植松奎二 展

先週末は彫刻家/植松奎二さんの展覧会へお邪魔させて頂きました・・

展覧会は個人宅において行われていました・・・個人宅といっても建築家により設計された広く美しい住宅内に・・・居住者所蔵のドローイングから大きな立体まで植松さんの作品数十点が・・・展示された状態はまさに美術館でした (住んでいる家が美術館のようになるとは・・・並べられた植松さんの作品と共に、居住者の美しい暮らし方にも とても感銘いたしました・・)

当日は植松さんも居られ・・植松さんが関西出身であり、植松さんが私達のお世話になった先輩方々ともお知り合いという事もあり・・・色々とお話をして下さいました。

美術館やギャラリーで度々鑑賞させて頂いていた植松さんの作品・・ひと目見れば”植松作品”と分かる、眼に焼き付いて忘れる事のない植松作品のモチ-フ・・・観る者に何かを考えさせずにはおかない観念的でダイナミックな”円錐体”・・・表出する物質性と表出しないが潜んでいる観念の緊張関係・・
(上写真) 居住者の方に頂いた素敵な作品集にサインまで頂きました (ありがとうございます、Iさん 大切にします。)

「みえる存在、構造、関係を みえるようにすること。みえない存在、構造、関係をみえるようにすること。みえる存在、構造、関係を みえなくすること。」
by Keiji Uematsu, 1972

「打放しに戻ってる!!」

倉敷国際ホテル

ここのところずっと外壁の改修工事の為に建物全体を足場で囲われていた・・
建築学会賞も受賞した浦辺鎮太郎により設計された「倉敷国際ホテル」(’63)・・・今日、事務所を出て倉敷駅へ向かう途中、見上げると足場が外されており、改修後の外観を見てビックリ・・・ 「打放しに戻ってる!!」

(上写真左) 改修前の外観。この建物のデザインの大きな特徴であった四層に重なる独特の”浦辺庇(勝手にネーミング)”がもともとコンクリート打放しだったものが、ずっと長い間 白く塗られた状態でした・・どこのコンクリート打放し建築にもありがちな様に「黒く汚れてきたからペンキ塗り」・・・

(上写真右) それが元のデザインを尊重した “打放し”に戻っていました・・・外観/インテリア/細部まで骨太な民芸的な雰囲気を漂わせながらも質の高いデザインと細やかな配慮により現代建築として昇華された作品・・・隣接する「大原美術館分館」(’61)ともに浦辺建築ベスト3(自分の勝手なベスト3です)に入る建築がもとのデザインに”近づいた”のは嬉しい限りです・・・

ホテル建築につきものの 華美さ/きらびやかさ/過剰さがない・・質素/健全/実質的という言葉が相応しい「倉敷国際ホテル」は・・古い街並みと共に “倉敷”という町にとても調和した “倉敷”という町の顔となる・・・建築ではないでしょうか・・

「建築探訪 20」 -Okayama 4

岡山県の牛窓に手塚貴晴+手塚由井さんが設計された住宅を見学させて頂く機会に恵まれました・・・(Nさん、ありがとう。)

(上写真)高さ6m×巾6m×長さ18mの一室空間を、水廻り+収納部である5mキューブで、リビングと寝室に分けただけという・・コアプランのお手本の様な空間(上写真はリビングからコア部を通して奥の寝室を見る)・・・窓は、海を臨む側に遮るものが何もない巾18mの大開口の掃出し窓(上写真では右側)、とその反対側に巾18mのハイサイド窓の2箇所のみ・・
大きな白い空間に大きな窓という組み合わせだけによる空間は・・美術館の展示スペースのような・・一般的な住宅では感じられない”スケール”

手塚さんの建築ではこの「スケール」が非常に重要なキーワード・・空間/形態に表層的な操作を加える事よりも、”構造の工夫”による「大きなスケールがもたらす空間」に可能性を見い出そうとされている・・ (建築のつくりは一見簡単ですが、見えない構造的な部分ではかなり頑張ってます・・)

外壁は全面焼き杉板貼り。 当日は手塚さんも来られていました

日常の生活の中にある楽しさ/豊かさという・・時代が変わろうとも変わる事のない本質・・を抽出する為の「大きなスケールの獲得」・・その先に見える新しい建築の普遍性。「大きなスケールの獲得」の為に用いられる、眼にはみえないが壁/屋根の中で建物を支えている・・アクロバティック&ハイコストな過剰ともいえる構造体は、一般住宅では有り得ない様なものなのですが・・
過剰な構造体へ偏重した建築とは、はたして普遍性をもちえる事が出来るのだろうか・・・そもそもモダニズム以降において・・建築家が産み出す”建築”において普遍性/一般性を求めようとしてきた事自体にも・・建築家の矛盾があるのではないかとも思えますが・・

「建築が何であるか」という建築の初源的な存在意味を、”居心地の良さ”や”わかりやすさ”という日常的/一般的な視点から探求しようとする・・手塚さんの建築。

「建築探訪 10」 -Okayama 2

天神山文化プラザ

岡山市内には日本近代建築の巨匠-前川國男(1905-86)設計の現存する建築が3件あります。上は「岡山県総合文化センター(現 天神山文化プラザ)」(1962) 。高台に建つT字型プランのコンクリート打放しによる力強い外観を持つ複合文化施設・・前川の師匠であるル・コルビュジェを思わせる コンクリート打放し色の強い 建築。(上写真) T字の縦棒の一番底にあたる・・西側立面を道路から見る。天井ダウンライトの配置が、米粒をばらまいた様な規則性のない配置で goodです。

天神山文化プラザ

崖に囲まれ、高低差もある難しい敷地条件に・・同じような大きさの2つの直方体ヴォボリュームをT字に直交させたシンプルな配置で応答し、かつ直方体間の高さにずれをつくる事で魅力的なピロティ空間を・・建物のアプローチとなる西側道路面に作り出しています。(上写真 左) 西側立面を見上げる。右手に高い擁壁が・・建物南側はこんなにも敷地レベルが高くなっています。(上写真 右) 駐車場から南側立面を見る・・ここにもコルビュジェが得意としたデザイン手法・・「コンクリートによる日除けルーバー」が用いられています。 

「建築探訪 09」-Okayama

岡山市内には日本近代建築の巨匠-前川國男(1905-86)設計の現存する建築が3件あります。最も古いものが「岡山県庁舎」(’57) 上2点。
戦後すぐ資材難の時期ゆえの木造建築を多く手掛けた後、1952年に当時最新だったアルミサッシやPCパネルといった工業化素材を用い、最小の構造体で最大限の空間を得ようとする、前川の近代合理建築の出発点と言ってもいい、戦後の先駆的なオフィスビル「日本相互銀行」(’52)から続く金属カーテンウォールシリーズ・・27000平米を超える「岡山県庁舎」は前川にとっても当時初めてとなる大規模な建物、開放的で流動的な玄関のコンクリート柱で持ち上げられたピロティはその後の「京都会館」(’60)を思わせる構成だが、建築の印象としては「岡山県庁舎」は “明るい戦後民主主義” “明るい近代合理主義” “明るい工業化社会” を信じ目指した最後の時期。その後の「京都会館」や「東京文化会館」(’61)といった作品には、 もはや”明るい”ままでいる事が出来ないとでもいった 「近代への葛藤」が感じ始められます。県庁は50周年だ・・