「建築探訪 79」-France 9 / Le Corbusier 7

オザンファンのアトリエ

ル・コルビュジェ設計の「オザンファンのアトリエ」(1922) 。パリ市内の中心からやや南・・ルイユ通りから入る小さな道との角地に建っているアトリエ兼住居の3階建て・・コルビュジェの「白の時代」と言われる、白い四角い住宅ばかりを手掛けていた時代の・・最初期の実現作のひとつ。(上写真) 東側の外観を見る。

1階には車庫。外部の廻り階段から上がった2階が玄関・・3階は他階の1.5倍くらいの高さを取った、天井高が充分にあるアトリエ。このアトリエの主であったアメデエ・オザンファンは・・ コルビュジェと共に著書を出したり、雑誌を刊行したり・・絵画教育にも力を注いだ・・コルビュジェの盟友・・ピュリズムのフランス人画家。
(上写真) 残念ながら・・建物外観の大きな特徴であった、3階アトリエのトップライト(ノコギリ屋根)は撤去され・・ 竣工時とは様子が大きく違っています。

北側を向いた、2つの大きなノコギリ状屋根から取り込まれた光が・・トップライトとして降り注いでいる竣工時の3階アトリエ内部。トップライトと共に、北面と東面に向かった2つの大きな窓を、合わせて見ると・・ アトリエ内に “浮かぶ直方体” が見えてくる・・非常に明るく開放的なアトリエ。左手のロフト的な小スペースは階段で上がる小書斎。

「建築探訪 78」-France 8 / Le Corbusier 6

サヴォア邸

パリ北西の小さな町ポワシーに建つ・・ 近代建築史において “最も有名な住宅” と言っても過言ではない・・ル・コルビュジェ設計の「サヴォア邸」(1931) 。コルビュジェが唱え続けた “近代建築の5原則” を明確に体現した・・ 理想のヴィラ。計画案としての「ドミノ型住宅」(1914) や「シトロアン型住宅」(1920)、実作としての「ヴォルクソンの住宅」(1922) から始まった、白い四角い住宅ばかりデザインし続けていた・・ コルビュジェの「白の時代」を締めくくる作品。

サヴォア邸
西側より外観を見る。広い芝生の海原に浮かぶ “船” のような・・

コルビュジェの唱えた「近代建築の5原則」とは・・ピロティ/屋上庭園/自由な平面/水平連続窓/自由なファサード・・1階は細い円柱で持ち上げられたピロティ、正方形平面の2階には四周すべて水平連続窓・・非常に分かりやすい、一度見れば忘れようもない、単純な四角い箱の建物・・ しかし、3階の屋上庭園を囲っている曲面壁の存在が・・外観あるいは建物全体の印象をより豊かなものにする事に、大きく貢献している様な気がします。 

サヴォア邸

保険会社のオーナーであったサヴォア氏の週末住居として10年程は使われていたが・・1940年のドイツ軍進駐により退去。
(上写真)1階ピロティ下の玄関前を見る。建物正面となる北西面の丸柱は、側面の外壁面に揃えられた丸柱よりも・・大きく内側に入り込んでいます。玄関前の上部は2階リビング。

サヴォア邸
(左)1階ピロティ部は自動車が通行する事を考慮して計画されている。やや巾が狭い気もするが・・建物下を通って玄関まで車を寄せて来る計画
(右) 玄関ホール内よりピロティを見る。均等ピッチで縦桟を細かく割り付けたスチールサッシ面は、構造とは縁が切れ・・柱の間を縫うように、自動車の回転半径から導かれたという円弧を描いています・・ 
サヴォア邸
1階玄関ホールを見る・・ 左手に螺旋階段、右手に緩やかに上がって行くスロープ。もちろん訪問者はゆっくりと建築的散策を楽しみながらスロープで2階へ。他の独立柱はすべて丸柱なのに・・ 階段とスロープの間にある独立柱だけはなぜか “大きめの四角柱” ?  
サヴォア邸

1階からのスロープを上がった所・・そしてさらに、2階より3階屋上庭園へ続いて行く屋外スロープが、水平割りのスチールサッシ越しに見える・・ 上へ上へと繋がってゆく断面的方向性が強く意識させられる・・各階の平面中央を貫く、このスロープ空間が・・この建築の要となっています。

サヴォア邸
南側の中庭に対して、大きな開口を設けた2階リビングを見る

外観の印象では、建物の存在感はとても大きく目立つものでしたが・・内部に入ると建物の存在感というのは薄れてしまい・・外部環境を見事に切り取り、呼び込む・・ 光と緑に溢れた、明るく健康的な生活を送る為に、人間の生活を支える道具として・・建物の存在感は控え目なものでした。恵まれた周辺環境のおかげでもあるのですが、水平連続窓がとても効いています。

サヴォア邸
2階中庭を介してリビングを見る

リビングの上には右手の屋外スロープより上がることが出来る3階屋上庭園。1940年の退去以来・・長い間の放置で、荒れた状態となったしまっていたサヴォア邸・・ 1965年にはポワシー市が取り壊しの計画を発表したが・・ 様々な方面からは保存を望む声・・ 救いの手を差し伸べたのは、当時の文化相であったアンドレ・マルローでした。現在は非常にすばらしい保存状態です。

サヴォア邸のシェーズ・ロング
陽当たりの良いリビングの大開口前に置かれた寝椅子は・・デザインされてから90年近く経った今でも製造販売元のカッシーナ社を代表する名作家具・・コルビュジェ自身がスタッフであったシャルロット・ペリアンと共にデザインした・・ “LC4” こと「シェーズ・ロング」(1928) 。 

「建築探訪 76」-France 6 / Le Corbusier 5

ブラジル学生会館

パリの国際大学都市内にある、ル・コルビュジェの晩年に近い作品「ブラジル学生会館」(1959)。同じくコルビュジェが設計した「スイス学生会館」もすぐ近くです。(上写真) 西側より見る。両サイドのポチ窓部にはキッチンやトイレなど、少し膨らんでいる中央部分には共用室や自習室などを配置。中廊下式の平面計画になっており、西側に共用部、東側に個室が並ぶ。左下、建物1階の張り出した部分はエントランスホール。エントランスへはピロティ下を潜ってアプローチ。

ブラジル学生会館
集会場や娯楽室などがある1階の張り出した部分・・北側に面したドライエリア的なスペースは、裏方用のアプローチスペースのようです。建物の上部はPCパネル、下部はバラ板コンクリート打放し・・建物の上下で使い分け
ブラジル学生会館
建物西側、共用部のバルコニーを見る。壁面は各階でブラジル的な色を塗り分け
ブラジル学生会館
建物東面を見る。各個室のバルコニーが並ぶ
ブラジル学生会館
各個室のバルコニー部を見る

この計画はブラジル人建築家ルシオ・コスタとの共同で始まった・・コスタとコルビュジェの関係は、1935年にコスタが、「リオの保健教育省庁舎」(1935-45)の設計をするにあたり、設計チーム顧問としてコルビュジェをブラジルに招聘した事から始まり・・ それを契機に近代ブラジル建築はコルビュジェの強い影響力を受けて・・ニーマイヤーやブラジリアなどを始めとする近代建築の成果が花開いていく事になります。

ブラジル学生会館
エントランスホールを見る
ブラジル学生会館
あちこちのコルビュジェ建築で見られる・・コルビュジェらしい “縦長換気窓” 、外部側にFIXの網戸あり。色はブラジリアンイエロー

コルビュジェ72歳、活動の拠点パリにおいて完成させた・・ 最後の作品となりました

「建築探訪 75」-France 5 / Le Corbusier 4

スイス学生会館

ル・コルビュジェ設計の「スイス学生会館」(1932) 。パリの国際大学都市内にあります・・ 力強い表現のコンクリート打放しの1階部分が、鉄骨造の軽い上部を持ち上げているような建物。
(上写真) 学生の各個室が並んだ側の外観を見る。 

スイス学生会館

1階ピロティ部を見る。中央部から大きく跳ね出したコンクリートスラブが上部鉄骨フレームを支えている。柱は6ヶ所・・中央の2ヶ所のみは2本に分かれているが、その他の柱は2本が引き寄せあって繋がったような “犬の骨から考えた” 独特な形状。同時期に進んでいた「サヴォア邸」の軽い浮いた感じのピロティとは違った・・とても力強いピロティ。建物へのアプローチはピロティ中央部を潜り抜けて。

スイス学生会館
個室部分の窓を見る。鉄骨フレームに囲まれた1マスが1室。腰部はパネル、上部は型ガラスFIX、中間部は透明ガラス引違い、外部にはブラインドという構成。もともとは上部と腰壁部も共に透明ガラスだったような気がします
スイス学生会館
共用部や廊下が配置されている側を見る。直方体の個室棟と明確に対比する様なカタチで・・1階部分の反り返った”石積壁”の管理共用棟と、その反り返りに呼応して立上がったEV/トイレ/階段/ホール棟・・ リズミカルなヴォリュームの配置
スイス学生会館
1階エントランスホール内を見る。上階個室棟へと向かう階段横の壁がおもしろい・・「無限美術館」や「国連ビル」などコルビュジェのいろいろなドローインがコラージュされています。竣工時には海洋地理的な抽象写真みたいなものがコラージュされていました
スイス学生会館
明るい個室内部を見る。上部と腰壁部も共に透明ガラスで、天井から床までのカーテンをして住んでも良さそうな感じ

犬の骨型/コンクリート打放し/石積壁など、工業的機能性のイメージから生まれた1920年代までの「白の時代」とは少し違った・・ デザインや素材の選択に、より自由でプリミティブな表現への傾向が見え始めてくる作品。コルビュジェ自身による「サヴォア邸」(1931)や、ミースによる「バロセロナ・パビリオン」(1929) の完成により・・ コルビュジェは”近代建築らしい”表現方法が行き着く所まで行き着いたと感じて、次なるステップへと向かった様な気がします。

「建築探訪 74」-France 4 /Le Corbusier 3

ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント

「ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント」(1933)。パリ16区にあるガラスブロックの腰壁が印象的な外観の9階建ての集合住宅・・ 設計者であるコルビュジェ自ら、晩年までその8階9階を住まいとしていました。
(上写真) 道路から東側外観を見る。

ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント
アトリエを見る。コの字型平面、左側の開口部は中庭側。

階高のあるキレイなプラスター塗りの蒲鉾型天井やたくさんの光を取り込んでいる線の細いスチールサッシと・・ ちょっと板張フラット天井で間を取って・・ ラフな感じの石積壁とのコントラストが効いています。もともと画家になりたかった程のコルビュジェ・・建築の仕事が忙しくても毎日、午前中はここで絵を描いていたそうだ。

ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント
道路と反対側、西側バルコニーに向かって、大きな窓を設けたダイニング。左手壁の向こうにキッチン

2まわり以上も年下であった妻イヴォンヌとの2人暮らし。古い作品集を見ても同じ家具が置かれていた・・自身デザインの名作”LCシリーズ” は置かず・・この家具もコルビュジェらしいデザインという感じではないんだけど・・

ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント
(左) ダイニングから扉奥のキッチンを見る
(右)キッチン内を見る
ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント
(右)上階へと続く廻り階段を見る。コルビュジェらしいくすんだ色彩
(左) コの字型の中央部にあるリビング、その奥にチラッと階段が見える
ナンジェセール・エ・コリ通りのアパートメント
(左) 浴室を見る。窓と浴槽との距離関係が気持ち良さそう
(右) 共用部の廊下を見る。壁に直接ペイントされた階数表示がgood
モジュロールメジャー
一緒に見学に参加していた大学の先生が購入されていた「モジュロール メジャー」を少し見せて頂く・・ 欲しかったけど、高かったのでガマンしました・・

「建築探訪 73」-France 3 /Bazoches-sur-Guyonne

メゾン・カレ

パリから40km程離れた小さな町へ・・やや道を登りながら林の中を抜けると、頂きには・・ 北欧フィンランドの巨匠アルヴァ・アアルト(1898-1976) 設計の「メゾン・カレ」(1959) が見えてきました。周りを樹々に囲まれ、西側(右手)には芝生の斜面が広がる気持ち良い敷地。
(上写真)アプローチより北西面を見る。一直線に切り取られた三角妻面が明快でgood、斜め要素に付け加えられた水平庇が効いています。

メゾン・カレ
南面外観の西端部を見る

戦前アアルトの代表作「パオミオのサナトリウム」(1933) や「ヴィープリの図書館」(1935) のような”白い四角い”・・いわゆるインターナショナルスタイルと言われるモダニズム建築からは大きく変容した、戦後アアルトらしい素材感がある自由な構成・・斜め屋根/石/レンガ/木製ルーバーといった地域性を感じさせるモダニズム。

メゾン・カレ
南面外観の中央部を見る

白ペイントレンガと木部の対比が効いています。中庭を囲う様に張り出した部分は水廻り、その中央部に主寝室が2室、この右手にはゲストルームが1室・・1階の南側に3寝室が並んでいます。戦後アアルトの出発点となった「セイナッツァロ村役場」(1952) を思わせるひな壇状の斜面。

メゾン・カレ
玄関ホールよりリビングを見る
リビングには西向きの大窓が設けられ、庭の眺めを取り込んだ空間となっています。敷地の斜面なりに沿うように、ゆったりとした階段を7段(踏面300mm、蹴上120mm)ほど降りてリビングへ
メゾン・カレ
リビングを見る
優しい感じでありながらも洗練され簡潔・・ 北欧の建築家らしいアアルトのデザイン。ソファ/テーブル/照明器具/カーペット/カーテン/ドアノブにいたるまで・・ 全てアアルトのデザイン
メゾン・カレ
東面に取られた窓から、サンサンと陽が差し込む・・明るいキッチン
メゾン・カレ
キッチン横、同じく東面に大きく窓を取った室。庭の奥に見えるのはプール棟
メゾン・カレ
主寝室を見る

住まい手であったルイ・カレ氏はパリで、ピカソやマティスなどの作品を扱う有力な画商・・アアルトに設計の依頼がきたのも共通のアーティストの友人を介して・・竣工パーティにはブラック、カルダー、コクトー、ジャコメッティ、ギーディオン、コルビュジェ・・ 華やかな顔ぶれが並んだそうだ。アアルトの建築の多くはフィンランドに在り・・地域や風土に根ざした作品として良く知られ・・フィンランドの地にあってこそと思ったりもしますが、フランスで見る事が出来た・・”初めてのアアルト建築” はなかなかgoodでした。

「建築探訪 72」- France 2 /Le Corubusier 2

ラ・トゥーレットの修道院

ル・コルビュジェが73歳、円熟期の金字塔・・「ラ・トゥーレットの修道院」(1960) 。建物の東側に接する道路から北東側の外観を見る。敷地はアプローチとなるこの道路から下がっていく西向きの斜面地。この道路側レベルは建物で言うと3階となります。手前右の鐘楼を高くかかげている建物が礼拝堂。

礼拝堂の中、祭壇方向を見る

左手に聖具安置所、右手に地下礼拝堂。正面にはパイプオルガン。設計を依頼したドミニコ会のクトゥリエ神父からの要望は「建物の姿は極めて簡素・・無駄な贅沢は一切不要・・」との旨。正面壁上部と両サイドの “スリット窓” が効いています。

礼拝堂の内部を見る。”縦長窓” の下部が外部からの入口

説教壇の右手、赤い斜め壁の部分は聖具安置所・・上部には7つの “くさび型トップライト”。 コルビュジェは計画の初期段階にクトゥリエ神父から・・装飾を排した簡素で力強い量塊的な構成の美しさで知られる12世紀のロマネスク建築・・「ル・トロネ修道院」を見るように勧められたそうだ・・クトゥリエ神父は芸術への造詣が深くマチスやピカソなどとも親交があり、かつてはオーギュスト・ペレの事務所に籍を置いていた事もあったという人。

礼拝堂の内部を見る

大きな3つの “丸トップライト” がある部分は地下礼拝堂。写真では明るく見えてますが・・ 実際にはこの礼拝堂内部は全体的にかなり暗い空間で・・暗闇の中、厳選された光・・スリット窓/縦長窓/くさび型トップライト/丸トップライト・・だけが刻み込まれたような空間。

地下礼拝堂部を近くで見る

黄色い間仕切壁の向こう、その下部に礼拝堂があります・・天井がないのでトップライトからの光が、そのまま真下にある地下礼拝堂に注がれます。トップライトの円筒内は青/赤/白に塗り分けられている。

斜面を下りながら、礼拝堂の北側外観を見る

礼拝堂だけでも充分に見所がありました・・さしずめ「直方体のロンシャン」といったところでしょうか。グランドピアノの様な出っ張り部分は地下礼拝堂の上部・・ 3つのトップライトが角度を変えて、自由に突き出ています。コンクリート打放し仕上の精度は、本当に”雑”と言い切ってもよい位の・・ 日本ではありえない程の荒々しさ。

緩やかな丘陵の上に建つ修道院の西側外観を、斜面下から見る。
階高を押さえ少し突き出た上部2層が僧房、その下に3層で、計5層。左手には礼拝堂。建物平面は中庭を抱え込んだ「ロの字型」になっており、これはドミニコ派修道会の伝統的プランを基本にしている
東/西/南側を「コの字型」に廻る上部2層の僧房の数は100室余り。食堂や講義室などパブリックな諸室が配された下階の窓・・この建物を特徴づけているランダムな間隔で方立てを割り付けられた、音楽的リズムを感じさせる “竪ルーバー窓” は・・ 波状ガラスウォール(オンデュラトワール)とも呼ばれています
中庭より建物を見上げる。
上部2層(5F/4F)の僧房階の廊下には “細長い水平連続窓” 。その下2層(3F/2F)には “市松状窓” 。その下(1F)には “竪ルーバー窓” 
中庭より1階部分を見る

ラ・トゥーレットを特徴づけている “竪ルーバー窓” や “市松状窓” のデザイン担当として、コルビュジェがスタッフの中から起用したのは・・ 構造家でもあり前衛音楽家でもあるイアニス・クセナキス・・ 数学と音楽に秀でた構造エンジニアであったクセナキスは、モデュロールを用いて見事にデザイン。この後1958年にできたコルビュジェの作品系譜の中ではかなり異質な作品である「フィリップス館」もクセナキスが担当。

中庭を見る。
ある程度規模の建物だと「ロの字型」平面では、動線が長くなり過ぎてしまうので・・中庭を横断するかたちで “十字型の動線路” が設けられている
中庭を見る。
右手の突き出た三角屋根部は、中庭を横断する “十字型の動線路” の要となるアトリウム。左手のとんがり屋根部は小礼拝堂

四方を高い壁に囲まれた静寂の中庭・・ 波状ガラスウォールに囲われた動線路を静かに歩く修道士・・さまざまな形が詰め込まれた “不思議な幾何学の庭園” は、建物内を巡りながら思索を深めるにはgoodかも。”白の時代” とも言われる、自らもその誕生に大きく力を注いだ・・機械や幾何学の美学を昇華した・・「近代建築」のロジックや手法はどこかへ吹き飛んでしまい・・根底から変容してしまった後期コルビュジェの傑作は・・ なかなか手強い。

「建築探訪 71」-France /Le Corbusier

ロンシャンの教会

登り道を歩きつめた頂きの上、視界が開けたそこにあるのは近代建築の金字塔、ル・コルビュジェ設計の「ロンシャンの教会」(1955) 。コルビュジェ68歳の作品・・ 近代建築の大巨匠として、幾何学と機能合理に基づいた、シンプルな四角いモダニズム建築を作っていた戦前の・・ 「建築は住むための機械である」と声高々に宣言していた、30代40代の頃とは作風はガラリと変わり・・ このコルビュジェ後期の傑作は、言葉に例えるのが難しいような、非常に自由奔放なカタチをした建築。(上写真) 南側の外観を見る。いろんな大きさとかたちをした窓がパラパラと27個・・

ロンシャンの教会

あえて言うならば、この方位から見た時は・・  ”きのこ” の様な 。しかし見る角度を変えると・・ また印象はガラリと変わります。コンクリート打放しの大屋根と白い曲面壁・・ハイサイド窓で教会内に光を落とし込む、ぬるっとしたカタチの大きな塔。
(上写真) 南東側より外観を見る。

ロンシャンの教会
東側の外観を見る

蟹の甲羅がイメージという話もあるコンクリート打放しの大屋根・・ 東側は屋外の礼拝にも使える様な設えになっています。ちょうど中央にある、白い壁から少し突き出た四角い出窓の内側にはマリア像が見えます。

ロンシャンの教会

屋根まで伸びる縦長開口部の、上部は光の入りを調整しているルーバー付きの窓、下部には屋外祭壇へ出入りが出来る扉があります。壁と屋根がくっついていないのが分かるだろうか、少し透かして屋根が浮いている状態になっています・・ 室内側から見ると、これがよく効いています。

ロンシャンの教会
やや小さ目のぬるっとしたカタチの2つの塔に挟まれた部分の、下部にある扉から建物内には入ります。(上写真) 北側より外観を見る。北側壁にもパラパラとした幾つもの窓。
ロンシャンの教会
大きな塔を中から見上げると・・ 潜望鏡のような感じなっています
ロンシャンの教会
右側、礼拝堂の上部に潜望鏡から取り込まれた光が降り注いでいます。その横にあるカラフルな扉はコルビュジェ自身のデザインによるもの
ロンシャンの教会

室内の床は全体的に微妙に傾いています・・ もともとの地形に沿わした様な自然な傾斜がついていて・・ 反対に壁から浮いている屋根は端部へ向かって反り上がっていく・・ 床も屋根も壁も傾いた不定形をした・・ 静けさに満ちた空間の中、様々な光があちらこちらから差し込んできます。
(上写真) 祭壇方向を見る。右手の南側壁に設けられた開口部は “クサビ型” or “メガホン型” をしていて、小さな窓から取り込んだ光を増幅させています。

ロンシャンの教会

南側の壁は、壁の下部ほど厚みが増していて・・ クサビ型の開口も場所場所で様々な表情を見せています・・ 静寂の中、見た事のないような光に満たされた空間・・「光と静寂」「重さと軽さ」「曲線と直線」・・ 相反する様々な要素が共鳴した、何とも言えない・・ 詩的な、ここにしかない空間がロンシャンには在りました。

ロンシャンの教会

この空間の主役となっている南壁に設けられた、色とりどりの光が差し込んでくる窓・・ 窓は各々でデザインが異なり、色ガラスやペイントにより自由なデザインが施されています・・

「 鍵となるのは光だ。そして光はフォルムを照らし出す。」 「 われわれの眼は、光の下のフォルムを見る為に出来ている。」by  Le Corbusier

「建築探訪 70」-Italia 9 /Milano

ガララテーゼの集合住宅

アルド・ロッシ (1931-97) 設計の「ガララテーゼの集合住宅」(1973) 。(上写真) 南北の長さが180mもある、長細い住棟の西側外観を見る。建物下部の規則正しく並び、建物を持ち上げている、壁柱のピロティこそが・・この建築のチャームポイント。

ガララテーゼの集合住宅
西側外観を広い広い庭側より見る

ピロティで持ち上げらている住居部分が2層部分と3層部分・・ といった少しの違いはあるにせよ、変化の少ない同じ形が180mに渡り反復される立面。

ガララテーゼの集合住宅
有名なガララテーゼの”キリコ的な”1階ピロティ

本当に見事に何も置いてない事にビックリ!! (住民や管理組合に対して、何かルールでの規制が徹底しているのだろうか?  サインや張り紙等も1枚もない !! )  駐車場・駐輪場や倉庫など、機能的に考えればスペースとして何かに使えばかなりの広さがある訳で・・ 

ガララテーゼの集合住宅

しかし勿論、この贅沢で非機能的な無駄使い・・ 長大な反復や余白こそが、”空間の魅力”を生み出している力な訳であり・・ 言い方は悪いが、内面的退行的なロッシ建築の「沈黙と不在が意図された」ような空間が・・こんなにキレイに保たれている事はかなり嬉しかった。 ロッシの “類推的建築” の代名詞「ガララテーゼの集合住宅」は、今までメディアで見ていたのとは異なり・・実際に訪れた印象としては・・ 快活で、健康的ですらある様な感じがしました。  

「建築探訪 69」-Italia 8 /Como

労働保険組合

チェーザレ・カッターネオ(1912-43) 他設計の「労働保険組合」(1943)。道路の奥、大きな樹の向こうにあるのが・・テラーニの「カサ・デル・ファッショ」 。カッターネオはテラーニらと共に、コモ市の都市計画などにも従事していました・・ テラーニよりも8歳年下だが亡くなっているのは同じ1943年・・ わずか31年の建築家としては短すぎる生涯。  (上写真) 南側道路から東面を見る。

もともとの建物はこんな感じで、なかなか端整な建築でした。
しかし今は印象がかなり違う・・建物頂部に付け加えられた庇が決定的か・・ 窓のあたりももなんかごちゃごちゃしてるし・・ テラーニ作品の様には大事にされていない様子。「カサ・デル・ファッショ」と共に、綺麗な元の姿で並んでいた頃は壮観だったろうな・・ イタリア アヴァンギャルドの殿堂だ・・
(上写真-下) 北側道路より東面を見る。奥に「カサ・デル・ファッショ」がわずかに見えています。