「建築探訪 152」-Aichi 6

丸栄百貨店

今年で75周年を迎えた、名古屋を代表する百貨店・・「丸栄百貨店(1953)」。上写真は北面ファサードを見上げたところ・・ガラスブロックと薄青紫色小口タイルによる、”縦長感の強い構成”と”細長い横桟”のバランスが・・(なんとなく和柄なイメージで)とても・・綺麗!!!!。1953年の日本建築学会賞を受賞。築65年。今年の6月に営業終了、9月に取壊し。設計は村野藤吾

丸栄百貨店

西側は一転して・・アブストラクトな”モザイクタイル張り”。大阪ミナミにある類似デザインの村野ビル(ドウトン)で、このデザインは見慣れていましたが・・こちらの方が、とても鮮やかなので・・驚き。名古屋の村野作品では「名古屋都ホテル(1963)」という、一度見たら忘れられない”窓枠”の・・インパクトある外観の建築がありましたが・・2000年に取り壊されました。

名古屋近鉄ビル

名古屋駅のすぐ側にある「名古屋近鉄ビル(1966)」。竣工から50年以上経っているが、大きく変わった様子はない・・少し広告で見にくいんですが、建物の足元1階部分の”ハンチのついた大梁”と”少し傾いた多角形柱”がチャームポイント。

名古屋近鉄ビル

カーテンウォールの建物ファサードを見る。パラパラとした縦桟がgoodです。道路から建物に入り・・地階に下りると、近鉄駅改札口に直結。設計は坂倉準三

〈追記〉丸栄百貨店2018年解体

「建築探訪 146」-Gifu 2

羽島市庁舎

大スロープ、水平に重ねられた高欄手摺と大きな開口部、屋上に載せられた凸凹屋根、聳える火の見櫓・・坂倉準三建築研究所の設計による「羽島市庁舎(1958)」を、今年の5月に・・探訪。羽島市は坂倉準三の故郷、実家は近くにある有名な造り酒屋(千代菊)・・北側から見る。坂倉の庁舎建築といえば、呉市庁舎旧枚岡市庁舎

羽島市庁舎

建物の東側には・・高く聳える”火の見櫓のような”望楼と、4Fまで繋がる折り返しの大スロープ。この角度から見ると、各建築的要素の構成による、建物のダイナミックさがよく伝わる。

羽島市庁舎

この建築の大きな特徴・・2Fのメインエントランスへと繋がる、建物を南北に貫く、大きな斜路。坂倉さんの建築と言えば・・建物をプロムナード的に巡っていく階段やスロープといった物の・・存在感や独立感 が際立っています。有名な1937年のデビュー作である「パリ万博日本館」もそう!!。

羽島市庁舎

南側の立面を見る。建物の廻りには小さな池が張り巡らされ・・坂倉準三の傑作である「カマキン」にも通じる、水辺と建物の関係性。屋上に突出物を載せるデザインは師匠ゆずりで・・いかにも「コルビュジェ」!!。

羽島市庁舎

坂倉の設計による東急文化会館呉市庁舎が撤去され・・そしてまたこの建物も”サヨナラの危機”(今月初めに新庁舎建設工事の公募型プロポーザル」の公告が羽島市より発表)・・個人的に思い出のある大阪の枚岡市庁舎も危なそうだし・・近年次々と撤去されていく坂倉建築・・。今は使われていない、折り返しながら4階まで上がる大スロープを見る。

羽島市庁舎

大スロープ横にある、望楼への入り口部に目がとまる・・壁面と開口のバランスが何ともgood・・それを際立たせているのが、この型枠の割付け・・

羽島市庁舎

昔の”コンクリート打放し”は・・コンクリートを流し込む為の木製型枠が、大きな1枚のパネルではなく・・フローリングのような板材を貼りあわせた物・・しかし、この割付けはとても手が込んでいて、goodです。

「建築探訪 133」-Yamaguchi 2

山口県立山口博物館

「山口県立 山口博物館(’67)」を探訪・・設計は坂倉準三建築研究所
(上写真) メインアプローチとなる外部大階段の境壁に開けられた不思議な開口・・不正形なカタチに、角度を変えた切り込み・・goodです。

山口県立山口博物館
東側外観、建物正面を見る。もともとは全て・・コンクリート打放し仕上げの建築でしたが、今は一部分を残してタイル張りとなった建物外観。アプローチは右手にある外部大階段を上がった2階から
山口県立山口博物館
建物正面である東側外観とは、ガラッと雰囲気の変わる・・北側外観を見る。北側の外壁仕上げはボード張り・・硬軟強弱の付け方が・・goodです
山口県立山口博物館
1階ピロティ部を見る。左手奥に見えている屋外大階段・・いまは鉄骨造ですが、もともとはコンクリート造、打放し仕上げ・・だった様です
山口県立山口博物館
1階ピロティ部、ビビットな天井の色彩。もともとのデザインがこの色であったのか・・どうかは分かりませんが・・goodです
山口県立山口博物館
1階ピロティ部より敷地奥を見る。敷地奥には春日山・・敷地の環境条件から導き出されたという建築形態のイメージは “敷地に架け渡された橋” 

「建築探訪 60」-Tokyo/上野 2

国立西洋美術館

近代建築の巨匠 ル・コルビュジェによる「国立西洋美術館」(1959) を探訪。もちろんですが、日本にある唯一のコルビュジェ作品 です。国立西洋美術館が創設された経緯は、戦後間もない頃に吉田茂首相がフランス政府に、世に言う松方コレクションの返還を求めたことから始まる・・フランス側からの返還条件の一つが美術館の建設でした。

1955年に68才だったコルビュジェは、敷地調査のため初来日・・わずか7日間の滞在となり・・その後は2度と日本の土を踏む事はありませんでした・・ですのでもちろん完成した建物を実際に訪れて眼にする事もなかったのです。設計も基本設計図程度で、実施設計は日本側に任せ・・ フランスから遠い日本でこの美術館が実現できたのは、かつてフランスのアトリエでコルビュジェから建築を学んだ、弟子たち (前川國男/坂倉準三/吉阪隆正) が日本で頑張ったからこそ。
(上写真) 1階のピロティ部は後の改修でほとんどが内部空間に変わってしまいました・・当初は1階の半分くらいまでは屋外空間でした・・前庭の屋外床がずずっと建物下まで入り込んでいたそうです。コルビュジェの代名詞とも言える “ピロティ” が・・

大きな三角型トップライトと吹抜けがある中央ホールを見る

渦巻き状の動線システム、1階から2階へのゆっくりと上がる大スロープなど・・コルビュジェらしい建築言語がきちっと具現化しています。
ロの字型の動線計画、ピロティで持ち上げられた直方体、建物正面の四角い開口、建物中央の吹抜けなど・・ 坂倉準三の「神奈川県立美術館」と似ているところはさすがに多い。

長大作 「中座椅子」

長大作中座椅子

事務所の打合せコーナーの椅子が壊れたので‥  新しい椅子を購入。
長大作さんにより1957年にデザインされた「中座椅子」。

1921年生まれの長大作さんは「坂倉準三建築研究所」出身。坂倉時代に手掛けられた「松本幸四郎邸」のために1957年にデザインした家具「低座椅子」は、座面高さ290mmという和室用に調和させた絶妙な高さと、和洋が調和した秀逸なデザインで、今なお人気の高い長大作さんの代表作。
この中座椅子は低座椅子の発展型として同じ流れにあるデザインですが‥ 座面高さ345mmという、これもまた絶妙な座面高さの椅子。「低座椅子」「中座椅子」の両方に共通する‥ 柿を縦に割ったようなカタチの座面と背板の優美な扁円形をした成形合板による曲面や、座面と背板を板脚で繋いだだけの簡明な構成がGOODです。

岡山日日新聞

トリムデザインのコラムが掲載された岡山日日新聞
先日、 t/rim designの小コラムが掲載された岡山日日新聞

「住宅は住むための機械である」とはモダニズム建築を完成させた近代建築の巨匠ル・コルビュジェ(1887~1965)が残した、建築史上最も有名なといっても言い過ぎではない、現在活躍する建築家やこれから建築を学ぼうとする若い人達にも今なおその作品と共に強い影響を与え続けるル・コルビュジェの言葉・・この言葉は今から86年前にもなる1923年(大正十二年)に出版された、これからの建築が在るべき姿についてコルビュジェが建築宣言を行った、初期の著書「VERS UNE ARCHITECTURE」の中に記されています。

住むための機械という言葉への解釈は人によって多少の違いはあるのではないかと思いますが、そのシンプルで無機質な「白い四角い箱」のような初期コルビュジェ作品の姿が与える工業製品的なイメージも手伝ってか、「住宅=機械」と表面的な捉え方をされ、コルビュジェが唱えたことは、飛行機や自動車を理想とした工業製品のような住宅をつくる事だと思われている方も少なくありません・・この著書に込められたコルビュジェの真意とは・・・我々の文化や社会というものは変わり続ける事を避けられないものであり・・ 
・人々を包む器である建築もまた社会や生活から生じる新しい要求というものに、機械のように、合理的に正確に経済的に応えていかなければいけない。
・われわれの必要に答えている工業製品の中に見られる、慣習や様式に囚われない「新しい精神」こそが美しい 。  
というような主旨のことが「VERS UNE ARCHITECTURE」の中には書かれていました。
「住宅=豊かに健康に住むための無駄がない道具」
・・社会や人々の暮らしが大きく変わる時、建築もまたその変化にうまく適合していかなければならない・・そういう意味だったのではないかと思います。
私達が勤めていた設計事務所の所長は、フランスでコルビュジェから建築を直接に学ばれた建築家・坂倉準三が設立した設計事務所の出身であったという親近感もあり、コルビュジェの言葉や作品からは多くを今なお学んでいます・・ 建築とは、設計を依頼してくださった人達の言葉、あるいは今の社会や暮らしの中に見つける事が出来る変化、に対し的確に応えられる様なものであるべきだと言う事は・・ 現在でも未来でも同じなのではないかと・・

「建築探訪 25」 -Osaka/枚岡

旧枚岡市庁舎

「旧枚岡市庁舎」(’64) 設計:坂倉準三建築研究所・・設計担当は西澤文隆(私達のボスのボス) & 東孝光(都市住宅の傑作「塔の家」で有名)

この建築は東大阪市東部、生駒山の麓に南北に長く伸びる商店街北端のあたりに位置しています・・近鉄瓢箪山駅から北へ商店街のアーケードを抜けて、真っ直ぐ進むと見えてきます・・・商店街の模型屋さん、本屋さん、この建物の前にあったレンタルレコード屋さん、この建物のすぐ横が夏休み水泳教室か何かの申し込み会場だったり・・・中学生くらいまではこの当たりは日常生活圏でしたのでいつも眼にしていた建築・・・反りのある “大きな庇” が子供心に印象的でした・・・

建築を勉強してよく知った今改めて見ると・・コンクリート打ち放しによる大胆な造形&ブリーズソレイユ/モデュロールによるリズミカルなスチールサッシ割り/屋上庭園/屋上に載っている三角屋根等・・コルビュジェのデザイン言語の多用・・設計担当であった東孝光さんの話しによると、東大寺大仏殿の屋根にひそかになぞらえたデザインだそうだ・・・コンクリート打放し庁舎建築に寺院建築の軒ラインかぁ・・・渋いなぁ・・

もともとは枚岡市の単独市庁舎でしたが、三市合併後は東大阪市東支所として利用されています・・「旧枚岡市庁舎」は Docomomo (近代建築の保存と調査のための国際組織)の運動に賛同した日本建築学会 近畿支部が独自の試みとして選んだ「関西近代建築20選」のなかに入っています・・

「建築探訪 07」 -Kanagawa 2

神奈川県立近代美術館

「神奈川県立近代美術館」(’51) へ行って来ました・・戦後まだ間もない、占領下という状態の中で建てられた、日本で最初の公立近代美術館。(上写真) 北西を向いた建物正面を見る。鉄骨造の軽快さが建物外観にも現れている。建物高さは10m。建物を押さえる様にグルリと廻した、鼻隠しの波型アルミ板が効いてます。

神奈川県立近代美術館

設計者である坂倉準三(1904-69)といえば、近代建築の巨匠 ル・コルビュジェ のもとで学んだ、3人の代表的な日本人弟子 (前川國男、坂倉準三、吉坂隆正) のうちの一人。(上写真) 上部外壁はアスベストボード(1200×1800) を、巾50mmのアルミ目地金物で押さえている。下部外壁は大谷石積み。

神奈川県立近代美術館

坂倉準三は若干33才にして、戦前の設計コンペで勝ち勝ちとった「パリ万博 日本館」(’37) の成功で、若くして一躍注目の建築家となり・・ 戦後のこの「神奈川県立近代美術館」の指名設計コンペでは、前川國男を含む他の4案を抑えて見事当選。(上写真) 建物中央に設けられた吹抜けの中庭を見る。

神奈川県立近代美術館
池に面したテラスを見る。2階床は池まで大きく張り出し、それを支えている柱は池中の石上にその脚を下ろしている。(柱は池の下まで伸びて、池中繋梁で柱同士及び建物本体としっかり連結されている)
神奈川県立近代美術館
左側の池に面したテラスと、右側の中庭に挟まれた彫刻室を見る

「神奈川県立近代美術館」と「パリ万博 日本館」には共通するデザイン要素も多く・・ “露出した細い鉄骨柱”  “持ち上げられた直方体”   “流動する空間”  “建築的プロムナード” といった手法は、共通した設計言語として両建物に現れている・・ 建物中心の吹抜/中庭から、池に面したピロティ下のテラスへの繋がりは、ダイナミックでありながら繊細でもある、魅力的な空間となっていました。

「建築探訪 04」-Hiroshima/呉

呉市庁舎/市民会館

週末、「呉市庁舎/市民会館 (’62)」を探訪・・ 設計は坂倉準三建築研究所。
濃青色タイル張りの二つの円筒形 ( ひとつは空に向かって螺旋状曲面を延ばす市民会館ホール。もうひとつは議会場。 ) と 水平要素(ブリッジ や 議会場の大きな庇 )の対比が美しかったです・・さすがの “コルビュジエ的な感じ” 。

呉市庁舎/市民会館
螺旋状曲面を空へと延ばす市民会館ホールを見る。
今は白く見える部分は、もともとは “コンクリート打放し” の様でした・・ある時ペンキで白く塗られました・・”濃青色タイル円筒形”と”打放し”の対比はすごく綺麗だったろうな・・
呉市庁舎/市民会館
大きな庇が効いている議会場を道路より見る

建物は全体的に傷み汚れが目立ち、あまりメンテされてない様な感じ。50~60年代の有名作品には “打放し建築” が多い。完成時の写真のイメージを頭に入れ見学に行くと・・”打放し建築” のひどい汚れ様/傷み様/ペンキ塗りされた様にガッカリする事は何度もあり・・プランや形が変わったわけではなく、ペンキを塗られただけなんだけれども、建物の印象としては・・全く違うものにすら見えてしまう・・ 色と素材と形 のバランスは非常に緊密なのだから・・ こんな時には竣工時の姿を当時の資料などから想像してみます・・

〈追記〉2017年解体