「建築探訪 42」-Tokyo/虎ノ門

ホテルオークラ東京

「ホテルオークラ東京』(1962)  設計:谷口吉郎ほか設計委員会
日本の意匠/素材を軸とした、モダナイズされた伝統美によるホテル建築/空間。(上写真左) 本館西側-正面玄関側から見る。なまこ壁/陶板壁/菱形格子/格天井などなど随所に見られる和の意匠。
(上写真右) 本館北側-宴会棟側玄関から見る。西側からは6層、ぐるっと廻ったこちら側からは10層に見えるのは・・敷地の高低差が大きいので。

ホテルオークラ東京
ホテルオークラ東京といえば、この本館ロビー空間・・ 落着きと趣きがあり、ジャパニーズスピリッツを強く感じさせるロビー空間としては他に類を見ない完成度・・ 竣工から50年も経っているのに、古さを感じさせない・・谷口吉郎による秀逸な日本的空間・・
ホテルオークラ東京
垂直水平が軸となったロビーのデザインは、柱梁フレームによる日本の伝統的な空間美を意識・・障子の拡散光が満ち、障子下部からは緑がのぞく・・ 静かで落着いたロビーにはゆったりとした空気感・・外国からのお客様がとても多いです
ホテルオークラ東京
(左) “麻の葉”文様の格子組みがキレイ
(右) 一度見たら忘れられない、この空間にピタリとはまった照明器具
ホテルオークラ東京
(左) 花弁のような形をした椅子、それに合わせた漆塗り机・・ もロビー空間にピタリと決まり・・GOODです
(右) 宿泊室より東側外観を見る。各層毎にしっかりと伸びた庇は・・外装設計を担当した建築家/小坂秀雄らしいデザイン

〈追記〉2015/8/31閉館建替え

「建築探訪 40」-Tokyo/目白台

東京カテドラル聖マリア大聖堂
目白通りより南側外観を見る

日本建築界の大巨匠・丹下健三の設計による「東京カテドラル聖マリア大聖堂」(’64)に行って来ました。1964年といえば東京オリンピックの年で・・もちろん丹下健三の最高傑作といってもよい「代々木国立屋内総合競技場」も竣工した年。
しかしこちらも負けずに素晴らしい・・ 十字型平面を覆う幾何学的な美しいHPシェル曲面による大屋根(大壁?)のみによるシンプルかつダイナミックな構成・・「代々木国立屋内総合競技場」と「東京カテドラル聖マリア大聖堂」・・同じ年に大傑作が2つも。
丹下さん51歳・・ 1952年の「広島ピースセンター」から始まった丹下健三絶頂期の終焉を飾る作品なのでは・・ 

東京カテドラル聖マリア大聖堂
(左) 西側より外観を見る。天気はあいにくの曇り雨
(右) 外装曲面の仕上材はステンレス材。近くで見るとこの様な大きなリブ形状をしており、表面はエンボス加工が施されています。5年程前に大改修されてキレイに (もともとのステンレスであるSUS304よりは、改修されたステンレスであるSUS445は・・光沢感が鈍いそうだ・・改修前の方が明るく軽快とのこと)
内部は撮影禁止なので、書籍より。外観構成がそのまま内部に現れた・・力強く、ダイナミックで、ストイックで、厳粛で・・ 素晴らしい祈りの空間となっています

「建築探訪 35」 -Italia 4 /Como

カサ・デル・ファッショ

「カサ・デル・ファッショ」 (1936)
設計はイタリア人建築家ジュゼッペ・テラーニ(1904-43)。ミラノから北へ40km程行ったスイス国境近く、ヨーロッパの避暑地として有名なコモ瑚近辺(ジュリアス・シーザーやローマ皇帝も保養のために訪れたそうだ)・・・に建つファシスト党地方本部。

基壇の上に載せられた、巾×奥行×高さ=1×1×0.5=33.2m×33.2m×16.6mという厳格な幾何学的構成によるヴォリューム・・・√2のモジュールの徹底・・・水平/垂直/無装飾/鉄/ガラス/抽象性といった機械時代的なデザイン手法や決定ルールを適用しながらも単なるモダニズムとはどこか違う・・・地中海の伝統に基づく古典的要素がわずかに感じられる・・イタリアらしいクラシカルな要素とモダニズムが見事に融合された”イタリア合理主義”を代表する建築。(上写真-西面ファサードを見る)

カサ・デル・ファッショ
南面を見る

外壁はすべて白大理石張り!!
立面は4面とも異なる非シンメトリーによる構成・・・内部ヴォリュームと規則的構造枠組が立面から読みとれるファサードデザイン。

カサ・デル・ファッショ
南面の窓詳細
モダニズム建築としては彫りが深い窓・・シャッターは木製でした
カサ・デル・ファッショ
西面バルコニー部詳細を見る
柱梁部も白大理石張り!!
カサ・デル・ファッショ
内部1階ホールを見る

1920年代前半、日本や北欧やアメリカと同じ様に・・完成されつつあったモダニズムという新しい建築を後進国として移植したイタリアで・・・ムッソリーニが政権を握り政治的・文化的に難しい時代・・・ファシズムに接近しながら危うい位置で大きく花開いた・・やや回帰的な近代主義建築運動・・・
“イタリア・ラショナリズム” はかなりカッコイイです。

「建築探訪 34」 -Italia 3 /Verona

カステルヴェッキオ美術館

廃墟となっていたヴェッキオ城をヴェローナ市が1924年に美術館として復興するが、戦争での被爆もあり、復旧状態は未完成・・・1958年にカルロ・スカルパの手により復興が再開され、1964年に完了。スカルパの改修作品としては最大規模、スカルパの最高傑作と言ってもよい・・「カステルヴェッキオ美術館」。スカルパ58才の時の作品。 

カステルヴェッキオ美術館

城壁と塔に囲まれた・・14世紀後半にカングランデ2世により建築された城。ヴェローナは15世紀以降、ナポレオンのイタリア進攻によりヴェネツィア共和国が亡びるまでは長い間、ヴェネツィアの支配下にありましたが、それまでの中世中期は幾つかの有力貴族が支配権をめぐり熾烈な闘争・・その模様がシェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」のモデルにもなりました。 

カステルヴェッキオ美術館
1階展示室-東端

同じ大きさの展示室が東から西へ4室繋がっています。奥へと続いていくアーチ開口、一番奥の格子戸のある開口から出ると・・有名な “騎馬像のあるスペース”が在ります。 

カステルヴェッキオ美術館
1階展示室-中

古い建物を新たな機能の為に転用・・新旧要素の対比。古い部分の保存、新しい部分の挿入、あるいは古いものの切除・・機能的・形態的必然性や歴史的必然性・・取捨選択を行えるだけの視点/思想・・スカルパには改修作品がとても多いのだが、改修の仕事は難しそうだ・・「新旧要素の対比」とは言葉では平易だが、実際に巧くバランスを取ってデザインする事は大変だ・・ 

カステルヴェッキオ美術館
1階展示室-西端

展示作品と展示室が離し難い一体のものとして計画される事により・・絶妙な空気感を作り出しています。(どの古い建築写真を見ても、この展示状態) 

カステルヴェッキオ美術館
騎馬像のあるスペースを見上げる

展示を巡る動線の大事な位置につくられた・・棟と棟の間に生まれたこのスペースがとにかく秀逸・・このカングランデの騎馬像の展示方法・展示位置を含め、棟から棟へ移る際に1階からは見上げ、階上では見下ろし、渡り廊下では近づき・・様々な視点からこの空間/騎馬像を感じられる・・中世的赤レンガ壁と細やかなデザインが施された鉄骨柱梁&手摺等金属製部材&コンクリートとの対比。

カステルヴェッキオ美術館
騎馬像のあるスペースを見下ろす

ヴェローナはいい街でした・・田舎すぎず、都会すぎず、古い街並みもよく残っており。毎年6~8月にはローマ時代の円形劇場などで野外オペラや演奏会などが行われているそうですが・・・楽しむ間もなく夕方にはヴェローナを後にしてミラノへ向かい出発・・

「建築探訪 33」 -Italia 2 /Verona

ヴェローナ銀行
広場側ファサード

ヴェネチアから西に100km程・・・中世の街並みや古代ローマの遺跡も残っており、「ロミオとジュリエット」の舞台の街としても有名な・・歴史を感じられるとても雰囲気のある人口27万、イタリア北東部の小都市・・・”ヴェローナ”にある「ヴェローナ銀行(1980)」カルロ・スカルパ設計。
新築ではなく改修・・建物がひしめく市街地にあり建物全体を見る事は出来ず、広場と中庭に面した2面のファサードのみが外観として見る事が出来ます。

ヴェローナ銀行
広場側ファサード

歴史ある街並みの中ではあまり見る事のない窓の構成・・2階は正方形のガラス窓が壁面から控えることなくついた現代的なデザイン(厚さ3cmの防弾ガラス。3階は2種類の大きさによる丸窓(わずかに楕円)と出窓による構成、丸窓と言っても実際の窓は50cmうしろの壁にあり、丸く見えている部分は前壁に孔が開いているだけ・・その壁の間は設備などの配管スペースとなっています。4階部分はモダニズム建築のような水平連続窓だが、2本柱や金属製コーニスによる細部意匠も凝ったデザイン。

ヴェローナ銀行
広場側ファサードの各部分

スカルパらしい”ギザギザorデコボコ”の装飾が、広場側ファサードの低層部を帯状に飾っています・・(上写真左下) 建物下にローマの遺跡があり、この街路に面した地窓から見る事が出来たそうなのだが・・見逃してしまいました

💬え!そうなの!二度目だったのに知らなかった(泣)

ヴェローナ銀行
(左) “丸窓”を内部階段室から見たところ
(中)”丸窓”に面した事務室を見る。古い街並みに面した落ち着きのある素敵な事務室
(上左)階段室の最上階より外部を見る
ヴェローナ銀行
事務室が並ぶフロア。廊下もゆったり。床/壁/天井/建具・・どの部分も仕上材&ディテールがいい
ヴェローナ銀行
(左) 内部の階段部詳細
(右) 外壁低層部を飾る帯状の”ギザギザorデコボコ”を横から見る
ヴェローナ銀行
渡り廊下から中庭側ファサードを見る
ヴェローナの町並み
ローマ時代の遺跡があちらこちらに残る、ヴェローナの街の様子

「建築探訪 32」 -Italia /Treviso

ブリオン・ヴェガ墓地

「ブリオン・ヴェガ墓地」 (1972) 
設計はイタリア人建築家カルロ・スカルパ(1906-78)。ヴェネツィアから北へ20kmほど離れたトレビゾという田舎町・・・古くからあった既存墓地に付け加えるように建てられた “ブリオン家一族の廟”
スカルパ建築といえばまず眼に浮かぶのは、過剰とも思えるくらい細やかで技巧的なディテール・・コンクリート/石/金属/木といった建築の基本的材料の素材感と職人の精緻な技術力を活かした・・・シンプルイズムが大半を占める近代建築家の主流となるデザイン手法とはちょっと違う、手の込んだ装飾的細部がとても魅力的な建築。(上写真 礼拝堂への入口部)

ブリオン・ヴェガ墓地
庭園部よりエントランス棟を見る。奥には池に浮かぶパビリオン

展示・改修・増築といった経費/機能の面で拘束の多い仕事が大半であったスカルパにとって・・・予算に恵まれ機能性といった制約もほとんどなかったこの墓地の仕事は、彼が望むように作り得たと言える初めての作品・・

ブリオン・ヴェガ墓地
池に浮かぶパビリオンより見る。左側にエントランス棟。中央奥のアーチ部にブリオン夫妻の墓石
ブリオン・ヴェガ墓地
礼拝堂内の祭壇を見る、上部にはトップライト
ブリオン・ヴェガ墓地
エントランス棟内部より池に浮かぶパビリオンへの通路を見る

スカルパは計画案も含めると生涯に200以上のプロジェクトを手掛けたが、実現した新築の建築はこの墓地も含めてわずか3作品・・「ブリオン・ヴェガ墓地」はスカルパの最も重要な代表作と言われ・・スカルパ自身も「この墓地で初めて思う様に出来た・・」と言っている訳だが・・実際今回いくつかのスカルパ建築を体験した感想としては、改修作品の方がスカルパ建築は興味深い・・

(上写真3枚) 隅々までデザインされた細やかなディテール・・が連鎖していくように建物全体を覆いつくしていく・・ スカルパ建築

ブリオン・ヴェガ墓地
池を渡る踏石の水中部分にまで “ギザギザ デコボコ”
ブリオン・ヴェガ墓地
建物のあちらこちらで見られるディテール・・ “ギザギザ デコボコ” 
ブリオン・ヴェガ墓地
息子でデザイナーのトビア・スカルパがデザインしたスカルパの墓
ブリオン・ヴェガ墓地
左下の45°振った正方形が礼拝堂。上側庭園部の左にブリオン夫妻の墓、右に池に浮かぶパビリオン・・一般墓地を取り囲む様なL字型の配置

「建築探訪 25」 -Osaka/枚岡

旧枚岡市庁舎

「旧枚岡市庁舎」(’64) 設計:坂倉準三建築研究所・・設計担当は西澤文隆(私達のボスのボス) & 東孝光(都市住宅の傑作「塔の家」で有名)

この建築は東大阪市東部、生駒山の麓に南北に長く伸びる商店街北端のあたりに位置しています・・近鉄瓢箪山駅から北へ商店街のアーケードを抜けて、真っ直ぐ進むと見えてきます・・・商店街の模型屋さん、本屋さん、この建物の前にあったレンタルレコード屋さん、この建物のすぐ横が夏休み水泳教室か何かの申し込み会場だったり・・・中学生くらいまではこの当たりは日常生活圏でしたのでいつも眼にしていた建築・・・反りのある “大きな庇” が子供心に印象的でした・・・

建築を勉強してよく知った今改めて見ると・・コンクリート打ち放しによる大胆な造形&ブリーズソレイユ/モデュロールによるリズミカルなスチールサッシ割り/屋上庭園/屋上に載っている三角屋根等・・コルビュジェのデザイン言語の多用・・設計担当であった東孝光さんの話しによると、東大寺大仏殿の屋根にひそかになぞらえたデザインだそうだ・・・コンクリート打放し庁舎建築に寺院建築の軒ラインかぁ・・・渋いなぁ・・

もともとは枚岡市の単独市庁舎でしたが、三市合併後は東大阪市東支所として利用されています・・「旧枚岡市庁舎」は Docomomo (近代建築の保存と調査のための国際組織)の運動に賛同した日本建築学会 近畿支部が独自の試みとして選んだ「関西近代建築20選」のなかに入っています・・

「建築探訪 24」 -Ehime 2

愛媛信用金庫今治支店

「愛媛信用金庫 今治支店」(’60) 設計:丹下健三 を探訪・・
コンクリート打放しの彫塑的外観・・・とにかく庇が大きい。
今治市民会館(’64)」の庇も大きかったが、こちらの方が先・・・コンクリート打放しの大庇のダイナミックな建築といえば・・コルビュジェのインド/チャンディガールの「高等法院」(’50)「国会議事堂(’50)」「ロンシャンの礼拝堂(’55)」を思い浮かべますが・・もともと17才の時に雑誌で見た「ソヴィエトパレス計画案(’30)」(コルビュジェ)に感銘を受け建築家を志した丹下さん・・ やはりコルビュジェの影響力は大きい。

愛媛信用金庫今治支店

その後の1961年竣工の「戸塚ゴルフクラブ」ではもっと過剰なまでに庇は大きくなっていきます・・・コルビュジェの直接の弟子である前川國男(もちろんですが丹下さんの師匠)の名作である「京都会館(’60)」「東京文化会館(’61)」、坂倉準三建築研究所の「旧枚岡市庁舎 (’64)」 など・・・1960年前後にはたくさんの “大庇建築” が・・ やはりコルビュジェの影響力は大きい。1929年のサヴォア邸以降は木や土やレンガ、荒々しいコンクリートなど手の痕跡や素材の厚み/重量が感じられる表現などそれまでには見られなかった方法へと移ったコルビュジェ・・そして戦後には人々を包み込む様に招き入れる象徴的な “大庇” をデザイン要素として取り入れたコルビュジェ・・影響力はとても大きい・・さすが近代建築の大巨匠。