Jorn Utzon,90,Dies -基壇と屋根

デンマーク人建築家ヨーン・ウッツォンが先週末11/30に亡くなられた・・1918年生まれの90才でした。ウッツォンといえばその名前は知らなくても、彼の建築は誰もが知っている「シドニー・オペラハウス」の”設計者”

1957年の国際コンペで当時無名だったウッツォンの白帆のようなシェル構造屋根がリズミカルに連なる鮮やかな案は見事1等となり「シドニー・オペラハウス」の計画は始まる(すでに落選作の中にあったウッツォン案をエーロ・サーリネンが拾い上げ1等としたのは有名な話)・・・1966年の政権交替により理解あるクライアントは居なくなり・・ウッツォンの極めて個性的な”20世紀を代表するはずだった建築”のプログラム/木製吊天井andプライウッド方立の美しいホール内装/繊細な動きのあるガラス外壁など様々な細部は簡略され(一般の人からすればコンペ案がだいたい実現されれば、細かな部分などまぁ良いではないかと思われるかもしれないが・・建築家にとっては細部まで意図通りに出来なければ自分の作品とはきっと言えないものなのです)・・・ウッツォンは実施設計途中で建築家の責を辞任しデンマークに帰ってしまう・・その後は地元オーストラリア官僚建築家委員会が設計を引き継ぎ、色々ありながらもコンペから16年後の1973年にようやく完成を見るが・・・出来たものはやはり100%ではない・・ウッツォンが最後まで監理していたなら本当に”20世紀を代表する建築”になっていたはず・・残念。

「大きな基壇と大きな屋根」
遺跡を思わせる大きな下部基壇と、ヨットの帆のような円弧シェル屋根群(球体から切り取った弓形シェルヴォールト-タイル打込みのプレキャストコンクリート製)による明快でダイナミックな建築構成・・
ウッツォンは建築要素としての「巨大な水平面(基壇)」がもたらす効果というものについてメキシコの遺跡を訪ねて以来、並々ならぬ魅力を感じていたり・・「基壇と浮遊する大きな屋根」だけの構成による日本建築にも興味を寄せていたり(上写真右はウッツォンのスケッチ)・・・海辺に面したオーストラリアというロケーション/メキシコ遺跡/日本伝統建築/最新技術・・・単純ではない複雑な視野が入り混じった”モダニズム第三世代”らしいウッツォンの建築・・コペンハーゲンにあるもうひとつのウッツォンの傑作 「バウスベアーの教会(1976)」もモダニズム第三世代を代表する素晴らしい建築・・・
ウッツォンさんのご冥福をお祈りいたします。

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新しい舟

倉敷川の舟

今日大きな音と共に事務所前に大きなレッカー車が停車・・
アームで持ち上げられ、川に降ろされたのは “新しい舟”でした
倉敷川の遊覧舟は観光客に人気があり、今まで一艘では人の多い休日には乗れない事もあったので・・二艘になりました
川から眺める美観地区も素敵だと思うので(乗ったことはないのですが・・)、美観地区にお越しの際はぜひお乗り下さい。

い草の町

早島町の水路

いま現場監理に通っている早島町の水路と田園が広がる前潟地区は、かつて”い草”の生産/加工/流通の一大拠点として全国に知られていました・・・
幅広い水路が町の中を流れ、その流れの際に焼きすぎ板 & 漆喰塗の民家が沿うように建ち並ぶ 美しい風景はあちらこちらで見掛けられます・・・

現在ではい草の栽培はほとんど行われていませんが、かつて頻繁に利用されたであろう水路がその往事の歴史を伝えています・・・水の流れる様というのは見ていて飽きないし気持ちが落ち着くものです・・

大阪も東京もかつては街の中まで水路が張り巡らされ、日常を彩る背景になっていたはず・・・下水道になり、コンクリートで護岸し”危なくないように”柵を立て、川の上に高速道路を走らせ・・・川を景観として日常を彩る要素として見ていなかったんでしょうね・・

夜暗い時、慣れてない人が落ちる事があるかもしれないけれども・・・機能的側面からのみ100パーセントを目指して・・そういう事をヒステリックに言い出すと “昔ながらの景観”なんて守っていけないんだから・・・まぁそういう人も偶に居るかもしれないね・・注意してね・・ぐらいで済ます大らかさがあってもいいんじゃないでしょうか・・
しかし最近ではそれだと・・落ちて怪我した時に訴える人がいるからもしれない・・だから柵や暗渠にしてしまいましょうとなるんだろうか・・

「住宅建築 08年2月号」

「住宅建築」(建築資料研究社)の今月号・・大阪で9年間、建築を教わった”二井清治”さんの作品が特集されています・・二井さんが坂倉事務所時代に師である西澤文隆さんと住宅を設計されていた時の大徳寺に実測に行く話しや、「18mmだと古民家みたいだし、12mmだと村野さんみたい・・」という壁チリ(壁の柱梁からの控え寸法)に関する西澤さんのコメントの話し等・・興味深かったです・・・ 学生時代には全く興味のなかった古建築をたくさん見に行くようになったのも、二井さん(西澤さん)からの影響です・・西澤文隆さんの著書「日本名建築の美」は古建築探訪のバイブルです・・

掲載されている作品の中でも思い出深いのは「津山の家」(上写真)・・・延べ9坪にも満たない(!!!) 小さな家でしたが、素材もディティールも空間も”超”濃密な住宅でした・・床は21mmのチーク/壁は60mmの竜山石andオリジナル燻し銅板一文字60mmピッチ葺きand鉛1mm貼り/天井も鉛1mm貼り/室内天井高195cm(建築基準法では210cm以上と決められている根拠が知りたいなぁ・・)・・といろいろな意味でイレギュラーな住宅でした・・大阪から津山まで高速バスで現場に毎週通い・・・現場が遠い事もあり、この住宅のほとんどの部分を施工図(S:1/1)レベルで・・図面を事務所で描いて(ふつう施工図は施工する工務店が描きます)、模型をつくり・・・二井さんとマンツーマンで検討していたのが懐かしいです・・t

「住宅建築 08年2月号」 (建築資料研究社) ¥2,450 店頭販売中

景観法って・・

今進めている住宅の計画は私達にとって 「景観法」に関わる最初の物件となりました・・2003年に国土交通省から「美しい国づくり政策大綱」が公布され、それに基づき「景観法」という法律が施行されて2年半、景観法を背景に全国の地方自治体が条例を運用しようとしている・・その主旨は “良好な景観形成” “美しい/風格のある社会の実現”らしい・・
ひたすら「経済至上主義」で邁進し、ダム/護岸工事/道路建設/都市計画を行ってきた国土交通省(旧建設省)がいきなり正反対を向いて 「美しい・・」 なんて言うと、首を傾げたくなる人は少なくないはずだ、良好な景観/美しい/風格のある社会って・・国交省or景観法を実行する地方行政機関は何をイメージしているのだろうか?

少なくとも 景観というものを法で規制するんだから、安易に形態/意匠/素材というデザインを規制するような方法は止めて欲しいが、単純なノスタルジーで”伝統/日本的”なものを強要する様な事はもっと止めて欲しい・・

長いスパンで歴史を見た時、「本当の意味での伝統」とは ただ古いものを頑なに守ってきたのではなく、その時代時代において新しさと工夫を付け加えてきた歴史の結果に”伝統”があったんだから・・安易単純に、ただ地域的な意匠を取入れれば、瓦屋根を載せれば、木質系のやわらかな色にすれば・・”美しく”なると言うのだろうか、それは郊外にある和風ファミリーレストランや和風菓子店のキッチュさと同質のものになるのではないだろうか・・

また、生活/暮らしの質実な要求から乖離した表層的部分にだけ固執し、良い物なのに”目新しさ”故にそれらを拒む事は意味がない。当初は目新しく見えてもそれは 暮らし/暮らす人の必然の中から出てきたものであるなら将来へ繋がる普遍的価値を含んでいる可能性があるのだから・・現前している多数決的視点で見るならば”美しくない”と多くが考えるものでさえ、一面的な視点からの評価だけではなく、多面的に評価する多様性を許容しなければ、それにはそれが現れた理由があり、多くの人は建築的価値を”見る眼”をまだまだ持ってはいないのだから・・規則条例で”自由”を規制する事で 著しく醜いものの出現を阻止する事はできても、優れたデザインを生み出す事はできない・・
しかし、現前する街並みや風土を無視し、自己抑制する謙虚さを全く持ち合わせず、差異/差別化に固執した自己表現を繰り返し”表現の自由”を牽引してきたような「建築家」の時代はもう過去となるべきなのかとも思ったりもします・・”景観法による建築規制”は地方行政で温度差はあるが、これから本格的に実行されていくのでしょう・・。

建築の最新 2

Zaha Hadid

前投稿に引き続き 「最新CG建築」ギャラリー part2。
デ・コン(デ・コンストラクション-非構築的な、壊れたような崩れそうな格好をした建築スタイル)の元旗手 イラク生れの女流建築家Zaha Hadid 設計の高層ビルの完成予想CG。凄い!!・・ビルがうねっている!!!・・Photo Shopで画像加工したみたいで酔いそうだ・・
(下左)フランスの建築家Jean Nouvel設計の高層ビルの完成予想CG。
何とも言えない独特の艶・芳香を放つヌーベル建築らしさが漂うが、神柱or磐座を思わせる原初的なフォルム、注連縄でも巻いてたら拝んでしまいそうだ。
(Jean Nouvelはパリのカルティエ現代美術財団や最近できたケ・ブランリー美術館が有名、日本では電通本社ビルに関わったりしてます)
元・大阪人としては”丸い”ビルといえば、梅田「丸ビル」が 丸さがもたらすメンテナンスコストの高さにより倒産した事を思い出してしまう、ガラス変えるのもタイル張替えもどんな部材でも、確かに丸かったり歪んでたりするとコストは何倍もしますから・・そんな庶民的意見は世界的スター建築家のお二人には些末な事でしょうが・・

Jean Nouvel青木淳

(上中)は青木淳の大阪・南港にある結婚式用教会を思わせる、連結したリングが高層ビルを支える構造となっている様だ・・凄いな・・
(上右)は積木を積み上げた様な高層ビル、計画地は新宿の様だ・・これも出来ればこれまで見た事ないような物だが掃除は大変だろうな・・

しかし”建築の最前線”は凄いなぁ・・何でもあり状態という感じ・・
コストが掛かっても、メンテが大変でも、使い難くても、設計料が高くても・・それでも設計を頼みたくなる魅力がスタ-建築家にはあるのは確かだ・・彼らはクライアントに最新の[fashion=流行] -「人と違うこと」「新しいこと」「より洗練されていること」を提供する。
時代が変われば [fashion=流行] は必ず [out of fashion] になってしまうが、才能豊かなアーティストがその時代を真摯に映そうとした[fashion=流行]には、ON TIME でしか感じられない その時間を共に過ごした人にしか分からない、何とも言えない一言では表現し難いSYMPATHYが記憶に残る、10年20年経過した時 “滑稽”と思えたとしても、同時代で感じたSYMPATHYが共在した感動って特別だ。

「くらしき花七夕祭」

夜の大原美術館

8/4(土)と8/5(日)は「くらしき花七夕祭」です。
美観地区では美術作家によりコ-ディネ-トされた、オリジナリティーのある七夕飾りで倉敷川周辺が彩られています。
「大原美術館 本館」 (1930 設計: 薬師寺主計) では~PM8:00までの特別開館で浴衣着用の人は入館無料でした。「浴衣」と「暗くなってからの美術館」・・ほんの少しいつもと違う小さな企画というのも、見慣れた物・場所から再発見をする機会となり楽しいものでした。
and 「日本郷土玩具館」では~PM9:00まで(浴衣着用者は無料です)。

薬師寺主計(1984-65) は近代建築の巨匠ル・コルビュジェに会った最初の日本人建築家だそうだ、1922年パリで催されていたコルビュジェの「300万人都市」の展示を見たのがきっかけだったらしい・・薬師寺38才、コルビュジェ35才。1922年のコルビュジェと言えば「300万人都市」や「シトロアン型住宅」といった刺激的な計画案、雑誌「エスプリヌーボー」での過激なマニフェストで知られてはいたものの近代建築の実作らしい実作もまだなく、「白の時代」といわれる自身の近代建築5原則を応用した ホワイト/シンプル/キューブな住宅をつくり始めたばかりの頃。

建築の最新

北京オリンピック水泳競技場
「北京オリンピック 水泳競技場」2008年完成予定 設計:PTWarchitects
(PTWarchitectsはオーストラリアの大手設計事務所)

設計コンペ案が発表された時、完成予想CGの水泡が集まって出来上がった様な外観には驚いた。最近の大規模な国際設計コンペの入賞案などには一目見ただけでは、どんな構造/どんな材料で出来上がるのかが分からない様なものが少なくない・・
フイルムやガラスといった建築表皮材の新しい可能性の追求。コンピュータ活用により複雑で挑戦的な構造でも解析が可能になった事や設計時のデーターをそのまま施工用データ-として利用できる事など。考える/表現する手段としてのコンピューターの浸透・・様々な新しい試みの積み重なりが「新しい建築」としてCGではたくさん”実現”したものを眼にしていたが・・
CGを見ながら、「こんなの本当にできるの!?」と言っていた様なものが次々現実のものとして建ち上がってきました、北京ではもうその骨格が現れ工事中の様子もメディアで多々取り上げられ、これから2008年が近づくとその姿を度々TV等で何度も眼にする事でしょう、2008年8月には北島君がここで泳いでる。

北京オリンピックメインスタジアムと中国中央電視台
(左)は”水泡”の横に建つ”鳥の巣”こと「北京オリンピック メインスタジアム」
の完成予想CG。スイスの建築家Herzog&deMeuronの設計(日本では彼らが設計したプラダ青山店は有名)
(右)その頃にはオランダの建築家Rem koolhaas設計 「中国中央電視台」も北京には出来ている・・50階もある双塔が地上150mのところで折れて繋がるというこれまでに類を見ない大胆な構造の高層ビル。
(イサムノグチの彫刻EnergyBoidに形が似てる・・)

実際の建物として、使う人の要望を聞き/大工さんや職人さんがつくる為に図面を書くというような設計過程/手法とは全く違う・・コンピューターの中でイメージそのものが、こんな事もできるあんな事もできると大胆過激過剰な「CG建築」として練られてゆく・・
そして、”そのまま”実際の建物として出来上がる。
なかなか”そのまま”という訳には行かず、完成予想CGでは綺麗だったが出来るとイマイチだったり、「CGと違うじゃないか」と突っ込みたくなるものも多いが・・「こんなの本当にできるの!?」がだいたい出来てしまう”建築の最前線”は凄く面白いが・・この大胆過激過剰さは70年代メタボ建築や80年代ポストモダン建築や90年代デ・コン建築の滑稽な悪夢を呼び起こされる人は少なくないはず。モダン終焉以降 建築の歴史がすごく滑稽に見える時があると言うのはシニカルすぎる見方だろうか・・

倉敷ガラス

倉敷ガラス

昨日は倉敷ガラスの小谷真三先生の岡山県文化賞の受賞を祝うパーティーに参加させて頂きました。たくさんの人が集まり・・盛大な会でした。
小谷先生が謝辞の中でお話された、先生が若い頃に倉敷民芸館の外村館長に教えて頂き、作品をつくる上で大事にされている言葉「健康で無駄がなく真面目」は心に残る言葉でした。
「健康で無駄がなく真面目」とは当たり前の事ばかりですが、当たり前が当たり前でなくなってきている事柄が多い昨今の世の中では当たり前である事はとても難しく、それ故にとても大切な事だと思います。

建築をしながらいつも考える事は、自我の押しつけの様な、建築家の自己満足の様なものはつくらないでおこうと、「健康で無駄がなく真面目な建築」・・そんな風につくれたらとても素晴らしいと思います。