岡山日日新聞

トリムデザインのコラムが掲載された岡山日日新聞
先日、 t/rim designの小コラムが掲載された岡山日日新聞

「住宅は住むための機械である」とはモダニズム建築を完成させた近代建築の巨匠ル・コルビュジェ(1887~1965)が残した、建築史上最も有名なといっても言い過ぎではない、現在活躍する建築家やこれから建築を学ぼうとする若い人達にも今なおその作品と共に強い影響を与え続けるル・コルビュジェの言葉・・この言葉は今から86年前にもなる1923年(大正十二年)に出版された、これからの建築が在るべき姿についてコルビュジェが建築宣言を行った、初期の著書「VERS UNE ARCHITECTURE」の中に記されています。

住むための機械という言葉への解釈は人によって多少の違いはあるのではないかと思いますが、そのシンプルで無機質な「白い四角い箱」のような初期コルビュジェ作品の姿が与える工業製品的なイメージも手伝ってか、「住宅=機械」と表面的な捉え方をされ、コルビュジェが唱えたことは、飛行機や自動車を理想とした工業製品のような住宅をつくる事だと思われている方も少なくありません・・この著書に込められたコルビュジェの真意とは・・・我々の文化や社会というものは変わり続ける事を避けられないものであり・・ 
・人々を包む器である建築もまた社会や生活から生じる新しい要求というものに、機械のように、合理的に正確に経済的に応えていかなければいけない。
・われわれの必要に答えている工業製品の中に見られる、慣習や様式に囚われない「新しい精神」こそが美しい 。  
というような主旨のことが「VERS UNE ARCHITECTURE」の中には書かれていました。
「住宅=豊かに健康に住むための無駄がない道具」
・・社会や人々の暮らしが大きく変わる時、建築もまたその変化にうまく適合していかなければならない・・そういう意味だったのではないかと思います。
私達が勤めていた設計事務所の所長は、フランスでコルビュジェから建築を直接に学ばれた建築家・坂倉準三が設立した設計事務所の出身であったという親近感もあり、コルビュジェの言葉や作品からは多くを今なお学んでいます・・ 建築とは、設計を依頼してくださった人達の言葉、あるいは今の社会や暮らしの中に見つける事が出来る変化、に対し的確に応えられる様なものであるべきだと言う事は・・ 現在でも未来でも同じなのではないかと・・

ルイス・カーン

先月号の「a+u」はアメリカの建築家ルイス・カーン(1901-74)が手掛けた住宅作品の特集号でした・・・1901年生まれのカーンはフインランドの建築家アルヴァ・アアルト(1898-76)と共に、近代建築の黄金期世代BIG3(ライト・ミース・コルビュジェ)に続く・・近代建築成熟期の巨匠。
(上右)写真の「フイッシヤー邸」(1960-67) はカーンの住宅作品の中でも特に素晴らしい代表作と言ってもいい作品・・リビングとダイニングを分ける秀逸な蒲鉾型暖炉の配置、換気と採光の役目をそれぞれに分け/ベンチと一体となったカーン独特の窓、還元的な素材の存在感・・このフイッシャー邸の大きな窓のあるリビングの写真は何度見ても考えさせられる事の多い勉強になる1枚・・ライトのカウフマン邸(1936)/ミースのチューゲンハット邸(1930)/コルビュジェのサヴォワ邸(1929)のようにカーンといえばこの”フィッシャー邸”・・・近代建築の住宅作品 BEST10には必ず入るだろう傑作のひとつに違いないと思います・・

カーンが1971年の展覧会の為に描いた「ルーム」という有名なドローイング・・緑を望む大きな窓の側に腰掛ける2人その傍らには暖炉、向き合い/話し込む彼らを抱え込むような大きな丸天井・・

スケッチと共に書きこまれた文章には哲学的抽象的な言説/作風と言われるカーンの建築に対する定義が述べられている・・「建築とは部屋をつくる事に始まる・・あなたの建築が太陽のどんなかけらをわがものにしているか・・・部屋とは心の場所である・・部屋は光を欠いては部屋とならない・・」

建築の根源的本質とは何かを問い続け、”始まり”を愛し、人間の行為に介在し・人間の関係に働きかけようとしたカーンの建築・・光がつくる心の場所=The Room ・・・うーん抽象的でいまひとつピンと来ないが・・フィッシャー邸はとても素敵だ!

サンプル

設計事務所にはいろいろなサンプルがあります・・木材/金属/石/色見本/ガラス/タイルなど様々・・今使おうと検討中のものや、いつか使ってみたいと考えているものや・・
カタログで大きさ/かたち/色/材質はだいたい分かるのですが・・やはり手に取り実際に見てみないと、写真では感じれないものが有るので・・
これは今計画中のクリニックの案に使えないかと検討中のガラスブロック・・普通ガラスブロックというのは中が中空なのですが、これは中までガラスのガラスブロック・・だからガラスブロックではなくガラスレンガ?・・なかなか存在感がありgoodです。

○○偽装

昨年は食品に関する様々な偽装がありました・・不自然な加工をされ非常に長持ちし、非常に安価、本物より”本物らしく”見えたりもする・・材料や生産地を偽った食材・・
(上写真左)
工事中の「安江の家」に「フローリング」が搬入されました。ナラ-15mmの無垢材(当たり前ですが木材なので中まで全てナラ)、仕上げは*オスモカラー。
*オスモカラーとは、ドイツ製の自然植物油とワックスをベースに作られた人体や環境にやさしい無公害の木材保護塗料材。表面を樹脂の強い膜でコーティングしてしまう一般的塗料とは異なり、内部に浸透する塗料材なので木材が持つ利点である調湿機能が有効に働く事が出来ます。
(上写真右)
しかし世の中の多くで「フローリング」といえばこちらを差します・・見た目はとてもキレイで、汚れも付かずお手入れ簡単、しかも安価・・厚さ15mmのうち、「表面の2%・厚さ0.3mmの紙のような本物の木」が貼られ、樹脂でツルツルにコーティング・・内部98%はベニヤ・・ベニヤとは薄い板材を何層も接着剤で塗り重ねたもの・・”合板フローリング”は触ると固くて冷たい・・

本物より”本物らしく/立派に” 見えたりもする・・確かに木材には違いないのだが・・これを「ナラのフローリング」です、「カバのフローリング」です、「ケヤキのフローリング」です・・などと言っても良いのだろうか・・

屋根

(左上)伊勢神宮外宮/古殿側からみる四重の塀の向こうに茅葺きの屋根
(右上)桂離宮/中書院-楽器の間-新御殿と雁行する柿(こけら)葺きの屋根
(左下)元興寺/飛鳥時代のとても古い瓦も使用されている屋根
(右下)大宮御所 御常御殿/大きく、反りが美しい寝殿造りの屋根

“屋根という建築的要素”は近代建築が始まるまで、古代寺院建築(or先史竪穴住居)から非常に長い期間・・1000年以上という単位で大きくは変化のなかった普遍的と言ってもいい要素のひとつでした・・
近代建築技術の進歩によって初めて”屋根がない”建築が現れ・・それは長い建築史から見ればここ最近20世紀以降の事・・・近代以降、大きな/公共的な建物は鉄筋コンクリート造/鉄骨造でつくられ”屋根がない”ことが当たり前なのですが、昔は逆に建物が大きな/公共的な建物であればある程”屋根が大きい”という事が重要でした・・・
雨が多く湿度の高い日本のような地域では”屋根が大きく&軒が深く”ある事は快適な居住環境を得るためには合理的/機能的な選択です・・・しかしそれだけが理由ならば、「そんなにも大きくなくてもいいだろう」と言うくらい日本建築の屋根は大きく・・・合理/機能だけではなく、そこには象徴的存在としての”大きな屋根”への言葉には成し難い様な「憧憬」のようなものがDNAに刻まれているのではないでしょうか・・・

Jorn Utzon,90,Dies -基壇と屋根

デンマーク人建築家ヨーン・ウッツォンが先週末11/30に亡くなられた・・1918年生まれの90才でした。ウッツォンといえばその名前は知らなくても、彼の建築は誰もが知っている「シドニー・オペラハウス」の”設計者”

1957年の国際コンペで当時無名だったウッツォンの白帆のようなシェル構造屋根がリズミカルに連なる鮮やかな案は見事1等となり「シドニー・オペラハウス」の計画は始まる(すでに落選作の中にあったウッツォン案をエーロ・サーリネンが拾い上げ1等としたのは有名な話)・・・1966年の政権交替により理解あるクライアントは居なくなり・・ウッツォンの極めて個性的な”20世紀を代表するはずだった建築”のプログラム/木製吊天井andプライウッド方立の美しいホール内装/繊細な動きのあるガラス外壁など様々な細部は簡略され(一般の人からすればコンペ案がだいたい実現されれば、細かな部分などまぁ良いではないかと思われるかもしれないが・・建築家にとっては細部まで意図通りに出来なければ自分の作品とはきっと言えないものなのです)・・・ウッツォンは実施設計途中で建築家の責を辞任しデンマークに帰ってしまう・・その後は地元オーストラリア官僚建築家委員会が設計を引き継ぎ、色々ありながらもコンペから16年後の1973年にようやく完成を見るが・・・出来たものはやはり100%ではない・・ウッツォンが最後まで監理していたなら本当に”20世紀を代表する建築”になっていたはず・・残念。

「大きな基壇と大きな屋根」
遺跡を思わせる大きな下部基壇と、ヨットの帆のような円弧シェル屋根群(球体から切り取った弓形シェルヴォールト-タイル打込みのプレキャストコンクリート製)による明快でダイナミックな建築構成・・
ウッツォンは建築要素としての「巨大な水平面(基壇)」がもたらす効果というものについてメキシコの遺跡を訪ねて以来、並々ならぬ魅力を感じていたり・・「基壇と浮遊する大きな屋根」だけの構成による日本建築にも興味を寄せていたり(上写真右はウッツォンのスケッチ)・・・海辺に面したオーストラリアというロケーション/メキシコ遺跡/日本伝統建築/最新技術・・・単純ではない複雑な視野が入り混じった”モダニズム第三世代”らしいウッツォンの建築・・コペンハーゲンにあるもうひとつのウッツォンの傑作 「バウスベアーの教会(1976)」もモダニズム第三世代を代表する素晴らしい建築・・・
ウッツォンさんのご冥福をお祈りいたします。

“Jorn Utzon,90,Dies -基壇と屋根” の続きを読む

未来の建築 ?

2008年4月に出版されたこの本・・「原初的な未来の建築」 
最注目の若手建築家の”初作品集”・・・実作品の写真は少なく、コンセプトをあらわすための図面と模型写真を中心に・・10のキーワードで彼の掲げる未来の建築への予感を簡潔な文章で語っていく構成・・

藤本壮介さんは1971年生まれの37才の建築家・・分かり易いコンセプトとともに挑戦的/刺激的な計画案で30代の若手建築家の中では飛び抜けた存在として2000年頃から注目されていました・・

第1章の始まりからして・・コルビュジェの有名な「ドミノシステム(1914)」(1920年代の白い住宅シリーズの基礎となる原理)の図と、自身のマニフェストとも言える原理的な計画案「N house(2000)」を見開きページに並置するという大胆さ(上右図)・・大物だぁ・・気持ちいいくらい”未来の建築”にまっしぐらに突き進んでいる・・

(下左図)「T House(’05)」・・妙な奥まりのような部屋が並ぶ住宅
(下中図)「安中環境アートフォーラム(’03)」・・必要に応じて必要な場所が出来て、外形を成すという計画案
(下右図)「青森県立美術館(’00)」・・森と同じような生成ルールにより美術館が出来ないかという案

彼の案に共通するのは・・全体性ありきではなく「部分の集積」で建築を構成していくという原理。
1本の木から構成される森のような or 小さな部分が集積してできた集落のような or 形がなく常に過程であるような。洞窟内で人が居場所を探すように・・分節しきれない「局所的な関係性の繋がり」から生まれる 「弱い全体」・・そんな緩やかな自然の多様性を再構築したような・・「部分の秩序」による「弱い建築」・・・それが、彼が未来に問いかけている原理。

近代という”強い/大きな秩序”にとって替わる “弱い/部分の秩序”による 「新しい建築の原理」を打ち立てようとする藤本壮介さん・・大学卒業直後の1994年からどこの設計事務所に勤めることもなく・・デビュー作となる「聖台病院作業療法棟(’96)」「聖台病院新病棟(’99)」から・・「しじま山荘(’03)」 「伊達の援護寮(’03)」 「授産施設(’04)」 「Thouse(’05)」 「7/2 house(’05)」 「登別のグループホーム(’06)」 「情緒障害児短期治療施設(’06)」 「house O(’07)」・・・彼が掲げた原理が見事に実現とは、まだまだ言い難く・・実現した建築も10にも満たないが・・意欲的な計画案はこれからどんどん実現されていくだろうし・・・現在のスター建築家とは一味違った・・・”原初的な未来の建築” が生まれるか否か・・

「僕はコルビュジエやミケランジェロのような建築家になりたい」 by 藤本壮介

図録

ペーター・メルクリと青木淳

東京国立近代美術館で行われている展覧会「ペーター・メルクリと青木淳」の図録・・
ペーター・メルクリは1953年生まれの建築家・・スイス人らしいスイスBOXな建築をつくる人・・”スイスBOX”とは建物のカタチが一見非常に単純な「四角い箱」なのですが、よくよく見ると奥が深い・・素材/開口/プロポーション/ディテール/配置等が丁寧に吟味され設計されていると・・スイス建築独特の流儀・・・その中にあってもメルクリはひときわ素朴でザックリした建築をつくり、比率/均衡/端正/美など建築の根幹に存在してきた変わらない概念/内的真実を深化させようとする建築家・・

メルクリのエスキスモデル

青木淳は「青森県立美術館」や「ルイ・ヴィトン」の銀座店・名古屋店・表参道店などを設計した1956年生まれの建築家・・青木さんの建築はなかなか屈折していてわかり難い建築です・・・
予定調和な建築のつくり方や暗黙化した形式を疑うところから建築が始まっているのだが、そもそも建築が現すべき意味が不在になってしまっているという現状認識もあり・・シナリオがない、決定要因がない、根拠がない・・いいも悪いもない、モノがモノとしてあるだけで十分・・・そんな感覚が建築をつくる前提としてある様だ・・・恣意性を消した客観的根拠だけで建築をつくろうとして様々な手法を試みられているようだ・・・
うぅん・・分かりにくい建築家だぁ・・・

青木淳のエスキスモデル

そんなあまり共通項がなさそうな2人の建築家の展覧会・・建築の展覧会にありがちな完成写真や図面といった展示物は一切なく、まだ”建築”になるまえのアイデアスケッチやエスキスモデルを並べ、建築家の頭の中にあるアイデアや思考過程を見せようとする展示はおもしろそうだ・・

面白かったよm

景観法って・・

今進めている住宅の計画は私達にとって 「景観法」に関わる最初の物件となりました・・2003年に国土交通省から「美しい国づくり政策大綱」が公布され、それに基づき「景観法」という法律が施行されて2年半、景観法を背景に全国の地方自治体が条例を運用しようとしている・・その主旨は “良好な景観形成” “美しい/風格のある社会の実現”らしい・・
ひたすら「経済至上主義」で邁進し、ダム/護岸工事/道路建設/都市計画を行ってきた国土交通省(旧建設省)がいきなり正反対を向いて 「美しい・・」 なんて言うと、首を傾げたくなる人は少なくないはずだ、良好な景観/美しい/風格のある社会って・・国交省or景観法を実行する地方行政機関は何をイメージしているのだろうか?

少なくとも 景観というものを法で規制するんだから、安易に形態/意匠/素材というデザインを規制するような方法は止めて欲しいが、単純なノスタルジーで”伝統/日本的”なものを強要する様な事はもっと止めて欲しい・・

長いスパンで歴史を見た時、「本当の意味での伝統」とは ただ古いものを頑なに守ってきたのではなく、その時代時代において新しさと工夫を付け加えてきた歴史の結果に”伝統”があったんだから・・安易単純に、ただ地域的な意匠を取入れれば、瓦屋根を載せれば、木質系のやわらかな色にすれば・・”美しく”なると言うのだろうか、それは郊外にある和風ファミリーレストランや和風菓子店のキッチュさと同質のものになるのではないだろうか・・

また、生活/暮らしの質実な要求から乖離した表層的部分にだけ固執し、良い物なのに”目新しさ”故にそれらを拒む事は意味がない。当初は目新しく見えてもそれは 暮らし/暮らす人の必然の中から出てきたものであるなら将来へ繋がる普遍的価値を含んでいる可能性があるのだから・・現前している多数決的視点で見るならば”美しくない”と多くが考えるものでさえ、一面的な視点からの評価だけではなく、多面的に評価する多様性を許容しなければ、それにはそれが現れた理由があり、多くの人は建築的価値を”見る眼”をまだまだ持ってはいないのだから・・規則条例で”自由”を規制する事で 著しく醜いものの出現を阻止する事はできても、優れたデザインを生み出す事はできない・・
しかし、現前する街並みや風土を無視し、自己抑制する謙虚さを全く持ち合わせず、差異/差別化に固執した自己表現を繰り返し”表現の自由”を牽引してきたような「建築家」の時代はもう過去となるべきなのかとも思ったりもします・・”景観法による建築規制”は地方行政で温度差はあるが、これから本格的に実行されていくのでしょう・・。

建築の最新 2

Zaha Hadid

前投稿に引き続き 「最新CG建築」ギャラリー part2。
デ・コン(デ・コンストラクション-非構築的な、壊れたような崩れそうな格好をした建築スタイル)の元旗手 イラク生れの女流建築家Zaha Hadid 設計の高層ビルの完成予想CG。凄い!!・・ビルがうねっている!!!・・Photo Shopで画像加工したみたいで酔いそうだ・・
(下左)フランスの建築家Jean Nouvel設計の高層ビルの完成予想CG。
何とも言えない独特の艶・芳香を放つヌーベル建築らしさが漂うが、神柱or磐座を思わせる原初的なフォルム、注連縄でも巻いてたら拝んでしまいそうだ。
(Jean Nouvelはパリのカルティエ現代美術財団や最近できたケ・ブランリー美術館が有名、日本では電通本社ビルに関わったりしてます)
元・大阪人としては”丸い”ビルといえば、梅田「丸ビル」が 丸さがもたらすメンテナンスコストの高さにより倒産した事を思い出してしまう、ガラス変えるのもタイル張替えもどんな部材でも、確かに丸かったり歪んでたりするとコストは何倍もしますから・・そんな庶民的意見は世界的スター建築家のお二人には些末な事でしょうが・・

Jean Nouvel青木淳

(上中)は青木淳の大阪・南港にある結婚式用教会を思わせる、連結したリングが高層ビルを支える構造となっている様だ・・凄いな・・
(上右)は積木を積み上げた様な高層ビル、計画地は新宿の様だ・・これも出来ればこれまで見た事ないような物だが掃除は大変だろうな・・

しかし”建築の最前線”は凄いなぁ・・何でもあり状態という感じ・・
コストが掛かっても、メンテが大変でも、使い難くても、設計料が高くても・・それでも設計を頼みたくなる魅力がスタ-建築家にはあるのは確かだ・・彼らはクライアントに最新の[fashion=流行] -「人と違うこと」「新しいこと」「より洗練されていること」を提供する。
時代が変われば [fashion=流行] は必ず [out of fashion] になってしまうが、才能豊かなアーティストがその時代を真摯に映そうとした[fashion=流行]には、ON TIME でしか感じられない その時間を共に過ごした人にしか分からない、何とも言えない一言では表現し難いSYMPATHYが記憶に残る、10年20年経過した時 “滑稽”と思えたとしても、同時代で感じたSYMPATHYが共在した感動って特別だ。