村野藤吾の設計による「志摩観光ホテル」を訪れる・・ 正面に見えるのは本館。本館が竣工した1969年当時は全体で200室を擁し・・国内最大規模のリゾートホテルだったそうです。屋根と軒が重層する外観が特徴的。
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先週、「皇大神宮(内宮)」と「豊受大神宮(外宮)」へ行って来ました (初めて特別参拝をさせて頂きました) 。豊受大神宮は天照大神の食事を司る神である豊受大御神、皇大神宮は天皇家の祖先となる天照大神を祀っています。内宮外宮と別宮や摂社末社を合わせた125社の総称が”伊勢神宮(正式には単に神宮)” ・・最も格式の高い国家神とでもいうべき唯一無二の存在・・太古より人々を惹き付けて止まない日本の聖地・・伊勢神宮が現在の地に定められたのは2000年以上も前・・
(上写真) 外宮を南側より見る。右が造られてから20年経過した古い建物、左が昨年秋に完成したばかりの新しい建物。全く同じ形の建物が新旧並んでいます。今月末には右側の古い建物は全てなくなり・・ また20年後、左側の新しい建物が真っ黒になる頃・・そこにまた全く同じ形の建物を新しく作る・・古くなった方は壊す・・この20年毎の建替えが、いわゆる「式年遷宮」。
「何ごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」
平安時代の歌人 西行が伊勢神宮を訪れた際に詠んだ有名な歌・・は伊勢神宮の魅力をうまく伝えている様に思えます。その場所に来て、橋を渡り、大きな樹々の間を歩き、川で清め、見事すぎる桧の社殿を仰ぎ、その背後の広大な森を感じる・・ 神宮は信仰や理解を超えたような存在で、誰もが心打たれるような有難さがあり・・その深遠な存在感は自然と心身に伝わってくる・・という事なのでしょうか。
式年遷宮
伊勢神宮の魅力は・・
「何ごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」という西行が伊勢神宮を訪れた際に詠んだという歌に・・ 集約されている様に思われます。 本殿はもちろん数々の別社、長い参道や五十鈴川、背後の広い森も含めた・・ 敷地一帯のそのすべてのあり様が、人々を惹き付けて止まない伊勢の大きな魅力の源。
(上写真) 宇治橋を渡り参道を進み、まずは五十鈴川にてお清め。
白い覆いがこれから建てる方で、その右手に現在の本殿がある。現在の本殿と全く同じ建物をすぐ横に建てて、古い方は取り壊す・・この「式年遷宮」は世界にも例を見ない特異な建築システム。「常若」という概念・・1300年以上前から、20年毎に建物を建替え続け・・ 来年で62回目・・ 62回×20年=1240年 (途中20年以上もあり)。・・ 凄いの一言につきる、本当にスゴイ。
本殿だけでなく、他の別社や宇治橋等もすべて建替え。装束神宝(馬具/武器/楽器/文具/日用品等々)も1000点以上が一流の職人により20年に一度一新される・・ その準備は何年も前から始まっています。準備された檜は1万本・・今回の式年遷宮の為の総額予算は550億。
(上写真右) 伊勢神宮の建物は神明造という建築様式・・ 弥生時代の高床式穀倉がルーツと言われています。すべてが檜の素木造で、屋根は萱葺き・・ 建物を支える全ての丸柱は地中に足下を直接埋める “掘立柱”。配置にやや違いはあるが、本殿のかたちは外宮も内宮もほぼ同じ。
屋根
(左上)伊勢神宮外宮/古殿側からみる四重の塀の向こうに茅葺きの屋根
(右上)桂離宮/中書院-楽器の間-新御殿と雁行する柿(こけら)葺きの屋根
(左下)元興寺/飛鳥時代のとても古い瓦も使用されている屋根
(右下)大宮御所 御常御殿/大きく、反りが美しい寝殿造りの屋根
“屋根という建築的要素”は近代建築が始まるまで、古代寺院建築(or先史竪穴住居)から非常に長い期間・・1000年以上という単位で大きくは変化のなかった普遍的と言ってもいい要素のひとつでした・・
近代建築技術の進歩によって初めて”屋根がない”建築が現れ・・それは長い建築史から見ればここ最近20世紀以降の事・・・近代以降、大きな/公共的な建物は鉄筋コンクリート造/鉄骨造でつくられ”屋根がない”ことが当たり前なのですが、昔は逆に建物が大きな/公共的な建物であればある程”屋根が大きい”という事が重要でした・・・
雨が多く湿度の高い日本のような地域では”屋根が大きく&軒が深く”ある事は快適な居住環境を得るためには合理的/機能的な選択です・・・しかしそれだけが理由ならば、「そんなにも大きくなくてもいいだろう」と言うくらい日本建築の屋根は大きく・・・合理/機能だけではなく、そこには象徴的存在としての”大きな屋根”への言葉には成し難い様な「憧憬」のようなものがDNAに刻まれているのではないでしょうか・・・