「建築探訪 173」-Tochigi 6

内藤廣さん設計の「フォレスト益子(2002)」を探訪&宿泊・・・南側アプローチより見る。右手が宿泊棟、左手が展示休憩棟・・弓形平面の建物が大小2棟、アプローチ通路を挟みこんだ形・・地形なりの緩やかな勾配がついた・・タイル敷の通路へと自然に足が向かう。

床のタイルは・・”益子焼”の陶板タイル!!!!!!!!!。きちんと揃っていない目地が・・いい感じです。
左側の板壁の部分が宿泊室。板壁上に走る・・黒っぽい金属材でカバーされた部分は、電気/ガス/水などの配管が通るダクトスペース。回廊の上を覆うガラス屋根下に走る・・ルーバー材が効いています。
上から回廊のデッキ床材、排水溝カバーのゴロタ石、益子焼の陶板タイル。設計の時期が近いからなのか、ビルディングタイプは全く違うけれども・・同じく内藤廣さん設計の「牧野富太郎記念館」を、思い出さずにはいられない雰囲気・・
宿泊室内部を見る。左下に入口扉、その右側に浴室洗面。上部ロフトの窓は回廊に面した南向きのハイサイド窓。巾4m✕奥行6m(上部は7m)・・宿泊室は10室程度。
天井と壁の仕上げは合板のまま・・天井は4/10くらいの勾配で、一番低いところが2.3m、一番高いところは4.8m。

野山に生息する植物や動物が、自分の居場所を見い出していくように、その場所と共存する建築のありのままのあり方を探したい・・時には面白さや新奇さを排除する勇気を持ちたい・・」・・とは内藤廣さんが作品発表の際によせた言葉。

「建築探訪 157」- Tottori

東光園
東側庭園よりダイナミックな外観を見る

1964年竣工・・菊竹清訓さんの「東光園」を探訪。この建築・・なんと菊竹さん36才での作品!!!。取り壊されて・・もう無くなってしまった名作「出雲大社庁の舎」はその前年・・なんとか保存で存命となった「都城市民会館」がこの2年後・・(どれも菊竹さんが30代で手掛けられた!!)・・60年代までの菊竹建築は本当にアグレッシブ!!!!

東光園
アプローチとなる”建物正面”、西側外観を見る

鳥取県の有名な温泉地”皆生”に建つ、7階建て鉄筋コンクリート造の建物。この建物の大きな特徴・・大きく張り出した上部2層(5階と6階)が・・浮いている(上部から吊られている)構造・・

東光園
西側外観を見上げる

この浮いている上部を支えているのが「大柱」。大小ある4本の柱を組み合わせて「大柱」を作り・・上部の大きな荷重を支えているカタチは・・日本の伝統的な木造建築のいくつか・・「厳島神社の大鳥居」や「出雲大社の心御柱」を、連想させますが・・構造が手段ではなく、その見せ方そのものが目的になっているかの様な・・表現的構造への執念を感じざるを得ない・・

東光園
1階ラウンジを見る

貫梁と添柱によって組まれた・・コンクリート打放しの「大柱」は、室内でも存在感を放っていました・・ラウンジチェアーは剣持勇かな・・

東光園
1階ラウンジを見下ろす

庭のデザインは流政之・・竣工時に並んでいたラウンジチェアーは「ヤコブセンのスワンチェア」でしたが・・

東光園

館内には「菊竹建築の展示コーナー」があり・・東光園の石膏模型も展示されていました・・上部2層の「浮き感」が・・その真下である4階が「吹放しのテラス」になっている事で・・さらに強調・・(HPシェル曲面の)帽子のような屋根を含めた上部3層はまさに”空に浮かぶ天守閣”・・伝統的なものが持つ豊かさであったり、構造表現的なものの過剰さであったり・・並の近代建築とはひと味もふた味も違う・・菊竹さんの近代建築・・

東光園
階段室を外部より見る

階段室は壁面が全てガラス張り・・”床のみが宙に浮いている感じ”・・キャンチレバーな持たせ方で、床板は小口を見せて・・さらに踊り場部分では、外壁面から床を飛び出させて魅せる事で・・”浮いている感”を強調。

東光園階段
階段室を内部より見る

縦繁なサッシ割りのガラス壁面・・手摺り子はナイロンロープ張り、手すり支柱がgood。しかしながら・・この階段室に居ると、ちょっと”酔う”様な感じが・・少し揺れているかな?・・

東光園階段室
階段室を内部より見る

柱面に直接刻み込まれた階数表示が・・goodです。型枠板材のテクスチャーが現れたコンクリート打ち放し面・・goodです。

東光園
大柱を近接して見る

クラックが・・複数、あちらこちらに見えます・・・けっこう大きい!!!。日本近代建築の金字塔である丹下健三の「国立代々木競技場(1964)」と同年に完成した東光園・・この時代「世界のTANGE」として絶頂に達していた丹下さんに喰いさがる事の出来た・・

東光園
最上階の7階部分を外部より見る

最大の若手・・「メタボリズム建築の旗手」菊竹清訓による名作・・東光園。耐震改修も含め、早めの適切なメンテナンスが必要かと・・「出雲大社庁の舎」が取り壊されてしまったいま・・菊竹建築のもうひとつの金字塔「東光園」・・存命の瀬戸際・・なのではないでしょうか!!!

「建築探訪 150」-Aichi 4

如庵

国宝茶室は3つ・・

利休の”妙喜庵待庵”。遠州好みの”龍光院密庵席”。有楽斎の”如庵”。その内の1つ・・愛知県犬山市にある「如庵」を探訪。

(上写真)少しひしゃげた”禅画の丸”のような・・下地窓の付いた袖壁に囲われた、土縁にある”躙口”より、客は茶室に入る。

如庵

茶室の内部に入ると・・
暦の腰張壁」「有楽窓と言われる竹連子窓」「尖頭アーチ状に刳り抜かれた中柱板壁」「ナグリの床柱」などが・・つくる印象的で見事な内部空間!!
室内の写真撮影はNGなので、見て頂く事は出来ませんが・・goodでした。

(上写真)下地窓と連子窓が並ぶ北側外観を見る。申込制の特別拝観による30分ほどの時間ですが、「有楽斎の空間」を堪能・・

旧正伝院書院

こちらは茶室如庵に連なる書院「旧正伝院書院」。玄関上の”むくり破風”・・微妙な緩さがgood。この茶室と書院の主である織田有楽斎は織田信長の弟(織田家の11男)・・

旧正伝院書院

これらの建物は、もとは京都建仁寺に在ったもので、有楽斎が隠居所として起居し・・74才まで平穏な晩年を過ごし、その生涯を閉じた建物。明治の頃には東京麻布に移築・・昭和の初めに神奈川県大磯・・昭和45年に現在の愛知県犬山へと移る。

旧正伝院書院

旧正伝院の玄関床、四半敷きの瓦・・素材の風合いが素敵過ぎる。

旧正伝院書院

旧正伝院の障子、紙の重ね代と桟木のバランス具合が・・素敵です。
如庵と旧正伝院書院は名鉄犬山ホテル敷地内の庭園(有楽苑)の中にあります。

(下写真)鵜飼いで有名な木曽川沿いに、犬山城と並んで建っている「名鉄犬山ホテル(1965)」・・逓信省系の流れを汲む建築家/小坂秀雄による設計。
小坂秀雄の作品と言えば「外務省庁舎(1960)」がよく知られるが・・

名鉄犬山ホテル

ホテルオークラ東京(1962)」の設計にも小坂秀雄は関わっていて・・名鉄、外務省、オークラ、この3つの建物の外観には、なるほど共通する部分が・・名作として名高かったホテルオークラ東京は、残念ながら2015年に無くなってしまいましたが・・

〈追記〉名鉄犬山ホテル2019年解体

さよなら「ホテルオークラ東京」

ホテルオークラ東京
“ホテルオークラ東京”の最後の日です・・
“日本美を体現した近代建築の名空間”の終幕
ホテルオークラ東京
53年間、多くの人をもてなしてきた「ホテルオークラ東京」が建替え・・
昨日(2015/8/31)を持って閉館
ホテルオークラ東京
建替えに関しては、日本国内だけではなく、海外からも惜しむ声はたくさん。2度と体験できなくなった “あのオークラの空間” ・・本当に残念
ホテルオークラ東京
2015年8月31日、グランドフィナーレの会場

節目節目の機会には、家族の思い出の背景として在った場所・・最後の日に宿泊できた事に感謝。

「建築探訪 123」-ISE SIMA

志摩観光ホテル

村野藤吾の設計による「志摩観光ホテル」を訪れる・・ 正面に見えるのは本館。本館が竣工した1969年当時は全体で200室を擁し・・国内最大規模のリゾートホテルだったそうです。屋根と軒が重層する外観が特徴的。

志摩観光ホテル
真珠養殖の発祥地でもあり、リアス式海岸が織り成す景勝地としても知られる・・英虞湾に面して建つホテル。左側、建物下にあるのが英虞湾・・しかし天気がやや悪い
志摩観光ホテル
本館の1階ロビーを見る。松材による力強い天井の意匠。突き当りの奥にレストラン「ラ・メール クラシック」
志摩観光ホテル階段
本館の1階ロビーにある階段を見る。ちょっとした部分にまで・・アールや面取りを施す・・細やかなディテールへの気配りが、心地良い ・・村野藤吾さんの建築
志摩観光ホテル
本館2階のロビーを見る。村野さんオリジナルデザインの障子・・ソファやテーブルといった家具・・いかにも村野調なインテリア
志摩観光ホテル
本館2階のラウンジ「アミー」を見る。1973年の映画「華麗なる一族」のロケが行われた場所としても有名。昭和天皇はじめ、今の天皇陛下・皇后陛下や、皇太子殿下・同妃殿下、秋篠宮殿下・同妃殿下・・ モナコのグレース王妃夫妻などなど・・皇室関係の方々が泊まられる事でも知られているホテル・・ 竹をギッシリと並べた天井が壮観
志摩観光ホテルラ・メールクラシック
藤田嗣治や小磯良平の絵画も壁に並ぶ・・本館1階にあるレストラン「ラ・メール クラシック」
志摩観光ホテル
戦後初の純洋式リゾートホテルとして、1951年に開業した建物である旧館を見る。開業当時は25室。開業した年の秋には昭和天皇も・・ご宿泊。旧館の奥にあった増築部(1960)は、今は撤去されていて・・在りません
志摩観光ホテル
旧館の建物自体は・・設計者である村野藤吾が戦時中に設計した「鈴鹿海軍工廠 航空隊将校 集会場(1943)」の木材を移築して、建てられたもの
志摩観光ホテル
開業当時の趣きを今も残す、旧館のロビーを見る。旧館部分は、今はホテルとしては使用はされていませんが・・内部は公開されており、自由に見て廻る事が出来ます
志摩観光ホテル
太い柱梁が露わしとなった高さのある空間・・旧館の和食レストラン「浜木綿」。これだけのスペースを何も使わずに維持されて・・見学の為に公開して頂けるとは・・感謝
志摩観光ホテル
ここも・・現在はもちろん営業していないが、今にもシェフが出て来そうな雰囲気・・旧館にある鉄板焼き「山吹」のインテリアを見る。ここの障子もオモシロイ・・そして天井も・・さすがの村野デザイン
ホテルには夕方、到着。窓から英虞湾を見下ろす。英虞湾に沈む夕陽は、このホテルの大きな魅力の1つなのだが・・残念(曇り)。ならば、このホテルの・・もう1つの大きな魅力である・・食事に期待 !!
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Casa Brutus

ホテルオークラ東京

先日・・「Casa Brutus」1月号を買いました・・
まだ歴史が浅い近代建築はその魅力や価値が、一般的には理解されにくく。それを守る制度もまだ充分でなく・・ 価値のある貴重な建築作品であっても・・資本主義という大きな経済性の波に負けてしまう事は・・少なくありません。

日本の名作近代建築の紹介をする特集号なんですが・・ページを多く取って、表紙を見ても分かる通り、いちばん力を入れているのは・・
「ホテルオークラ東京のロビーは壊さないで!!」というエール。

本館の建替えが決定している「ホテルオークラ東京」(1962)・・特にそのロビー空間は、国内だけでなく海外にも信奉者が多い・・日本近代建築の珠玉と言っても過言ではない空間。失なわれてしまう前に・・ 再訪したいですよね。

黄葉

倉敷国際ホテル

倉敷の美観地区周辺ではあまり見かけない・・銀杏の”黄葉”。黄金色の銀杏並木が連なる・・とまではいきませんが、国際ホテルの前だけにはほんの僅かだけど・・銀杏並木である事をこの時期になると再確認。美観地区では大原邸前などの紅葉が見事ですが、こちらの黄葉もなかなかgoodです。

「建築探訪 68」-Italia 7 /Como

イタリア中世の街並みが残る”コモ”には、この町で設計事務所も開設していた建築家ジョゼッペ・テラーニの作品が数多く残っています。

ノヴォコムン集合住宅

その1.  「ノヴォコムン集合住宅」(1928)。道路に面した建物角部の1~4階が大きなアールになっていて、3階4階部は丸いガラス張りの部屋になっているのが特徴・・ ややアールデコっぽい感じもする、テラーニ 若干23歳の作品。

ジュリアーニ・フリジェーリオ集合住宅

その2.  「ジュリアーニ・フリジェーリオ集合住宅」(1940)。テラーニが実現した最後の作品。テラーニは39歳の若さで、1943年ムッソリーニ政権崩壊直前に自殺しています。建築家として活動ができたのはわずか13年。

ポスタ・ホテル

その3.   (左) 「ポスタ・ホテル」(1931)。市からの設計変更要請があったからなのか、外観はやや慣習的。(右) どこのテラーニ建築にも共通して付けられている、テラーニの設計である事を示す “サインプレート”。このプレートはすぐ近くにあるテラーニが大学卒業直後に、ホテル1階部分のファサード改修だけを手掛けた「メトロポール・スイス・ホテル」(1927)のものです。

ルスティチ集合住宅

その4. 「ルスティチ集合住宅」(1935)。これはコモではありませんが、ミラノ市内を移動中に車内の窓越しにテラーニ建築を発見&速写 !!!
一瞬でしたが眼に焼き付けました・・ コモでも時間がなく訪れる事が出来なかったテラーニ建築はまだまだ在りました。

「建築探訪 62」-Naoshima

海の駅なおしま

SANAA (妹島和世+西沢立衛) の設計による「海の駅 なおしま」(2006)。フェリーが直島に着くと、眼に飛び込んでくる・・ ひとつめの作品。大屋根の下に、イベントホール/券売所/休憩室/待合室/事務室などの機能を配置したフェリーターミナル ・・しかし見るからに、ただならぬ感じの様子・・・  柱が細い !!!!!!! ・・・高さが4m以上もあるのに直径85mm !!!!! 

海の駅なおしま

70m×52mのこんなに大きな屋根なのに・・こんなに細い柱なのに・・ グリッドスパンが 6.75m !!! ・・ 屋根厚は 155mm !!!  

海の駅なおしま
(左) 壁は鏡面に仕上げて、存在感を薄めています
(右) 梁同士の接合部はもちろん、柱と梁の接合部も・・ 余計なものが一切ないスッキリした見事なディテール。地面に突きさしたままの様な柱と床面の取り合いも・・何気ないですが・・ なかなか出来ない
海の駅なおしま
床には緩やかな勾配が付いています・・ 遮るものの存在が消されて、大きく薄い屋根に覆われただけの場所があるだけ・・嘘の様に見事な見事な抽象空間
SANAAによる「空」
島の中にあるアート作品。SANAAによる「空」
直島フェリーターミナル横の広場
フェリーターミナル横の広場にある、オレッキエッテのような椅子・・これもSANAAによる作品
右奥には草間彌生さんの「赤かぼちゃ」
ベネッセハウス
(左)この日の宿泊は「ベネッセハウス」・・ 安藤忠雄さんの設計により1992年に出来たホテルを備えた現代美美術館 。もう20年以上も経ちました、ここから様々なプロジェクトが始まっていったわけですね・・
(右) テラスで気持ち良く朝食。前日に岡山で買っておいた 岡山木村屋のパン と 煎れたてのコーヒー
直島nendo

直島をフェリーで離れる時に見送ってくれたのは・・ nendoによる、光るコーンのインスタレーション作品・・ キレイでした。

「建築探訪 45」-Osaka/中之島4

ロイヤルホテル

先週末は「ロイヤルホテル」(1973) へ行って来ました。
設計は吉田五十八+竹中工務店 設計部。 *現在は「リーガロイヤルホテル」。
基本計画が竹中工務店 設計部により進められていたが・・ ホテル建築としてのデザイン面での質を、さらに高める為に・・ 途中から吉田五十八が参加。

(上写真右) 客室内より対面棟の外壁を見る。整然と並ぶアルミサッシ窓とタイル張りの壁面・・何気ないが、なかなか綺麗!! 。結局、建築は比率やバランスがやはり肝要ですよね。(上写真左) 遠くから外観を見ていると分かりにくいのですが、外壁は着物などの絣(かすり)模様を表現 (写真で分かるかな?) 。・・ 茶褐色の濃淡をつけたタイルで表現されています。外観ヴォリュームは竹中っぽい。

ロイヤルホテル

(上写真) ラウンジを見る。ロイヤルのラウンジも圧巻!! 。まず眼に入るのが、正面大開口から入ってくるたくさんの”光”・・開口の先には”緑”・・中央には流れ落ちる”滝”・・ その滝からの流れが、そのまま室内へ流れこんできたかの様に・・ラウンジ中央には曲水の宴のごとき優美なラインの流れが・・室内を「庭に見立て」たような構成がGOOD。蒔絵のごとく赤い柱にほどこされた金色の「棚引く雲」と、その上を覆う光輝く「雲のようなシャンデリア」による構成もGOOD。「庭と雲」によりデザインされたラウンジはまるで天上のような優雅さ。さすが吉田五十八と感心感心。

*この日のラウンジでは結婚式が行われました(大学の友人であるI君の結婚式) 。大開口からは暖かな日射しが差し込んでいました。