ジム・ジャームッシュ 1/3

先日BSで久しぶりに、ジム・ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(米=西独 ’84) を見ました・・ 1984年のカンヌ国際映画祭で最優秀新人監督賞なども受賞したジャームッシュの長編処女作 。28年も前なんだ・・ 。監督/脚本/編集をつとめたジャームッシュは1953年生まれのアメリカ人・・ ニコラス・レイ監督の直弟子、兄弟子格であるヴィム・ヴェンダースに貰った40分ぶんのフイルムで、まずこの映画の第一部を撮影。

天国よりも不思議なアメリカを生きる3人の若者の青春? 映画。全体的には退廃的なムードが漂っているのだが・・ 主人公の3人は絶望している訳でもなく、社会や生活に不満がある訳でもなく、希望や夢がある訳でもなく、貧しくて生活に困るでもなく、裕福でもなく・・ あまり会話もなく、そこはかとなく・・ 主人公3人がその日その日を平坦に生きている・・
たいした出来事も起きない日常を、動きも少ないモノクロームの映像で、淡々と撮らえただけの映画なんだけれども・・ どこか新鮮で、おかしな魅力があり、なんとなく”ぼっー”と繰り返し見たくなるような・・ 不思議なジャームッシュ映画 。

アンドレイ・タルコフスキー・・の3本

アンドレイ・タルコフスキーのDVD

ロシア人映画監督、アンドレイ・タルコフスキーのDVD3枚を大人買い 
若い頃に見てとても感服した映画監督のラスト3本・・・

(上写真 左) ロシアでの最後の作品となった寓意のようなSF作品、その人の無意識にある一番切なる願いを叶える”ゾーン”と言われる場所を目指し、危険を犯して侵入する教授と作家と案内人、人間の切なる願いを叶えるゾーンという存在とは何なのか?「ストーカー」(’79)

(上写真 中) イタリアで撮られた亡命後の初作品、18世紀にイタリア留学したロシア人音楽家の伝記を書くためにトスカーナを訪れたロシアの詩人は、そこで世界の終末が訪れたと信じて7年間も家に閉じこもっていた狂人に出会い、狂人の何かに惹かれいくが、狂人は詩人に世界を救うためのロウソクを託し、広場で3日間演説した後に焼身自殺・・詩人に世界は救えるのか?「ノスタルジア」(’83)

(上写真 右) スウェーデンで撮られたタルコフスキーの遺作、突然引退したばかりの元俳優の誕生日、言葉を失った息子と”ある修道士の奇跡”について話しをしながら枯れ木を植えていたところ、突然核戦争が始まる・・核戦争から何とか世界を救おうと全てを神に捧げる事を誓い 奔走し・・最後には自らの家まで燃やしてしまう・・サクリファイス」(’86)

映画に娯楽性を求めず、映画の芸術性を追求し、精神が不在した現代の人間というものの運命について、映画の中で何かの真実に到達しようとしたタルコフスキーの作品は・・ 感覚的でイメージ的・・登場人物達の行動や言動には理解が難しい部分も多く・・ 正直眠気に負けてしまう時もありますが・・ 非常に詩的に美しく、これぞ芸術的映画といった感じでgoodです。 アンドレイ・タルコフスキーは1986年の12月28日に54歳という若さで亡くなられました。

マールテン・ヴァン・セーヴェレン 「04」

Vitra社04 with arm

Vitra社の「04 with arm」。ベルギーのマールテン・ヴァン・セーヴェレンによるデザイン。事務所には2脚のキャスター付きワークチェアがあり・・ ひとつはあまりにも有名なワークチェアの横綱 アーロンチェア 。もうひとつはセーヴェレンのこの椅子・・ 新素材ウレタンフォームによる、ひとつながりとなった背と座の特徴的なデザインと、 “硬すぎず 柔らかすぎず” な質感がgoodです。   

Vitra社04 with arm

セーヴェレンの名前が世に広く知られる事となったのは・・ 世界的スター建築家レム・クールハウスの名住宅「ボルドーの家」(1998) の家具デザイン (バスルームにある長い半透明洗面台や、リフト横の3層を貫く巨大な書棚など印象的な存在感のある・・) を手掛けた事が大きい。

洗練されたディテールによるシンプルモダンなデザインながら・・ 素材の扱い方に現代性を感じさせる・・ 主張しすぎない自然な存在感を持った、ワークチェアの秀作。事務所の開業祝いとして頂いた大切な1脚。

吉岡徳仁 「TO」

吉岡徳仁TO

昨年末にサンタ🎅が置いていってくれた・・吉岡徳仁 のデザインウオッチ「TO」(2005) 。デザインコンセプトは “金属の塊”・・ フラットな表面には余計な飾りが一切なく、時刻を示す数字さえもなく、ステンレスの表面に彫られた12本の溝があるだけというデザイン・・時針と分針も同じ感じの溝で良かったのではと思ったりするのですが・・あまりにもそれでは視認性が悪すぎるのかな?  素材感を生かした吉岡徳仁らしいシンプルなデザインがgoodです。

アルネ・ヤコブセン 「Ant Chair」

ANT Chair

春からトリムデザインにやって来た、ビンテージものの「 Ant Chair 」・・Ant Chairは、1902年生まれのデンマーク人建築家アルネ・ヤコブセンにより1952年にデザイン・・日本では “アリンコチェア” として親しまれています。

もともとはヤコブセンが手掛けた、製薬会社ノヴァの社員食堂用にデザインされた椅子・・何とも美しい3次曲面を描く、 60年も前にデザインされたとは思えない、 変わることのないモダニティを備えた・・見事な椅子。

背と座が1枚の曲げられた成形板だけで構成された・・ これ以上はない、最小エレメントによる・・見事なデザイン。

安全面の考慮から、改良された4本脚の方がよく見られるが・・Ant Chairはやはりオリジナルの3本脚に限る。(4本脚はヤコブセンの死後、発売されました )

ANT Chair

 板の素材にしてもこれはチークだが、 現行品はチーク材は希少材につき廃盤 ・・ といろいろな面において、古い「Ant Chair」の方がgoodです・・何よりも気に入っているのが、この椅子が・・1969年製だという事。(私達と同じ年に生まれた!!)

3本脚タイプは前脚が中央にある事で、座った時に人の足の邪魔にならないのと、テーブルの下で隣の椅子と脚がからまないので・・ とても合理的ですが、油断して足の力を抜いて前に体重を掛け過ぎると・・ コテッと傾いてしまうので、注意が必要。

今年はヤコブセンの生誕110年となり・・ メーカーであるフリッツハンセンではいろいろな新展開やキャンペーンが計画されているようです。

「小堀遠州」-気品と静寂が貫く綺麗さびの庭

小堀遠州京都通信社

「小堀遠州」。京都通信社から出ている “京の庭の巨匠たち” というシリーズ・・遠州の庭が5つ(金地院/南禅寺/二条城/仙洞御所/孤蓬庵)、伝遠州の庭が4つ(桂離宮/曼殊院/頼久寺/龍潭寺) ・・ 計9つの見事な庭を豊富なカラー写真で解説案内。

大名でありながら、茶人/建築家/作庭家として江戸初期に活躍した小堀遠州は、岡山とも関係が深く・・遠州の父が関ヶ原の戦功により受領した備中(現在の岡山県高梁市)1万2000石を遠州が引き継ぎ・・ 遠州が備中に滞在していた間には、備中松山城を修復・・仮の館としていた頼久寺には書院と庭も作りました。
明るく、優美で、洗練され、品があり、シャープな・・ 遠州の美意識には、モダニズム建築にもつながる近代的な精神性や、あるいは現在においても共感できる普遍性などが・・ 多くある様に思えます。
(上写真)表紙の写真にもなっている「孤蓬庵」はまちがいなく”心のベスト10″ 入りしている建築です。

*「小堀遠州」(京都通信社) の綺麗な写真の多くは、友人であり 机を並べて仕事も共にした北岡君の撮影・・北岡くん、good Job!!

「パッラーディオ」

パッラーディオ

「パッラーディオ」(1979)  福田晴虔著  を読みました。
薦められて、お借りしていたのになかなか進まず・・ 読み切れなかったのですが、やっと読み終える事が出来ました。(遅くなりまして、申し訳ありません・・ またお返しに伺います。)

アンドレア・パッラーディオ (本名 アンドレア・ディ・ピエトロ・デッラ・ゴンドーラ) は16世紀-後期ルネサンスのイタリア人建築家・・石工徒弟を11才から始め、現場で設計の知識を学び、書物や旅行で自身の教養を鍛え・・そして若干38才にして、彼の活動の中心であったヴィチェンツァ市の重要な建築を手掛た大きな成功が契機となり、彼の名は広く知られた。

パッラーディオのクライアントは・・高等な教育を受け、洗練され、各国を飛び廻り、絹の商いにより富を築いていたパトロン貴族達。 彼らヴィチェンツァ貴族達のコスモポリタンなセンスとプライドを満たす・・ 生活場所としての市街地に建つパラッツオや・・ 経済的的基盤でもあり農作業活動の基点ともなっていた郊外に建つヴィラの・・ 設計を数多く手掛けた。
デザイン性だけでなく、機能性、効率性においても・・それまでの建築とは一線を画し・・施主が望むステイタスを表現しながら(高価でない建材をうまく使用しながらコストも押さえ)・・ パッラーディオの建築はヴィチェンツァ貴族達を魅了した。「建物は使用される建材よりも形態によって評価される」とは職人出身とは思えないパッラーディオの言葉。

西洋建築の古典であるローマ建築の衣装をまとい・・明快なシンメトリー構成を基本とした・・ パッラーディオの建築は、非常にキャッチーで分かりやすく・・彼の作品集でもある「建築四書」(パッラーディオ以前に自身の作品とデザインメソッドをこのように紹介した建築家はいなかった)の力によるところも大きいが・・  彼の死去後、500年にわたり欧米ではパッラーディオの建築は強い影響を与え・・ “パッラーディアン・スタイル” として、ひとつの様式にまでなった。

時代の要望の体現、厳格なフォルムによる構成力、つつましい建材での存在感、外部周辺との応答、作品の分かりやすさ、メディア媒体の効果的利用・・ などなど書いていると、ルネサンスでも近代でも現代でも (パッラーディオでもコルビュジェでもANDOでも) ・・時代が変わっても、時代を代表するような建築家っていうのは・・どこか似ている。3人共に正式な教育として建築を学んでいないというのも共通しているし。非凡人にとって学校教育というのは・・ そんなに必要ではないという事か・・
今日は大学で受け持っている設計実習の今期最終日でした・・ 何か少しでも学生の為になる事を伝える事が出来ていれば良いのですが・・

「みえないかたち」 吉岡徳仁

みえないかたち

「みえないかたち」(2009)  吉岡徳仁著  を読みました。
日本を代表するプロダクトデザイナーが吉岡徳仁 ・・初めて自らのデザインについて語った著書。 Yoshioka Tokujin の5原則・・「かたち はなくていい」「感覚を呼び覚ます」「その素材にしかできないこと」「不可能を可能にしている (何かちょっとしたことでいい)」「未来のふつう」 ・・ なるほど。

長大作 「中座椅子」

長大作中座椅子

事務所の打合せコーナーの椅子が壊れたので‥  新しい椅子を購入。
長大作さんにより1957年にデザインされた「中座椅子」。

1921年生まれの長大作さんは「坂倉準三建築研究所」出身。坂倉時代に手掛けられた「松本幸四郎邸」のために1957年にデザインした家具「低座椅子」は、座面高さ290mmという和室用に調和させた絶妙な高さと、和洋が調和した秀逸なデザインで、今なお人気の高い長大作さんの代表作。
この中座椅子は低座椅子の発展型として同じ流れにあるデザインですが‥ 座面高さ345mmという、これもまた絶妙な座面高さの椅子。「低座椅子」「中座椅子」の両方に共通する‥ 柿を縦に割ったようなカタチの座面と背板の優美な扁円形をした成形合板による曲面や、座面と背板を板脚で繋いだだけの簡明な構成がGOODです。