正面となる北西面の丸柱は、側面の外壁面に揃えられた丸柱よりも・・大きく内側に入り込んでいます。玄関前の上部は2階リビング。

サヴォア邸
(左)1階ピロティ部は自動車が通行する事を考慮して計画されている。やや巾が狭い気もするが・・建物下を通って玄関まで車を寄せて来る計画
(右) 玄関ホール内よりピロティを見る。均等ピッチで縦桟を細かく割り付けたスチールサッシ面は、構造とは縁が切れ・・柱の間を縫うように、自動車の回転半径から導かれたという円弧を描いています・・ 
サヴォア邸
1階玄関ホールを見る・・ 左手に螺旋階段、右手に緩やかに上がって行くスロープ。もちろん訪問者はゆっくりと建築的散策を楽しみながらスロープで2階へ。他の独立柱はすべて丸柱なのに・・ 階段とスロープの間にある独立柱だけはなぜか “大きめの四角柱” ?  
サヴォア邸

1階からのスロープを上がった所・・そしてさらに、2階より3階屋上庭園へ続いて行く屋外スロープが、水平割りのスチールサッシ越しに見える・・ 上へ上へと繋がってゆく断面的方向性が強く意識させられる・・各階の平面中央を貫く、このスロープ空間が・・この建築の要となっています。

サヴォア邸
南側の中庭に対して、大きな開口を設けた2階リビングを見る

外観の印象では、建物の存在感はとても大きく目立つものでしたが・・内部に入ると建物の存在感というのは薄れてしまい・・外部環境を見事に切り取り、呼び込む・・ 光と緑に溢れた、明るく健康的な生活を送る為に、人間の生活を支える道具として・・建物の存在感は控え目なものでした。恵まれた周辺環境のおかげでもあるのですが、水平連続窓がとても効いています。

サヴォア邸
2階中庭を介してリビングを見る

リビングの上には右手の屋外スロープより上がることが出来る3階屋上庭園。1940年の退去以来・・長い間の放置で、荒れた状態となったしまっていたサヴォア邸・・ 1965年にはポワシー市が取り壊しの計画を発表したが・・ 様々な方面からは保存を望む声・・ 救いの手を差し伸べたのは、当時の文化相であったアンドレ・マルローでした。現在は非常にすばらしい保存状態です。

サヴォア邸のシェーズ・ロング
陽当たりの良いリビングの大開口前に置かれた寝椅子は・・デザインされてから90年近く経った今でも製造販売元のカッシーナ社を代表する名作家具・・コルビュジェ自身がスタッフであったシャルロット・ペリアンと共にデザインした・・ “LC4” こと「シェーズ・ロング」(1928) 。 

「建築探訪 76」-France 6 / Le Corbusier 5

ブラジル学生会館

パリの国際大学都市内にある、ル・コルビュジェの晩年に近い作品「ブラジル学生会館」(1959)。同じくコルビュジェが設計した「スイス学生会館」もすぐ近くです。(上写真) 西側より見る。両サイドのポチ窓部にはキッチンやトイレなど、少し膨らんでいる中央部分には共用室や自習室などを配置。中廊下式の平面計画になっており、西側に共用部、東側に個室が並ぶ。左下、建物1階の張り出した部分はエントランスホール。エントランスへはピロティ下を潜ってアプローチ。

ブラジル学生会館
集会場や娯楽室などがある1階の張り出した部分・・北側に面したドライエリア的なスペースは、裏方用のアプローチスペースのようです。建物の上部はPCパネル、下部はバラ板コンクリート打放し・・建物の上下で使い分け
ブラジル学生会館
建物西側、共用部のバルコニーを見る。壁面は各階でブラジル的な色を塗り分け
ブラジル学生会館
建物東面を見る。各個室のバルコニーが並ぶ
ブラジル学生会館
各個室のバルコニー部を見る

この計画はブラジル人建築家ルシオ・コスタとの共同で始まった・・コスタとコルビュジェの関係は、1935年にコスタが、「リオの保健教育省庁舎」(1935-45)の設計をするにあたり、設計チーム顧問としてコルビュジェをブラジルに招聘した事から始まり・・ それを契機に近代ブラジル建築はコルビュジェの強い影響力を受けて・・ニーマイヤーやブラジリアなどを始めとする近代建築の成果が花開いていく事になります。

ブラジル学生会館
エントランスホールを見る
ブラジル学生会館
あちこちのコルビュジェ建築で見られる・・コルビュジェらしい “縦長換気窓” 、外部側にFIXの網戸あり。色はブラジリアンイエロー

コルビュジェ72歳、活動の拠点パリにおいて完成させた・・ 最後の作品となりました

「建築探訪 75」-France 5 / Le Corbusier 4

スイス学生会館

ル・コルビュジェ設計の「スイス学生会館」(1932) 。パリの国際大学都市内にあります・・ 力強い表現のコンクリート打放しの1階部分が、鉄骨造の軽い上部を持ち上げているような建物。
(上写真) 学生の各個室が並んだ側の外観を見る。 

スイス学生会館

1階ピロティ部を見る。中央部から大きく跳ね出したコンクリートスラブが上部鉄骨フレームを支えている。柱は6ヶ所・・中央の2ヶ所のみは2本に分かれているが、その他の柱は2本が引き寄せあって繋がったような “犬の骨から考えた” 独特な形状。同時期に進んでいた「サヴォア邸」の軽い浮いた感じのピロティとは違った・・とても力強いピロティ。建物へのアプローチはピロティ中央部を潜り抜けて。

スイス学生会館
個室部分の窓を見る。鉄骨フレームに囲まれた1マスが1室。腰部はパネル、上部は型ガラスFIX、中間部は透明ガラス引違い、外部にはブラインドという構成。もともとは上部と腰壁部も共に透明ガラスだったような気がします
スイス学生会館
共用部や廊下が配置されている側を見る。直方体の個室棟と明確に対比する様なカタチで・・1階部分の反り返った”石積壁”の管理共用棟と、その反り返りに呼応して立上がったEV/トイレ/階段/ホール棟・・ リズミカルなヴォリュームの配置
スイス学生会館
1階エントランスホール内を見る。上階個室棟へと向かう階段横の壁がおもしろい・・「無限美術館」や「国連ビル」などコルビュジェのいろいろなドローインがコラージュされています。竣工時には海洋地理的な抽象写真みたいなものがコラージュされていました
スイス学生会館
明るい個室内部を見る。上部と腰壁部も共に透明ガラスで、天井から床までのカーテンをして住んでも良さそうな感じ

犬の骨型/コンクリート打放し/石積壁など、工業的機能性のイメージから生まれた1920年代までの「白の時代」とは少し違った・・ デザインや素材の選択に、より自由でプリミティブな表現への傾向が見え始めてくる作品。コルビュジェ自身による「サヴォア邸」(1931)や、ミースによる「バロセロナ・パビリオン」(1929) の完成により・・ コルビュジェは”近代建築らしい”表現方法が行き着く所まで行き着いたと感じて、次なるステップへと向かった様な気がします。

「建築探訪 74」-France 4 /Le Corbusier 3

ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント

「ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント」(1933)。パリ16区にあるガラスブロックの腰壁が印象的な外観の9階建ての集合住宅・・ 設計者であるコルビュジェ自ら、晩年までその8階9階を住まいとしていました。
(上写真) 道路から東側外観を見る。

ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント
アトリエを見る。コの字型平面、左側の開口部は中庭側。

階高のあるキレイなプラスター塗りの蒲鉾型天井やたくさんの光を取り込んでいる線の細いスチールサッシと・・ ちょっと板張フラット天井で間を取って・・ ラフな感じの石積壁とのコントラストが効いています。もともと画家になりたかった程のコルビュジェ・・建築の仕事が忙しくても毎日、午前中はここで絵を描いていたそうだ。

ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント
道路と反対側、西側バルコニーに向かって、大きな窓を設けたダイニング。左手壁の向こうにキッチン

2まわり以上も年下であった妻イヴォンヌとの2人暮らし。古い作品集を見ても同じ家具が置かれていた・・自身デザインの名作”LCシリーズ” は置かず・・この家具もコルビュジェらしいデザインという感じではないんだけど・・

ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント
(左) ダイニングから扉奥のキッチンを見る
(右)キッチン内を見る
ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント
(右)上階へと続く廻り階段を見る。コルビュジェらしいくすんだ色彩
(左) コの字型の中央部にあるリビング、その奥にチラッと階段が見える
ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント
(左) 浴室を見る。窓と浴槽との距離関係が気持ち良さそう
(右) 共用部の廊下を見る。壁に直接ペイントされた階数表示がgood
モジュロールメジャー
一緒に見学に参加していた大学の先生が購入されていた「モジュロール メジャー」を少し見せて頂く・・ 欲しかったけど、高かったのでガマンしました・・

「建築探訪 73」-France 3 /Bazoches-sur-Guyonne

メゾン・カレ

パリから40km程離れた小さな町へ・・やや道を登りながら林の中を抜けると、頂きには・・ 北欧フィンランドの巨匠アルヴァ・アアルト(1898-1976) 設計の「メゾン・カレ」(1959) が見えてきました。周りを樹々に囲まれ、西側(右手)には芝生の斜面が広がる気持ち良い敷地。
(上写真)アプローチより北西面を見る。一直線に切り取られた三角妻面が明快でgood、斜め要素に付け加えられた水平庇が効いています。

メゾン・カレ
南面外観の西端部を見る

戦前アアルトの代表作「パオミオのサナトリウム」(1933) や「ヴィープリの図書館」(1935) のような”白い四角い”・・いわゆるインターナショナルスタイルと言われるモダニズム建築からは大きく変容した、戦後アアルトらしい素材感がある自由な構成・・斜め屋根/石/レンガ/木製ルーバーといった地域性を感じさせるモダニズム。

メゾン・カレ
南面外観の中央部を見る

白ペイントレンガと木部の対比が効いています。中庭を囲う様に張り出した部分は水廻り、その中央部に主寝室が2室、この右手にはゲストルームが1室・・1階の南側に3寝室が並んでいます。戦後アアルトの出発点となった「セイナッツァロ村役場」(1952) を思わせるひな壇状の斜面。

メゾン・カレ
玄関ホールよりリビングを見る
リビングには西向きの大窓が設けられ、庭の眺めを取り込んだ空間となっています。敷地の斜面なりに沿うように、ゆったりとした階段を7段(踏面300mm、蹴上120mm)ほど降りてリビングへ
メゾン・カレ
リビングを見る
優しい感じでありながらも洗練され簡潔・・ 北欧の建築家らしいアアルトのデザイン。ソファ/テーブル/照明器具/カーペット/カーテン/ドアノブにいたるまで・・ 全てアアルトのデザイン
メゾン・カレ
東面に取られた窓から、サンサンと陽が差し込む・・明るいキッチン
メゾン・カレ
キッチン横、同じく東面に大きく窓を取った室。庭の奥に見えるのはプール棟
メゾン・カレ
主寝室を見る

住まい手であったルイ・カレ氏はパリで、ピカソやマティスなどの作品を扱う有力な画商・・アアルトに設計の依頼がきたのも共通のアーティストの友人を介して・・竣工パーティにはブラック、カルダー、コクトー、ジャコメッティ、ギーディオン、コルビュジェ・・ 華やかな顔ぶれが並んだそうだ。アアルトの建築の多くはフィンランドに在り・・地域や風土に根ざした作品として良く知られ・・フィンランドの地にあってこそと思ったりもしますが、フランスで見る事が出来た・・”初めてのアアルト建築” はなかなかgoodでした。