「建築探訪 156」-クリエイティブTOWN岡山 その2

倉敷市営中庄団地
第1期を見る

緩やかな・・起伏のある緑化された敷地の中を、幾つものスロープやブリッジが巡る・・風景が印象的。高低差のある敷地でありながら「よう壁による”ひな壇造成”」という安易な手法を選択しなかった事が・・計画地全体にとても伸びやかなイメージを与えている「倉敷市営中庄団地」を探訪。第1期部分(2000)の設計者は・・新居千秋さん。

倉敷市営中庄団地
第1期を見る

徒歩で、表側から訪れた印象では・・駐車場や駐輪場が、あまり目立たない感じ・・各棟の近接した場所に分散して・・その様なスペースを配置・・goodでした。

倉敷市営中庄団地
第1期を見る

十二分に採光確保ができる・・住棟間隔が公営ならではの”ゆとり”。バルコニー部が目立たないデザインも・・goodな感じ。スロープやブリッジで敷地内を巡っていると・・なんか愉しい感じ。地上レベルの遊歩道を歩いていると・・弧を描いたスロープが頭上をかすめて横断していきます・・

倉敷市営中庄団地
第1期を見る

住棟のヴォリュームは細かくスリットで分節・・そのスリット部毎に各戸へのアプローチ階段を設置する事により・・建物が与える圧迫感を減じたヒューマンスケールなヴォリュームに落とし・・各部に”抜け”を作り出しています。

倉敷市営中庄団地
第2期を見る

第1期同様「緩やかな起伏のある敷地」と「スロープ&ブリッジが巡る風景」が印象的。第2期部分(2004)の設計者は・・元倉真琴さん。

倉敷市営中庄団地
第2期を見る

隣棟間隔の広い各棟を各層ごとの水平ブリッジで繋ぐという・・集合住宅の形としては”あまり見ない感じ”が・・goodでした。

倉敷市営中庄団地
第2期を見る

水平に積層されたブリッジの存在感がハンパない!!・・少し”イタリアン・アバンギャルド“な感じで・・”テラー二“っぽい?

倉敷市営中庄団地
第2期の西側5棟を見る

2期の敷地は、道路により「東側8棟と西側5棟」に分断されているのが、やや残念な感じでしたが・・判子で押した様な、どこかで見た様な、どこにでもある住環境ではなく・・ここにしかない住環境が愉しい・・”建築の経済効率的な側面”からだけではない、建築への評価/チャレンジ・・「クリエイティブTOWN岡山」のような意欲のある街づくりの事例が・・今後またいつか・・継続していく事を期待したいです。

「建築探訪 155」-クリエイティブTOWN岡山 その1

岡山県営住宅中庄団地

いまから25年ほど前「クリエイティブTOWN岡山」という事業が、岡山県で行われました・・当時の岡山県知事が、熊本県で行われていた”熊本アートポリス”という街づくりの・・建築的文化性に感銘を受けられ、岡田新一さんにコミッショナーを依頼するところからから始まり・・その事業の第一号として完成したのが・・この「岡山県営住宅中庄団地」。
(上写真)第3期の中庭より見る。デコンストラクション風?・・”90年代的デザイン”な橋がチャームポイント

岡山県営住宅中庄団地
1期の西側外観を見る

建築景観や建築文化の向上を目的とした事業「クリエイティブTOWN岡山」・・そのスタートとなる、第1期部分(1992)の設計者に指名されたのが・・丹田悦雄さん。

岡山県営住宅中庄団地
1期の西側外観を見る

道路と河に沿って50m近く・・1期から3期まで、何棟もの住棟が曲折しながら連結していく全体の配置・・その全体に渡って「ペデストリアンデッキ」が・・棟間を縫う様に貫ぬいている。ややラビリンス的な構成が特徴・・全体性がハッキリしていて、誰でもその構成が一目瞭然なステレオタイプなマンションとは、一線を画したプラン。その”一見さんお断り的”な雰囲気に距離感を感じる人も多そうですが・・

岡山県営住宅中庄団地
1期の東側外観を見る

穴の開いた鮮やかな彩色衝立壁と、コンクリート打放しの組み合わせが80年代的(早川邦彦の80年代後半の集合住宅”ラビリンス”や”アトリウム”を思い出さずにはいられません・・)。パラパラと多様なエレメントが混在&連節しているデザインも80年代的な空気感・・でgoodです。

岡山県営住宅中庄団地ペデストリアンデッキ
1期の東側ペデストリアンデッキを見る

各戸が自由に植栽を並べられる、余裕のある通路幅を確保・・

岡山県営住宅中庄団地ペデストリアンデッキ
1期の東側ペデストリアンデッキから西側ペデストリアンデッキへと抜ける棟間のスリット部を見る

パラペットに架かる”丸い屋根”がgoodです・・

岡山県営住宅中庄団地ペデストリアンデッキ
1期の西側ペデストリアンデッキを見る

各戸の玄関先にペデストリアンデッキに向かって「開いた窓」と「縁側的スペース」が設えられている・・のがチャームポイント。

岡山県営住宅中庄団地ペデストリアンデッキ
1期の西側ペデストリアンデッキを見る

中空に架かる橋を渡ると・・1階に降りる事なく、そのままデザインの全く違う住棟へと移動が出来ます・・いくつもの「スリット」「ブリッジ」「ペデストリアンデッキ」を抜けて1期から2期へと巡る・・

岡山県営住宅中庄団地
2期の3階通路を見る

各戸が向かい合わせになっている屋外通路・・1階に見えますが、これは3階・・中廊下型になっているのですが、屋根がないので、”開放廊下”な感じ。こちらの住棟・・第2期部分(1996)の設計者は阿部勤さん・・

岡山県営住宅中庄団地
2期の3階通路を見る

こちらの住棟も同様・・各戸の玄関先、通路側に向かって「開いた窓」と「縁側的スペース」が設えられている・・

岡山県営住宅中庄団地
2期の中庭より見る

地上の住棟間中央部を、遊歩道のような中庭のようなスペースが貫通する・・上空には、3階レベルの住棟間通行に使用されるブリッジが架かる。各戸の玄関先にはコンクリートの衝立壁、植栽やパーゴラなどが設えるられています。

岡山県営住宅中庄団地
2期の中庭より見る

2期から3期へと渡るブリッジ・・このブリッジは道路上を跨いでいます。3期の中央部には、この地域では珍しい・・高層棟が聳え立つ。

岡山県営住宅中庄団地
2期と3期の間に架かるブリッジより見る

こちらの住棟・・第3期部分(1998)の設計者は遠藤剛生さん・・一目で遠藤さんの集合住宅だ!!という感じ。設計者である遠藤さんの地元である関西では、この様なスタイルの「遠藤さん集合住宅」は・・あちらこちらで見かけます。

岡山県営住宅中庄団地
3期の中層階通路より見る

こちらの3期も2期と同様・・住棟間地上部には、遊歩道のような中庭のようなスペースが貫通。1期から3期に渡る広い敷地、デザイナーが異なる住棟間を・・2つの全く異なるルートで探訪してみました・・

岡山県営住宅中庄団地

1つ目は、地上部の敷地全体を貫通する遊歩道のような中庭スペースから。

2つ目は、全ての住棟を繋ぐ空中迷路のようなペデストリアンデッキから。

実際に住んでいる人達と、僅かな時間だけ滞在する来訪者とでは・・感想を述べる視点の深度が異なるとは思いますが・・「愉しい集合住宅」でした。

岡山県営住宅中庄団地

探訪の最後に・・”3期の高層棟”から、全体を見渡して・・みました。手前に、3期(南側)から2期の住棟へと渡るブリッジが見えます。上空からだと・・2期の切妻家型の「うねる様な配置」と「3階開放廊下」の感じが・・よく見えます。その奥には「1期」が見えます。

岡山県営住宅中庄団地
3期から東側を見る

「岡山県営住宅中庄団地」は・・通常の県営住宅とは全く違う作り・・他にはない個性的な住環境。判子で押した様な・・どこかで見た様な、どこにでもある住環境ではなく・・ここにしかない住環境が愉しい・・”建築の経済効率的な側面”からだけではない、建築への評価/チャレンジ・・「クリエイティブTOWN岡山」のような意欲のある街づくりの事例が・・今後またいつか・・継続していく事を期待したいです。(正面の奥に見えている一群は「倉敷市営中庄団地」。)

「建築探訪 98」-Tokyo/蒲田

森山邸

SANAAの西沢立衛さんの設計による「森山邸」(2006) 。1~5坪程度の小さな白い箱が10個・・ 敷地内に散りばめられた様な不思議な・・それまでになかった斬新なプランの集合住宅です。(上写真) 北側道路から見たところ・・箱と箱の間は土のままで庭のような、路地のような・・

森山邸
10個の独立した箱で・・3軒が住まうかたちの集合住宅なので、複数の独立した箱とその箱間の屋外スペースが自分の住居エリアとなる・・個性的な住まい方。(上写真) 東側道路から見たところ・・
森山邸
北側道路から見たところ・・

敷地を囲う北側道路と東側道路は3~4m程度の狭い道路。その道路に2階建ての住宅が、門扉塀もなく境界いっぱいまで・・向かいあって建つ形の住宅街の中・・ 建物ヴォリュームに対して比率の大きい開口。大開口の上、更にカーテンブラインド等もないので、生活空間が道路側に向かって・・まるでショーウインドウの様にOPENな状態。住まう方にそれなりの覚悟が必要な住まい。

森山邸
北東側から外観を見る。 確かに、これまでのコミュニティや風景とは全く違う形式が・・いたって普通のどちらかと言えば懐かしい様な下町的な感じの住宅街の中に・・ 提示されていました。関係性や多様性というキーワードは建築に限らず・・どんなジャンルでも、今やコンテンポラリーなテーマとして重要な視点なんでしょうね・・

「・・窓を大きくすると、周りが見え始め、動的関係が生まれる・・閉鎖的で一様な世界から、いろいろな生物が関係し合う、より多様な生物世界となっていく・・明るく開放的で透明であることが僕には必要であった・・今までのコミュニティがつくり出してきた風景とは形式的に違う、これからの風景に繋がっていく・・」  by西沢立衛

「建築探訪 76」-France 6 / Le Corbusier 5

ブラジル学生会館

パリの国際大学都市内にある、ル・コルビュジェの晩年に近い作品「ブラジル学生会館」(1959)。同じくコルビュジェが設計した「スイス学生会館」もすぐ近くです。(上写真) 西側より見る。両サイドのポチ窓部にはキッチンやトイレなど、少し膨らんでいる中央部分には共用室や自習室などを配置。中廊下式の平面計画になっており、西側に共用部、東側に個室が並ぶ。左下、建物1階の張り出した部分はエントランスホール。エントランスへはピロティ下を潜ってアプローチ。

ブラジル学生会館
集会場や娯楽室などがある1階の張り出した部分・・北側に面したドライエリア的なスペースは、裏方用のアプローチスペースのようです。建物の上部はPCパネル、下部はバラ板コンクリート打放し・・建物の上下で使い分け
ブラジル学生会館
建物西側、共用部のバルコニーを見る。壁面は各階でブラジル的な色を塗り分け
ブラジル学生会館
建物東面を見る。各個室のバルコニーが並ぶ
ブラジル学生会館
各個室のバルコニー部を見る

この計画はブラジル人建築家ルシオ・コスタとの共同で始まった・・コスタとコルビュジェの関係は、1935年にコスタが、「リオの保健教育省庁舎」(1935-45)の設計をするにあたり、設計チーム顧問としてコルビュジェをブラジルに招聘した事から始まり・・ それを契機に近代ブラジル建築はコルビュジェの強い影響力を受けて・・ニーマイヤーやブラジリアなどを始めとする近代建築の成果が花開いていく事になります。

ブラジル学生会館
エントランスホールを見る
ブラジル学生会館
あちこちのコルビュジェ建築で見られる・・コルビュジェらしい “縦長換気窓” 、外部側にFIXの網戸あり。色はブラジリアンイエロー

コルビュジェ72歳、活動の拠点パリにおいて完成させた・・ 最後の作品となりました

「建築探訪 75」-France 5 / Le Corbusier 4

スイス学生会館

ル・コルビュジェ設計の「スイス学生会館」(1932) 。パリの国際大学都市内にあります・・ 力強い表現のコンクリート打放しの1階部分が、鉄骨造の軽い上部を持ち上げているような建物。
(上写真) 学生の各個室が並んだ側の外観を見る。 

スイス学生会館

1階ピロティ部を見る。中央部から大きく跳ね出したコンクリートスラブが上部鉄骨フレームを支えている。柱は6ヶ所・・中央の2ヶ所のみは2本に分かれているが、その他の柱は2本が引き寄せあって繋がったような “犬の骨から考えた” 独特な形状。同時期に進んでいた「サヴォア邸」の軽い浮いた感じのピロティとは違った・・とても力強いピロティ。建物へのアプローチはピロティ中央部を潜り抜けて。

スイス学生会館
個室部分の窓を見る。鉄骨フレームに囲まれた1マスが1室。腰部はパネル、上部は型ガラスFIX、中間部は透明ガラス引違い、外部にはブラインドという構成。もともとは上部と腰壁部も共に透明ガラスだったような気がします
スイス学生会館
共用部や廊下が配置されている側を見る。直方体の個室棟と明確に対比する様なカタチで・・1階部分の反り返った”石積壁”の管理共用棟と、その反り返りに呼応して立上がったEV/トイレ/階段/ホール棟・・ リズミカルなヴォリュームの配置
スイス学生会館
1階エントランスホール内を見る。上階個室棟へと向かう階段横の壁がおもしろい・・「無限美術館」や「国連ビル」などコルビュジェのいろいろなドローインがコラージュされています。竣工時には海洋地理的な抽象写真みたいなものがコラージュされていました
スイス学生会館
明るい個室内部を見る。上部と腰壁部も共に透明ガラスで、天井から床までのカーテンをして住んでも良さそうな感じ

犬の骨型/コンクリート打放し/石積壁など、工業的機能性のイメージから生まれた1920年代までの「白の時代」とは少し違った・・ デザインや素材の選択に、より自由でプリミティブな表現への傾向が見え始めてくる作品。コルビュジェ自身による「サヴォア邸」(1931)や、ミースによる「バロセロナ・パビリオン」(1929) の完成により・・ コルビュジェは”近代建築らしい”表現方法が行き着く所まで行き着いたと感じて、次なるステップへと向かった様な気がします。

「建築探訪 74」-France 4 /Le Corbusier 3

ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント

「ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント」(1933)。パリ16区にあるガラスブロックの腰壁が印象的な外観の9階建ての集合住宅・・ 設計者であるコルビュジェ自ら、晩年までその8階9階を住まいとしていました。
(上写真) 道路から東側外観を見る。

ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント
アトリエを見る。コの字型平面、左側の開口部は中庭側。

階高のあるキレイなプラスター塗りの蒲鉾型天井やたくさんの光を取り込んでいる線の細いスチールサッシと・・ ちょっと板張フラット天井で間を取って・・ ラフな感じの石積壁とのコントラストが効いています。もともと画家になりたかった程のコルビュジェ・・建築の仕事が忙しくても毎日、午前中はここで絵を描いていたそうだ。

ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント
道路と反対側、西側バルコニーに向かって、大きな窓を設けたダイニング。左手壁の向こうにキッチン

2まわり以上も年下であった妻イヴォンヌとの2人暮らし。古い作品集を見ても同じ家具が置かれていた・・自身デザインの名作”LCシリーズ” は置かず・・この家具もコルビュジェらしいデザインという感じではないんだけど・・

ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント
(左) ダイニングから扉奥のキッチンを見る
(右)キッチン内を見る
ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント
(右)上階へと続く廻り階段を見る。コルビュジェらしいくすんだ色彩
(左) コの字型の中央部にあるリビング、その奥にチラッと階段が見える
ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント
(左) 浴室を見る。窓と浴槽との距離関係が気持ち良さそう
(右) 共用部の廊下を見る。壁に直接ペイントされた階数表示がgood
モジュロールメジャー
一緒に見学に参加していた大学の先生が購入されていた「モジュロール メジャー」を少し見せて頂く・・ 欲しかったけど、高かったのでガマンしました・・

「建築探訪 70」-Italia 9 /Milano

ガララテーゼの集合住宅

アルド・ロッシ (1931-97) 設計の「ガララテーゼの集合住宅」(1973) 。(上写真) 南北の長さが180mもある、長細い住棟の西側外観を見る。建物下部の規則正しく並び、建物を持ち上げている、壁柱のピロティこそが・・この建築のチャームポイント。

ガララテーゼの集合住宅
西側外観を広い広い庭側より見る

ピロティで持ち上げらている住居部分が2層部分と3層部分・・ といった少しの違いはあるにせよ、変化の少ない同じ形が180mに渡り反復される立面。

ガララテーゼの集合住宅
有名なガララテーゼの”キリコ的な”1階ピロティ

本当に見事に何も置いてない事にビックリ!! (住民や管理組合に対して、何かルールでの規制が徹底しているのだろうか?  サインや張り紙等も1枚もない !! )  駐車場・駐輪場や倉庫など、機能的に考えればスペースとして何かに使えばかなりの広さがある訳で・・ 

ガララテーゼの集合住宅

しかし勿論、この贅沢で非機能的な無駄使い・・ 長大な反復や余白こそが、”空間の魅力”を生み出している力な訳であり・・ 言い方は悪いが、内面的退行的なロッシ建築の「沈黙と不在が意図された」ような空間が・・こんなにキレイに保たれている事はかなり嬉しかった。 ロッシの “類推的建築” の代名詞「ガララテーゼの集合住宅」は、今までメディアで見ていたのとは異なり・・実際に訪れた印象としては・・ 快活で、健康的ですらある様な感じがしました。  

「建築探訪 68」-Italia 7 /Como

イタリア中世の街並みが残る”コモ”には、この町で設計事務所も開設していた建築家ジョゼッペ・テラーニの作品が数多く残っています。

ノヴォコムン集合住宅

その1.  「ノヴォコムン集合住宅」(1928)。道路に面した建物角部の1~4階が大きなアールになっていて、3階4階部は丸いガラス張りの部屋になっているのが特徴・・ ややアールデコっぽい感じもする、テラーニ 若干23歳の作品。

ジュリアーニ・フリジェーリオ集合住宅

その2.  「ジュリアーニ・フリジェーリオ集合住宅」(1940)。テラーニが実現した最後の作品。テラーニは39歳の若さで、1943年ムッソリーニ政権崩壊直前に自殺しています。建築家として活動ができたのはわずか13年。

ポスタ・ホテル

その3.   (左) 「ポスタ・ホテル」(1931)。市からの設計変更要請があったからなのか、外観はやや慣習的。(右) どこのテラーニ建築にも共通して付けられている、テラーニの設計である事を示す “サインプレート”。このプレートはすぐ近くにあるテラーニが大学卒業直後に、ホテル1階部分のファサード改修だけを手掛けた「メトロポール・スイス・ホテル」(1927)のものです。

ルスティチ集合住宅

その4. 「ルスティチ集合住宅」(1935)。これはコモではありませんが、ミラノ市内を移動中に車内の窓越しにテラーニ建築を発見&速写 !!!
一瞬でしたが眼に焼き付けました・・ コモでも時間がなく訪れる事が出来なかったテラーニ建築はまだまだ在りました。

「建築探訪 63」-Tokyo/銀座

中銀カプセルタワービル

メタボリズムの金字塔・・ 黒川紀章さん設計の「中銀カプセルタワービル」(’72) を探訪・・ メタボリズムの理念が直接的に、鮮烈な形として、視覚化された・・ 黒川紀章さんの代表作。一人一人の住まいである “カプセル” がランダムに集積して全体像となった姿は・・まさに未来 !!! 

取替えない、変わらない部分」と「取替える、変わる部分」という方法論が・・ 工事中の様子を見ると、明快に理解できる (上写真) 。工場であらかじめ作られた “カプセル” を現場へ運んで来て、建物幹にボルトで固定。 住居空間である “カプセル” の数は140個 !! 。

 “カプセル” 内の様

左側扉内にはバスやトイレ、手前にベットと丸窓、テレビや電話や空調も完備した、都市に住まう個人のための最小限空間の大きさは2.1×2.3×3.8m ・・ もちろん世界初のカプセル建築 !! 。カプセル1基のコストは1960年代のトヨタカローラ以下との事。黒川紀章さんはこの後もカプセル建築の可能性を追求され・・ 1979年には 世界初のカプセルホテル (カプセルイン大阪) も設計されました ・・ 黒川紀章さんは2007年10月12日に73歳で亡くなられました。