「建築探訪 123」-ISE SIMA

志摩観光ホテル

村野藤吾の設計による「志摩観光ホテル」を訪れる・・ 正面に見えるのは本館。本館が竣工した1969年当時は全体で200室を擁し・・国内最大規模のリゾートホテルだったそうです。屋根と軒が重層する外観が特徴的。

志摩観光ホテル
真珠養殖の発祥地でもあり、リアス式海岸が織り成す景勝地としても知られる・・英虞湾に面して建つホテル。左側、建物下にあるのが英虞湾・・しかし天気がやや悪い
志摩観光ホテル
本館の1階ロビーを見る。松材による力強い天井の意匠。突き当りの奥にレストラン「ラ・メール クラシック」
志摩観光ホテル階段
本館の1階ロビーにある階段を見る。ちょっとした部分にまで・・アールや面取りを施す・・細やかなディテールへの気配りが、心地良い ・・村野藤吾さんの建築
志摩観光ホテル
本館2階のロビーを見る。村野さんオリジナルデザインの障子・・ソファやテーブルといった家具・・いかにも村野調なインテリア
志摩観光ホテル
本館2階のラウンジ「アミー」を見る。1973年の映画「華麗なる一族」のロケが行われた場所としても有名。昭和天皇はじめ、今の天皇陛下・皇后陛下や、皇太子殿下・同妃殿下、秋篠宮殿下・同妃殿下・・ モナコのグレース王妃夫妻などなど・・皇室関係の方々が泊まられる事でも知られているホテル・・ 竹をギッシリと並べた天井が壮観
志摩観光ホテルラ・メールクラシック
藤田嗣治や小磯良平の絵画も壁に並ぶ・・本館1階にあるレストラン「ラ・メール クラシック」
志摩観光ホテル
戦後初の純洋式リゾートホテルとして、1951年に開業した建物である旧館を見る。開業当時は25室。開業した年の秋には昭和天皇も・・ご宿泊。旧館の奥にあった増築部(1960)は、今は撤去されていて・・在りません
志摩観光ホテル
旧館の建物自体は・・設計者である村野藤吾が戦時中に設計した「鈴鹿海軍工廠 航空隊将校 集会場(1943)」の木材を移築して、建てられたもの
志摩観光ホテル
開業当時の趣きを今も残す、旧館のロビーを見る。旧館部分は、今はホテルとしては使用はされていませんが・・内部は公開されており、自由に見て廻る事が出来ます
志摩観光ホテル
太い柱梁が露わしとなった高さのある空間・・旧館の和食レストラン「浜木綿」。これだけのスペースを何も使わずに維持されて・・見学の為に公開して頂けるとは・・感謝
志摩観光ホテル
ここも・・現在はもちろん営業していないが、今にもシェフが出て来そうな雰囲気・・旧館にある鉄板焼き「山吹」のインテリアを見る。ここの障子もオモシロイ・・そして天井も・・さすがの村野デザイン
ホテルには夕方、到着。窓から英虞湾を見下ろす。英虞湾に沈む夕陽は、このホテルの大きな魅力の1つなのだが・・残念(曇り)。ならば、このホテルの・・もう1つの大きな魅力である・・食事に期待 !!
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「建築探訪106」- ISE /伊勢神宮

豊受大神宮(外宮)

先週、「皇大神宮(内宮)」と「豊受大神宮(外宮)」へ行って来ました (初めて特別参拝をさせて頂きました) 。豊受大神宮は天照大神の食事を司る神である豊受大御神皇大神宮は天皇家の祖先となる天照大神を祀っています。内宮外宮と別宮や摂社末社を合わせた125社の総称が”伊勢神宮(正式には単に神宮)” ・・最も格式の高い国家神とでもいうべき唯一無二の存在・・太古より人々を惹き付けて止まない日本の聖地・・伊勢神宮が現在の地に定められたのは2000年以上も前・・
(上写真) 外宮を南側より見る。右が造られてから20年経過した古い建物左が昨年秋に完成したばかりの新しい建物全く同じ形の建物が新旧並んでいます。今月末には右側の古い建物は全てなくなり・・ また20年後、左側の新しい建物が真っ黒になる頃・・そこにまた全く同じ形の建物を新しく作る・・古くなった方は壊す・・この20年毎の建替えが、いわゆる「式年遷宮」。

皇大神宮(内宮)
新旧並んだ外宮の間を北側より見る。最初に式年遷宮が行なわれたのは、持統天皇の4年(690)と言われています。それから1300年以上に渡って(戦乱などで途絶えてしまった時期もあった様ですが)、式年遷宮は脈々と続けられ・・昨年秋には62回目の式年遷宮が行われました。
皇大神宮(内宮)御稲御倉
内宮の御稲御倉を近くで見る。伊勢神宮の建物の多くは、茅葺き切妻高床形式。柱は全て円柱、両妻には”棟持ち柱“と呼ばれる象徴的な柱が建てられ、材料は全て匂い立つような白木の桧。弥生時代の穀倉に由来があると思われる・・「神明造」と言われる建築様式です。
皇大神宮(内宮)
 20年経過した内宮の四丈殿を板垣越しに見る。式年遷宮が行われているのは内宮外宮だけでなく、荒祭宮や多賀宮などをはじめ・・境内にある多くの別宮も同じように20年毎に全く新しく作り直されています。建物だけでなく、神宝や装束・調度品も一流の職人や工芸家により20年毎に造り改められています。積み重ねられた途方も無い時間と今が両立した “永遠の再生” 。

「何ごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」
平安時代の歌人 西行が伊勢神宮を訪れた際に詠んだ有名な歌・・は伊勢神宮の魅力をうまく伝えている様に思えます。その場所に来て、橋を渡り、大きな樹々の間を歩き、川で清め、見事すぎる桧の社殿を仰ぎ、その背後の広大な森を感じる・・ 神宮は信仰や理解を超えたような存在で、誰もが心打たれるような有難さがあり・・その深遠な存在感は自然と心身に伝わってくる・・という事なのでしょうか。

式年遷宮

五十鈴川

伊勢神宮の魅力は・・
「何ごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」という西行が伊勢神宮を訪れた際に詠んだという歌に・・ 集約されている様に思われます。 本殿はもちろん数々の別社、長い参道や五十鈴川、背後の広い森も含めた・・ 敷地一帯のそのすべてのあり様が、人々を惹き付けて止まない伊勢の大きな魅力の源。
(上写真) 宇治橋を渡り参道を進み、まずは五十鈴川にてお清め。

伊勢神宮外宮
外宮前を見る。一面苔むして緑になった萱(かや)葺き屋根と黒ずんだ檜(ひのき)板塀が、まわりの樹々と一体化していて・・goodです。
伊勢へ参る時はもちろん・・ 外宮と内宮の両方へ詣でます。もちろん時間に余裕があれば「荒祭宮」「風日祈宮」「多賀宮」「土宮」「風宮」 ・・ などなどの周辺にある別社へも参りたいところです・・
伊勢神宮内宮
来年の式年遷宮に向けて・・新しい建物を建てる準備が始まっている内宮を見る

白い覆いがこれから建てる方で、その右手に現在の本殿がある。現在の本殿と全く同じ建物をすぐ横に建てて、古い方は取り壊す・・この「式年遷宮」は世界にも例を見ない特異な建築システム。「常若」という概念・・1300年以上前から、20年毎に建物を建替え続け・・ 来年で62回目・・ 62回×20年=1240年 (途中20年以上もあり)。・・ 凄いの一言につきる、本当にスゴイ。
本殿だけでなく、他の別社や宇治橋等もすべて建替え。装束神宝(馬具/武器/楽器/文具/日用品等々)も1000点以上が一流の職人により20年に一度一新される・・ その準備は何年も前から始まっています。準備された檜は1万本・・今回の式年遷宮の為の総額予算は550億。

(上写真右) 伊勢神宮の建物は神明造という建築様式・・ 弥生時代の高床式穀倉がルーツと言われています。すべてが檜の素木造で、屋根は萱葺き・・ 建物を支える全ての丸柱は地中に足下を直接埋める “掘立柱”。配置にやや違いはあるが、本殿のかたちは外宮も内宮もほぼ同じ。

屋根

(左上)伊勢神宮外宮/古殿側からみる四重の塀の向こうに茅葺きの屋根
(右上)桂離宮/中書院-楽器の間-新御殿と雁行する柿(こけら)葺きの屋根
(左下)元興寺/飛鳥時代のとても古い瓦も使用されている屋根
(右下)大宮御所 御常御殿/大きく、反りが美しい寝殿造りの屋根

“屋根という建築的要素”は近代建築が始まるまで、古代寺院建築(or先史竪穴住居)から非常に長い期間・・1000年以上という単位で大きくは変化のなかった普遍的と言ってもいい要素のひとつでした・・
近代建築技術の進歩によって初めて”屋根がない”建築が現れ・・それは長い建築史から見ればここ最近20世紀以降の事・・・近代以降、大きな/公共的な建物は鉄筋コンクリート造/鉄骨造でつくられ”屋根がない”ことが当たり前なのですが、昔は逆に建物が大きな/公共的な建物であればある程”屋根が大きい”という事が重要でした・・・
雨が多く湿度の高い日本のような地域では”屋根が大きく&軒が深く”ある事は快適な居住環境を得るためには合理的/機能的な選択です・・・しかしそれだけが理由ならば、「そんなにも大きくなくてもいいだろう」と言うくらい日本建築の屋根は大きく・・・合理/機能だけではなく、そこには象徴的存在としての”大きな屋根”への言葉には成し難い様な「憧憬」のようなものがDNAに刻まれているのではないでしょうか・・・