「建築探訪 96」-Tokyo/ 青山 3

塔の家
道路の向かいにあるワタリウム美術館側より、西南側外観を見る

青山の外苑西通りに面した “小さな住宅” ・・ 写真左のマンションは「そこまで近く建てるか!!!」と驚くほどの近接ぶり・・この「塔の家」(1966) を設計されたのは東孝光さん。

塔の家
(左) 西側より外観を見上げる。地下1階、地上5階の計6層からなる住宅・・駐車場も1台分を確保・・ 敷地面積は、なんとわずか6坪ほど!!! 
(右) 南側より外観を見上げる。左手の街路樹は、この家の為に植えられた様に・・いい感じで建物に寄り添っています。
塔の家
建物の外壁を触る・・

この建物は内外共にコンクリート打放し仕上げ。内外コンクリート打放しの住宅といえば、すぐに安藤忠雄さんの名前を思い浮かべますが・・安藤忠雄さんが「住吉の長屋」で一躍名を知られる様になるよりも10年も前の作品・・ ANDO建築の代名詞である磨き上げられた様な、均一なコンクリート打放しも綺麗ですが・・この東さんの荒々しい肌理のコンクリート打放しも・・ 味があってgoodです。

(左)  竣工した1966年頃の様子・・まわりにはまだ高い建物もなく、まさしく「塔の家」・・ 
(右) 各階のプランを見る

5階の子供部屋はベッドの大きさから図ると3帖程度、4階の寝室も4.5帖程度、2階の居間も4.5帖程度・・家族3人、延20坪程度の家、内部には仕切りはなく、階段を介して縦に繋がった1室空間・・やや広い階段の踊り場に住んでいる様な・・約50年前に生まれた究極の都市住宅。必要最小限で都市に生きる・・”TOKYO”でしかありえない住宅・・余分なものを持たずに都市で暮らす・・現代にも通じる、こんな潔さが心地良いです。

「建築探訪 81」-France 11 / Le Corubusier 9

クック邸

ル・コルビュジェ設計の「クック邸」(1928) 。立面平面ともにほぼ正方形をした、4階建ての都市型住居。プラネクス邸 と敷地条件が似ている・・ 両側を建物に挟まれ、前面は道路。 (上写真) 道路より北東向きの外観を見る。4階の左半分はリビング吹抜け、右半分の道路側が屋上庭園となっています。

(右) 竣工時の外観の様子、そんなに変わっていない感じ
(左下) リビングから道路側を見たところ・・この中央壁と両サイド窓のデザインが・・なんとなくプレモダニズムな頃のコルビュジェの「シュウォブ邸 (1916)」を思わせていてオモシロイ

プラネクス邸と大きく違うのは・・ 上部マッスを持ち上げている、下部ピロティの様子・・ プラネクス邸が、実際は部屋が在りながらも・・ ガラスのカーテンウォールで、下部が浮いているかの様に見せているのに対して・・ クック邸の1階は小さな玄関と階段があるだけで (両サイドは壁で完全に覆われていますが) ・・ サヴォワ邸 の完全解放ピロティとまではいきませんが・・ かなり大きく開放されています。

吹抜けのある3階リビングの様子・・ 右手の低い部分 (4階屋上庭園の下) がダイニング。 リビングの奥には南西向きの大きな窓。階段奥にはキッチン。階段を上がると4階屋上庭園に面した図書室へ上がれます。

「建築探訪 80」-France 10 / Le Corbusier 8

プラネクス邸

パリ13区、マセナ大通りに面して建っている ル・コルビュジェ設計の「プラネクス邸」(1928)。(上写真) 道路より南側外観を見る。残念ながら見学はできません。樹が覆い茂ってやや見えにくいですが・・上部の3階/4階は開口の少ないマッスとして扱い、下部の1階/2階は全面ガラスのカーテンウォール・・ 建物が持ち上げられたような ピロティ 的な扱いのデザイン。

85年前の竣工時と比べても、そんなに外観は変わっていない様な感じです。両側を建物に挟まれ、前面は大きな道路・・最上階にはオザンファン邸のようなトップライトがある階高の高い部屋がある4階建ての都市型住居。4階部のバルコニー(3階寝室)となっている、建物ファサード中央の張り出した部分が外観のアクセント。

断面で見るとこんな感じ・・ 右手の南側前面道路からは、左手の敷地奥となる北側が・・かなり上がっている事が分かります。1階2階にはメゾネット式で2住居。3階4階へのアプローチは建物中央1階エントランスを抜けて、敷地奥の屋外階段からのようです。

敷地裏手から見るとこんな感じ・・ブリッジでもアプローチできる3階部分は、敷地奥の北側に大きく開口を設けています。こういったブリッジや屋外階段での建物アプローチというのは、ANDOさん的な感じですよね・・

最上階は画家/彫刻家であったプラネクス氏のアトリエでした・・ ドラマッチックに陽が差し込んでいます・・ トップライトの窓はアトリエなんだけど、南向きなんですね・・

ひろしま住まいづくりコンクール2012

昨日は・・『黒瀬の家』のお施主様と施工者さんと一緒に、広島県庁まで授賞式に行って参りました。(上写真) 表彰されているお施主様のIさん。👏👏👏

「黒瀬の家」は一昨年の夏に東広島市に完成した・・平屋の様にも見える、スキップフロア的な2階建ての、大屋根が特徴の住まい。今回、賞を頂いたのは 「ひろしま住まいづくりコンクール」の優秀賞。 
建築の賞というのは、設計者だけが頂く事が大半ですが・・実際の住まいづくりというのは、お施主様と施工者さんの協力理解による共同作業・・ですので今回の様に3者それぞれを表彰して頂けるという事は嬉しい限りです。

「建築探訪 79」-France 9 / Le Corbusier 7

オザンファンのアトリエ

ル・コルビュジェ設計の「オザンファンのアトリエ」(1922) 。パリ市内の中心からやや南・・ルイユ通りから入る小さな道との角地に建っているアトリエ兼住居の3階建て・・コルビュジェの「白の時代」と言われる、白い四角い住宅ばかりを手掛けていた時代の・・最初期の実現作のひとつ。(上写真) 東側の外観を見る。

1階には車庫。外部の廻り階段から上がった2階が玄関・・3階は他階の1.5倍くらいの高さを取った、天井高が充分にあるアトリエ。このアトリエの主であったアメデエ・オザンファンは・・ コルビュジェと共に著書を出したり、雑誌を刊行したり・・絵画教育にも力を注いだ・・コルビュジェの盟友・・ピュリズムのフランス人画家。
(上写真) 残念ながら・・建物外観の大きな特徴であった、3階アトリエのトップライト(ノコギリ屋根)は撤去され・・ 竣工時とは様子が大きく違っています。

北側を向いた、2つの大きなノコギリ状屋根から取り込まれた光が・・トップライトとして降り注いでいる竣工時の3階アトリエ内部。トップライトと共に、北面と東面に向かった2つの大きな窓を、合わせて見ると・・ アトリエ内に “浮かぶ直方体” が見えてくる・・非常に明るく開放的なアトリエ。左手のロフト的な小スペースは階段で上がる小書斎。

「建築探訪 78」-France 8 / Le Corbusier 6

サヴォア邸

パリ北西の小さな町ポワシーに建つ・・ 近代建築史において “最も有名な住宅” と言っても過言ではない・・ル・コルビュジェ設計の「サヴォア邸」(1931) 。コルビュジェが唱え続けた “近代建築の5原則” を明確に体現した・・ 理想のヴィラ。計画案としての「ドミノ型住宅」(1914) や「シトロアン型住宅」(1920)、実作としての「ヴォルクソンの住宅」(1922) から始まった、白い四角い住宅ばかりデザインし続けていた・・ コルビュジェの「白の時代」を締めくくる作品。

サヴォア邸
西側より外観を見る。広い芝生の海原に浮かぶ “船” のような・・

コルビュジェの唱えた「近代建築の5原則」とは・・ピロティ/屋上庭園/自由な平面/水平連続窓/自由なファサード・・1階は細い円柱で持ち上げられたピロティ、正方形平面の2階には四周すべて水平連続窓・・非常に分かりやすい、一度見れば忘れようもない、単純な四角い箱の建物・・ しかし、3階の屋上庭園を囲っている曲面壁の存在が・・外観あるいは建物全体の印象をより豊かなものにする事に、大きく貢献している様な気がします。 

サヴォア邸

保険会社のオーナーであったサヴォア氏の週末住居として10年程は使われていたが・・1940年のドイツ軍進駐により退去。
(上写真)1階ピロティ下の玄関前を見る。建物正面となる北西面の丸柱は、側面の外壁面に揃えられた丸柱よりも・・大きく内側に入り込んでいます。玄関前の上部は2階リビング。

サヴォア邸
(左)1階ピロティ部は自動車が通行する事を考慮して計画されている。やや巾が狭い気もするが・・建物下を通って玄関まで車を寄せて来る計画
(右) 玄関ホール内よりピロティを見る。均等ピッチで縦桟を細かく割り付けたスチールサッシ面は、構造とは縁が切れ・・柱の間を縫うように、自動車の回転半径から導かれたという円弧を描いています・・ 
サヴォア邸
1階玄関ホールを見る・・ 左手に螺旋階段、右手に緩やかに上がって行くスロープ。もちろん訪問者はゆっくりと建築的散策を楽しみながらスロープで2階へ。他の独立柱はすべて丸柱なのに・・ 階段とスロープの間にある独立柱だけはなぜか “大きめの四角柱” ?  
サヴォア邸

1階からのスロープを上がった所・・そしてさらに、2階より3階屋上庭園へ続いて行く屋外スロープが、水平割りのスチールサッシ越しに見える・・ 上へ上へと繋がってゆく断面的方向性が強く意識させられる・・各階の平面中央を貫く、このスロープ空間が・・この建築の要となっています。

サヴォア邸
南側の中庭に対して、大きな開口を設けた2階リビングを見る

外観の印象では、建物の存在感はとても大きく目立つものでしたが・・内部に入ると建物の存在感というのは薄れてしまい・・外部環境を見事に切り取り、呼び込む・・ 光と緑に溢れた、明るく健康的な生活を送る為に、人間の生活を支える道具として・・建物の存在感は控え目なものでした。恵まれた周辺環境のおかげでもあるのですが、水平連続窓がとても効いています。

サヴォア邸
2階中庭を介してリビングを見る

リビングの上には右手の屋外スロープより上がることが出来る3階屋上庭園。1940年の退去以来・・長い間の放置で、荒れた状態となったしまっていたサヴォア邸・・ 1965年にはポワシー市が取り壊しの計画を発表したが・・ 様々な方面からは保存を望む声・・ 救いの手を差し伸べたのは、当時の文化相であったアンドレ・マルローでした。現在は非常にすばらしい保存状態です。

サヴォア邸のシェーズ・ロング
陽当たりの良いリビングの大開口前に置かれた寝椅子は・・デザインされてから90年近く経った今でも製造販売元のカッシーナ社を代表する名作家具・・コルビュジェ自身がスタッフであったシャルロット・ペリアンと共にデザインした・・ “LC4” こと「シェーズ・ロング」(1928) 。 

「建築探訪 73」-France 3 /Bazoches-sur-Guyonne

メゾン・カレ

パリから40km程離れた小さな町へ・・やや道を登りながら林の中を抜けると、頂きには・・ 北欧フィンランドの巨匠アルヴァ・アアルト(1898-1976) 設計の「メゾン・カレ」(1959) が見えてきました。周りを樹々に囲まれ、西側(右手)には芝生の斜面が広がる気持ち良い敷地。
(上写真)アプローチより北西面を見る。一直線に切り取られた三角妻面が明快でgood、斜め要素に付け加えられた水平庇が効いています。

メゾン・カレ
南面外観の西端部を見る

戦前アアルトの代表作「パオミオのサナトリウム」(1933) や「ヴィープリの図書館」(1935) のような”白い四角い”・・いわゆるインターナショナルスタイルと言われるモダニズム建築からは大きく変容した、戦後アアルトらしい素材感がある自由な構成・・斜め屋根/石/レンガ/木製ルーバーといった地域性を感じさせるモダニズム。

メゾン・カレ
南面外観の中央部を見る

白ペイントレンガと木部の対比が効いています。中庭を囲う様に張り出した部分は水廻り、その中央部に主寝室が2室、この右手にはゲストルームが1室・・1階の南側に3寝室が並んでいます。戦後アアルトの出発点となった「セイナッツァロ村役場」(1952) を思わせるひな壇状の斜面。

メゾン・カレ
玄関ホールよりリビングを見る
リビングには西向きの大窓が設けられ、庭の眺めを取り込んだ空間となっています。敷地の斜面なりに沿うように、ゆったりとした階段を7段(踏面300mm、蹴上120mm)ほど降りてリビングへ
メゾン・カレ
リビングを見る
優しい感じでありながらも洗練され簡潔・・ 北欧の建築家らしいアアルトのデザイン。ソファ/テーブル/照明器具/カーペット/カーテン/ドアノブにいたるまで・・ 全てアアルトのデザイン
メゾン・カレ
東面に取られた窓から、サンサンと陽が差し込む・・明るいキッチン
メゾン・カレ
キッチン横、同じく東面に大きく窓を取った室。庭の奥に見えるのはプール棟
メゾン・カレ
主寝室を見る

住まい手であったルイ・カレ氏はパリで、ピカソやマティスなどの作品を扱う有力な画商・・アアルトに設計の依頼がきたのも共通のアーティストの友人を介して・・竣工パーティにはブラック、カルダー、コクトー、ジャコメッティ、ギーディオン、コルビュジェ・・ 華やかな顔ぶれが並んだそうだ。アアルトの建築の多くはフィンランドに在り・・地域や風土に根ざした作品として良く知られ・・フィンランドの地にあってこそと思ったりもしますが、フランスで見る事が出来た・・”初めてのアアルト建築” はなかなかgoodでした。

「建築探訪 51」-Hyogo/芦屋

崖の家

六甲山腹、傾斜のきつい道を上がって行った芦屋市の山手・・ コンクリートブロック擁壁で支えられた、見晴らしの良い敷地・・清家清の「崖の家」(1956) を探訪。

長年愛着を持ち住まわれてこられましたが、建て替えを決意され・・ 今回は特別に、お住まいの方の御厚意と、建て替えの設計をされている建築家さんの御厚意で・・ 工事前に見学させて頂きました。

(上写真) 南側外観を見る。屋根は東西に伸びるバタフライ型。奥の方流れ(1.5寸勾配)が居住部分、谷部の中庭を挟んで、手前の方流れ(1寸勾配)が応接部分・・ というように機能的に3つの部分に分けられています。左側コンクリートブロック壁沿いに玄関。

崖の家
コンクリートブロック壁に沿って、高さを低く抑えた庇下の玄関を見る。右側コンクリートブロック壁の裏が応接室。清家清さんといえば昔・・ NESCAFEのTVコマーシャルに “違いの分かる男” として出演されていた事でも有名
崖の家
(左) 中庭に面した応接室を見る。応接室の壁はもともとはコンクリートブロックに濃紺色のペイント仕上げだったそうだ・・ 清家作品にはコンクリートブロック壁が多い。戦後に大量生産が始まり、優れた安価な材料として広まった・・ 無骨で無機的な工業製品であるコンクリートブロックを、清家さんはデザインとして建築にうまく生かす試みを繰り返されておられました

(右) デンマークの建築家アルネ・ヤコブセンのデザインによるフリッツハンセン社の家具が揃っています・・古い物との事ですが、状態も良く、色も素敵でした
崖の家
(左) 中庭を見る。左側の応接室を拡げた為、中庭は狭くなっています。竣工時の解説では・・ 中庭のトップライト開口は、大雨時にバタフライ屋根谷から雨を溢れさせるためとの事・・
 (右) バタフライ屋根を見下ろす。谷部の右側・・ 中庭のトップライト開口にはカバーがついてます
崖の家
居間和室の南縁側を見る。居間和室は増改築でより開放的に・・ 大きなガラスのピクチャーウィンドウに変更。下部には換気用の無双窓

この住宅は清家清さんの手で、生活に合わせて・・ 玄関を拡げたり、応接室を拡げたり、居間和室を拡げたり、台所を拡げたり、お風呂トイレの場所を変更したり、竣工時から 2度の増改築が行われていたそうです。