「建築探訪 130」-Osaka/茨木

光の教会

安藤忠雄さん設計の「光の教会」(1989)・・竣工からもう四半世紀!!!  学生の頃、大阪在住だったからなのか・・建築専門のメディアだけでなく一般向けの雑誌TVでも・・度々眼にする事が多かったANDOさん・・「建築家といえば=安藤忠雄」。関西ローカルの放送だったのか?・・この教会の建築工事に追ったTV番組もありましたよね。

(下写真)18×6×8mの箱に、壁1枚だけ挿入という・・シンプルな構成

90年代に入ると公共建築などの大規模な作品にANDO建築はシフトしていくが・・建築史上、不朽の名建築と言っても過言ではない東邸(’76)同様・・とても小さく/とても質素だけれども・・厳選/熟考/純化された・・素材、ディテール、空間構成、光、記憶・・見えないものをカタチへと変える、建築家/安藤忠雄の力が遺憾なく発揮されたであろう・・珠玉の小建築。  
(上写真 左上) 開口部そのものが十字架という・・アイデアがこの建築の要。

(下写真)十字架の開口部詳細。もちろんガラスが嵌まっていますが・・ANDOさん的には、ガラスは入れたくなかったそうです・・

光の教会

「あそこガラス入れたら、なんか・・ん~難しいな。ないほうがええな」
「別になくってもええの違うかなぁ。ちょっと寒いだけやろ。」
「そらちょっと寒いわなぁ。だけどきれいや、なんか」
「ガラスないほうが。パーっとするで」

上記の言葉は、平松剛著「光の教会-安藤忠雄の現場」より・・さすがに「世界のANDO」な発言!! 大胆な提案!!・・光の教会(’89)、こどもの館(’89)、ライカ(’89)、タイムズ(’91)、水御堂(’91)、姫路文学館(’91)、大手前(’92)、六甲2(’93)・・80年代後半~90年代前半、竣工したばかりの(力作揃いの)ANDO作品を数々探訪していた学生時代が・・懐かしい限りです。

「建築探訪 96」-Tokyo/ 青山 3

塔の家
道路の向かいにあるワタリウム美術館側より、西南側外観を見る

青山の外苑西通りに面した “小さな住宅” ・・ 写真左のマンションは「そこまで近く建てるか!!!」と驚くほどの近接ぶり・・この「塔の家」(1966) を設計されたのは東孝光さん。

塔の家
(左) 西側より外観を見上げる。地下1階、地上5階の計6層からなる住宅・・駐車場も1台分を確保・・ 敷地面積は、なんとわずか6坪ほど!!! 
(右) 南側より外観を見上げる。左手の街路樹は、この家の為に植えられた様に・・いい感じで建物に寄り添っています。
塔の家
建物の外壁を触る・・

この建物は内外共にコンクリート打放し仕上げ。内外コンクリート打放しの住宅といえば、すぐに安藤忠雄さんの名前を思い浮かべますが・・安藤忠雄さんが「住吉の長屋」で一躍名を知られる様になるよりも10年も前の作品・・ ANDO建築の代名詞である磨き上げられた様な、均一なコンクリート打放しも綺麗ですが・・この東さんの荒々しい肌理のコンクリート打放しも・・ 味があってgoodです。

(左)  竣工した1966年頃の様子・・まわりにはまだ高い建物もなく、まさしく「塔の家」・・ 
(右) 各階のプランを見る

5階の子供部屋はベッドの大きさから図ると3帖程度、4階の寝室も4.5帖程度、2階の居間も4.5帖程度・・家族3人、延20坪程度の家、内部には仕切りはなく、階段を介して縦に繋がった1室空間・・やや広い階段の踊り場に住んでいる様な・・約50年前に生まれた究極の都市住宅。必要最小限で都市に生きる・・”TOKYO”でしかありえない住宅・・余分なものを持たずに都市で暮らす・・現代にも通じる、こんな潔さが心地良いです。

「建築探訪 86」-Tokyo /本郷

東京大学・福武ホール

本郷通りから東大赤門をくぐって、すぐ左・・東京大学の創立130年を記念してつくられた・・安藤忠雄さん設計の「東京大学・福武ホール」(2008) を訪れる。この日は天気が曇りで写真映りがイマイチ・・キャンパス内の通りに面して建つ細長い建物。この建物の一番のポイントとなっているのは・・通りと建物を遮っている、とて~も、長~い壁、その長さは100m近く!!!  深い長大な庇と長い壁、そしてその背後の緑との対比・・効いています。(上写真) 東側外観をキャンパス内通りより見る。サッシ面からの室内奥行は7.65m。サッシ面から壁までも7.65m。

東京大学・福武ホール

この長い壁には “考える壁” という名前がついています。壁の高さは3.6m(コンクリート打ち放しパネル4枚分)・・人の背の高さの2倍・・ちょうど歩いている人の目線高さくらいに長~い横スリットが設けられています。この細長い横スリットが在る事がチャームポイント・・単なる壁では終わらない、何かしらの関係が壁の向こうとこちらで生まれていてgoodでした。

東京大学・福武ホール
スリットから通りを覗くとこんな感じ・・建物は地上2階、地下2階。大階段が大きなオープンスペースとなっているのは・・いかにもANDO建築らしい構成。晴れていたら・・劇的なイイ写真になりそうな感じでしたが・・残念
東京大学・福武ホール
地階の廊下よりオープンスペースを見る。サッシの方立の間隔は900mm・・コンクリート打ち放し面と同じモジュールで統一されていてgoodです
東京大学・福武ホール

歴史を感じるゴシック風の重厚な建物が中心となったレンガ色のキャンパスの中・・コンクリート打ち放しのANDO建築はやはり異質でしたが・・ 古い建物の中、統一感ばかり重視して・・”古い風の建物”を建てるのではなく・・ 新しい刺激としてANDO建築は有効に働いている様に感じました。
(上写真) 庇下までの高さ6.3m。サッシ面からの庇出は5.4m。

「建築探訪 80」-France 10 / Le Corbusier 8

プラネクス邸

パリ13区、マセナ大通りに面して建っている ル・コルビュジェ設計の「プラネクス邸」(1928)。(上写真) 道路より南側外観を見る。残念ながら見学はできません。樹が覆い茂ってやや見えにくいですが・・上部の3階/4階は開口の少ないマッスとして扱い、下部の1階/2階は全面ガラスのカーテンウォール・・ 建物が持ち上げられたような ピロティ 的な扱いのデザイン。

85年前の竣工時と比べても、そんなに外観は変わっていない様な感じです。両側を建物に挟まれ、前面は大きな道路・・最上階にはオザンファン邸のようなトップライトがある階高の高い部屋がある4階建ての都市型住居。4階部のバルコニー(3階寝室)となっている、建物ファサード中央の張り出した部分が外観のアクセント。

断面で見るとこんな感じ・・ 右手の南側前面道路からは、左手の敷地奥となる北側が・・かなり上がっている事が分かります。1階2階にはメゾネット式で2住居。3階4階へのアプローチは建物中央1階エントランスを抜けて、敷地奥の屋外階段からのようです。

敷地裏手から見るとこんな感じ・・ブリッジでもアプローチできる3階部分は、敷地奥の北側に大きく開口を設けています。こういったブリッジや屋外階段での建物アプローチというのは、ANDOさん的な感じですよね・・

最上階は画家/彫刻家であったプラネクス氏のアトリエでした・・ ドラマッチックに陽が差し込んでいます・・ トップライトの窓はアトリエなんだけど、南向きなんですね・・

「建築探訪 62」-Naoshima

海の駅なおしま

SANAA (妹島和世+西沢立衛) の設計による「海の駅 なおしま」(2006)。フェリーが直島に着くと、眼に飛び込んでくる・・ ひとつめの作品。大屋根の下に、イベントホール/券売所/休憩室/待合室/事務室などの機能を配置したフェリーターミナル ・・しかし見るからに、ただならぬ感じの様子・・・  柱が細い !!!!!!! ・・・高さが4m以上もあるのに直径85mm !!!!! 

海の駅なおしま

70m×52mのこんなに大きな屋根なのに・・こんなに細い柱なのに・・ グリッドスパンが 6.75m !!! ・・ 屋根厚は 155mm !!!  

海の駅なおしま
(左) 壁は鏡面に仕上げて、存在感を薄めています
(右) 梁同士の接合部はもちろん、柱と梁の接合部も・・ 余計なものが一切ないスッキリした見事なディテール。地面に突きさしたままの様な柱と床面の取り合いも・・何気ないですが・・ なかなか出来ない
海の駅なおしま
床には緩やかな勾配が付いています・・ 遮るものの存在が消されて、大きく薄い屋根に覆われただけの場所があるだけ・・嘘の様に見事な見事な抽象空間
SANAAによる「空」
島の中にあるアート作品。SANAAによる「空」
直島フェリーターミナル横の広場
フェリーターミナル横の広場にある、オレッキエッテのような椅子・・これもSANAAによる作品
右奥には草間彌生さんの「赤かぼちゃ」
ベネッセハウス
(左)この日の宿泊は「ベネッセハウス」・・ 安藤忠雄さんの設計により1992年に出来たホテルを備えた現代美美術館 。もう20年以上も経ちました、ここから様々なプロジェクトが始まっていったわけですね・・
(右) テラスで気持ち良く朝食。前日に岡山で買っておいた 岡山木村屋のパン と 煎れたてのコーヒー
直島nendo

直島をフェリーで離れる時に見送ってくれたのは・・ nendoによる、光るコーンのインスタレーション作品・・ キレイでした。

展覧会 2008

東京で展覧会&建築を幾つか 廻って来ました・・
一番のお目当てはミッドタウン(六本木)の21_21 DESIGN SIGHTでの
1.「Second Nature」・・・日本を代表する若手プロダクトデザイナー吉岡徳仁のディレクションによる”デザインの未来”をテーマにした展覧会・・”マテリアルボーイ”とも海外から称された吉岡徳仁の新技術/新素材といったテクノロジーへの興味と、単なる表面的な模倣ではない”自然の原理”といったものへの興味が導く”未来のデザイン”とは・・・メインの大きな展示室の天井全体を”雲の様に覆うインスタレーション”が圧巻でした。
2.「安藤忠雄建築展」 ギャラリー間(乃木坂)・・・安藤忠雄が30年程前に設計し、出世作となった大阪に建っている小住宅「東邸」の原寸(!!)模型・・良く出来ていてビックリ・・ちょうど見に行った時には安藤さんも来られていました
3.「GA JAPAN 2008」 GAギャラリー(千駄ヶ谷)
4.「建築の新潮流 2008-2010」 ヒルサイドフォーラム(代官山)
5.「High-Tech&Tradition展」 東京デザインセンター(五反田)

六本木~千駄ヶ谷~渋谷~代官山~五反田・・・一日掛けて展覧会を見て歩いて廻りandその間に幾つかの建築見学も・・次の日は脚がパンパンでしたが・・いろいろ見る事が出来て、良い刺激になりました。

「建築探訪 28」 -Ehime 3

坂の上の雲ミュージアムと菅井内科

愛媛建築探訪のメインであった・・安藤忠雄さんが設計され、昨年OPENしたばかりの 「坂の上の雲ミュージアム」 (上写真左)
5度傾斜したカーテンウォールの外壁に覆われた三角形平面の建築・・大きな池のあるピロティを眺めながら長いスロープを上がって 2階エントランスにいたります・・・エントランスの踊り場から建物裏を覗くと見えたのが・・ (上写真右)うねるカラフルなバルコニー腰壁が積層したただならぬ外観の建物・・・
(大御所”ANDO”先生のミュージアムはさすがにキチッと出来てました・・)

菅井内科

(上写真左)店舗が並ぶ通りからは、階段でかなり上がるかたちになるがこちらがメインアプローチのようだ・・「菅井内科」は長谷川逸子さんが1980年に設計された建築・・うねる壁面、軽く舞うパンチングメタル、華やかな色彩・・・過剰な装飾をまとい、押しが強く、理由もなく明るい・・ポストモダン建築時代の到来を予感させる・・
1986年「東京都庁舎」コンペで丹下健三が1等を勝ち取った年、もうひとつの話題コンペであった「湘南台文化センター」を”第二の自然”というコンセプトで見事に勝ち取った女性建築家(日本では女性建築家が大きな公共建築を手掛けるのはこれが初? だと思います)・・・長谷川逸子の80年代初期の作品・・

「建築探訪 19」 -Shimane 3

島根県立古代出雲歴史博物館

槇文彦さん設計の 「島根県立古代出雲歴史博物館」(’07) を探訪・・
訪れた日は残念ながら曇り、写真映りが悪いです。 (上写真) 南庭のメインアプローチ通路から見る。庭が正面ガラスボックスのエントランスホールを挟んで北庭まで続いています。

島根県立古代出雲歴史博物館
敷地奥になる北庭から見る
左側本館の外部主仕上材の “赤錆び色(コールテン鋼) ” がよく効いています
ランドスケープのデザインは三谷徹さん
島根県立古代出雲歴史博物館
3層吹き抜けのエントランスホール・・ 3階展望テラスから2階カフェテラスを見る

突当たりのX型柱(筋交い)で大きな気積のエントランスホール部の水平力(地震時の横からの力)を負担している。エントランスホール部には柱がないようです・・サッシの縦材が垂直力を受ける柱として兼用されているよう・・サッシ縦横材は一見普通のサッシ材(中空のアルミ材)に見えるが、全て押出鋼材(無垢鋼材)で出来ている・・凄いです。

槇文彦さんは日本を代表する建築家・・・東大-ハーバード大院-同大準教授-東大教授という素晴らしいノーブルな経歴・・建築学会賞/毎日芸術賞/高松宮殿下記念世界文化賞/UIAゴールドメダル/建築界のノーベル賞と言われるプリッツカー賞を含め(日本人では師匠である丹下健三についで2人目、その後の安藤忠雄で日本人は計3人)・・受賞多数。

“正統派/モダニズム建築の継承者”といわれてきた槇さんの作品は 「端正」「上品」「ハイセンス」・・という言葉がピタリとはまるが・・ミースの建築スタイルに代表される様な極端なシンプルイズムを磨き上げた初期モダニズム建築の表層/スタイルだけにただ憧れて真似する多くの”モダニズム風”建築家とは一線を画した・・・「モダニズムは百年間 常に在った・・モダニズムとは、技術/環境の変化を許容をしながら、空間/形態のあり方を変えても在り続ける強靱なシステム」と仰るように・・・硬直した見せ掛けのファッション(コンクリート打放しやホワイトボックスという様なアイコンで商品化されたデザイナーズマンションのように、形骸化したファッションとなってしまったモダニズム)としてのモダニズムではなく、適応/許容/変化/成長するものとしてモダニズム建築を探究/実践されてきた・・・槇さんも80才・・スパイラル(’85) 京都国立近代美術館(’86) テピア(’89) ザルツブルグ会議場案(’92) 慶應大藤沢大学院(’93) などの”メタリック”な作品が続いていた頃の作品が特に好きで・・大学生の時、お願いして少しだけ槇事務所にてバイトさせて頂く事が出来たのは・・LUCKYでした。

「建築探訪 15」 -Osaka/中之島

大阪中之島

大阪と言えば梅田やミナミという繁華街を頭に浮かべる方が多いですが、何と言っても大阪の中心は”中之島”・・(上写真-鉾流橋から水晶橋を見る)

堂島川(上写真)と土佐堀川の間に挟まれ東から西へ・・東洋陶磁器美術館/中央公会堂/旧府立図書館/大阪市役所(上写真左部)/日銀大阪支店/フェスティバルホール/朝日新聞/ダイビル本館/国立国際美術館/ロイヤルホテル・・と3km近く続く 長い”中之島”は 人気の少ない休日に散歩するには絶好の建築探訪ルートです(岡田信一郎/辰野金吾/村野藤吾/渡辺節/吉田五十八・・特に建築好きな方には very good です・・中之島から大阪城の方へ向かえば安藤忠雄/篠原一男/竹原義二/遠藤秀平などの作品も見られます・・)。

倉敷に移るまでは中之島の近く、部屋の窓から川も見えた場所に暮らしていた頃、時々散歩していた懐かしい/お気に入りの散歩ルート・・・先月 大阪でふと時間が出来た時、久しぶりに散歩してみました・・