「建築探訪 159」- Okayama 6

津山文化センター

雪の降る1月に、岡山県津山市に・・「津山文化センター(1965)」を探訪。設計者である“川島甲士”さんの事は・・私達の年代でも、あまり詳しくは知らない建築家だが(ただ不勉強なだけかもしれませんが・・)、60年代には大変活躍された方のよう・・しかしとにかく、この建築がスゴイ!!。こんな建築がほかにあるだろうか・・という特徴的な外観。四角錐が逆さまに・・地面に突き刺さった様な形。

津山文化センター

「斗栱で全体が構成されているのが、この建築の最大の特徴!!!」。斗栱(ときょう)とは、日本の伝統建築に見られるアイコニックなエレメントで・・軒が支える荷重を柱に伝える「柱上にある組物」の事を言う。「斗(ます)」と「肘木(ひじき)」で構成されている斗栱を・・抽象化して、リデザイン・・構造は著名な構造設計家である”木村俊彦”さん。

津山文化センター

1段、2段、3段と、深い軒が三重に・・だんだんと前方にせり出していく、日本の伝統的な建築に見られる独特な形を・・コンクリートでリデザイン。こちらもこちらも、そうですが・・「60年代、コンクリート構造による日本建築再解釈の流れ」にある代表的な建築・・川島甲士さん40才の作品。

津山文化センター

“斗栱で構成された逆四角錐”の本館横にある・・四角いヴォリュームは「展示館」。

津山文化センター

展示館の外壁が凄い!!。外壁のウネウネとした模様は・・コンクリート表面を削って作られた”レリーフ”(これだけコンクリートを斫るのに、いったい何日くらい掛かるのだろうか!!)。デザインは・・緻密な線と混沌とした色彩の作品で知られる、著名グラフィックデザイナー”粟津潔”さん・・

津山文化センター

1960年代に提案/実現された理想高く力強い・・世界にも影響を与えた、日本生まれの数少ない建築運動・・黒川紀章、菊竹清訓、大高正人、槇文彦、丹下健三、磯崎新 等々が参加していた・・メタボリズムの運動にも参加されていた粟津さん・・35才の作品!!。

津山文化センター

3階の廻廊部分を見る。屋内だけでなく、屋外まで天井がラワンベニヤ・・サッシの向こう側の「斗栱」が近くで詳しく見られます・・斗栱はプレキャストコンクリート製。

津山文化センター

立体的に格子を張り巡らせた様なデザインの・・照明器具がgoodです。

津山文化センター

1階のホワイエを見る。床は黒モルタルブロック300角。タイルが張られた”アートな壁面”は、少し傾いています・・壁面のデザインは津山出身の陶芸家/白石齊さん(しらいしひとし)によるものです。この日の建物探訪ツアーの案内人が・・実は白石さん。

津山文化センター

鉄板を折り曲げたパーツによる”アートな壁面”・・こちらも白石齊さんの作品。

津山文化センター

フラットな屋根の一部をめくり上げた様なトップライト・・屋上へと至る階段を見る。

津山文化センター

屋上は雪、雪、雪・・前方の石垣は津山城(明治の廃城令で石垣以外は全てなくなってしまいましたが、森蘭丸の弟である森忠政が築いた大変立派なお城だったそうです)。

逓信省出身の建築家である川島甲士(かわしまこうし 1925-2009)さん・・他の代表作には「宮崎県婦人会館(’65)」「西都原考古資料館(’68)」「宮崎県営国民宿舎・青島(’70)」「松源寺(’69)」などなど・・があるそうです。

「建築探訪 157」- Tottori

東光園
東側庭園よりダイナミックな外観を見る

1964年竣工・・菊竹清訓さんの「東光園」を探訪。この建築・・なんと菊竹さん36才での作品!!!。取り壊されて・・もう無くなってしまった名作「出雲大社庁の舎」はその前年・・なんとか保存で存命となった「都城市民会館」がこの2年後・・(どれも菊竹さんが30代で手掛けられた!!)・・60年代までの菊竹建築は本当にアグレッシブ!!!!

東光園
アプローチとなる”建物正面”、西側外観を見る

鳥取県の有名な温泉地”皆生”に建つ、7階建て鉄筋コンクリート造の建物。この建物の大きな特徴・・大きく張り出した上部2層(5階と6階)が・・浮いている(上部から吊られている)構造・・

東光園
西側外観を見上げる

この浮いている上部を支えているのが「大柱」。大小ある4本の柱を組み合わせて「大柱」を作り・・上部の大きな荷重を支えているカタチは・・日本の伝統的な木造建築のいくつか・・「厳島神社の大鳥居」や「出雲大社の心御柱」を、連想させますが・・構造が手段ではなく、その見せ方そのものが目的になっているかの様な・・表現的構造への執念を感じざるを得ない・・

東光園
1階ラウンジを見る

貫梁と添柱によって組まれた・・コンクリート打放しの「大柱」は、室内でも存在感を放っていました・・ラウンジチェアーは剣持勇かな・・

東光園
1階ラウンジを見下ろす

庭のデザインは流政之・・竣工時に並んでいたラウンジチェアーは「ヤコブセンのスワンチェア」でしたが・・

東光園

館内には「菊竹建築の展示コーナー」があり・・東光園の石膏模型も展示されていました・・上部2層の「浮き感」が・・その真下である4階が「吹放しのテラス」になっている事で・・さらに強調・・(HPシェル曲面の)帽子のような屋根を含めた上部3層はまさに”空に浮かぶ天守閣”・・伝統的なものが持つ豊かさであったり、構造表現的なものの過剰さであったり・・並の近代建築とはひと味もふた味も違う・・菊竹さんの近代建築・・

東光園
階段室を外部より見る

階段室は壁面が全てガラス張り・・”床のみが宙に浮いている感じ”・・キャンチレバーな持たせ方で、床板は小口を見せて・・さらに踊り場部分では、外壁面から床を飛び出させて魅せる事で・・”浮いている感”を強調。

東光園階段
階段室を内部より見る

縦繁なサッシ割りのガラス壁面・・手摺り子はナイロンロープ張り、手すり支柱がgood。しかしながら・・この階段室に居ると、ちょっと”酔う”様な感じが・・少し揺れているかな?・・

東光園階段室
階段室を内部より見る

柱面に直接刻み込まれた階数表示が・・goodです。型枠板材のテクスチャーが現れたコンクリート打ち放し面・・goodです。

東光園
大柱を近接して見る

クラックが・・複数、あちらこちらに見えます・・・けっこう大きい!!!。日本近代建築の金字塔である丹下健三の「国立代々木競技場(1964)」と同年に完成した東光園・・この時代「世界のTANGE」として絶頂に達していた丹下さんに喰いさがる事の出来た・・

東光園
最上階の7階部分を外部より見る

最大の若手・・「メタボリズム建築の旗手」菊竹清訓による名作・・東光園。耐震改修も含め、早めの適切なメンテナンスが必要かと・・「出雲大社庁の舎」が取り壊されてしまったいま・・菊竹建築のもうひとつの金字塔「東光園」・・存命の瀬戸際・・なのではないでしょうか!!!

「建築探訪 64」-Shimane 5

島根県立図書館

日が暮れてしまったけれども・・菊竹清訓の設計による「島根県立図書館」(’68)を 探訪。「都城市民会館」(’66) と共に菊竹清訓さんのメタボリズムが実践された作品・・都城と比べるとこちらの方が表現としてはかなりオトナシイ感じがしますが、構成としては同じカタチ・・ 都城と同じく コンクリート基壇 + 鉄製の上部構造 。

島根県立図書館

外部から見ても、内部から見ても、その建築的構成は明瞭。
(上写真) エントランスホールよりダイナミックな広がりのある内部空間を一望。竣工時の写真を見ると、もともとの屋根は鉄骨部材が全て露わしで・・建築のコンセプトがより強く表現されていましたが、現在は大きな梁だけが露わしで梁間は白い天井材が貼られていて・・残念。

田部美術館/島根県立博物館/島根県立武道館
島根県にある菊竹さんの作品をいくつか探訪。
(左)「田部美術館」1979
(中)「島根県立博物館」1959
(右)「島根県立武道館」1970 

「建築探訪 54」-Kumamoto 2

熊本県伝統工芸館
東側の庭から見る

菊竹清訓さん設計の「熊本県伝統工芸館」(1983) を探訪。
1階が工房と販売スペース、2階が展示室・・ 四角い建物の中央あたりに、換気/採光/動線の核として両階をつなぐ吹抜けが設けられた建物。大木もある緑に恵まれた敷地と建物の関係や、2階出窓のヴォリュームが・・goodでした。

熊本県伝統工芸館
(左) 東側の庭より見る
(右) 駐車場よりアプローチとなる南側外観を見る

菊竹さんの解説文によると・・ 「日本の伝統的なカタチにみられる “部分の連続” ・・ 決して全体像が一望できず、見え隠れする部分を通じて全体像が想像として形をあらわす・・ そういったカタチの考えにしたがってまとめた・・」との事。

熊本県伝統工芸館
(左) 外壁は「熊本県立美術館」と同じような「打込みタイル」。耳付きの目地を詰めない「打込みタイル」といえば後期の前川建築の代名詞ですが、どうして菊竹建築に? ・・ 両館共にすぐ近く、つくられた時期も同時期、共に県の建物・・ 何か理由があるのだろうか?
(右) 1階より少し歪んだ形をした吹抜け部を見る
くまモン
駐車場で南側外観を撮影していると、車から降りて来たのは・・ くまモン!!   これから伝統工芸館でイベントがあるそうだ・・

「建築探訪 52」 -Hiroshima

世界平和記念聖堂

村野藤吾さんの設計による「世界平和記念聖堂」(1953)を探訪。
被爆倒壊した教会を世界各国からの寄付により再建・・ 1948年に設計案を募り、建築界の強い関心を集めた設計コンペが行われ、丹下健三や菊竹清訓や前川國男などの日本を代表する建築家が優れた設計案を応募・・

世界平和記念聖堂

打放しコンクリートの柱梁フレームに、現地の原爆の灰をかぶった土を含んだセメントレンガを積み込むという・・ 素材的にも工法的にも限定された構成・・ シンプルで実直な作り方が、再建への強い思い・・を伝えている様な気がします。

世界平和記念聖堂

壁詳細を見る。壁のセメントレンガは・・全体に渡りリズミカルに、ところどころに突出させています・・ コンクリートとセメントの素材そのままで、四角く大きな直方体の・・建物の威圧感を和らげ、ファサードに質感と陰影を与えるアクセントとして良く効いています。

世界平和記念聖堂
(左) アーチが架かった側廊部を見る。身廊+側廊というカトリック教会建築の伝統的構成を踏襲・・ 蛭石入りのプラスター塗りにより内部はシンプルで簡素な仕上げ

設計コンペは・・ 結果的には1等の該当者はなしに終わりましたが・・ 審査委員の1人であった村野藤吾が実施設計を委託されるという、なんとも納得のいかない結末。同じく審査委員であった堀口捨巳や吉田鉄郎はモダニズム色(コルビュジェ色)の強い丹下案や前川案に肯定的であったが、村野藤吾や今井兼次は否定的だったそうです・・ 

「建築探訪 50」-Miyazaki/都城

都城市民会館

どこの工場の設備機械だろうか? ・・ というこの姿。50年ほど前に宮崎県都城市に建てられた・・ れっきとした市民ホール。菊竹清訓さん設計による「都城市民会館」(1966)。

都城市民会館

こんなにインパクトのある建築はなかなかない・・ 独特の形。鉄筋コンクリート造の基壇の上に、鉄骨造の屋根が架かる構成。放射状に並んだ門型トラスが一点で集中する構造形式がつくる外観は・・まるでヤマアラシのよう。コンクリート基壇+鉄骨屋根の構成は同じく菊竹さんの設計による「島根県立図書館」(1968)と共通の手法・・ 変わらない部分(コンクリート造部) と 変わる部分(鉄骨造部) を明確に分けるという・・ この頃の菊竹的メタボリズム建築の思想。当時の菊竹事務所の担当者が内井照蔵さんというのも、内井さんの落着いた作風から思うと驚き。

都城市民会館
(左) 放射状に並ぶ門型トラスがコンクリート基壇の一点に集まっています
(右) 外部階段の手摺も放射状モチーフでデザイン。階段裏のコンクリート打放し木目の本実が渋い。壁のコンクリート打放しも変わった割りつけで、目地は出目地のような感じ・・ こういう細かいところが内井さん的 ?

都城市には新しい文化ホールが近年出来て・・古い市民会館は解体の危機もありましたが、保存運動の末、大学施設として存続が決まったそうです。昨年末に83歳で亡くなられた設計者の菊竹清訓さんも喜んでおられたのでしょうか・・

〈追記〉2019年解体

展覧会 2011

いくつかの展覧会や建物を見に行って来ました。メインは2つの展覧会・・

午前の1つ目は、六本木の森美術館「メタボリズムの未来都市展」
メタボリズムとは生物学用語で “新陳代謝” を意味します・・環境にすばやく適応して生きる生物のように、姿を変えor増殖していくような建築のヴィジョン・・海上都市や空中都市やカプセル建築等々。
世界にも影響を与えた、日本生まれの数少ない建築運動。1960年代に提案/実現された理想高く力強い・・ 黒川紀章、菊竹清訓、大高正人、槇文彦、丹下健三、磯崎新 等々の計画/作品郡。いつもながら大変なヴォリュームがある森美術館の展示・・ 朝いち午前10時から見て、出たのは午後1時すぎ・・ たっぷり3時間程かけて見させて頂きました。

午後からの2つ目は、東京国立近代美術館「ヴァレリオ・オルジャティ展」
1958年生まれ、スイスの山里フリムスに事務所を構え、時流にとらわれる事のない、本質的で存在力のある建築でありながら、世界的にも話題を集める建築をつくる・・ スイス人建築家の展覧会。
“概念性” と “職人性” 、”先進性” と “懐古性” が同時に混在したヴァレリオ・オルジャティの建築作品。住宅も美術館も全て同じ1/33で作られ、細かい部分は省略され、作品のコンセプトをうまく抽出して、具現化された真白で美しい模型群。そして彼が “図像学的自伝”と呼ぶ、彼自身が強く影響を受け、自身で集めた建物/空間/絵画などの図版郡。その模型群と図版郡の間を順路も関係なく巡る・・ という会場構成が素敵でした。

午前中、メタボリズム展を見始めた時、背の高い外国人の方がすぐ後ろから入ってこられました。この方とは、ほぼ同じペースで会場を巡る事になり・・ 何度か顔を見ている内に・・どこかで見かけた気がしてきて・・・  
白髪で/背が高く/眼鏡をかけた・・ 会場を出る頃、やっと思い出しました。 先週 買った建築洋書・・・ その作品集の写真の人だ!!  (下写真)

午後から見に行く「ヴァレリオ・オルジャティ展」の・・ オルジャティさん本人でし!勇気をだして「Are you Valerio Olgiati ?」と聞くと・・
「Yes」と優しい笑顔で答えて下さいました。作品集を先週買った事、午後からあなたの展覧会を見に行く事、あなたの作品が好きだという事・・を伝えたつもりでしたが、つたない英語なのでうまく伝わったかな?  でもずっと笑顔で・・ 優しそうな感じ。最後に握手もして頂き・・大きな暖かい手のオルジャティさんでした。

「建築探訪 12」 -Shimane

出雲大社庁の舎

島根に近代建築を見に行こうと思った時、まず頭に浮かぶのが・・菊竹清訓(1928- )の設計による「出雲大社庁の舎(’63)」・・ 建物外観は、刈り取った稲を架ける 「ばでば」 からの引用・・ 頂部には50mにもおよぶPC(プレストレスコンクリ-ト)大梁を2本載せ・・用途は社務所及び宝物殿。 

出雲大社庁の舎

この様な特異な外観をしたコンクリ-トの建物を、伝統格式のある建築が配置された出雲大社の境内によく造ったなぁ・・どんな感じで調和or対峙しているんだろうなぁ・・と写真で見る度に何度も思っていました・

出雲大社庁の舎
(左) 妻面にはPCパネルを張った 構造的/構成的な独特のデザイン
(右) ファサ-ドの大部分を覆うPC製ル-バ-
出雲大社庁の舎

菊竹清訓はメタボリズム・グル-プの主要メンバ-として、60年代に高い理想と過激な作品で、来るべき社会における新しい建築の在り様を提示しようと大活躍・・日本近代建築の名住宅として名高い「スカイハウス(’58)」で見せた明快で強烈な思想&表現はそれに相応しいものだった様に思えます・・近代建築のスタティックな機能主義ではなく、ダイナミックに生物のように新陳代謝する夢の都市は・・技術的に進歩するであろう将来において、これから開花する可能性もあるかもしれない・・時代を先取りしたメタボリスト/菊竹清訓の代表作。

かねや

帰りには出雲大社のすぐ近くにある「かねや」で “出雲そば” を頂いて帰りました・・おいしかったです