「建築探訪 17」 -Osaka/中之島3

朝日ビル

(上写真右) 「朝日ビル」 (’31) 設計:竹中工務店 。四ツ橋筋の角地に建つ10階建てのオフィスビル、伸びやかな円弧を描くバルコニーの水平線&アール壁を強調したデザインは、御堂筋の角地に建つ素敵な素敵な美しい「大阪ガスビル」(’33)と共に昭和初期を代表する名オフィスビルですが・・・「朝日ビル」は2010年代には取り壊して超高層ビルに建替える計画だそうだ・・・戦争も乗り越えて、76才まで頑張ってきたのに・・・(上写真左・中)は1968年に西側/南側に増築された部分。

新朝日ビル

前記の「朝日ビル」の東向かい、四ツ橋筋を挟んで建つ 「新朝日ビル」 (’58) 設計:竹中工務店 。カラヤンもその音響の良さを誉めたという「フェスティバルホール」の入る建物として有名。上部の立体的なアルミプレスパネルがとてもカワイイ、建物下部は表情を変えて縦割りのアルミパネルとしているが、その”ペコペコ感”&”質感”がまたイイ、庇裏のアルミ張り&時々張っているクリーム色タイルとの組合わせがまたgood・・・何とも愛らしくて好きなビルだったんですが来年中には取り壊して2013年には超高層ビルに建替計画・・・

ダイビル

「ダイビル」 (’25)  設計:渡辺節(1884-67) 。堂島川に面して建つ8階建の大正期の賃貸オフィスビル、遠目から見るとアッサリした印象だが 外部1階やエントランスホールには濃密な装飾が施され、特に内部エントランスホールを贅沢豊穣な空間としてつくり上げるエネルギーの掛け方/仕上がりは、その後1931年に竣工した渡辺節の最高傑作と言っていい「綿業会館」に続く・・質の高い建築だが、「ダイビル」も取り壊して超高層ビルに建替る計画だ・・

中之島周辺は地下鉄新駅が出来る事もあり再開発ブームのようだ・・・「新ダイビル」 「朝日ビル」 「新朝日ビル」 「ダイビル」 等・・・中之島にある近代建築が次々と消え・・・”普通”なビルに替わっていく・・

中之島以外でも「大阪中央郵便局(’39)」 や 「大阪新歌舞伎座(’58)」 の取り壊し建替計画も伝えられ・・・近代建築だけではなく日本におけるポストモダニズム建築を代表する象徴的作品 「キリンプラザ大阪(’87)」 も出来てからわずか20年なのに・・・早くも取り壊して、建替られるそうだ・・
古いものが新しいものに替わっていくのは自然な事だから・・・「形態は機能に従う」と宣言した近代建築が、現代においてその「機能性/経済性」が時代遅れとなった時、あまりセンチメンタルな視点からだけで”取り壊し反対”を声高に叫ぶ必要はないとは思いますが、時代を代表するような希有な建築くらいは残していく努力をしなければいけないと思います・・・センチメンタルなものを伝えていく/大事にしていく事も建築/都市の重要な役割だから。

「建築探訪 16」 -Osaka/中之島 2

村野藤吾設計の新ダイビル

「新ダイビル」(’58) 設計:村野藤吾(1891-1984)。9階建てのオフィスビル、四角い箱に連続横長窓・・教科書通りの近代建築デザイン手法の範疇にありながら、村野さんのオフィスビルはどこか”艶っぽい”・・・窓と壁の比率/窓割りのプロポーション/窓と壁の納まり/タイルの質感/建物コーナーの納め方/4階部窓だけはわずかに後退させ建物角を欠いて・・本当に細かい事の積み重ねなんだけれども、それを全体に現れる”艶っぽさ”にまで昇華させるデザイナーとしての力量が素晴らしいと思います・・・

村野藤吾設計の新ダイビル
村野さんの建築はディテールがgoodです・・
エントランス廻りのステンレスサッシュを見る。竪枠にはアールを付けて壁となじませる細かなデザイン・・
村野藤吾設計の新ダイビル
階段室の階段端部を見る。端部のみ階段厚さを絞っているので、階段が薄くシャープに見えます・・
村野藤吾設計の新ダイビル
(左) エレベーターホール上部壁の上下階表示灯を見る
(右) 階段を見る。黒御影石張りの存在感のある腰壁・・
村野藤吾設計の新ダイビル

「新ダイビル」は 2011年に取り壊し予定・・ 超高層ビルに建替える計画。
比較的歴史の浅い「近代建築」に対する”一般”の評価は低い・・”素晴らしさ”は伝わらないのだろうか・・最近では屋上緑化は珍しくないですが、「新ダイビル」 には1958年の建築とは思えない様な立派な屋上庭園があります、壊される前にまた行ってみよう・・「新ダイビル」の4階外壁角にはどうして羊が居るのだろう?

「建築探訪 12」 -Shimane

出雲大社庁の舎

島根に近代建築を見に行こうと思った時、まず頭に浮かぶのが・・菊竹清訓(1928- )の設計による「出雲大社庁の舎(’63)」・・ 建物外観は、刈り取った稲を架ける 「ばでば」 からの引用・・ 頂部には50mにもおよぶPC(プレストレスコンクリ-ト)大梁を2本載せ・・用途は社務所及び宝物殿。 

出雲大社庁の舎

この様な特異な外観をしたコンクリ-トの建物を、伝統格式のある建築が配置された出雲大社の境内によく造ったなぁ・・どんな感じで調和or対峙しているんだろうなぁ・・と写真で見る度に何度も思っていました・

出雲大社庁の舎
(左) 妻面にはPCパネルを張った 構造的/構成的な独特のデザイン
(右) ファサ-ドの大部分を覆うPC製ル-バ-
出雲大社庁の舎

菊竹清訓はメタボリズム・グル-プの主要メンバ-として、60年代に高い理想と過激な作品で、来るべき社会における新しい建築の在り様を提示しようと大活躍・・日本近代建築の名住宅として名高い「スカイハウス(’58)」で見せた明快で強烈な思想&表現はそれに相応しいものだった様に思えます・・近代建築のスタティックな機能主義ではなく、ダイナミックに生物のように新陳代謝する夢の都市は・・技術的に進歩するであろう将来において、これから開花する可能性もあるかもしれない・・時代を先取りしたメタボリスト/菊竹清訓の代表作。

かねや

帰りには出雲大社のすぐ近くにある「かねや」で “出雲そば” を頂いて帰りました・・おいしかったです

「建築探訪 04」-Hiroshima/呉

呉市庁舎/市民会館

週末、「呉市庁舎/市民会館 (’62)」を探訪・・ 設計は坂倉準三建築研究所。
濃青色タイル張りの二つの円筒形 ( ひとつは空に向かって螺旋状曲面を延ばす市民会館ホール。もうひとつは議会場。 ) と 水平要素(ブリッジ や 議会場の大きな庇 )の対比が美しかったです・・さすがの “コルビュジエ的な感じ” 。

呉市庁舎/市民会館
螺旋状曲面を空へと延ばす市民会館ホールを見る。
今は白く見える部分は、もともとは “コンクリート打放し” の様でした・・ある時ペンキで白く塗られました・・”濃青色タイル円筒形”と”打放し”の対比はすごく綺麗だったろうな・・
呉市庁舎/市民会館
大きな庇が効いている議会場を道路より見る

建物は全体的に傷み汚れが目立ち、あまりメンテされてない様な感じ。50~60年代の有名作品には “打放し建築” が多い。完成時の写真のイメージを頭に入れ見学に行くと・・”打放し建築” のひどい汚れ様/傷み様/ペンキ塗りされた様にガッカリする事は何度もあり・・プランや形が変わったわけではなく、ペンキを塗られただけなんだけれども、建物の印象としては・・全く違うものにすら見えてしまう・・ 色と素材と形 のバランスは非常に緊密なのだから・・ こんな時には竣工時の姿を当時の資料などから想像してみます・・

〈追記〉2017年解体