「建築探訪 59」-Hiroshima 3

広島平和会館資料館

丹下健三の「広島平和会館資料館」(1952) を探訪・・ もちろん平和記念公園全体も1949年に行われた設計コンペで、当選された丹下健三さんによる設計です。どこの丹下建築を訪ねても多くがそうである様に・・作品集で見られる様な、竣工時の緊張感に溢れた、迫力ある、厳しく、美しい姿は・・ 今は感じられませんでした。戦後もっとも早い時期に国際的評価を受けた日本の近代建築・・ 建築家 丹下健三の出発点。

広島平和会館資料館
(左) 作品集で見られるかつての姿では・・2階は透明ガラスに水平ルーバーを設けた構成で、外部から内部が見えて、内部から外部が見える “透けた箱” でしたが・・
(右) 独特のかたちをした、1階のピロティ中央部を支える8本の “くさび型柱”・・出隅の柱4本はさらにユニークなかたち・・ 丹下さんの憧れでもある 建築家ル・コルビュジェのピロティ柱を連想させます
広島平和会館資料館
建物の出隅部分を見る。もともとの仕上げであるコンクリート打放しの上に、石を張った改修の様子がよく分かる。水平ルーバーは撤去。ガラスは色の付いたものとなり内側には内部展示室を囲っている壁がすぐに見える。外部から内部 or 内部から外部の様子は見えない・・  改修後は “閉じた箱” になってしまいました。

「建築探訪 57」-Hiroshima 2

広島市環境局中工場

谷口吉生さん設計の「広島市環境局中工場」(2004) を探訪。美術館建築の名手が ”ゴミ焼却場” を手掛けると、こんなにもスタイリッシュになるんだ・・

(上写真左) 広島市の中心から、湾岸へと伸びる大きな道路の都市軸に対して、直角に配された直方体ヴォリューム・・道路はそのまま建物内部へと吸い込まれて通路へと繋がり、その通路は建物向こう側の湾岸まで突き抜けていく。
(上写真右) 湾岸側まで突き抜けてきた通路。外壁はステンレス製の波型板張り

広島市環境局中工場
建物内の通路を見る。通路はガラス張りのギャラリーになっています。ガラスの向こうでは焼却炉、排ガス処理設備、灰溶鉱炉といった巨大な機械たちが働いています
広島市環境局中工場
透明なガラスに貼られた透明な文字、ecoriumのm部分

ガラス張りのギャラリー部は、「ecorium」と呼ばれる環境展示施設のミュージアム・・建物全体のサイン計画、ロゴデザイン、イラストや文字といった展示説明デザイン、などなどは全て著名なデザイナー/アートディレクターである 八木保さんが手掛けられたそうです。

「建築探訪 52」 -Hiroshima

世界平和記念聖堂

村野藤吾さんの設計による「世界平和記念聖堂」(1953)を探訪。
被爆倒壊した教会を世界各国からの寄付により再建・・ 1948年に設計案を募り、建築界の強い関心を集めた設計コンペが行われ、丹下健三や菊竹清訓や前川國男などの日本を代表する建築家が優れた設計案を応募・・

世界平和記念聖堂

打放しコンクリートの柱梁フレームに、現地の原爆の灰をかぶった土を含んだセメントレンガを積み込むという・・ 素材的にも工法的にも限定された構成・・ シンプルで実直な作り方が、再建への強い思い・・を伝えている様な気がします。

世界平和記念聖堂

壁詳細を見る。壁のセメントレンガは・・全体に渡りリズミカルに、ところどころに突出させています・・ コンクリートとセメントの素材そのままで、四角く大きな直方体の・・建物の威圧感を和らげ、ファサードに質感と陰影を与えるアクセントとして良く効いています。

世界平和記念聖堂
(左) アーチが架かった側廊部を見る。身廊+側廊というカトリック教会建築の伝統的構成を踏襲・・ 蛭石入りのプラスター塗りにより内部はシンプルで簡素な仕上げ

設計コンペは・・ 結果的には1等の該当者はなしに終わりましたが・・ 審査委員の1人であった村野藤吾が実施設計を委託されるという、なんとも納得のいかない結末。同じく審査委員であった堀口捨巳や吉田鉄郎はモダニズム色(コルビュジェ色)の強い丹下案や前川案に肯定的であったが、村野藤吾や今井兼次は否定的だったそうです・・ 

「建物探訪 39」 -Hiroshima/三原

三原市芸術文化センター

「三原市芸術文化センター」(’07)  設計:槇文彦(1928-)
(上写真)東側芝生広場より見る。押し潰した半球型のホール屋根が特徴的な外観、鏡餅みたいです。建物中央部に1200席の多目的ホール、その背後にフライタワー、芝生広場に面したガラスBOX部がホワイエ、左側2層BOX部が事務室/楽屋/練習室等・・外観とプランが合致した明解な構成。

三原市芸術文化センター
(左) ホワイエの中庭を見る。ホワイエには大きな中庭が設けられています。左上部にはホール屋根が見えます
(右)中庭よりホワイエ、その向こうには芝生広場が見る

外部と連続したとても開放的な構成は、このホワイエがコンサート等が催されている意外の時にも、色々な市民活動に利用される場所として考えられているからだと思います。この日は平日で何の催しもない時でしたが、ホワイエは開放されていて出入りは自由、とても暑い日でしたが・・空調も効いていたのでひと休憩。

三原市芸術文化センター
芝生広場と連続した開放的なホワイエ

「独りのためのパブリックスペース」とはこの建物を設計した時の槇さんの論文題・・ 美術館で誰にも邪魔されず好きな作品と静かに対面できるように・・都市で独り佇む事ができる余裕と優しさのあるパブリックスペースが、日本の都市には少ないと嘆かれる槇さん・・訪れたこの日、広いホワイエでは男性が独りで本をずっと読んでいました。

「建築探訪 04」-Hiroshima/呉

呉市庁舎/市民会館

週末、「呉市庁舎/市民会館 (’62)」を探訪・・ 設計は坂倉準三建築研究所。
濃青色タイル張りの二つの円筒形 ( ひとつは空に向かって螺旋状曲面を延ばす市民会館ホール。もうひとつは議会場。 ) と 水平要素(ブリッジ や 議会場の大きな庇 )の対比が美しかったです・・さすがの “コルビュジエ的な感じ” 。

呉市庁舎/市民会館
螺旋状曲面を空へと延ばす市民会館ホールを見る。
今は白く見える部分は、もともとは “コンクリート打放し” の様でした・・ある時ペンキで白く塗られました・・”濃青色タイル円筒形”と”打放し”の対比はすごく綺麗だったろうな・・
呉市庁舎/市民会館
大きな庇が効いている議会場を道路より見る

建物は全体的に傷み汚れが目立ち、あまりメンテされてない様な感じ。50~60年代の有名作品には “打放し建築” が多い。完成時の写真のイメージを頭に入れ見学に行くと・・”打放し建築” のひどい汚れ様/傷み様/ペンキ塗りされた様にガッカリする事は何度もあり・・プランや形が変わったわけではなく、ペンキを塗られただけなんだけれども、建物の印象としては・・全く違うものにすら見えてしまう・・ 色と素材と形 のバランスは非常に緊密なのだから・・ こんな時には竣工時の姿を当時の資料などから想像してみます・・

〈追記〉2017年解体