村上春樹 1

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」僕が大学生のころ偶然に知り合ったある作家は・・

という忘れられない印象的な書き出しと共に ” 軽妙な文体と会話による「僕と鼠」の物語 ” が始まる・・村上春樹29才のデビュー作。
たいしたストーリーは無い・・大きな出来事もなく、友人とビールを飲み、女の子と知合い、バーに通い、軽口を叩き、音楽を聞いて・・ 大学4年生の・・僕の故郷での “退屈な夏休み” が・・終わっていく。

単行本で150ページ程のすぐ読み終えてしまうボリューム。作家宣言とも言えるチャプター1は、興味深く・・注意を引くユニークな内容と文体で、何度も読み返してしまうが、その後は基本的に・・ バーでビールを飲んで、無駄話をしている感じの物語。

読後に残る印象のほとんどが・・ ストーリー本編とはあまり関係なさそうな、寓話の様なリアリティのない、どうでもいい様なエピソードの数々と、軽妙な会話の空気感がつくるリズム・・

「僕たちが認識しようと努めるものと、実際に認識するものの間には深い淵が横たわっている。どんな長いものさしをもってしてもその深さを測りきることはできない。」

一見したところ、ゆるりと生きている・・ そんな表向きの、物語の大半を占めている登場人物達の表情とは・・別の感じが強く印象に残る。

表面的には、いつでも「何でもない様な」主人公の”僕”・・ 心の内では、いつも出口を捜しているのに・・ “どうしようも無さ” にしか行き着かない。主人公の”僕”には、防ぎようがない何かに・・少しずつ迫られながら、物語も夏休みも終わっていく・・

「あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風にして生きている。」

寓話的なエピソードや軽妙な会話が作り上げる・・ “何でもなさそうに見える日常” ・・そのエピソードが多ければ多いほど、面白ければ面白いほど、饒舌ならば饒舌なほどに・・反対の心象が強くなってくる。
幸福そうに見える未来へと向かう事を、誰もが困難ではないと感じられる訳ではないし・・ 通り過ぎていったものたちの不在を、誰もが納得できている訳ではない・・ 有無も言わさない様なものに対する “どうしようも無さ” ・・

文章を書くことは自己療養へのささやかな試み・・ 何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない・・」

という作家にとって・・この作品は”救済”のメディアとなり得たのだろうか・・村上春樹さんは初期の2作(「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」)を “自分が未熟な時代の作品” とも言われているそうですが・・
でもしかし、作家への決意表明でもありスタートでもある今作は、村上さんと”僕”と”鼠”の・・若さが溢れていて。その空気感や風景が今も新鮮で・・ やっぱり「風の歌を聴け」は goodですよ。

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