「建築探訪 161」- Tokyo/小金井

前川國男邸

「前川國男邸」を探訪・・戦中の厳しい資材統制のなか1942年に建設。(1973年、手狭となった前川邸はコンクリート造の”新前川邸”に建て替えられるたのだが、その際に移築を前提に解体されていた”旧前川邸が・・)1994年に東京都小金井市にある“江戸東京たてもの園”に都内から移築
(上写真/アプローチとは反対側になる庭側(南側)から外観を見る。)5寸勾配の瓦葺切妻の大屋根にまとめられた潔い姿が印象的・・前川國男の師匠であるル・コルビュジエから学んだ・・白い四角い住宅とは全く異なる意匠・・

前川國男邸アプローチ

(上写真/北側のアプローチより外観を見る。)1938年に布かれた建築統制の30坪で作られている前川邸は・・現在の日本の住宅事情に近く、親近感の持てる大きさ。門扉を抜け、アプローチを真っ直ぐに進む・・

前川國男邸

一度左に向きを変え・・板張りの外壁と前庭を見てから、もう一度右に向きを変えて・・玄関に到達。

前川國男邸

何度も方向を変え、折れ曲がりながら・・外部から居室へと到る一筆書きと言われるアプローチは・・前川國男らしい動線のデザイン。

前川國男邸

高さと広さを抑えた玄関周りの小さなスペースから、回転軸の偏った”葛布貼り”の大きな開き扉(巾1600×高1860)を開くと・・徐々に明るい”大きな”空間が見えてくる・・

前川國男邸内観

静謐な空間・・南庭に面した大きな窓が、まず眼に入ってくる・・上部は透明ガラスの格子戸、下部は障子4枚建て。4.5mの高さがある居間の空間・・・壁天井は漆喰塗り。居心地が良く、いつまでも長居していたい空間。(巾6.3m×奥行5.4mの居間平面は黄金比の大きさ・・巾6.3m×高さ4.5mの大窓のプロポーションは日本人好みの白銀比の大きさ。)

前川國男邸内観

振り返ると・・2階ロフトスペース。ロフトの下、横長な北窓に面して・・落ち着きのああるダイニングスペース、ダイニングテーブルのすぐ右手にはキッチン。

前川國男邸内観

戦後は、空襲で失った銀座事務所に代わり(1954年に現在も使われている四谷の自社ビルが出来るまでの約10年間は)・・この自邸を事務所として使用していたそうだ。

前川國男邸

住宅が建てられた昭和17年頃は、資材統制で思うような材料が手に入らない状況・・南庭、石張りのテラスに立つ立派な丸柱は・・不要になった電信柱を再利用したものと・・言われています。“大きな妻面に丸柱”と言うと・・伊勢神宮の建築の影響をついつい思い起こしてしまいますが・・あながち外れてはいない様です。

「#前川國男」その後 4

昨年の11月に行った・・岡山県天神山文化プラザとの共催展での繋がりで、建築家・前川國男を紹介するパンフレットをデザインさせて頂きました・・

表面(イエロー)の8ページは、前川國男さんという建築家の魅力を・・建築関係者でなくても、簡単に分かりやすく知ってもらう為のツールとして・・ややアイコンちっくにデザイン。天神山文化プラザさんとお話を重ね・・気軽に、誰もが手に取ってくれる様な・・”カワイイ”感じにデザインしたつもりですが、いかがでしょうか?

表面の8ページはイエローでまとめて、裏面はブルー・・裏面は大きく広げると1枚の図面(実際の青図と言われる設計当時のもの)になっています。

「建築探訪 149」-Aichi 3

名古屋大学豊田講堂

「名古屋大学 豊田講堂」を探訪・・89才のいまも建築家として活躍されている槇文彦さん・・32才にしての実質的なデビュー作!!!  。トヨタ自動車の寄付により1960年に完成。地下鉄の階段を上がると・・目の前にある大きな広場の向こうに、アシンメトリーな建物の西側正面が見える。ゲートのない開放的なキャンパスの「門」として、その建物の姿はまさに「門」という字の直喩的表現を思わせる。(ちなみにトヨタ自動車さんは、求められた予算に対して、自ら「その2倍の寄付金を出す」と申し出たそうです・・)

名古屋大学豊田講堂

10年程前に、同じくトヨタ自動車の寄付により、大規模な改修工事が行われ・・とてもgoodな建築の状態。50年近くの年月を経て、同じ設計者の手による、良質で本格的な改修工事・・”docomomo japan100″にも選出されている日本近代建築を代表する建築の・・この様な保存/維持/活用は、とても素晴らしい事だと思います。

名古屋大学豊田講堂

“コンクリート打放し”の場合・・改修で「建物の雰囲気」が損なわれる事が多いのですが、コンクリートの質感やプロポーションに丁寧な配慮がなされ・・50年近く風雨に晒され、木目は消え、外壁表面には砂が浮き上がってしまっている状態で・・かなり劣化していた”コンクリート打放し”も・・「杉板本実型枠による極薄増打ち」という手の込んだ改修手法などが用いられたおかげで・・建物の雰囲気が損なわれる様な事は・・ありませんでした。

名古屋大学豊田講堂

リフレッシュされた姿を、改めて見ていると・・「白いBOXの浮いている感」や「ピロティと打放しによる構造的表現の力強さ」に・・メタボリズムやブルータリズムなどの、60年代的な建築表現の新鮮さを・・再感。

名古屋大学豊田講堂

建物正面右手・・大階段とピロティを見る。建物ヴォリュームに対しての、柱の細長感が際立つ・・西陽を浴びて、ちょっとジョルジョ・デ・キリコ的な感じ・・柱は正方形ではなく長方形。すこしでも正面からの見え寸法を抑えようという工夫。槇さんの建築は決して声高に主張しすぎない・・熟慮された控え目な表現が・・心地良いです。

名古屋大学豊田講堂

この建物を設計中だった当時・・2年に渡り、世界中を建築視察旅行していた槇文彦さんは・・インドで仕事をしていたル・コルビュジエのアトリエを訪ね・・この建物の設計図面を見て貰ったそうだ・・その時のコルビュジェからの言葉は・・「柱を大事にしなさい」との事。

名古屋大学豊田講堂アトリウム

増築され大きく変わった内部を見る。槇さんらしい階段がgoodです。このアトリウムのスペースは、もともと外部だった所、右手が既存部・・

名古屋大学豊田講堂アトリウム

改修工事により別棟だった建物が、アトリウムを介して一体化。外部だったとは思えない、さすがの改修。右手の壁は、もともと外壁だったという事・・既存部の豊田講堂を南北面で支えている、特徴的な「コの字型耐震壁」がアトリウム空間で、存在感を示しています。

名古屋大学豊田講堂アトリウム

アトリウムより外部へと繋がる、”透け感”がgoodな出入口部分を見る。槇さんの建築・・やっぱりgoodです、品があります。たまたまですが、岡山県出身だという・・施設スタッフさんが、突然来訪している私達2人のために・・照明を点灯して下さり、親切に建物内も色々と案内して下さりました・・感謝感謝。

「建築探訪 146」-Gifu 2

羽島市庁舎

大スロープ、水平に重ねられた高欄手摺と大きな開口部、屋上に載せられた凸凹屋根、聳える火の見櫓・・坂倉準三建築研究所の設計による「羽島市庁舎(1958)」を、今年の5月に・・探訪。羽島市は坂倉準三の故郷、実家は近くにある有名な造り酒屋(千代菊)・・北側から見る。坂倉の庁舎建築といえば、呉市庁舎旧枚岡市庁舎

羽島市庁舎

建物の東側には・・高く聳える”火の見櫓のような”望楼と、4Fまで繋がる折り返しの大スロープ。この角度から見ると、各建築的要素の構成による、建物のダイナミックさがよく伝わる。

羽島市庁舎

この建築の大きな特徴・・2Fのメインエントランスへと繋がる、建物を南北に貫く、大きな斜路。坂倉さんの建築と言えば・・建物をプロムナード的に巡っていく階段やスロープといった物の・・存在感や独立感 が際立っています。有名な1937年のデビュー作である「パリ万博日本館」もそう!!。

羽島市庁舎

南側の立面を見る。建物の廻りには小さな池が張り巡らされ・・坂倉準三の傑作である「カマキン」にも通じる、水辺と建物の関係性。屋上に突出物を載せるデザインは師匠ゆずりで・・いかにも「コルビュジェ」!!。

羽島市庁舎

坂倉の設計による東急文化会館呉市庁舎が撤去され・・そしてまたこの建物も”サヨナラの危機”(今月初めに新庁舎建設工事の公募型プロポーザル」の公告が羽島市より発表)・・個人的に思い出のある大阪の枚岡市庁舎も危なそうだし・・近年次々と撤去されていく坂倉建築・・。今は使われていない、折り返しながら4階まで上がる大スロープを見る。

羽島市庁舎

大スロープ横にある、望楼への入り口部に目がとまる・・壁面と開口のバランスが何ともgood・・それを際立たせているのが、この型枠の割付け・・

羽島市庁舎

昔の”コンクリート打放し”は・・コンクリートを流し込む為の木製型枠が、大きな1枚のパネルではなく・・フローリングのような板材を貼りあわせた物・・しかし、この割付けはとても手が込んでいて、goodです。

前川國男の事務所・・

写真は前川國男さん・・10月31日(火)~11月5日(日)の間、岡山県天神山文化プラザで開催される#前川國男」展・・を今回トリムデザインが担当しています・・・最近は作品集や書籍を読み返したり、前川建築を探訪したり・・「”前川國男”力のアップ」に努めていました。

前川建築設計事務所

前川建築設計事務所に訪れる機会に恵まれ・・自社ビル(もちろん)前川國男さんの設計・・コンクリート柱梁によるラーメンフレームの存在が際立つ・・今から63年前、1954年竣工の「MIDビル」。62年前、前川國男さんの師である”ル・コルビュジエ”もここを訪れました。(下写真)

この生涯一度となるコルビュジエの来日は、1955/11/2/PM9:20~11/9/PM10:00の、7日間のみ。世界文化遺産にもなった上野の「国立西洋美術館(1959)」の敷地を見るための来日でした。

たくさんの図面や資料を見せて頂き、時間を割いて・・貴重なお話しを親切に話して下さり、ありがとうございました。現在の前川建築設計事務所の所長である橋本功さん(右)、元所員の奥村珪一さん(左)。もちろん御二人とも前川國男さんに直接師事された方々です。

元所長室!!。ここで前川國男さんが仕事をされていた(感慨)。右側(後姿の方)が前川建築設計事務所の江川徹さん(ありがとうございました、改修の事、色の事など勉強になりました)。左が岡山県天神山文化プラザの山崎さん。奥が「建築家のしごと実行委員会」の平野さん。左側の階段から・・前川國男さんがコツコツと・・階上の所員が居る製図室へと昇り出すと、事務所内に緊張が走ったそうです。

前川國男さんが乗っていた愛車(ジャガーXK-150)!!! 元所員であった奥村珪一さんが車を譲り受け・・今も大切に乗られている!!! さすがの”建築家の愛車”・・この車で銀座の久兵衛に・・カッコイイです、前川國男さん。

(わざわざ「前川さんのジャガー」で来て頂き、本当に有難うございました、奥村さん。)

微力ながらこの様な事もしております・・

※建築探訪「前川國男の建築、天神山文化プラザを歩く」
①11/5(日)10:00〜
②11/11(土)10:00〜
③11/11(土)14:00〜 (各回90分程度)
募集 一般、各回30名(事前予約優先)
参加費 500円(1ドリンク付き)

天神山文化プラザの・・下見。

今年8月3日~7日の間に、”岡山市の天神山文化プラザ” で開かれる「建築家のしごと展3」の打合せで・・「しごと展」の委員長である平野建築設計室の平野毅さんと・・”天神山文化プラザ” を伺う。
昨年同様・・建築探訪担当はt/rim design。言うまでもなく・・”天神山文化プラザ”は、日本近代建築の巨匠”前川國男”の設計による、近代建築の秀作。 

非常に丁寧な対応で、時間をたくさん掛けて・・天神山文化プラザのスタッフの方が、普段では見られない箇所まで色々と・・案内して下さり。貴重な話も色々と伺う事が出来・・ただただ楽しかったです。
(上写真)オリジナルの色使いが残っていると思われる、屋上出口を見る。前川國男の師匠であるル・コルビュジエの色彩感覚を感じます・・

建物外部から内部、さらに屋上まで・・前川建築を堪能堪能。この経験を活かして、8月の”建築探訪”が・・より有意義なものとなる様に・・探訪プランをこれから熟考。&前川建築についても・・もっと勉強をしなければ。

「建築探訪 131」-Yamaguchi

山口県立美術館

「山口県立美術館(1979)」を探訪・・設計は鬼頭梓(1926-2008)さん。エントランスへと向かう・・建物正面&広場がスパッと迎えてくれます。煉瓦ヴォリュームの南北に細長い美術館は、鬼頭さんの師匠である前川國男の「熊本県立美術館 (’77)」を思い起こさせる・・

山口県立美術館
煉瓦積みの壁面の中に・・コンクリート打放しの楣(まぐさ)が効いています
山口県立美術館
建物正面の下部を見る

ピロティ下の建具は当初のものではなく・・フレームレスな現代的なガラス建具にリニューアルされていましたが・・上部煉瓦ヴォリュームとガラスの対比感が当初よりも強まっていて・・goodなんではないでしょうか。(開館30年を期に2012年に大改修)

山口県立美術館
ピロティ部に増築された・・ショップ部を見る。ガラスの角に穴を開けて、支持金物のみでガラス面を固定して支える・・DPG工法による、フレームレスなスッキリデザイン
山口県立美術館
玄関を入った正面の1階ロビー・・大きな開口(西面)。ロビーから1段上がった場所にはカフェ。その向こうの外部は屋外展示場。来館者はロビー正面の壁に突き当たり、目的別に左右(南北)に別れていく・・
山口県立美術館ロビー
1階ロビーから、大きな長い斜路(北側)を上がり展示室へ・・そこからさらに斜路で上階の展示室へ

左右対称で南側にも同じカタチで斜路が配置されている。この美術館の建築構成の要は、やはりなんと言っても・・建物中央に配置された斜路。(斜路が建築構成の要となっている建築といえば、鬼頭さんの師匠の師匠による・・この作品!!)

山口県立美術館ロビー
1階ロビーを見る

階段は一切使うことなく、斜路だけにより展示室を巡る構成は・・気分の断続を強いられる事なく各展示室を歩き回れる連続性を・・鬼頭さんが重視された様です。美術館設計にあたり・・萩焼きの窯元や香月泰男のアトリエ、市内の古い社寺・・様々な”山口”の場所を、訪ね歩き・・”山口”の美術館を模索されたそうです。

山口県立美術館カフェ
カフェを見る

今は深澤直人デザインの椅子が並ぶ、おしゃれなスペースですが、もともとはこの場所もロビーだった様です。美術館設計の経験がなかった鬼頭さんは・・その不安を師匠(前川國男)に相談したところ・・前川が鬼頭に与えたアドバイスとは・・「何も教える事はない、物と人に聞け!!」・・物とは美術品、人とは学芸員。

山口県立美術館ミュージアムショップ

師匠である前川と同じく、建築家の職業倫理観に厳しかった鬼頭の言葉。
「デザインの自由は、常にクライアントと社会のために行使されるという限界を超えることは許されない」・・建築家のエゴやデザイン至上主義への戒め、社会/生活/人間/建築の関係性を増進する為のデザイン・・

ノベルティ

今日・・現調(これから計画する建物や計画地の現場調査)に伺わせて頂いた際・・作業中、Oさん宅の物置倉庫の中で発見したもの・・一目見た瞬間「オモシロイ!!」・・これが何の焼き物か分かりますか?
答えはこちら
再現された屋上の造形は・・師匠であるル・コルビュジエを思わせる?・・
裏面には「昭和三十二年三月十九日、新県庁舎落成記念」・・これは関係者向けのノベルティなんだろうか? (岡山県だけに備前焼!!)  
Oさんから「いいですよ、持って帰って下さい。」と・・ありがとうございます、Oさん!!  嬉しいです!!

こちらは「アアルト自邸」に置かれていた焼き物・・銀行のお客様向けのノベルティ(貯金箱)です。そのモデルとなっている建物は、分かりますか?・・かなり大胆な(オモシロイくらいの・・)デフォルメがされていますが・・答えはこちらで間違いないとは思いますが・・ 

展覧会 2014

週は、建物や展覧会などを見に東京へ・・ 2010年に出来た「武蔵野美術大学 図書館」を建築探訪するのがメインでしたが、思っていたより楽しかったのが、品川にある・・「原美術館」

東京ガスや日本航空の会長、営団地下鉄の総裁なども歴任した実業家 “原邦造” の私邸 (コルビュジェと同年生まれの、建築家 渡辺仁が設計。1938年竣工。)を、現代美術中心の私立美術館としてリニューアル・・1979年に開館。渡辺仁の建築といえば「旧 服部時計店(1932)」や「東京国立博物館(1937)」など・・どちらかと言うと “歴史主義様式” の建築のイメージが強いが、こちらは完全な “初期モダニズム” の住宅建築。

開催中の展覧会( – 10/13 )は、「Art Scope 2012 – 2014」- 旅の後もしくは痕 ・・  日本人アーティストがドイツに数ヶ月滞在、ドイツ人アーティストが日本に数ヶ月滞在・・異国での様々な体験<旅> の後(痕)に、製作された新作・・を発表する展覧会。ダイムラーファウンデーション・イン・ジャパンによる文化芸術支援活動。(上写真) たくさんの白い紙風船が床に散らばる様に並べられた、リタ・ヘンゼン「天より落つ」。住宅らしい局所的なスペースに合わせてインスタレーション・・かつ屋外の庭にある杉本博司の”竹箒垣根” を借景。

なんでもない照明器具が壁に2台・・ どこが作品なの? という感じなのですが・・ 近づいてじっと見ると・・​電球の中に、街灯が立つ小さな風景が在る・・という繊細なインスタレーション・・   今村遼佑「真夜中の8月通りで」
窓際に置かれたテーブルと、天井から吊られた照明器具・・ どこが作品なの? という感じなのですが・・ じっと静かに待っていると、小さな音が聞こえてくる・・という繊細なインスタレーション・・ 今村遼佑「やがて雨は静かにノックする」
乱雑な鑑賞者ならば、見逃してしまう様な・・見るものの感覚を試すような・・耳や眼を凝らして・・<作品化された空間や時間>を感じ取る・・繊細なインスタレーション作品はgoodでした。(来館者がほとんどいない平日だからこそ・・静かに楽しめたけれども、来館者が多い時も楽しめる作品なんだろうか・・)

原美術館では、元住宅という事をうまく利用した展示スペースがgoodでした・・広々スパッとした美術館とは異なり・・ トイレや物置、廊下やサニタリーなど・・通常では考えられない様な局所的スペースに・・様々なインスタレーションが設置されていて・・楽しかったです。(上写真)3階の物置部屋のような小さな空間にある・・作品のアーティスト名が、壁の下の方に・・控えめに書かれているだけ、という案内表示も・・goodです。