先週末に、引き渡しをした「多度津の家」・・・家具と植栽工事がまだなので、とりあえずの竣工写真・・
キッチンとダイニングテーブルは・・造付けのオリジナル家具。家具の施工は「FREE STYLE」さんにお願いしました。
非常にコンパクトなLDKですが・・南面の掃き出し窓、西面のピクチャーウインドウ、北面のハイサイド窓・・LDKにある「3つの特徴的な窓」からの眺めと・・気持ちの良い繋がり広がり・・が生活に潤いをもたらす、にちがいないと考えています。
県名
先週末に、引き渡しをした「多度津の家」・・・家具と植栽工事がまだなので、とりあえずの竣工写真・・
キッチンとダイニングテーブルは・・造付けのオリジナル家具。家具の施工は「FREE STYLE」さんにお願いしました。
非常にコンパクトなLDKですが・・南面の掃き出し窓、西面のピクチャーウインドウ、北面のハイサイド窓・・LDKにある「3つの特徴的な窓」からの眺めと・・気持ちの良い繋がり広がり・・が生活に潤いをもたらす、にちがいないと考えています。
このムニュっとしたコンクリートの殻・・2010年にできた「豊島美術館」・・とにかく凄い空間&建築・・アーティスト内藤礼との協働によるワンルームの半屋内外空間・・・素晴らしかった!!!!!!!!!!!!。
(10年程経っているのでコンクリート屋根の”フッ素樹脂塗装”がそろそろ再塗装の必要有りでしょうか・・)
建築設計はSANAAの西沢立衛さん・・・シームレス!!!!な、どこにも継ぎ目のない、40×60mの一塊のコンクリートシェル!!!!!!。(どうやって???こんな建築を作るんだ???という印象とは裏腹に、施工過程は意外と原始的で、人力勝負だったりもするので、ビックリ!!。)
残念ながら内部撮影禁止なので・・こちらを。
美術館に隣接したこちらのカフェショップは、美術館のミニチュアのような類似型の空間でおもしろい・・・訪れた日は、多くの外国人・・・瀬戸内海の小さな島という、不便な場所に在る美術館ながら・・海外の旅先として、足を伸ばしてでも訪れたい魅力がここには在るのでしょう・・建築とアートと自然が調和連続した・・ダイナミックな唯一ここにしかないという・・アートな場所。
オリンピック選手でもあり、香川県の建築技師でもあり、建築家としても活躍された山本忠司さん・・丹下健三の代表作である香川県庁舎の建設や、アトリエ建設に関わるイサムノグチとの交流などを通じて・・地域にある素材、技術、伝統から多くを学び・・“風土に根ざした独自の建築”を開花させていった・・山本忠司さんは多くの秀作を香川県に残されています。
「城の眼」は、今から57年前、1962年に高松市内に出来た小さな喫茶店・・注目すべきは、ファサードを構成している外装のデザイン!!!・・20枚程度のコンクリートパネルが金物で即物的に留め付けられているのですが・・このパネルのクラフト的な出来栄えが秀逸・・長方形コンクリートパネルに“縦桟で波波模様”をつけたデザインなのですが・・コンクリートを流し込む型枠の木板を、あえて斜めに組む事で出来上がったパネルのマチエールが・・goodです。下記はなるほどな!!!という山本さん自身の言葉です。
「地域文化というものは、できる限り広く求めて、そこにあるものと併せてもう一度グローバルなものに置き換えていく。それはその地域でつくるものであり、地域がつくるものである。そのモメントとなるのはやはり地域愛とそれに伴う情熱のように思われる。」 by 山本忠司
それにしても垂木が薄い、腕木も2本に分けてあるし、何度見てもgood です、香川県庁舎。丹下建築の中でも出来栄えも保存状態もバツグンです!!
日建設計(薬袋公明) による「114ビル・百十四銀行本店」(’66) を探訪。何と言っても “ブロンズの外壁 ” の存在感が力強いです。右側16階建ての本館。左側に道路を跨ぐかたちで高架通路が別館へと続く。(上写真) 大通り側、北西より見る。
高さ64mのビルは、この当時では「西日本最高」だったそうです。南北面はサッシ、東西面はブロンズ板張り。1.5mmのブロンズ板を乱張り・・ 表面を “緑青仕上げ” としているので、清掃は不要・・ 古くなっていく風合いが美しい・・というコンセプト。
コンクリート柱で持ち上げられた3階部分のピロティ下に、プレキャストルーバーの2階が入り込んでいる・・その2階部分もピロティで持ち上げられている・・ ピロティが入れ子式になっていてオモシロイ。
SANAA (妹島和世+西沢立衛) の設計による「海の駅 なおしま」(2006)。フェリーが直島に着くと、眼に飛び込んでくる・・ ひとつめの作品。大屋根の下に、イベントホール/券売所/休憩室/待合室/事務室などの機能を配置したフェリーターミナル ・・しかし見るからに、ただならぬ感じの様子・・・ 柱が細い !!!!!!! ・・・高さが4m以上もあるのに直径85mm !!!!!
70m×52mのこんなに大きな屋根なのに・・こんなに細い柱なのに・・ グリッドスパンが 6.75m !!! ・・ 屋根厚は 155mm !!!
直島をフェリーで離れる時に見送ってくれたのは・・ nendoによる、光るコーンのインスタレーション作品・・ キレイでした。
先週末は出張で高松へ・・・宿泊したホテルの窓から外を眺めると・・
「香川県立体育館」を見慣れない上からの視点で眺める事ができました。
「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 (’91)」(設計:谷口吉生) はとても素晴らしい美術館・・ 個人的にはかなりお気に入りの建築。
(上写真)ファサードを見る。黄色い彫刻は「星座」 右のは「シェルの歌」
普通ならばホテルやデパートが建つ駅前というロケーションや街に対して・・駅前から美術館まで一体がひと続きとなったデザインとした事、屋外彫刻を配したこのガランとしたスペースを設けた事、子供の落書きの様に自由なインパクトのある大壁画を設けた事、このファサードの大きな構え方・・・・ どこにでもある様な均質化した駅前とは違った “美術館がある駅前” という新しい場所性/風景を生み出す事に・・成功しているように思えます。
「この美術館の設計は時間がなくて完全に煮詰まっていない所が多いのだが、それがかえって建築を大らかな感じにしていて、そこが良かったのだ」と谷口吉生さんは仰っているのだが・・ どこがどこがという感じ・・細かな所まで完璧主義が貫かれた、あいかわらずの精緻極まりない谷口建築の見事さ・・
設計者である谷口吉生は猪熊弦一郎から「日本の建築はこまごまとして、スケールが小さい・・スケール感だけは大きくして欲しい。大きなスケール感がある建築で、光がよければ、あとは一切任せる」と言われ・・ “大きなスケール感”を出す為の、「プロポーションの決定」や「素材の使い方」に設計の多くの時間をかけたそうだ。
「建築にはいろいろな様式・・賑わしては消える流行の様式・・しかし最終的に建築の良し悪しを決めるのは、やはりプローポションと光と素材、あるいはスケールとテクスチャーなど基本的なこと・・ 」 by 谷口吉生
猪熊弦一郎美術館では「子供から入場料を取ってはいけない。少しでも取ってしまえば、よほどでないと来られなくなる。タダなら学校の帰りだろうと何だろうと、いつも寄ることが出来る。そういう風に見て貰わなくちゃいけない・・」との猪熊弦一郎さんの意見から、高校生以下は入場無料となっています。こんなに素敵な美術館に、倉敷からは1時間くらいで行けるので・・ LUCKYです。
「香川県立体育館」(’64) 設計:丹下健三 に行ってきました。
高松市中心からバスで10分、少し歩くと見えて来ました・・住宅街に舞い降りた和風宇宙船の様なインパクトのある姿は、周囲の平凡な街並みからは完全に浮いていました・・50年ほど前に地方都市につくられた市民施設。当時日本を代表する建築家による新しい表現。今は細々と使われメンテは最低限でやや使いこまれ古びた感じ・・出来た当初はその過激な表現と高い理想と過剰な情熱で注目を集めた話題作が、今は静かな住宅街の中で寡黙に立尽くしています。
一つの作品としては非常に高いレベルにある大建築家の作品なのだが、周囲とはいつまでも馴染めなかった転校生のような寂しさ・・HP局面の吊り屋根・観客 席床の格子梁・それらを支える大側梁大柱による構造のダイナミックな構成による表現は同年竣工した丹下健三のピ-クと言ってもいい「東京オリンピックプー ル」を連想させずにはおきません。
「香川県庁舎」(1958) 設計: 丹下健三(1913-2005) へついに行きました。
コンクリート構造という近代建築言語による “日本”の直接的表現。近代建築に対する伝統継承問題への解答。モダニズムの地域的成熟。有名すぎる日本近代建築の名作。丹下健三の代表作のひとつでもある建築。
完全な中央コアプラン。外周部12本の柱で大きく持ち上げられた開放的な1階ホール。各階で大きく張り出したバルコニー(庇)。バルコニーを支える小梁のリズミカルな反復。強調された水平性。・・伝統の創造的継承のイコンとして、そのスタイルは・・庁舎建築のお手本として亜流を全国的に普及させていく事となる・・
伝統継承を復古主義or折衷主義ともいえる表現に押し止めようとする動きは、1930年代にはコンクリートの建物に瓦屋根を冠した”帝冠様式”などで見られる様なデザインを生みだしましたが・・その様な回顧的な表現では、近代と日本のより良い共存関係への・・明確な解答とはなりませんでした。
その問いかけの終点のひとつが丹下健三の「香川県庁舎」だったのではないでしょうか・・明快な平面。簡素な構造。素材美。無装飾。左右非対称。モジュール・・近代と伝統の両方に共通する概念・美意識によるデザイン。
1952年広島ピースセンターから1964年オリンピックプールまでの間の丹下作品は本当に眼を見張る様な”英雄的仕事”。今後もこの様な”国家的建築家”が現れる事はない様な気がします。現在国際的なスタ-建築家である安藤忠雄氏や妹島和世さんでも・・及ばない力強さと風格を備えた丹下作品。猪熊弦一郎の壁画、剣持勇の家具も花を添えています。
「衛生陶器のような白い四角い箱ではなく、帝冠様式のような日本式建築でもなく、近代建築と共通性のあるような新しい日本建築の造形を探したい・・」 丹下健三