Casa Brutus

ホテルオークラ東京

先日・・「Casa Brutus」1月号を買いました・・
まだ歴史が浅い近代建築はその魅力や価値が、一般的には理解されにくく。それを守る制度もまだ充分でなく・・ 価値のある貴重な建築作品であっても・・資本主義という大きな経済性の波に負けてしまう事は・・少なくありません。

日本の名作近代建築の紹介をする特集号なんですが・・ページを多く取って、表紙を見ても分かる通り、いちばん力を入れているのは・・
「ホテルオークラ東京のロビーは壊さないで!!」というエール。

本館の建替えが決定している「ホテルオークラ東京」(1962)・・特にそのロビー空間は、国内だけでなく海外にも信奉者が多い・・日本近代建築の珠玉と言っても過言ではない空間。失なわれてしまう前に・・ 再訪したいですよね。

「建築探訪 96」-Tokyo/ 青山 3

塔の家
道路の向かいにあるワタリウム美術館側より、西南側外観を見る

青山の外苑西通りに面した “小さな住宅” ・・ 写真左のマンションは「そこまで近く建てるか!!!」と驚くほどの近接ぶり・・この「塔の家」(1966) を設計されたのは東孝光さん。

塔の家
(左) 西側より外観を見上げる。地下1階、地上5階の計6層からなる住宅・・駐車場も1台分を確保・・ 敷地面積は、なんとわずか6坪ほど!!! 
(右) 南側より外観を見上げる。左手の街路樹は、この家の為に植えられた様に・・いい感じで建物に寄り添っています。
塔の家
建物の外壁を触る・・

この建物は内外共にコンクリート打放し仕上げ。内外コンクリート打放しの住宅といえば、すぐに安藤忠雄さんの名前を思い浮かべますが・・安藤忠雄さんが「住吉の長屋」で一躍名を知られる様になるよりも10年も前の作品・・ ANDO建築の代名詞である磨き上げられた様な、均一なコンクリート打放しも綺麗ですが・・この東さんの荒々しい肌理のコンクリート打放しも・・ 味があってgoodです。

(左)  竣工した1966年頃の様子・・まわりにはまだ高い建物もなく、まさしく「塔の家」・・ 
(右) 各階のプランを見る

5階の子供部屋はベッドの大きさから図ると3帖程度、4階の寝室も4.5帖程度、2階の居間も4.5帖程度・・家族3人、延20坪程度の家、内部には仕切りはなく、階段を介して縦に繋がった1室空間・・やや広い階段の踊り場に住んでいる様な・・約50年前に生まれた究極の都市住宅。必要最小限で都市に生きる・・”TOKYO”でしかありえない住宅・・余分なものを持たずに都市で暮らす・・現代にも通じる、こんな潔さが心地良いです。

「建築探訪 90」-Tokyo/ 上野 4

東京文化会館

前川國男の設計による「東京文化会館」(1961) を探訪。
(上写真) 東北隅より外観を見る。とにかく庇が大きい !!! ・・・庇下まで7m。庇の厚みは4.5m。庇出は5m・・ヒューマンスケールを超えている様にも思える大きさ・・庇の上には集会室や会議室もあるのだが・・部屋がある事も大ホールや小ホールの大きなボリュームも、大きな庇の存在によって全く気付かないくらい・・角は大きくアールを取り、大きくせり出した・・人々を迎え入れる “大庇” の建築。

東京文化会館
東面の関係者用入口まわりを見る。右上に小ホールの屋根がちらりと見えています・・「日本建築学会賞」「DOCOMOMO 100選」。この前年に竣工している「京都会館」とも共通するところも多い感じですが・・こちらの方が力強くてドラマチック。前川国男のエネルギーを感じます・・前川國男の代表作のひとつ。
東京文化会館

建物自体は竣工から50年以上が経ち・・普通なら痛み等が気になる時期だが (それどころか管理側である施設や行政によっては取壊しや理不尽な改修がなされても不思議ではない) ・・・状態はきわめて良好な感じ。メンテや改修が、建物を尊重して行われているからなのだろうか・・(上写真) 東面の竪繁のルーバーを見る。ルーバーはプレキャストコンクリート製。

東京文化会館
エントランスロビーより入口方向を見る。天井の 星が散りばめられた様な 照明器具の・・ランダムな配置がgoodです
東京文化会館
1階エントランスロビーから2階小ホールへと上がって行くスロープを見る。手摺りのヴォリュームな感じがgood
新建築 1961年6月号
出来たばかりの東京文化会館が表紙となっている「新建築 1961年6月号」

上空から見ると、地上からでは大庇の存在でよく見えない・・大庇上部の様子がよく分かる。右側の六角形部が大ホール、左側の勾配屋根部が小ホール。写真の右下に写っているのが コルビュジェの「国立西洋美術館」。左上に写っているのが吉田五十八の「日本芸術院会館」、その左横に上野駅。

「建築探訪 66」-Tokyo/上野 3

東京都美術館

開館以来の大改修工事が終わり、リニューアルされたばかりの・・ 前川國男の設計による「東京都美術館」(1975)を探訪。(上写真) メインアプローチとなる南西側から外観を見る。右手前の「メトロポリタン美術館展」のサインがある企画展示棟と、左手奥へ向かって雁行して繋がり配置された4棟の展示棟の間に・・ 設けられた広場へと誘いこまれる様に建物へと入って行きます・・ アプローチがgoodです。建物の半分以上のボリュームが地下に設けられています。

東京都美術館
(左) 雁行して配置された展示棟を広場より見る。手前の何気に触ってディテールを感じたくなるような素材感のあるY字型手摺り
(右) 美術館へ入るには地上の広場から降りて、地下1階の中庭からとなります。エレベーターとエスカレーターがリニューアル工事で新設されました
東京都美術館
地下1階のエントランスホールを見る。右側にあるミュージアムショップは増築されて広くなりました。アプローチ~広場~中庭~エントランスホールへと・・静かなゆとりの場の連続を感じながら建築的散策をしながら・・ 展示室へといたる
東京都美術館
(左) 地下2階より地下3階のスカルプチャーホールを見る
(右) いつもいつもの “後期”前川建築の代名詞「打ち込みタイル」 ・・何気に触りたくなります

バリアフリー化や、古くなった設備の一新、省エネ化など・・ 他いろいろな箇所で様々な点で大改修がされているのですが・・”前川建築” を尊重し、より良く生かし、やや暗かったイメージの都美に、賑わいをもたらした・・ goodなリニューアルになっていると思いました。(改修はもちろん前川事務所です)

「建築探訪 65」-Kagawa 5

114ビル・百十四銀行本店

日建設計(薬袋公明) による「114ビル・百十四銀行本店」(’66) を探訪。何と言っても “ブロンズの外壁 ” の存在感が力強いです。右側16階建ての本館。左側に道路を跨ぐかたちで高架通路が別館へと続く。(上写真) 大通り側、北西より見る。

114ビル・百十四銀行本店
16階建ての本館を大通り側、南西より見る

高さ64mのビルは、この当時では「西日本最高」だったそうです。南北面はサッシ、東西面はブロンズ板張り。1.5mmのブロンズ板を乱張り・・ 表面を “緑青仕上げ” としているので、清掃は不要・・ 古くなっていく風合いが美しい・・というコンセプト。

114ビル・百十四銀行本店1階部分の御影石モザイク張りの床
 1階部分の御影石モザイク張りの床は、地元香川産の “庵治石” を主として、彫刻家/流政之さんの指導のもとに、色目や仕上げに変化を付けた「さざ波」のイメージでデザインされています
114ビル・百十四銀行本店
左側の本館より道路を跨ぐかたちで、高架通路が右側の別館へと繋がる

コンクリート柱で持ち上げられた3階部分のピロティ下に、プレキャストルーバーの2階が入り込んでいる・・その2階部分もピロティで持ち上げられている・・ ピロティが入れ子式になっていてオモシロイ。

「建築探訪 64」-Shimane 5

島根県立図書館

日が暮れてしまったけれども・・菊竹清訓の設計による「島根県立図書館」(’68)を 探訪。「都城市民会館」(’66) と共に菊竹清訓さんのメタボリズムが実践された作品・・都城と比べるとこちらの方が表現としてはかなりオトナシイ感じがしますが、構成としては同じカタチ・・ 都城と同じく コンクリート基壇 + 鉄製の上部構造 。

島根県立図書館

外部から見ても、内部から見ても、その建築的構成は明瞭。
(上写真) エントランスホールよりダイナミックな広がりのある内部空間を一望。竣工時の写真を見ると、もともとの屋根は鉄骨部材が全て露わしで・・建築のコンセプトがより強く表現されていましたが、現在は大きな梁だけが露わしで梁間は白い天井材が貼られていて・・残念。

田部美術館/島根県立博物館/島根県立武道館
島根県にある菊竹さんの作品をいくつか探訪。
(左)「田部美術館」1979
(中)「島根県立博物館」1959
(右)「島根県立武道館」1970 

「建築探訪 63」-Tokyo/銀座

中銀カプセルタワービル

メタボリズムの金字塔・・ 黒川紀章さん設計の「中銀カプセルタワービル」(’72) を探訪・・ メタボリズムの理念が直接的に、鮮烈な形として、視覚化された・・ 黒川紀章さんの代表作。一人一人の住まいである “カプセル” がランダムに集積して全体像となった姿は・・まさに未来 !!! 

取替えない、変わらない部分」と「取替える、変わる部分」という方法論が・・ 工事中の様子を見ると、明快に理解できる (上写真) 。工場であらかじめ作られた “カプセル” を現場へ運んで来て、建物幹にボルトで固定。 住居空間である “カプセル” の数は140個 !! 。

 “カプセル” 内の様

左側扉内にはバスやトイレ、手前にベットと丸窓、テレビや電話や空調も完備した、都市に住まう個人のための最小限空間の大きさは2.1×2.3×3.8m ・・ もちろん世界初のカプセル建築 !! 。カプセル1基のコストは1960年代のトヨタカローラ以下との事。黒川紀章さんはこの後もカプセル建築の可能性を追求され・・ 1979年には 世界初のカプセルホテル (カプセルイン大阪) も設計されました ・・ 黒川紀章さんは2007年10月12日に73歳で亡くなられました。

「建築探訪 60」-Tokyo/上野 2

国立西洋美術館

近代建築の巨匠 ル・コルビュジェによる「国立西洋美術館」(1959) を探訪。もちろんですが、日本にある唯一のコルビュジェ作品 です。国立西洋美術館が創設された経緯は、戦後間もない頃に吉田茂首相がフランス政府に、世に言う松方コレクションの返還を求めたことから始まる・・フランス側からの返還条件の一つが美術館の建設でした。

1955年に68才だったコルビュジェは、敷地調査のため初来日・・わずか7日間の滞在となり・・その後は2度と日本の土を踏む事はありませんでした・・ですのでもちろん完成した建物を実際に訪れて眼にする事もなかったのです。設計も基本設計図程度で、実施設計は日本側に任せ・・ フランスから遠い日本でこの美術館が実現できたのは、かつてフランスのアトリエでコルビュジェから建築を学んだ、弟子たち (前川國男/坂倉準三/吉阪隆正) が日本で頑張ったからこそ。
(上写真) 1階のピロティ部は後の改修でほとんどが内部空間に変わってしまいました・・当初は1階の半分くらいまでは屋外空間でした・・前庭の屋外床がずずっと建物下まで入り込んでいたそうです。コルビュジェの代名詞とも言える “ピロティ” が・・

大きな三角型トップライトと吹抜けがある中央ホールを見る

渦巻き状の動線システム、1階から2階へのゆっくりと上がる大スロープなど・・コルビュジェらしい建築言語がきちっと具現化しています。
ロの字型の動線計画、ピロティで持ち上げられた直方体、建物正面の四角い開口、建物中央の吹抜けなど・・ 坂倉準三の「神奈川県立美術館」と似ているところはさすがに多い。

「建築探訪 59」-Hiroshima 3

広島平和会館資料館

丹下健三の「広島平和会館資料館」(1952) を探訪・・ もちろん平和記念公園全体も1949年に行われた設計コンペで、当選された丹下健三さんによる設計です。どこの丹下建築を訪ねても多くがそうである様に・・作品集で見られる様な、竣工時の緊張感に溢れた、迫力ある、厳しく、美しい姿は・・ 今は感じられませんでした。戦後もっとも早い時期に国際的評価を受けた日本の近代建築・・ 建築家 丹下健三の出発点。

広島平和会館資料館
(左) 作品集で見られるかつての姿では・・2階は透明ガラスに水平ルーバーを設けた構成で、外部から内部が見えて、内部から外部が見える “透けた箱” でしたが・・
(右) 独特のかたちをした、1階のピロティ中央部を支える8本の “くさび型柱”・・出隅の柱4本はさらにユニークなかたち・・ 丹下さんの憧れでもある 建築家ル・コルビュジェのピロティ柱を連想させます
広島平和会館資料館
建物の出隅部分を見る。もともとの仕上げであるコンクリート打放しの上に、石を張った改修の様子がよく分かる。水平ルーバーは撤去。ガラスは色の付いたものとなり内側には内部展示室を囲っている壁がすぐに見える。外部から内部 or 内部から外部の様子は見えない・・  改修後は “閉じた箱” になってしまいました。

「建築探訪 56」-Kumamoto 4

熊本県立劇場

前川國男の設計による「熊本県立劇場」(1982) を探訪。
(上写真) 表玄関となる西側の外観を見る。西側の表玄関から東側の裏玄関まで、建物を東西に貫通する長いモールが平面構成の主軸となっています。モールの北側にコンサートホール、モールの南側に演劇ホールが配されています。

熊本県立劇場
演劇ホールのホワイエを見る。開放的な大開口窓により、とても明るい
熊本県立劇場
夕刻の光が差し込むコンサートホールのホワイエを見る

はつり仕上げの正面コンクート壁が効いてます。ヘリンボーン調型枠で施工された階段腰コンクリート壁もgoodです。開放的な両ホワイエの様子は、この建物の約30年前に建てられたこちらの作品 から変わらずに共通するところです。