「建築探訪 110」-France 14 / Paris

歴史を感じる、石造りの街並みをブラリとしていると・・ グニャグニャとした金属製の表皮で覆われた建物を発見!!・・明らかに周辺の石造建築物とは表情を異にした・・パンチのあるファサード。

フランス文化省

近くで見ると・・こんな感じ。ガラスBOXの建物外周を、全て金属製のパネルで覆った建物。フランシス・ソレール設計の「フランス文化省」(2004) 。現代的なのに、なんかエレガント・・グニャグニャな感じが、ややアールヌーボー的にも見えるからだろうか。建物上部が緩やかにセットバックしているのも効いていますよね・・石造りの街並みとは全く異質なものなんだけど、意外にマッチしていると思うんですが・・いかがでしょう

フランス文化省

金属パネルはステンレス製。グラフィック系ソフトの・・自由曲線ツールで即興的に”落書き”した様なデザインを・・そのまま (レーザー裁断によりパネル化) プリントアウトしてしまった感が・・goodです。パネルのデザインは数種類だけど、左右反転して使ったり・・変化を付けて使用されています

「建築探訪 103」-France 13 / Paris

ポンピドゥーセンター

いまや見慣れたかも知れぬ、観光地としても多くの人が訪れる、パリの有名な総合文化施設・・「ポンピドゥー・センター」(1977) 。建築家は・・レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースの2人組。いまや共に超大御所の建築家となった2人も、1971年のコンペ当時にはピアノ34才、ロジャース38才。(上写真) 南側外観の足下を見る。柱から持ちだされたクラフト感ある独特な形状をした・・鋳鉄製ゲルバレット梁の長さは8m。

この建築は・・何と言っても、この外観のインパクトが凄い・・建物を支える構造である鉄骨柱梁が剥き出しなだけでなく、電気・水道・空調などの設備配管まで剥き出しになっている建物・・・普通は内側にあって見えない(見せない)部分が、全部表に出てきている(人間で例えるならば、内蔵や骨格が全部見えている状態?)・・  無論その外観に反感を抱く人も少なからず・・

ポンピドゥー・センターのすぐ横にあった教会に入ってみました。・・この様な昔ながらの建物がたくさんあるパリの街並み・・ そこに突然現れた “いつまでも工事中” の様にさえ見えるポンピドゥー・・・
ポンピドゥーセンター
西側の広場とは反対側、通りに面した東面ファサードを見上げる。設備のダクトやパイプだらけの外観・・しかも、わざわざ目立つ色でその存在感を強調し・・古い街並みを挑発さえしているかの様な感じ・・
ポンピドゥーセンター
建物の東南角を見上げる。40年近く前にして、この前衛的外観 !!・・・パリ市民からすれば、竣工当時は工場にしか見えなっかただろう・・ よくぞこの計画案を選択したものだ・・審査会の委員長がジャン・プルーヴェだったという事も大きかったのだろうか・・
ポンピドゥーセンター
最上階まで続く “ガラスチューブエスカレーター” と、巨大な “展覧会のお知らせ” が眼を引く・・広場側の西面外観を見る (こちらの建物となんとなく雰囲気が似ています) 。広場の床は建物側に向かって傾斜が取られており、自然と視線や足が建物へと向かう・・ 6階建て、巾166m、奥行き60m・・サッカー場が縦に積んで6面も取れる。

“ハイテック” と呼ばれた・・「レイト・モダン建築」 はどうしても「過度」に見えてしまう・・マテリアルやテクノロジーを装飾的にさえ見える様に強調したその姿は・・ やはり”SF的” なんだけれども、その”SF的orマンガ的”な感じが楽観的でgoodですよね。その源流とも言えるアーキグラムのイラストの中に見られる様な・・硬直したモダニズムが描く都市とは違う、終わる事なく無限に自由に変転伸展していく都市のイメージは”まだまだ”実現は難しいだろうがオモシロイ・・  ポンピドゥーもアネックスなどを作らずに、パリの街並みの中でその本体をどんどん増殖伸展させていってはどうなんだろうか・・

ポンピドゥーセンター
建物内部を見る。建物の短手を横断するスティールトラスのスパンは48m。彩色された梁や設備配管もインテリアとして映えている?  ・・ 現代美術館、研究図書館、デザインセンターなどの機能がつまった巨大な建物の内部空間は柱が1本もない無柱空間、どんなイベントにも対応できる可変性の高いフレキシブル空間

「建築探訪 82」-France 12 / Le Corbusier 10

救世軍難民院

ル・コルビュジェ設計の「救世軍難民院」(1933)。非常に細長い平面をした10階立ての建物。
(上写真 左) 巨大な船の様にも見える、長手の長大なファサードを見る
(上写真 右) 短手の細長いファサードを見る
救世軍とは政府が、家のない人や働く場所のない人たちを、社会復帰させる事を活動の主眼とした組織・・その運動のための施設。しかし特徴的な長大なファサードを見ていると・・何か違和感が・・

竣工時のファサードデザインでは・・この長大な面は完全密閉された全面ガラス張りだったのです。しかもダブルスキン&完全機械空調・・ 今では普通の事ですが、この当時1930年頃では革新的な試みでした・・しかしコルビュジェが「正確な呼吸」と呼んだこの技術はうまくいかず・・ その後改修されました。コルビュジェの死後には、赤青黄にも彩色され・・もともとの様子が分かるのは今や玄関/ロビーのみ。
(上写真) 左下の四角いヴォリュームが玄関。その右手のV字柱で支えられたキャノピーを渡り、円筒形をしたロビーから建物に入ります。

救世軍難民院
(左) 円筒形のロビーから入り口を見返す
(右) ロビーへと至る通路。曲線を描くカウンター

コルビュジェが「正確な呼吸」と呼んだ試みは、この建物に先立つ意欲的な計画・・「セントロソユーズ」(下図) で初めて導入が考えられていた様です・・

台形型平面ホール & 細長い事務棟 による・・この頃のコルビュジェの大型施設の計画案は非常に面白く、興味深い。未完の超大作「ソヴィエトパレス案(1931)」(下図) はもちろん・・

理不尽な理由で選考から外された「国際連盟会館コンペ案(1927)」(下図) など・・(セントロソユーズは一応は実現はしたけれども) ・・ この頃の同じコンセプト “台形型平面ホール & 細長い事務棟” によるプランニング・・ この通りに実現していたら、どんな建築だったんだろうと、興味がつきない計画案ではあります。

コルビュジェは近代建築を代表する大巨匠と言われながらも・・この様な大型施設に関しては、なかなか実現の機会には恵まれず・・ 以外と大規模な作品が少ないのです。

「建築探訪 81」-France 11 / Le Corubusier 9

クック邸

ル・コルビュジェ設計の「クック邸」(1928) 。立面平面ともにほぼ正方形をした、4階建ての都市型住居。プラネクス邸 と敷地条件が似ている・・ 両側を建物に挟まれ、前面は道路。 (上写真) 道路より北東向きの外観を見る。4階の左半分はリビング吹抜け、右半分の道路側が屋上庭園となっています。

(右) 竣工時の外観の様子、そんなに変わっていない感じ
(左下) リビングから道路側を見たところ・・この中央壁と両サイド窓のデザインが・・なんとなくプレモダニズムな頃のコルビュジェの「シュウォブ邸 (1916)」を思わせていてオモシロイ

プラネクス邸と大きく違うのは・・ 上部マッスを持ち上げている、下部ピロティの様子・・ プラネクス邸が、実際は部屋が在りながらも・・ ガラスのカーテンウォールで、下部が浮いているかの様に見せているのに対して・・ クック邸の1階は小さな玄関と階段があるだけで (両サイドは壁で完全に覆われていますが) ・・ サヴォワ邸 の完全解放ピロティとまではいきませんが・・ かなり大きく開放されています。

吹抜けのある3階リビングの様子・・ 右手の低い部分 (4階屋上庭園の下) がダイニング。 リビングの奥には南西向きの大きな窓。階段奥にはキッチン。階段を上がると4階屋上庭園に面した図書室へ上がれます。

「建築探訪 80」-France 10 / Le Corbusier 8

プラネクス邸

パリ13区、マセナ大通りに面して建っている ル・コルビュジェ設計の「プラネクス邸」(1928)。(上写真) 道路より南側外観を見る。残念ながら見学はできません。樹が覆い茂ってやや見えにくいですが・・上部の3階/4階は開口の少ないマッスとして扱い、下部の1階/2階は全面ガラスのカーテンウォール・・ 建物が持ち上げられたような ピロティ 的な扱いのデザイン。

85年前の竣工時と比べても、そんなに外観は変わっていない様な感じです。両側を建物に挟まれ、前面は大きな道路・・最上階にはオザンファン邸のようなトップライトがある階高の高い部屋がある4階建ての都市型住居。4階部のバルコニー(3階寝室)となっている、建物ファサード中央の張り出した部分が外観のアクセント。

断面で見るとこんな感じ・・ 右手の南側前面道路からは、左手の敷地奥となる北側が・・かなり上がっている事が分かります。1階2階にはメゾネット式で2住居。3階4階へのアプローチは建物中央1階エントランスを抜けて、敷地奥の屋外階段からのようです。

敷地裏手から見るとこんな感じ・・ブリッジでもアプローチできる3階部分は、敷地奥の北側に大きく開口を設けています。こういったブリッジや屋外階段での建物アプローチというのは、ANDOさん的な感じですよね・・

最上階は画家/彫刻家であったプラネクス氏のアトリエでした・・ ドラマッチックに陽が差し込んでいます・・ トップライトの窓はアトリエなんだけど、南向きなんですね・・

「建築探訪 79」-France 9 / Le Corbusier 7

オザンファンのアトリエ

ル・コルビュジェ設計の「オザンファンのアトリエ」(1922) 。パリ市内の中心からやや南・・ルイユ通りから入る小さな道との角地に建っているアトリエ兼住居の3階建て・・コルビュジェの「白の時代」と言われる、白い四角い住宅ばかりを手掛けていた時代の・・最初期の実現作のひとつ。(上写真) 東側の外観を見る。

1階には車庫。外部の廻り階段から上がった2階が玄関・・3階は他階の1.5倍くらいの高さを取った、天井高が充分にあるアトリエ。このアトリエの主であったアメデエ・オザンファンは・・ コルビュジェと共に著書を出したり、雑誌を刊行したり・・絵画教育にも力を注いだ・・コルビュジェの盟友・・ピュリズムのフランス人画家。
(上写真) 残念ながら・・建物外観の大きな特徴であった、3階アトリエのトップライト(ノコギリ屋根)は撤去され・・ 竣工時とは様子が大きく違っています。

北側を向いた、2つの大きなノコギリ状屋根から取り込まれた光が・・トップライトとして降り注いでいる竣工時の3階アトリエ内部。トップライトと共に、北面と東面に向かった2つの大きな窓を、合わせて見ると・・ アトリエ内に “浮かぶ直方体” が見えてくる・・非常に明るく開放的なアトリエ。左手のロフト的な小スペースは階段で上がる小書斎。

「建築探訪 78」-France 8 / Le Corbusier 6

サヴォア邸

パリ北西の小さな町ポワシーに建つ・・ 近代建築史において “最も有名な住宅” と言っても過言ではない・・ル・コルビュジェ設計の「サヴォア邸」(1931) 。コルビュジェが唱え続けた “近代建築の5原則” を明確に体現した・・ 理想のヴィラ。計画案としての「ドミノ型住宅」(1914) や「シトロアン型住宅」(1920)、実作としての「ヴォルクソンの住宅」(1922) から始まった、白い四角い住宅ばかりデザインし続けていた・・ コルビュジェの「白の時代」を締めくくる作品。

サヴォア邸
西側より外観を見る。広い芝生の海原に浮かぶ “船” のような・・

コルビュジェの唱えた「近代建築の5原則」とは・・ピロティ/屋上庭園/自由な平面/水平連続窓/自由なファサード・・1階は細い円柱で持ち上げられたピロティ、正方形平面の2階には四周すべて水平連続窓・・非常に分かりやすい、一度見れば忘れようもない、単純な四角い箱の建物・・ しかし、3階の屋上庭園を囲っている曲面壁の存在が・・外観あるいは建物全体の印象をより豊かなものにする事に、大きく貢献している様な気がします。 

サヴォア邸

保険会社のオーナーであったサヴォア氏の週末住居として10年程は使われていたが・・1940年のドイツ軍進駐により退去。
(上写真)1階ピロティ下の玄関前を見る。建物正面となる北西面の丸柱は、側面の外壁面に揃えられた丸柱よりも・・大きく内側に入り込んでいます。玄関前の上部は2階リビング。

サヴォア邸
(左)1階ピロティ部は自動車が通行する事を考慮して計画されている。やや巾が狭い気もするが・・建物下を通って玄関まで車を寄せて来る計画
(右) 玄関ホール内よりピロティを見る。均等ピッチで縦桟を細かく割り付けたスチールサッシ面は、構造とは縁が切れ・・柱の間を縫うように、自動車の回転半径から導かれたという円弧を描いています・・ 
サヴォア邸
1階玄関ホールを見る・・ 左手に螺旋階段、右手に緩やかに上がって行くスロープ。もちろん訪問者はゆっくりと建築的散策を楽しみながらスロープで2階へ。他の独立柱はすべて丸柱なのに・・ 階段とスロープの間にある独立柱だけはなぜか “大きめの四角柱” ?  
サヴォア邸

1階からのスロープを上がった所・・そしてさらに、2階より3階屋上庭園へ続いて行く屋外スロープが、水平割りのスチールサッシ越しに見える・・ 上へ上へと繋がってゆく断面的方向性が強く意識させられる・・各階の平面中央を貫く、このスロープ空間が・・この建築の要となっています。

サヴォア邸
南側の中庭に対して、大きな開口を設けた2階リビングを見る

外観の印象では、建物の存在感はとても大きく目立つものでしたが・・内部に入ると建物の存在感というのは薄れてしまい・・外部環境を見事に切り取り、呼び込む・・ 光と緑に溢れた、明るく健康的な生活を送る為に、人間の生活を支える道具として・・建物の存在感は控え目なものでした。恵まれた周辺環境のおかげでもあるのですが、水平連続窓がとても効いています。

サヴォア邸
2階中庭を介してリビングを見る

リビングの上には右手の屋外スロープより上がることが出来る3階屋上庭園。1940年の退去以来・・長い間の放置で、荒れた状態となったしまっていたサヴォア邸・・ 1965年にはポワシー市が取り壊しの計画を発表したが・・ 様々な方面からは保存を望む声・・ 救いの手を差し伸べたのは、当時の文化相であったアンドレ・マルローでした。現在は非常にすばらしい保存状態です。

サヴォア邸のシェーズ・ロング
陽当たりの良いリビングの大開口前に置かれた寝椅子は・・デザインされてから90年近く経った今でも製造販売元のカッシーナ社を代表する名作家具・・コルビュジェ自身がスタッフであったシャルロット・ペリアンと共にデザインした・・ “LC4” こと「シェーズ・ロング」(1928) 。 

「建築探訪 77」-France 7 / La Defense

グラン・アルシュ

パリのラ・デファンス地区のシンボル「グラン・アルシュ」(1990)。設計は国際コンペで勝ち抜いたデンマーク人建築家ヨハン・オットー・フォン・スプレケルセン(1929-87) 。一辺105mの立方体の中心を四角く刳り貫いたようなデザイン。高さ巾ともに凱旋門の倍。建物だけでは硬くなり過ぎる印象を柔らかくしているのは、ピーター・ライス設計のシースルーエレベーターと、雲の様なデザインの日除けテント構造体。

グラン・アルシュ
近くで見てもカッコイイ!!  ハイテク的な日除けテント構造体
グラン・アルシュ
かなり古典的で威圧的な感じもする建物なので・・建物以外の要素である日除けテント、エレベーター、大階段の存在が大きな役目を果たしている様な気がします
グラン・アルシュ
グラン・アルシュから南東にまっすぐ伸びる都市軸、はるか向こうに凱旋門が見えます (そのさらに先にはルーブル)

新都心として新たに開発されたこの地区・・ 都市の要として設けられたグラン・アルシュ、そこから一直線に伸びる都市軸、その軸に沿って並んだヒューマンスケールではない近代的高層ビル・・ いかにもと言った感じの、教科書的でさえある “新都市”・・ しかしこの様な街並みにある種の郷愁感めいた感覚や、居心地の良さを感じたりするのは、どういった事なのかと考えてしまいます・・

グラン・アルシュ

20年以上前、大阪城のすぐそばにOBPという新都市が出来た時も・・そんな気持ちで・・ 月に突き刺さったモノリスを眺めるように・・「クリスタルタワービル」を見ていた。エドワード・ホッパーの絵ではないけれども、都市に対する郷愁感といったようなものは、近代以降ごくあたり前の感覚ではないかとも思ったりするのだけれども・・コルビュジェも実現する事はなかったが、古いパリを一掃する “新都市” の計画案をいくつも描いていた・・

PAUL

お昼はグラン・アルシュの地下にあった、日本でもおなじみのパン屋さん「PAUL」で買って、大階段に座って簡単に済ませました。

グラン・アルシュを設計した建築家スプレケルセンは建物の完成を見る事なく、1987年に58歳で亡くなりました。その後の工事監理は「シャルル・ド・ゴール空港ターミナルビル」も手掛けた、フランス人建築家ポール・アンドリューが行いました。

「建築探訪 76」-France 6 / Le Corbusier 5

ブラジル学生会館

パリの国際大学都市内にある、ル・コルビュジェの晩年に近い作品「ブラジル学生会館」(1959)。同じくコルビュジェが設計した「スイス学生会館」もすぐ近くです。(上写真) 西側より見る。両サイドのポチ窓部にはキッチンやトイレなど、少し膨らんでいる中央部分には共用室や自習室などを配置。中廊下式の平面計画になっており、西側に共用部、東側に個室が並ぶ。左下、建物1階の張り出した部分はエントランスホール。エントランスへはピロティ下を潜ってアプローチ。

ブラジル学生会館
集会場や娯楽室などがある1階の張り出した部分・・北側に面したドライエリア的なスペースは、裏方用のアプローチスペースのようです。建物の上部はPCパネル、下部はバラ板コンクリート打放し・・建物の上下で使い分け
ブラジル学生会館
建物西側、共用部のバルコニーを見る。壁面は各階でブラジル的な色を塗り分け
ブラジル学生会館
建物東面を見る。各個室のバルコニーが並ぶ
ブラジル学生会館
各個室のバルコニー部を見る

この計画はブラジル人建築家ルシオ・コスタとの共同で始まった・・コスタとコルビュジェの関係は、1935年にコスタが、「リオの保健教育省庁舎」(1935-45)の設計をするにあたり、設計チーム顧問としてコルビュジェをブラジルに招聘した事から始まり・・ それを契機に近代ブラジル建築はコルビュジェの強い影響力を受けて・・ニーマイヤーやブラジリアなどを始めとする近代建築の成果が花開いていく事になります。

ブラジル学生会館
エントランスホールを見る
ブラジル学生会館
あちこちのコルビュジェ建築で見られる・・コルビュジェらしい “縦長換気窓” 、外部側にFIXの網戸あり。色はブラジリアンイエロー

コルビュジェ72歳、活動の拠点パリにおいて完成させた・・ 最後の作品となりました