「建築探訪 72」- France 2 /Le Corubusier 2

ラ・トゥーレットの修道院

ル・コルビュジェが73歳、円熟期の金字塔・・「ラ・トゥーレットの修道院」(1960) 。建物の東側に接する道路から北東側の外観を見る。敷地はアプローチとなるこの道路から下がっていく西向きの斜面地。この道路側レベルは建物で言うと3階となります。手前右の鐘楼を高くかかげている建物が礼拝堂。

礼拝堂の中、祭壇方向を見る

左手に聖具安置所、右手に地下礼拝堂。正面にはパイプオルガン。設計を依頼したドミニコ会のクトゥリエ神父からの要望は「建物の姿は極めて簡素・・無駄な贅沢は一切不要・・」との旨。正面壁上部と両サイドの “スリット窓” が効いています。

礼拝堂の内部を見る。”縦長窓” の下部が外部からの入口

説教壇の右手、赤い斜め壁の部分は聖具安置所・・上部には7つの “くさび型トップライト”。 コルビュジェは計画の初期段階にクトゥリエ神父から・・装飾を排した簡素で力強い量塊的な構成の美しさで知られる12世紀のロマネスク建築・・「ル・トロネ修道院」を見るように勧められたそうだ・・クトゥリエ神父は芸術への造詣が深くマチスやピカソなどとも親交があり、かつてはオーギュスト・ペレの事務所に籍を置いていた事もあったという人。

礼拝堂の内部を見る

大きな3つの “丸トップライト” がある部分は地下礼拝堂。写真では明るく見えてますが・・ 実際にはこの礼拝堂内部は全体的にかなり暗い空間で・・暗闇の中、厳選された光・・スリット窓/縦長窓/くさび型トップライト/丸トップライト・・だけが刻み込まれたような空間。

地下礼拝堂部を近くで見る

黄色い間仕切壁の向こう、その下部に礼拝堂があります・・天井がないのでトップライトからの光が、そのまま真下にある地下礼拝堂に注がれます。トップライトの円筒内は青/赤/白に塗り分けられている。

斜面を下りながら、礼拝堂の北側外観を見る

礼拝堂だけでも充分に見所がありました・・さしずめ「直方体のロンシャン」といったところでしょうか。グランドピアノの様な出っ張り部分は地下礼拝堂の上部・・ 3つのトップライトが角度を変えて、自由に突き出ています。コンクリート打放し仕上の精度は、本当に”雑”と言い切ってもよい位の・・ 日本ではありえない程の荒々しさ。

緩やかな丘陵の上に建つ修道院の西側外観を、斜面下から見る。
階高を押さえ少し突き出た上部2層が僧房、その下に3層で、計5層。左手には礼拝堂。建物平面は中庭を抱え込んだ「ロの字型」になっており、これはドミニコ派修道会の伝統的プランを基本にしている
東/西/南側を「コの字型」に廻る上部2層の僧房の数は100室余り。食堂や講義室などパブリックな諸室が配された下階の窓・・この建物を特徴づけているランダムな間隔で方立てを割り付けられた、音楽的リズムを感じさせる “竪ルーバー窓” は・・ 波状ガラスウォール(オンデュラトワール)とも呼ばれています
中庭より建物を見上げる。
上部2層(5F/4F)の僧房階の廊下には “細長い水平連続窓” 。その下2層(3F/2F)には “市松状窓” 。その下(1F)には “竪ルーバー窓” 
中庭より1階部分を見る

ラ・トゥーレットを特徴づけている “竪ルーバー窓” や “市松状窓” のデザイン担当として、コルビュジェがスタッフの中から起用したのは・・ 構造家でもあり前衛音楽家でもあるイアニス・クセナキス・・ 数学と音楽に秀でた構造エンジニアであったクセナキスは、モデュロールを用いて見事にデザイン。この後1958年にできたコルビュジェの作品系譜の中ではかなり異質な作品である「フィリップス館」もクセナキスが担当。

中庭を見る。
ある程度規模の建物だと「ロの字型」平面では、動線が長くなり過ぎてしまうので・・中庭を横断するかたちで “十字型の動線路” が設けられている
中庭を見る。
右手の突き出た三角屋根部は、中庭を横断する “十字型の動線路” の要となるアトリウム。左手のとんがり屋根部は小礼拝堂

四方を高い壁に囲まれた静寂の中庭・・ 波状ガラスウォールに囲われた動線路を静かに歩く修道士・・さまざまな形が詰め込まれた “不思議な幾何学の庭園” は、建物内を巡りながら思索を深めるにはgoodかも。”白の時代” とも言われる、自らもその誕生に大きく力を注いだ・・機械や幾何学の美学を昇華した・・「近代建築」のロジックや手法はどこかへ吹き飛んでしまい・・根底から変容してしまった後期コルビュジェの傑作は・・ なかなか手強い。

「建築探訪 71」-France /Le Corbusier

ロンシャンの教会

登り道を歩きつめた頂きの上、視界が開けたそこにあるのは近代建築の金字塔、ル・コルビュジェ設計の「ロンシャンの教会」(1955) 。コルビュジェ68歳の作品・・ 近代建築の大巨匠として、幾何学と機能合理に基づいた、シンプルな四角いモダニズム建築を作っていた戦前の・・ 「建築は住むための機械である」と声高々に宣言していた、30代40代の頃とは作風はガラリと変わり・・ このコルビュジェ後期の傑作は、言葉に例えるのが難しいような、非常に自由奔放なカタチをした建築。(上写真) 南側の外観を見る。いろんな大きさとかたちをした窓がパラパラと27個・・

ロンシャンの教会

あえて言うならば、この方位から見た時は・・  ”きのこ” の様な 。しかし見る角度を変えると・・ また印象はガラリと変わります。コンクリート打放しの大屋根と白い曲面壁・・ハイサイド窓で教会内に光を落とし込む、ぬるっとしたカタチの大きな塔。
(上写真) 南東側より外観を見る。

ロンシャンの教会
東側の外観を見る

蟹の甲羅がイメージという話もあるコンクリート打放しの大屋根・・ 東側は屋外の礼拝にも使える様な設えになっています。ちょうど中央にある、白い壁から少し突き出た四角い出窓の内側にはマリア像が見えます。

ロンシャンの教会

屋根まで伸びる縦長開口部の、上部は光の入りを調整しているルーバー付きの窓、下部には屋外祭壇へ出入りが出来る扉があります。壁と屋根がくっついていないのが分かるだろうか、少し透かして屋根が浮いている状態になっています・・ 室内側から見ると、これがよく効いています。

ロンシャンの教会
やや小さ目のぬるっとしたカタチの2つの塔に挟まれた部分の、下部にある扉から建物内には入ります。(上写真) 北側より外観を見る。北側壁にもパラパラとした幾つもの窓。
ロンシャンの教会
大きな塔を中から見上げると・・ 潜望鏡のような感じなっています
ロンシャンの教会
右側、礼拝堂の上部に潜望鏡から取り込まれた光が降り注いでいます。その横にあるカラフルな扉はコルビュジェ自身のデザインによるもの
ロンシャンの教会

室内の床は全体的に微妙に傾いています・・ もともとの地形に沿わした様な自然な傾斜がついていて・・ 反対に壁から浮いている屋根は端部へ向かって反り上がっていく・・ 床も屋根も壁も傾いた不定形をした・・ 静けさに満ちた空間の中、様々な光があちらこちらから差し込んできます。
(上写真) 祭壇方向を見る。右手の南側壁に設けられた開口部は “クサビ型” or “メガホン型” をしていて、小さな窓から取り込んだ光を増幅させています。

ロンシャンの教会

南側の壁は、壁の下部ほど厚みが増していて・・ クサビ型の開口も場所場所で様々な表情を見せています・・ 静寂の中、見た事のないような光に満たされた空間・・「光と静寂」「重さと軽さ」「曲線と直線」・・ 相反する様々な要素が共鳴した、何とも言えない・・ 詩的な、ここにしかない空間がロンシャンには在りました。

ロンシャンの教会

この空間の主役となっている南壁に設けられた、色とりどりの光が差し込んでくる窓・・ 窓は各々でデザインが異なり、色ガラスやペイントにより自由なデザインが施されています・・

「 鍵となるのは光だ。そして光はフォルムを照らし出す。」 「 われわれの眼は、光の下のフォルムを見る為に出来ている。」by  Le Corbusier

展覧会 2012

芸術の秋なので、建物や展覧会等をまとめて見て来ました・・リニューアルオープンした東京都美術館の「メトロポリタン美術館展」や、デンマークの若手建築家ビャルケ・インゲルスの「Yes is More展」などなど・・ しかし今回のメインとして期待していたのは「ル・コルビュジェの家」という映画 。”隣人は選べない” というコピーが意味するところは・・主人公であるレオナルドは椅子のデザインで大成功を収めたプロダクトデザイナー。その成功の証として彼が家族と住んでいる邸宅は、近代建築の大巨匠ル・コルビュジェにより60年以上前に設計された「クルチェット邸」。しかし、ある朝突然に隣から響いてきた強烈なハンマーの破壊音・・隣人がいきなり我が家へ向けて窓を作ろうと壁に穴を穿ってきたのだ・・見慣れない強面で屈強そうな男が「ちょっと光を入れたいだけだ」と・・ そこからレオナルドの暮らしは掻き乱され始める・・  「ル・コルビュジェの家」は邦題、原題は「エル・オンブレ・デ・アル・ラード」(隣の男)。

『Le Corbusier vol.5 1946-52』より「クルチェット邸」の外観パースを見る

映画自体はブラックユーモアの効いたシュールでシリアスな心理ドラマとして、それなりに楽しめるのですが・・この映画で大活躍するもうひとりの主役が ル・コルビュジェ設計の「クルチェット邸」(1949) 。映画の大半のシーンがこの住宅を舞台に撮影されています 。ブエノスアイレスにあるこの建築は、普段は資料館として公開されているそうです 。 

上が2階平面。下が1階平面

「クルチェット邸」は斜路が構成の中心となった住宅。大きな樹がある中庭と斜路で建物は二分され、道路側には、1階に車庫とエントランス、2階に診療所スペース、3階に屋外テラス。中庭と斜路を挟んだ奥には、1階に控え室、2階に玄関、3階にLDK、4階に寝室という構成。

断面図を見る

斜路を中心としたコルビュジェの住宅といえば「サヴォワ邸」(1929) をまず思い浮かべますが・・ コルビュジェが白い四角い住宅をたくさん設計していた1920年代からは20年も後の作品。42歳の時に設計した近代住宅建築の金字塔と、62歳の時に設計した熟練の作品。20年の時を隔てた “コルビュジェの2つの斜路中心型住宅” の空間の違いを比較しながら、映画を見るとおもしろさ倍増かもしれません・・ こちらも斜路中心のコルビュジェ建築・・

「建築探訪 60」-Tokyo/上野 2

国立西洋美術館

近代建築の巨匠 ル・コルビュジェによる「国立西洋美術館」(1959) を探訪。もちろんですが、日本にある唯一のコルビュジェ作品 です。国立西洋美術館が創設された経緯は、戦後間もない頃に吉田茂首相がフランス政府に、世に言う松方コレクションの返還を求めたことから始まる・・フランス側からの返還条件の一つが美術館の建設でした。

1955年に68才だったコルビュジェは、敷地調査のため初来日・・わずか7日間の滞在となり・・その後は2度と日本の土を踏む事はありませんでした・・ですのでもちろん完成した建物を実際に訪れて眼にする事もなかったのです。設計も基本設計図程度で、実施設計は日本側に任せ・・ フランスから遠い日本でこの美術館が実現できたのは、かつてフランスのアトリエでコルビュジェから建築を学んだ、弟子たち (前川國男/坂倉準三/吉阪隆正) が日本で頑張ったからこそ。
(上写真) 1階のピロティ部は後の改修でほとんどが内部空間に変わってしまいました・・当初は1階の半分くらいまでは屋外空間でした・・前庭の屋外床がずずっと建物下まで入り込んでいたそうです。コルビュジェの代名詞とも言える “ピロティ” が・・

大きな三角型トップライトと吹抜けがある中央ホールを見る

渦巻き状の動線システム、1階から2階へのゆっくりと上がる大スロープなど・・コルビュジェらしい建築言語がきちっと具現化しています。
ロの字型の動線計画、ピロティで持ち上げられた直方体、建物正面の四角い開口、建物中央の吹抜けなど・・ 坂倉準三の「神奈川県立美術館」と似ているところはさすがに多い。

「建築探訪 59」-Hiroshima 3

広島平和会館資料館

丹下健三の「広島平和会館資料館」(1952) を探訪・・ もちろん平和記念公園全体も1949年に行われた設計コンペで、当選された丹下健三さんによる設計です。どこの丹下建築を訪ねても多くがそうである様に・・作品集で見られる様な、竣工時の緊張感に溢れた、迫力ある、厳しく、美しい姿は・・ 今は感じられませんでした。戦後もっとも早い時期に国際的評価を受けた日本の近代建築・・ 建築家 丹下健三の出発点。

広島平和会館資料館
(左) 作品集で見られるかつての姿では・・2階は透明ガラスに水平ルーバーを設けた構成で、外部から内部が見えて、内部から外部が見える “透けた箱” でしたが・・
(右) 独特のかたちをした、1階のピロティ中央部を支える8本の “くさび型柱”・・出隅の柱4本はさらにユニークなかたち・・ 丹下さんの憧れでもある 建築家ル・コルビュジェのピロティ柱を連想させます
広島平和会館資料館
建物の出隅部分を見る。もともとの仕上げであるコンクリート打放しの上に、石を張った改修の様子がよく分かる。水平ルーバーは撤去。ガラスは色の付いたものとなり内側には内部展示室を囲っている壁がすぐに見える。外部から内部 or 内部から外部の様子は見えない・・  改修後は “閉じた箱” になってしまいました。

「建築探訪 53」 -Kumamoto

熊本県立美術館

熊本城郭の端に建つ、前川國男の「熊本県立美術館」(1977) を探訪。 (上写真) アプローチ側の南側外観を見る。一目では玄関まで見通せない、視線/動線が突き当たっては折れ曲がりながら・・玄関へと至る前川さんらしい”一筆書き”な構成。高さを押さえた建物がさらに樹々に埋もれ、その存在は全く目立たず・・ 1971年の「埼玉県立博物館」から始まった “後期 前川建築” の到達点・・ 前川建築の完成型ともいえる珠玉の建築・・やっと見に来る事が出来ました!!!

熊本県立美術館
エントランスホールで受付けた後、180度振り返ったロビーの眺め。天井いっぱいまでの縦長窓とワッフルスラブ天井の存在感が効いてます。
( 前川さんはコルビュジェの弟子ですが・・なんとなくルイス・カーン的 ?  )
熊本県立美術館
90度右を向いて、ロビーから続く奥行きのある一室空間を見通す。ロビーの向こうには吹抜ホール、そのさらに奥が喫茶室。(左手に展示室)。細長い平面を強調する様に建物奥まで・・ワッフルスラブ天井と大開口が続いていきます。 床レベルは外部からロビーに至るアプローチを通して、あるいは建物内部の移動においても変化が付けられているのですが・・天井と大開口は常に安定した存在になっています。
熊本県立美術館
1階ロビーよりテラス側を見る。天井いっぱいまで開かれた大きな開口による、内外が一体となった開放的な空間。テラスの向こうには大きな樹々がたくさん植えられた緑豊かな公園が広がっています。南北に細長い平面構成、大きな開口部は東に面しています。訪れたのは午後からだったので、直接光が入ってくる時間帯ではありませんでした。
熊本県立美術館
吹抜ホールを地階より見る。落ち着きのある空間・・ 公園に面した大きな開口が、地階分そのまま更に大きくなっています。大きな開口の上下間のところには、ロビーから喫茶室へと続く渡り廊下があります。上部から吊った軽快な鉄骨造による意匠 ( 竣工時の資料にはなかったので、後の改修 ? )。
熊本県立美術館
(右) 後期の前川建築の代名詞である「打込タイル」。耳付きのタイルになっており(写真で分かるかな?) 、目地は詰めていません・・ タイルを後から貼り付けるのではなく、型枠内側にあらかじめタイルを取付けておいて、コンクリートを流し込む工法・・ より耐久性のある強固な外壁となる、前川さんのお気に入りの手法。

前川國男72歳、熟練の域に達した素晴らしい傑作でした。
こちらは前川國男49歳、”前期 前川建築”の傑作。 こちらは岡山にある前川建築。

「建築探訪 52」 -Hiroshima

世界平和記念聖堂

村野藤吾さんの設計による「世界平和記念聖堂」(1953)を探訪。
被爆倒壊した教会を世界各国からの寄付により再建・・ 1948年に設計案を募り、建築界の強い関心を集めた設計コンペが行われ、丹下健三や菊竹清訓や前川國男などの日本を代表する建築家が優れた設計案を応募・・

世界平和記念聖堂

打放しコンクリートの柱梁フレームに、現地の原爆の灰をかぶった土を含んだセメントレンガを積み込むという・・ 素材的にも工法的にも限定された構成・・ シンプルで実直な作り方が、再建への強い思い・・を伝えている様な気がします。

世界平和記念聖堂

壁詳細を見る。壁のセメントレンガは・・全体に渡りリズミカルに、ところどころに突出させています・・ コンクリートとセメントの素材そのままで、四角く大きな直方体の・・建物の威圧感を和らげ、ファサードに質感と陰影を与えるアクセントとして良く効いています。

世界平和記念聖堂
(左) アーチが架かった側廊部を見る。身廊+側廊というカトリック教会建築の伝統的構成を踏襲・・ 蛭石入りのプラスター塗りにより内部はシンプルで簡素な仕上げ

設計コンペは・・ 結果的には1等の該当者はなしに終わりましたが・・ 審査委員の1人であった村野藤吾が実施設計を委託されるという、なんとも納得のいかない結末。同じく審査委員であった堀口捨巳や吉田鉄郎はモダニズム色(コルビュジェ色)の強い丹下案や前川案に肯定的であったが、村野藤吾や今井兼次は否定的だったそうです・・ 

「苔のむすまで」 杉本博司

「苔のむすまで」 杉本博司著

「苔のむすまで」 杉本博司著。
杉本博司は1948年生まれの写真家・・・博物館の展示品である再現ジオラマを本物のように写真で撮影した「ジオラマ」シリーズ、世界各地の海を同じ構図で繰り返し撮り続けた「海景」シリーズ、映画上映中の時間中ずっとフイルムを露光し 真っ白なスクリーンを撮影した「劇場」シリーズ、世界の記念碑的なモダニズム建築を無限大の倍で焦点のぼけた姿で撮影し続けた「建築」シリーズなどの作品で知られ・・・世界各地の美術館で個展を開催し、国際的に活躍&さまざまな賞を受賞し、つい先日も高松宮殿下記念 世界文化賞を受賞され話題となりました・・・「苔のむすまで」は杉本博司さんの初評論集。
(上写真)表紙写真は、「建築」シリーズの「World Trade Center」(1997)

 「Villa Savoye」 (1998) from the series of Architecture

「・・建築物は建築の墓なのだ。建築家の思い浮かべた理想の姿が現実と妥協した結果が建築物なのだ。無限の倍の焦点を当ててみると、死んでも死にきれなかった建築の魂が写っている・・・私が写真という装置を使って示そうとしてきたものは、人間の記憶の古層・・・我々はどこから来たのか、どのようにして生まれたのか思い出したい・・」by杉本博司

岡山日日新聞

トリムデザインのコラムが掲載された岡山日日新聞
先日、 t/rim designの小コラムが掲載された岡山日日新聞

「住宅は住むための機械である」とはモダニズム建築を完成させた近代建築の巨匠ル・コルビュジェ(1887~1965)が残した、建築史上最も有名なといっても言い過ぎではない、現在活躍する建築家やこれから建築を学ぼうとする若い人達にも今なおその作品と共に強い影響を与え続けるル・コルビュジェの言葉・・この言葉は今から86年前にもなる1923年(大正十二年)に出版された、これからの建築が在るべき姿についてコルビュジェが建築宣言を行った、初期の著書「VERS UNE ARCHITECTURE」の中に記されています。

住むための機械という言葉への解釈は人によって多少の違いはあるのではないかと思いますが、そのシンプルで無機質な「白い四角い箱」のような初期コルビュジェ作品の姿が与える工業製品的なイメージも手伝ってか、「住宅=機械」と表面的な捉え方をされ、コルビュジェが唱えたことは、飛行機や自動車を理想とした工業製品のような住宅をつくる事だと思われている方も少なくありません・・この著書に込められたコルビュジェの真意とは・・・我々の文化や社会というものは変わり続ける事を避けられないものであり・・ 
・人々を包む器である建築もまた社会や生活から生じる新しい要求というものに、機械のように、合理的に正確に経済的に応えていかなければいけない。
・われわれの必要に答えている工業製品の中に見られる、慣習や様式に囚われない「新しい精神」こそが美しい 。  
というような主旨のことが「VERS UNE ARCHITECTURE」の中には書かれていました。
「住宅=豊かに健康に住むための無駄がない道具」
・・社会や人々の暮らしが大きく変わる時、建築もまたその変化にうまく適合していかなければならない・・そういう意味だったのではないかと思います。
私達が勤めていた設計事務所の所長は、フランスでコルビュジェから建築を直接に学ばれた建築家・坂倉準三が設立した設計事務所の出身であったという親近感もあり、コルビュジェの言葉や作品からは多くを今なお学んでいます・・ 建築とは、設計を依頼してくださった人達の言葉、あるいは今の社会や暮らしの中に見つける事が出来る変化、に対し的確に応えられる様なものであるべきだと言う事は・・ 現在でも未来でも同じなのではないかと・・

未来の建築 !!

2008年4月に出版されたこの本・・「原初的な未来の建築」 
最注目の若手建築家の”初作品集”・・・実作品の写真は少なく、コンセプトをあらわすための図面と模型写真を中心に・・10のキーワードで掲げる未来の建築への予感を、簡潔な文章で語っていく構成・・

藤本壮介さんは1971年生まれの37才の建築家・・分かり易いコンセプトとともに挑戦的/刺激的な計画案で30代の若手建築家の中では飛び抜けた存在として2000年頃から注目されていました・・

第1章の始まりからして・・コルビュジェの有名な「ドミノシステム(1914)」(1920年代の白い住宅シリーズの基礎となる原理)の図と、自身のマニフェストとも言える原理的な計画案「N house(2000)」を見開きページに並置するという大胆さ(上右図)・・大物だぁ・・気持ちいいくらい”未来の建築”にまっしぐら・・

(下左図)「T House(’05)」・・妙な奥まりのような部屋が並ぶ住宅
(下中図)「安中環境アートフォーラム(’03)」・・必要に応じて必要な場所が出来て、外形を成すという計画案
(下右図)「青森県立美術館(’00)」・・森と同じような生成ルールから生まれる建築

共通するのは・・全体性ありきではなく「部分の集積」で建築を構成していくという原理。
1本の木から構成される森のような or 小さな部分が集積した集落のような or 形がなく常に過程にある洞窟のような・・分節できない「局所的な関係性の繋がり」から生まれる 「弱い全体」・・そんな緩やかな自然の多様性を再構築したような・・「部分の秩序」による「弱い建築」・・・藤本壮介さんが未来に問いかける・・新しい建築の原理。

近代という”強い/大きな秩序”にとって替わる “弱い/部分の秩序”による 「新しい建築の原理」を打ち立てようとする藤本壮介さん・・大学卒業直後の1994年からどこの設計事務所に勤めることもなく・・デビュー作となる「聖台病院作業療法棟(’96)」「聖台病院新病棟(’99)」から・・「しじま山荘(’03)」 「伊達の援護寮(’03)」 「授産施設(’04)」 「Thouse(’05)」 「7/2 house(’05)」 「登別のグループホーム(’06)」 「情緒障害児短期治療施設(’06)」 「house O(’07)」・・・

掲げた原理が見事に実現とは・・まだまだ言い難く。実現した建築も10にも満たないが・・意欲的な計画案はこれからどんどん実現されていくだろうし・・・現在のスター建築家とは一味違った・・・”原初的な未来の建築” が生まれるか否か・・

「僕はコルビュジエやミケランジェロのような建築家になりたい」 by 藤本壮介