「建築探訪 150」-Aichi 4

如庵

国宝茶室は3つ・・

利休の”妙喜庵待庵”。遠州好みの”龍光院密庵席”。有楽斎の”如庵”。その内の1つ・・愛知県犬山市にある「如庵」を探訪。

(上写真)少しひしゃげた”禅画の丸”のような・・下地窓の付いた袖壁に囲われた、土縁にある”躙口”より、客は茶室に入る。

如庵

茶室の内部に入ると・・
暦の腰張壁」「有楽窓と言われる竹連子窓」「尖頭アーチ状に刳り抜かれた中柱板壁」「ナグリの床柱」などが・・つくる印象的で見事な内部空間!!
室内の写真撮影はNGなので、見て頂く事は出来ませんが・・goodでした。

(上写真)下地窓と連子窓が並ぶ北側外観を見る。申込制の特別拝観による30分ほどの時間ですが、「有楽斎の空間」を堪能・・

旧正伝院書院

こちらは茶室如庵に連なる書院「旧正伝院書院」。玄関上の”むくり破風”・・微妙な緩さがgood。この茶室と書院の主である織田有楽斎は織田信長の弟(織田家の11男)・・

旧正伝院書院

これらの建物は、もとは京都建仁寺に在ったもので、有楽斎が隠居所として起居し・・74才まで平穏な晩年を過ごし、その生涯を閉じた建物。明治の頃には東京麻布に移築・・昭和の初めに神奈川県大磯・・昭和45年に現在の愛知県犬山へと移る。

旧正伝院書院

旧正伝院の玄関床、四半敷きの瓦・・素材の風合いが素敵過ぎる。

旧正伝院書院

旧正伝院の障子、紙の重ね代と桟木のバランス具合が・・素敵です。
如庵と旧正伝院書院は名鉄犬山ホテル敷地内の庭園(有楽苑)の中にあります。

(下写真)鵜飼いで有名な木曽川沿いに、犬山城と並んで建っている「名鉄犬山ホテル(1965)」・・逓信省系の流れを汲む建築家/小坂秀雄による設計。
小坂秀雄の作品と言えば「外務省庁舎(1960)」がよく知られるが・・

名鉄犬山ホテル

ホテルオークラ東京(1962)」の設計にも小坂秀雄は関わっていて・・名鉄、外務省、オークラ、この3つの建物の外観には、なるほど共通する部分が・・名作として名高かったホテルオークラ東京は、残念ながら2015年に無くなってしまいましたが・・

〈追記〉名鉄犬山ホテル2019年解体

「建築探訪 149」-Aichi 3

名古屋大学豊田講堂

「名古屋大学 豊田講堂」を探訪・・89才のいまも建築家として活躍されている槇文彦さん・・32才にしての実質的なデビュー作!!!  。トヨタ自動車の寄付により1960年に完成。地下鉄の階段を上がると・・目の前にある大きな広場の向こうに、アシンメトリーな建物の西側正面が見える。ゲートのない開放的なキャンパスの「門」として、その建物の姿はまさに「門」という字の直喩的表現を思わせる。(ちなみにトヨタ自動車さんは、求められた予算に対して、自ら「その2倍の寄付金を出す」と申し出たそうです・・)

名古屋大学豊田講堂

10年程前に、同じくトヨタ自動車の寄付により、大規模な改修工事が行われ・・とてもgoodな建築の状態。50年近くの年月を経て、同じ設計者の手による、良質で本格的な改修工事・・”docomomo japan100″にも選出されている日本近代建築を代表する建築の・・この様な保存/維持/活用は、とても素晴らしい事だと思います。

名古屋大学豊田講堂

“コンクリート打放し”の場合・・改修で「建物の雰囲気」が損なわれる事が多いのですが、コンクリートの質感やプロポーションに丁寧な配慮がなされ・・50年近く風雨に晒され、木目は消え、外壁表面には砂が浮き上がってしまっている状態で・・かなり劣化していた”コンクリート打放し”も・・「杉板本実型枠による極薄増打ち」という手の込んだ改修手法などが用いられたおかげで・・建物の雰囲気が損なわれる様な事は・・ありませんでした。

名古屋大学豊田講堂

リフレッシュされた姿を、改めて見ていると・・「白いBOXの浮いている感」や「ピロティと打放しによる構造的表現の力強さ」に・・メタボリズムやブルータリズムなどの、60年代的な建築表現の新鮮さを・・再感。

名古屋大学豊田講堂

建物正面右手・・大階段とピロティを見る。建物ヴォリュームに対しての、柱の細長感が際立つ・・西陽を浴びて、ちょっとジョルジョ・デ・キリコ的な感じ・・柱は正方形ではなく長方形。すこしでも正面からの見え寸法を抑えようという工夫。槇さんの建築は決して声高に主張しすぎない・・熟慮された控え目な表現が・・心地良いです。

名古屋大学豊田講堂

この建物を設計中だった当時・・2年に渡り、世界中を建築視察旅行していた槇文彦さんは・・インドで仕事をしていたル・コルビュジエのアトリエを訪ね・・この建物の設計図面を見て貰ったそうだ・・その時のコルビュジェからの言葉は・・「柱を大事にしなさい」との事。

名古屋大学豊田講堂アトリウム

増築され大きく変わった内部を見る。槇さんらしい階段がgoodです。このアトリウムのスペースは、もともと外部だった所、右手が既存部・・

名古屋大学豊田講堂アトリウム

改修工事により別棟だった建物が、アトリウムを介して一体化。外部だったとは思えない、さすがの改修。右手の壁は、もともと外壁だったという事・・既存部の豊田講堂を南北面で支えている、特徴的な「コの字型耐震壁」がアトリウム空間で、存在感を示しています。

名古屋大学豊田講堂アトリウム

アトリウムより外部へと繋がる、”透け感”がgoodな出入口部分を見る。槇さんの建築・・やっぱりgoodです、品があります。たまたまですが、岡山県出身だという・・施設スタッフさんが、突然来訪している私達2人のために・・照明を点灯して下さり、親切に建物内も色々と案内して下さりました・・感謝感謝。

「建築探訪 146」-Gifu 2

羽島市庁舎

大スロープ、水平に重ねられた高欄手摺と大きな開口部、屋上に載せられた凸凹屋根、聳える火の見櫓・・坂倉準三建築研究所の設計による「羽島市庁舎(1958)」を、今年の5月に・・探訪。羽島市は坂倉準三の故郷、実家は近くにある有名な造り酒屋(千代菊)・・北側から見る。坂倉の庁舎建築といえば、呉市庁舎旧枚岡市庁舎

羽島市庁舎

建物の東側には・・高く聳える”火の見櫓のような”望楼と、4Fまで繋がる折り返しの大スロープ。この角度から見ると、各建築的要素の構成による、建物のダイナミックさがよく伝わる。

羽島市庁舎

この建築の大きな特徴・・2Fのメインエントランスへと繋がる、建物を南北に貫く、大きな斜路。坂倉さんの建築と言えば・・建物をプロムナード的に巡っていく階段やスロープといった物の・・存在感や独立感 が際立っています。有名な1937年のデビュー作である「パリ万博日本館」もそう!!。

羽島市庁舎

南側の立面を見る。建物の廻りには小さな池が張り巡らされ・・坂倉準三の傑作である「カマキン」にも通じる、水辺と建物の関係性。屋上に突出物を載せるデザインは師匠ゆずりで・・いかにも「コルビュジェ」!!。

羽島市庁舎

坂倉の設計による東急文化会館呉市庁舎が撤去され・・そしてまたこの建物も”サヨナラの危機”(今月初めに新庁舎建設工事の公募型プロポーザル」の公告が羽島市より発表)・・個人的に思い出のある大阪の枚岡市庁舎も危なそうだし・・近年次々と撤去されていく坂倉建築・・。今は使われていない、折り返しながら4階まで上がる大スロープを見る。

羽島市庁舎

大スロープ横にある、望楼への入り口部に目がとまる・・壁面と開口のバランスが何ともgood・・それを際立たせているのが、この型枠の割付け・・

羽島市庁舎

昔の”コンクリート打放し”は・・コンクリートを流し込む為の木製型枠が、大きな1枚のパネルではなく・・フローリングのような板材を貼りあわせた物・・しかし、この割付けはとても手が込んでいて、goodです。

天神山の建築探訪 ・・

岡山県天神山文化プラザ建築探訪

岡山県天神山文化プラザの建築探訪が無事終了・・2日間、計3回たくさんの方々に参加頂きました。参加頂いた方、天神山のスタッフの方、サポートしてくれた”建築家のしごと展”の仲間・・皆々様に感謝感謝。本当に僅かにでも「”建築”に対する皆んなの愛情」が増えて、増えて、何かの形となれば良いなぁ・・と思っています。

前川國男チロル

建築探訪に参加頂いた方にのみプレゼントした・・「前川チロル」!!!!!!!!!!!
デザインはもちろん、トリムデザインです。

前川國男の事務所・・

写真は前川國男さん・・10月31日(火)~11月5日(日)の間、岡山県天神山文化プラザで開催される#前川國男」展・・を今回トリムデザインが担当しています・・・最近は作品集や書籍を読み返したり、前川建築を探訪したり・・「”前川國男”力のアップ」に努めていました。

前川建築設計事務所

前川建築設計事務所に訪れる機会に恵まれ・・自社ビル(もちろん)前川國男さんの設計・・コンクリート柱梁によるラーメンフレームの存在が際立つ・・今から63年前、1954年竣工の「MIDビル」。62年前、前川國男さんの師である”ル・コルビュジエ”もここを訪れました。(下写真)

この生涯一度となるコルビュジエの来日は、1955/11/2/PM9:20~11/9/PM10:00の、7日間のみ。世界文化遺産にもなった上野の「国立西洋美術館(1959)」の敷地を見るための来日でした。

たくさんの図面や資料を見せて頂き、時間を割いて・・貴重なお話しを親切に話して下さり、ありがとうございました。現在の前川建築設計事務所の所長である橋本功さん(右)、元所員の奥村珪一さん(左)。もちろん御二人とも前川國男さんに直接師事された方々です。

元所長室!!。ここで前川國男さんが仕事をされていた(感慨)。右側(後姿の方)が前川建築設計事務所の江川徹さん(ありがとうございました、改修の事、色の事など勉強になりました)。左が岡山県天神山文化プラザの山崎さん。奥が「建築家のしごと実行委員会」の平野さん。左側の階段から・・前川國男さんがコツコツと・・階上の所員が居る製図室へと昇り出すと、事務所内に緊張が走ったそうです。

前川國男さんが乗っていた愛車(ジャガーXK-150)!!! 元所員であった奥村珪一さんが車を譲り受け・・今も大切に乗られている!!! さすがの”建築家の愛車”・・この車で銀座の久兵衛に・・カッコイイです、前川國男さん。

(わざわざ「前川さんのジャガー」で来て頂き、本当に有難うございました、奥村さん。)

微力ながらこの様な事もしております・・

※建築探訪「前川國男の建築、天神山文化プラザを歩く」
①11/5(日)10:00〜
②11/11(土)10:00〜
③11/11(土)14:00〜 (各回90分程度)
募集 一般、各回30名(事前予約優先)
参加費 500円(1ドリンク付き)

「建築探訪 142」-Finland 27 / ALVAR AALTO 21

フィンランド文化の家

フィンランドでの”アアルト建築巡り”も、いよいよ最終・・天気は良好、休日の午前中につき (残念ながら内部は見られませんでしたが)・・歩いている人も車も、ほとんど無く・・外部をじっくりと建築鑑賞。アルヴァ・アアルトの設計により、ヘルシンキ市内に1958年に建てられた「文化の家」・・道路に面した「長い庇」の奥に、仕上げ/形態/機能の異なる「2棟の建物」が並置・・

フィンランド文化の家

多目的ホールとして使われている、左手の建物の出隅を見上げる。他のアアルト建築でもあまり見かけない「大きくアールを取った正方形レンガ」がとても印象的な建物・・写真では平面形はイメージし難いと思いますが・・アアルトの十八番である「アシンメトリーな扇形の有機形態」をしています。断面的にも面白く、起伏のある山のような屋根・・で覆われた建物であります。

フィンランド文化の家
アアルトの名前と工事年が書かれた「プレート」が張られています・・木製窓、レンガ壁、板金パーツ・・のバランスが、なんともいい感じです
フィンランド文化の家
建物の出隅部詳細を見る。今回の”アアルト建築巡り”でも何度も実感させられた事・・建物に触れる事が出来るくらいの至近距離で見る方が・・アアルト建築はとても楽しめるという事・・この素材感を感じられる距離でマテリアルを味わい・・再び全体形を思い返して、再び納得・・という感じが楽しい。
フィンランド文化の家
2棟の間にある、中庭からレンガ棟を見る。今回の”アアルト建築巡り”で幾つも幾つも見てきた・・ “アアルト窓“、”アアルト窓“、”アアルト窓“・・ この建物は、もともとは「フィンランド共産党本部」として建てられたそうです
フィンランド文化の家
中庭から、右手にある「オフィス棟」を見る。金属板と水平連続木製窓の繰り返し・・中庭に面した、2棟のつなぎ部分が管理部門のエントランス
フィンランド文化の家
有機的で不正形な「レンガ棟」とは、著しく対比的な・・キューブで水平連続窓な「オフィス棟」。本当に、別々の施設かと思える程に、ひとつの建物で、意匠も形態も素材も異なった2棟が中庭を挟んで建つ構成が・・ユニークな建築
フィンランド文化の家
オフィス棟を見上げる。銅板がいい感じで経年変化しています。やはり・・金属は金属らしく、そういう素材とディテールの扱い方が・・goodです
フィンランド文化の家
オフィス棟の木製窓を見る。北欧では、この様な規模のオフィス系建築でも木製窓・・断熱係数の優位性を考えれば、もちろん金属よりも木材ですが・・木材も板金材も「正面からビス納まり」だが、以外と気にならない・・
フィンランド文化の家

20件を越えた、今回のフィンランドでのアアルト建築探訪の最後・・”アアルト窓” にタッチしてお別れ。でも、まだまだ行きたかったけれど、行けなかった・・アアルト建築はいっぱい。またいつか “アアルト建築巡り” ・・にフィンランドを訪れたいものです。

「建築探訪 141」-Finland 26 / ALVAR AALTO 20

アアルト設計銀行ビル

光沢を抑えた金属製ファサードの渋さが、とても印象的な中層ビル・・ヘルシンキ市内にある、1964年アルヴァ・アアルト設計により建てられた “銀行ビル”・・アアルト作品集による建物名は「ポホヨスマイデン・ユフディスパンキビル」。同じくアアルト設計による、同デザイン系列の中層ビル・・「ラウタタロ」や「アカデミア書店」も、実はこのすぐ近くに建っています。

アアルト設計銀行ビル

通りに対して並んで建つ、左右の既存ビル・・そのそれぞれの高さに揃えて建てたのが・・デザインのポイント。左右の軒ラインを調整する役割を担い・・大屋根のある上層部はセットバックして、存在感を弱め・・街並みに配慮。

アアルト設計銀行ビル
垂直水平に伸びる、細いダブルラインの幾何学で構成された・・ファサードデザイン。銅系金属材ファサードの重々しさを上手く中和する・・上品で軽快な印象のダブルライン・・縦勝ちです。
アアルト設計銀行ビル

縦のライン2本はすっきり・・横のライン2本には少しモールディング的な変化をつけ・・上下でそれぞれ少し形を違えているのも、デザインのアクセントとして、とても細かい処理ですが・・現場に立ってヒューマンスケールで建物を見ていると、この細かな処理が全体のファサードに・・とてもよく効いている様に思えます。窓は、アアルト建築ではお馴染みの・・いつもいつもの「大きなFIX + 縦長開口」の・・ ”アアルト窓”。

アアルト設計銀行ビル
通りから控えた1階部分を支える・・石と金属により構成された、この柱がとても素敵でした・・建物全体は金属的な素材でファサード全体を仕上げている中、浮いているかの様に、柱4面に貼り付けられた石材12枚の存在感がとてもgoodでした
アアルト設計銀行ビル
この大きく面を取られた部分の金属材・・角度も大きさもgood。石材のエッジを見せた納まり・・両側のモールディングのような見切材の存在もgood・・
アアルト設計銀行ビル

柱の足元を見ると分かり易いのですが・・四角ではなく、ほんの少しテーパーを取った・・台形平面の柱なんですよね・・素材の経年ぶりもgoodです。なんて事ない、街中の中層オフィスビルなんだろうと思い、ぶらりと見に来たけれど・・「さすが、北欧の大巨匠だ!!」・・と、誰もいない早朝のヘルシンキで、感嘆感心。

「建築探訪 140」-Finland 25

テンペリアウキオ教会

建築関係者だけでなく・・フィンランドを旅行された多くの方が訪れる観光地としても知られる「テンペリアウキオ教会」。ティモ&トゥオモ・スオマライネン(Timo ja Tuomo Suomalainen)の設計で1969年に完成。アプローチ側から外観を見ると、この建築の一番の特徴である・・「岩盤と建物が一体化」している状態が良く分かる・・

テンペリアウキオ教会
内部の壁も自然のままの岩盤が露出・・氷河期から残るという、岩盤を削った半地下部に教会のメインフロアが計画されています
テンペリアウキオ教会内観
コンクリートシェルの天井を支える梁間から落ちる光が、とても効果的です。シンプルな構成による建築。天井のとても細かな銅板張りがキラキラしているのが、この写真で分かりますか・・
テンペリアウキオ教会2階席
2階席を見る。団体で訪れる観光客が入れ替わり立ち代わり・・分かりやすい建築なんでしょうね、誰にでも人気のある近代建築
テンペリアウキオ教会屋上
この建物を訪れた際のお勧めは・・実は、(観光客はほとんどが上がらない)建物の上に上がってみる事。建物を囲っている「極厚の外壁」と言ってもいい・・巨大な岩盤の上を散歩。正面にドーム天井が見えます。建物上は周辺市民のための・・小公園といった雰囲気
テンペリアウキオ教会屋上

岩盤の上から、ヘルシンキ市内を眺める。周辺が閑静な住宅街である事が分かる・・季節も良く、市民の方が静かに日光浴されています(階下の観光客の喧騒が嘘の様です)・・そのまま岩盤を乗り越えるカタチで、教会を後にしました。

前川國男の本

国立西洋美術館」の世界遺産入りで・・何かと話題の近代建築。世界の近代建築の巨匠は確かにル・コルビュジエですが、日本の近代建築の巨匠といえば、この人以外にいない “前川國男”・・今週のt/rim designは、8月3日より始まる、今年で3回目となる「建築家のしごと展」に向けて、いろいろと準備中・・

「建築探訪 139」-Finland 24 / ALVAR AALTO 19

エンソ・グートツァイトビル

アルヴァ・アアルト設計・・1962年に建てられたフィンランド企業の本社社屋「エンソ・グートツァイトビル」。港を望むヘルシンキ市の中心部にあり、大聖堂(上写真の左端)のある歴史的街区からも近く、港側には旅行客にも人気の市場も・・(上写真)東南側から見る。地下1階、地上6階、社員食堂のある最上階は少し外壁を後退させ・・屋外テラスのスペース設けている。

エンソ・グートツァイトビル

建物の整然とした印象の、決め手となっている・・奥行きのある、大理石張りの格子フレーム。縦桟の方が僅かに横桟より突出している事や、斜め部分の石張がフラット部分の石張よりも突出している事など・・細かなディテールへの配慮が、外観をキリリと引き締めている・・

エンソ・グートツァイトビル

(上写真)格子フレームの下部がスパッと”切られて”終わっている・・デザイン処理が面白い、北側外観を見る。新古典主義で建てられた周辺に建つ・・市庁舎、大統領官邸、最高裁判所などの公共建築群や、隣接する大寺院との・・景観的な関係性に細心の注意を払い、計画は練られたそうですが・・建設当初は”風景を台無しにした”と酷評されたそうです・・(いつの時代、どこの場所でも、新しい建物に・・世間様は厳しい)

北欧では・・ある程度の規模がある、この様なビル物でも”木製建具”を使用・・建物は50年以上経ってるが、窓を交換した様子もないので・・この”味のある”感じは、おそらく50年以上前のオリジナルかと・・イイ感じです。

エントランスのある、1階の西側ピロティ部を見る。建物正面などの目立つ場所ではなく・・目立たない場所に、ググッと高さを抑えた、エントランス部・・そしてピロティ下で、黄金色に輝く”味のある”金属製建具・・イイ感じです。