出雲の原さん

出雲で活躍されている原浩二建築設計事務所さんの設計された「灰色の家Ⅱ」を訪れる。とてもgoodな外観を簡潔に表現すると、”焼杉板で覆われた大屋根” の建築。(写真が上手でなくてスイマセン・・原さん)
全く個人的な根拠のない思いつきなんですが、焼杉板のテクスチャや色味というのは・・曇り空の方が似合うんだろうか・・(ふつう建築外観は快晴の方が絶対的に冴えるものだが) 曇り空な山陰の天候の下でも冴える建物外観・・山陰の天候まで意識して素材を選択されている原さんの力量なんだろうか !!!??
(上写真)前面道路より見る・・開口の向こうには深い軒に覆われた半外空間の中庭的アプローチ空間。

半外空間の中庭的アプローチ空間と・・ひと繋がりとなった内部土間スペースからダイニングキッチンを見る。土間スペースに架かるスチール製階段を上がった2階は個室階。半屋外中庭~土間~1階~2階と全てがひと繋がりとなった空間構成が気持ち良く・・ディテールや素材選択などの細かな所までなるほどという工夫の効いた・・とても居心地の良い、落ち着ける住宅でした。
ペンダント灯のもとで談笑されているのが原浩二さん(左側は倉敷の建築仲間である平野建築設計室の平野毅さん)・・色々とお話出来て楽しかったです。

予定にはなかったのですが、原さんが突如、別の建物も案内してくださるとの事で・・「段々畑の家」を訪れる。こちらは新建築住宅特集(2014年10月号)にも掲載されていた住宅。タイトル通りに “段々畑” が・・外部と内部の関係を調整する重要な役割を担っており、それが建築そのものの重要な個性としてアイコン化しています。40cmごとの段々が5段、2mほどの高さとなった「段々畑」は大屋根と一体になりながら、周辺との関係性を遮りながらも繋いでいるのが・・この建築の大きなポイント。

簡単に言ってしまえば、中庭型の住宅なんだけど・・その中庭の設え方が普通とは全然違っているところに、原さんの心意気、この建築への想いが・・たくさん詰まっているなぁと感じました。
突如の訪問だったので・・「段々畑の家」のおうちの方は不在で、外部からの探訪だけとなりましたが・・とても素敵な住宅でした。敷地前の幹線道路から見える、とてもチャーミングでアイコニックな “段々畑と大屋根が一体となった外観” はもちろん素敵でしたが・・それよりも何よりも(灰色の家Ⅱも同様に)「内外共に個性のある建物を楽しんで・・暮らされているんだろうなぁ」というのが・・原さん設計の建物を訪れての感想でした。
個人的には、原さんの作品の中でも”大屋根+焼杉”のシリーズが・・特に好き!!

「建築探訪 64」-Shimane 5

島根県立図書館

日が暮れてしまったけれども・・菊竹清訓の設計による「島根県立図書館」(’68)を 探訪。「都城市民会館」(’66) と共に菊竹清訓さんのメタボリズムが実践された作品・・都城と比べるとこちらの方が表現としてはかなりオトナシイ感じがしますが、構成としては同じカタチ・・ 都城と同じく コンクリート基壇 + 鉄製の上部構造 。

島根県立図書館

外部から見ても、内部から見ても、その建築的構成は明瞭。
(上写真) エントランスホールよりダイナミックな広がりのある内部空間を一望。竣工時の写真を見ると、もともとの屋根は鉄骨部材が全て露わしで・・建築のコンセプトがより強く表現されていましたが、現在は大きな梁だけが露わしで梁間は白い天井材が貼られていて・・残念。

田部美術館/島根県立博物館/島根県立武道館
島根県にある菊竹さんの作品をいくつか探訪。
(左)「田部美術館」1979
(中)「島根県立博物館」1959
(右)「島根県立武道館」1970 

「建築探訪 26」 -Shimane 4 /出雲大社

出雲大社

天照大神が大国主大神の御功績を称え、諸神に御造営を命じられたという・・毎年秋の”神在祭”には全国の八百万の神々が集う・・出雲大社が「平成の遷宮」にあたり、普段一般の人は全く立ち入ることの出来ない御本殿を特別に拝観させて頂けるとのこと・・現在の御本殿は1744年の造営以後-1809-1881-1953と3度の遷宮を行い、今回で4度目の遷宮となります(遷宮とは神社本殿の造営/修理に際し神体を移すこと)・・・出雲の遷宮記録を見ると 65年後(1回目)-72年後(2回目)-72年後(3回目)-55年後(4回目)となっており・・その機会を逃すと次は見られそうにないので・・最終日に参拝へ行ってまいりました・・御神体はすでに仮殿(拝殿)に遷され、本殿に還られるのは修理の終わる5年後だそうです
(上写真)2重の塀に囲われた本殿は普段は遠くから見るだけしか出来ません・・しかし今日は本殿の縁には特別拝観に訪れた人達で賑わっています・・

出雲大社

本殿の縁は地面から4.5mほどの高さ、縁から屋根の棟まで16mほどの高さ、総高さは24m・・・やはり大きいです、近くで見るとその大きさを再確認できました・・想像してみて下さい 7階or8階建てのマンションくらいの大きさですから・・さすが「天下無双の大廈(たいか)」と称えられる大きさは 神社建築としては比類なき壮大さ・・
拝観順路は妻側の階段から上がり、高欄のついた幅広い縁をぐるりと一周して、南面する妻側正面に戻り、開口部(蔀戸and開き扉)から殿内を拝観させて頂きました

殿内の天井板に描かれている鮮やかな”八雲之図”・・殿内は撮影禁止ですのでイラストですが

「建築探訪 19」 -Shimane 3

島根県立古代出雲歴史博物館

槇文彦さん設計の 「島根県立古代出雲歴史博物館」(’07) を探訪・・
訪れた日は残念ながら曇り、写真映りが悪いです。 (上写真) 南庭のメインアプローチ通路から見る。庭が正面ガラスボックスのエントランスホールを挟んで北庭まで続いています。

島根県立古代出雲歴史博物館
敷地奥になる北庭から見る
左側本館の外部主仕上材の “赤錆び色(コールテン鋼) ” がよく効いています
ランドスケープのデザインは三谷徹さん
島根県立古代出雲歴史博物館
3層吹き抜けのエントランスホール・・ 3階展望テラスから2階カフェテラスを見る

突当たりのX型柱(筋交い)で大きな気積のエントランスホール部の水平力(地震時の横からの力)を負担している。エントランスホール部には柱がないようです・・サッシの縦材が垂直力を受ける柱として兼用されているよう・・サッシ縦横材は一見普通のサッシ材(中空のアルミ材)に見えるが、全て押出鋼材(無垢鋼材)で出来ている・・凄いです。

槇文彦さんは日本を代表する建築家・・・東大-ハーバード大院-同大準教授-東大教授という素晴らしいノーブルな経歴・・建築学会賞/毎日芸術賞/高松宮殿下記念世界文化賞/UIAゴールドメダル/建築界のノーベル賞と言われるプリッツカー賞を含め(日本人では師匠である丹下健三についで2人目、その後の安藤忠雄で日本人は計3人)・・受賞多数。

“正統派/モダニズム建築の継承者”といわれてきた槇さんの作品は 「端正」「上品」「ハイセンス」・・という言葉がピタリとはまるが・・ミースの建築スタイルに代表される様な極端なシンプルイズムを磨き上げた初期モダニズム建築の表層/スタイルだけにただ憧れて真似する多くの”モダニズム風”建築家とは一線を画した・・・「モダニズムは百年間 常に在った・・モダニズムとは、技術/環境の変化を許容をしながら、空間/形態のあり方を変えても在り続ける強靱なシステム」と仰るように・・・硬直した見せ掛けのファッション(コンクリート打放しやホワイトボックスという様なアイコンで商品化されたデザイナーズマンションのように、形骸化したファッションとなってしまったモダニズム)としてのモダニズムではなく、適応/許容/変化/成長するものとしてモダニズム建築を探究/実践されてきた・・・槇さんも80才・・スパイラル(’85) 京都国立近代美術館(’86) テピア(’89) ザルツブルグ会議場案(’92) 慶應大藤沢大学院(’93) などの”メタリック”な作品が続いていた頃の作品が特に好きで・・大学生の時、お願いして少しだけ槇事務所にてバイトさせて頂く事が出来たのは・・LUCKYでした。

柄杓

神魂神社の柄杓

松江市の神魂神社の柄杓。柄杓のデザインにどの様なバリエーションがあるのかは知識がありませんが、竹の枝を落とさずに持手部としてそのまま生かしたデザインはNICEです・・弾力性もあり一体成型だから壊れ難いし、何よりも作り易いし・・・無駄がないデザインだ。
本殿に向かう前、心を整え/身を清める為の大事な道具が金属製やプラスチック製だと、清まってないような気が何となくします・・

「建築探訪 14」 -Shimane 2 /神魂神社

出雲大社と神魂神社

出雲市の出雲大社」(左) と、松江市の「神魂神社」(右) へ行って来ました・・
「住吉造」の住吉大社(大阪、1810)、「神明造」の伊勢神宮(三重、1993)と並び称される、最古の神社形式である「大社造」の出雲大社(島根、1744)・・

出雲大社

「出雲大社」(上写真)が大きい事は知っていたが、初めて見る出雲大社-本殿は思っていたより大きかった・・唖然とするくらいに大きかった・・「さすが日本最大の神社建築」・・異様な姿には迫力が満ちていた・・本殿は塀で囲まれて近くに寄れないのだが、もし側で見たならばもっと大きいのだろう、総高24mはマンションなら8~9階並みの大きさだが・・
平安時代においては東大寺大仏殿よりも大きく総高50m近くあったそうだから今の本殿の倍だ・・縁の下の脚だけが伸びた状態だった様だが10階建てのマンションの頭を軽々越える高さだ・・信じられない光景を平安時代までの人達は目にしていた・・平安時代末までは何度も”転倒” した記録が諸書にあり、その度に再建されたそうだ・・

神魂神社

松江市南東の大庭町という森の中に楚々として建つ「神魂神社」(上写真)は「大社造」としては最古のもので1583年の建築、現在の出雲大社本殿よりも160年も古い。伊勢神宮に仁科神明宮があるように、出雲大社に神魂神社が祖型としてある。出雲大社は神魂の縦/横/高さをほぼ2倍して造られた・・高さ/長さは伸びるが材の太さは比例して大きくならない分、大社の方が間伸びして見える・・神魂の方がプロポーションが洗練されて締まっていて良い・・さすが出雲大社のオリジンだけはある。
西沢文隆さんの著によると、もとの神魂神社は今の様な”素木”ではなく”丹塗”であったに違いないそうだ、本殿内部には 朱塗りの天井を背景に五色の九重雲 が色鮮やかに描かれた空間が今もあるそうだ・・

神魂神社本殿
神魂神社本殿の横に並んで建つ小さな末社 「貴布弥稲荷神社」(室町時代) は、伸びやかな屋根と縁の浮き具合が美しい・・「二間社流造」は類例が少ない珍しい神社建築形式

「建築探訪 12」 -Shimane

出雲大社庁の舎

島根に近代建築を見に行こうと思った時、まず頭に浮かぶのが・・菊竹清訓(1928- )の設計による「出雲大社庁の舎(’63)」・・ 建物外観は、刈り取った稲を架ける 「ばでば」 からの引用・・ 頂部には50mにもおよぶPC(プレストレスコンクリ-ト)大梁を2本載せ・・用途は社務所及び宝物殿。 

出雲大社庁の舎

この様な特異な外観をしたコンクリ-トの建物を、伝統格式のある建築が配置された出雲大社の境内によく造ったなぁ・・どんな感じで調和or対峙しているんだろうなぁ・・と写真で見る度に何度も思っていました・

出雲大社庁の舎
(左) 妻面にはPCパネルを張った 構造的/構成的な独特のデザイン
(右) ファサ-ドの大部分を覆うPC製ル-バ-
出雲大社庁の舎

菊竹清訓はメタボリズム・グル-プの主要メンバ-として、60年代に高い理想と過激な作品で、来るべき社会における新しい建築の在り様を提示しようと大活躍・・日本近代建築の名住宅として名高い「スカイハウス(’58)」で見せた明快で強烈な思想&表現はそれに相応しいものだった様に思えます・・近代建築のスタティックな機能主義ではなく、ダイナミックに生物のように新陳代謝する夢の都市は・・技術的に進歩するであろう将来において、これから開花する可能性もあるかもしれない・・時代を先取りしたメタボリスト/菊竹清訓の代表作。

かねや

帰りには出雲大社のすぐ近くにある「かねや」で “出雲そば” を頂いて帰りました・・おいしかったです