
建築の隅々まで、どんな箇所の1mm1mmまで、マテリアルそれぞれの肌理まで・・本当に些細なディテールの工夫と積み重ねで、素晴らしい建築は出来上がる。ディテールの連鎖が建物全体を覆う・・Carlo Scarpa の Brion Family Tomb
建築の隅々まで、どんな箇所の1mm1mmまで、マテリアルそれぞれの肌理まで・・本当に些細なディテールの工夫と積み重ねで、素晴らしい建築は出来上がる。ディテールの連鎖が建物全体を覆う・・Carlo Scarpa の Brion Family Tomb
何度見てもgood です。こんな写真もありました。
2009年の探訪記より・・カステルヴェッキオ美術館 (1964)
何度見てもgood です。こんな写真もありました。
2009年の探訪記より・・「ヴェローナ銀行」(1980)
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20012年の探訪記より・・「サンテリア幼稚園」(1937)
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20012年の探訪記より・・「ガララテーゼの集合住宅」(1973)
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2009年の探訪記より・・「カサ・デル・ファッショ」(1936)
アルド・ロッシ (1931-97) 設計の「ガララテーゼの集合住宅」(1973) 。(上写真) 南北の長さが180mもある、長細い住棟の西側外観を見る。建物下部の規則正しく並び、建物を持ち上げている、壁柱のピロティこそが・・この建築のチャームポイント。
ピロティで持ち上げらている住居部分が2層部分と3層部分・・ といった少しの違いはあるにせよ、変化の少ない同じ形が180mに渡り反復される立面。
本当に見事に何も置いてない事にビックリ!! (住民や管理組合に対して、何かルールでの規制が徹底しているのだろうか? サインや張り紙等も1枚もない !! ) 駐車場・駐輪場や倉庫など、機能的に考えればスペースとして何かに使えばかなりの広さがある訳で・・
しかし勿論、この贅沢で非機能的な無駄使い・・ 長大な反復や余白こそが、”空間の魅力”を生み出している力な訳であり・・ 言い方は悪いが、内面的退行的なロッシ建築の「沈黙と不在が意図された」ような空間が・・こんなにキレイに保たれている事はかなり嬉しかった。 ロッシの “類推的建築” の代名詞「ガララテーゼの集合住宅」は、今までメディアで見ていたのとは異なり・・実際に訪れた印象としては・・ 快活で、健康的ですらある様な感じがしました。
チェーザレ・カッターネオ(1912-43) 他設計の「労働保険組合」(1943)。道路の奥、大きな樹の向こうにあるのが・・テラーニの「カサ・デル・ファッショ」 。カッターネオはテラーニらと共に、コモ市の都市計画などにも従事していました・・ テラーニよりも8歳年下だが亡くなっているのは同じ1943年・・ わずか31年の建築家としては短すぎる生涯。 (上写真) 南側道路から東面を見る。
もともとの建物はこんな感じで、なかなか端整な建築でした。
しかし今は印象がかなり違う・・建物頂部に付け加えられた庇が決定的か・・ 窓のあたりももなんかごちゃごちゃしてるし・・ テラーニ作品の様には大事にされていない様子。「カサ・デル・ファッショ」と共に、綺麗な元の姿で並んでいた頃は壮観だったろうな・・ イタリア アヴァンギャルドの殿堂だ・・
(上写真-下) 北側道路より東面を見る。奥に「カサ・デル・ファッショ」がわずかに見えています。
イタリア中世の街並みが残る”コモ”には、この町で設計事務所も開設していた建築家ジョゼッペ・テラーニの作品が数多く残っています。
その1. 「ノヴォコムン集合住宅」(1928)。道路に面した建物角部の1~4階が大きなアールになっていて、3階4階部は丸いガラス張りの部屋になっているのが特徴・・ ややアールデコっぽい感じもする、テラーニ 若干23歳の作品。
その2. 「ジュリアーニ・フリジェーリオ集合住宅」(1940)。テラーニが実現した最後の作品。テラーニは39歳の若さで、1943年ムッソリーニ政権崩壊直前に自殺しています。建築家として活動ができたのはわずか13年。
その3. (左) 「ポスタ・ホテル」(1931)。市からの設計変更要請があったからなのか、外観はやや慣習的。(右) どこのテラーニ建築にも共通して付けられている、テラーニの設計である事を示す “サインプレート”。このプレートはすぐ近くにあるテラーニが大学卒業直後に、ホテル1階部分のファサード改修だけを手掛けた「メトロポール・スイス・ホテル」(1927)のものです。
その4. 「ルスティチ集合住宅」(1935)。これはコモではありませんが、ミラノ市内を移動中に車内の窓越しにテラーニ建築を発見&速写 !!!
一瞬でしたが眼に焼き付けました・・ コモでも時間がなく訪れる事が出来なかったテラーニ建築はまだまだ在りました。
イタリア人建築家 ジュゼッペ・テラーニ(1904-43)による「サンテリア幼稚園」(1937)。ミラノから北へ40km程の町 “コモ” にあります。
(上写真) 芝生の園庭より東側外観を見る。フレームの存在と、建物との距離感がgoodです。風にはためく日除けテントが気持ち良さげ。
規則的な構造的枠組みの中で、様々な変化をつけて開口部を操作していく様な手法は・・「カサ・デル・ファッショ」とも共通している部分な気もしますが・・ 「カサ・デル・ファッショ」に感じる回帰的な古典性の様なものは、ここでは感じる事は少なく・・ より自由を獲得した合理主義建築の軽快さが強調されてい様な気もします。「カサ・デル・ファッショ」も見ようによっては、(ムッソリーニ率いるファシスト党の建築だという事を忘れて) 「サンテリア幼稚園」よりもさらに自由な建築に見えて来る様な気もします。