「建築探訪 68」-Italia 7 /Como

イタリア中世の街並みが残る”コモ”には、この町で設計事務所も開設していた建築家ジョゼッペ・テラーニの作品が数多く残っています。

ノヴォコムン集合住宅

その1.  「ノヴォコムン集合住宅」(1928)。道路に面した建物角部の1~4階が大きなアールになっていて、3階4階部は丸いガラス張りの部屋になっているのが特徴・・ ややアールデコっぽい感じもする、テラーニ 若干23歳の作品。

ジュリアーニ・フリジェーリオ集合住宅

その2.  「ジュリアーニ・フリジェーリオ集合住宅」(1940)。テラーニが実現した最後の作品。テラーニは39歳の若さで、1943年ムッソリーニ政権崩壊直前に自殺しています。建築家として活動ができたのはわずか13年。

ポスタ・ホテル

その3.   (左) 「ポスタ・ホテル」(1931)。市からの設計変更要請があったからなのか、外観はやや慣習的。(右) どこのテラーニ建築にも共通して付けられている、テラーニの設計である事を示す “サインプレート”。このプレートはすぐ近くにあるテラーニが大学卒業直後に、ホテル1階部分のファサード改修だけを手掛けた「メトロポール・スイス・ホテル」(1927)のものです。

ルスティチ集合住宅

その4. 「ルスティチ集合住宅」(1935)。これはコモではありませんが、ミラノ市内を移動中に車内の窓越しにテラーニ建築を発見&速写 !!!
一瞬でしたが眼に焼き付けました・・ コモでも時間がなく訪れる事が出来なかったテラーニ建築はまだまだ在りました。

「建築探訪 67」-Italia 6 /Como

サンテリア幼稚園

イタリア人建築家 ジュゼッペ・テラーニ(1904-43)による「サンテリア幼稚園」(1937)。ミラノから北へ40km程の町 “コモ” にあります。
(上写真) 芝生の園庭より東側外観を見る。フレームの存在と、建物との距離感がgoodです。風にはためく日除けテントが気持ち良さげ。

サンテリア幼稚園
南側より外観を見る。建物は平屋、階高は高め。平面構成は大きくは北側が開いた”コの字型” で、それに少し建物が伸びやかに成る様な変形をあちこち細かに加えている。同じくコモにあるテラーニの代表作である「カサ・デル・ファッショ」が・・ 非常に単純で、はっきりとした輪郭の建築なのに対し・・ こちらの方はもっと自由な感じで・・ 意図的に輪郭をボカしている様な感じもするくらい。
サンテリア幼稚園
建物南東角の東側外観を見る。”コの字” の角部に細かな変形・・ 一辺を伸展させ角の様に飛び出させて端部に大きな開口、もう一辺には小庇やフレームを付け加え立面に変化を与えています

規則的な構造的枠組みの中で、様々な変化をつけて開口部を操作していく様な手法は・・「カサ・デル・ファッショ」とも共通している部分な気もしますが・・ 「カサ・デル・ファッショ」に感じる回帰的な古典性の様なものは、ここでは感じる事は少なく・・ より自由を獲得した合理主義建築の軽快さが強調されてい様な気もします。「カサ・デル・ファッショ」も見ようによっては、(ムッソリーニ率いるファシスト党の建築だという事を忘れて) 「サンテリア幼稚園」よりもさらに自由な建築に見えて来る様な気もします。

サンテリア幼稚園
遊戯室から中庭方向を見る。透け感が高いテラーニの室内空間・・ 天井いっぱいまでの開口も効果的なのだが・・ 室内に建っている柱の存在と、中庭の向こうに見えるフレームの存在が呼応しているのも・・ 効果UPな感じがします

「建築探訪 66」-Tokyo/上野 3

東京都美術館

開館以来の大改修工事が終わり、リニューアルされたばかりの・・ 前川國男の設計による「東京都美術館」(1975)を探訪。(上写真) メインアプローチとなる南西側から外観を見る。右手前の「メトロポリタン美術館展」のサインがある企画展示棟と、左手奥へ向かって雁行して繋がり配置された4棟の展示棟の間に・・ 設けられた広場へと誘いこまれる様に建物へと入って行きます・・ アプローチがgoodです。建物の半分以上のボリュームが地下に設けられています。

東京都美術館
(左) 雁行して配置された展示棟を広場より見る。手前の何気に触ってディテールを感じたくなるような素材感のあるY字型手摺り
(右) 美術館へ入るには地上の広場から降りて、地下1階の中庭からとなります。エレベーターとエスカレーターがリニューアル工事で新設されました
東京都美術館
地下1階のエントランスホールを見る。右側にあるミュージアムショップは増築されて広くなりました。アプローチ~広場~中庭~エントランスホールへと・・静かなゆとりの場の連続を感じながら建築的散策をしながら・・ 展示室へといたる
東京都美術館
(左) 地下2階より地下3階のスカルプチャーホールを見る
(右) いつもいつもの “後期”前川建築の代名詞「打ち込みタイル」 ・・何気に触りたくなります

バリアフリー化や、古くなった設備の一新、省エネ化など・・ 他いろいろな箇所で様々な点で大改修がされているのですが・・”前川建築” を尊重し、より良く生かし、やや暗かったイメージの都美に、賑わいをもたらした・・ goodなリニューアルになっていると思いました。(改修はもちろん前川事務所です)

「建築探訪 65」-Kagawa 5

114ビル・百十四銀行本店

日建設計(薬袋公明) による「114ビル・百十四銀行本店」(’66) を探訪。何と言っても “ブロンズの外壁 ” の存在感が力強いです。右側16階建ての本館。左側に道路を跨ぐかたちで高架通路が別館へと続く。(上写真) 大通り側、北西より見る。

114ビル・百十四銀行本店
16階建ての本館を大通り側、南西より見る

高さ64mのビルは、この当時では「西日本最高」だったそうです。南北面はサッシ、東西面はブロンズ板張り。1.5mmのブロンズ板を乱張り・・ 表面を “緑青仕上げ” としているので、清掃は不要・・ 古くなっていく風合いが美しい・・というコンセプト。

114ビル・百十四銀行本店1階部分の御影石モザイク張りの床
 1階部分の御影石モザイク張りの床は、地元香川産の “庵治石” を主として、彫刻家/流政之さんの指導のもとに、色目や仕上げに変化を付けた「さざ波」のイメージでデザインされています
114ビル・百十四銀行本店
左側の本館より道路を跨ぐかたちで、高架通路が右側の別館へと繋がる

コンクリート柱で持ち上げられた3階部分のピロティ下に、プレキャストルーバーの2階が入り込んでいる・・その2階部分もピロティで持ち上げられている・・ ピロティが入れ子式になっていてオモシロイ。

「建築探訪 64」-Shimane 5

島根県立図書館

日が暮れてしまったけれども・・菊竹清訓の設計による「島根県立図書館」(’68)を 探訪。「都城市民会館」(’66) と共に菊竹清訓さんのメタボリズムが実践された作品・・都城と比べるとこちらの方が表現としてはかなりオトナシイ感じがしますが、構成としては同じカタチ・・ 都城と同じく コンクリート基壇 + 鉄製の上部構造 。

島根県立図書館

外部から見ても、内部から見ても、その建築的構成は明瞭。
(上写真) エントランスホールよりダイナミックな広がりのある内部空間を一望。竣工時の写真を見ると、もともとの屋根は鉄骨部材が全て露わしで・・建築のコンセプトがより強く表現されていましたが、現在は大きな梁だけが露わしで梁間は白い天井材が貼られていて・・残念。

田部美術館/島根県立博物館/島根県立武道館
島根県にある菊竹さんの作品をいくつか探訪。
(左)「田部美術館」1979
(中)「島根県立博物館」1959
(右)「島根県立武道館」1970 

「建築探訪 63」-Tokyo/銀座

中銀カプセルタワービル

メタボリズムの金字塔・・ 黒川紀章さん設計の「中銀カプセルタワービル」(’72) を探訪・・ メタボリズムの理念が直接的に、鮮烈な形として、視覚化された・・ 黒川紀章さんの代表作。一人一人の住まいである “カプセル” がランダムに集積して全体像となった姿は・・まさに未来 !!! 

取替えない、変わらない部分」と「取替える、変わる部分」という方法論が・・ 工事中の様子を見ると、明快に理解できる (上写真) 。工場であらかじめ作られた “カプセル” を現場へ運んで来て、建物幹にボルトで固定。 住居空間である “カプセル” の数は140個 !! 。

 “カプセル” 内の様

左側扉内にはバスやトイレ、手前にベットと丸窓、テレビや電話や空調も完備した、都市に住まう個人のための最小限空間の大きさは2.1×2.3×3.8m ・・ もちろん世界初のカプセル建築 !! 。カプセル1基のコストは1960年代のトヨタカローラ以下との事。黒川紀章さんはこの後もカプセル建築の可能性を追求され・・ 1979年には 世界初のカプセルホテル (カプセルイン大阪) も設計されました ・・ 黒川紀章さんは2007年10月12日に73歳で亡くなられました。

「建築探訪 60」-Tokyo/上野 2

国立西洋美術館

近代建築の巨匠 ル・コルビュジェによる「国立西洋美術館」(1959) を探訪。もちろんですが、日本にある唯一のコルビュジェ作品 です。国立西洋美術館が創設された経緯は、戦後間もない頃に吉田茂首相がフランス政府に、世に言う松方コレクションの返還を求めたことから始まる・・フランス側からの返還条件の一つが美術館の建設でした。

1955年に68才だったコルビュジェは、敷地調査のため初来日・・わずか7日間の滞在となり・・その後は2度と日本の土を踏む事はありませんでした・・ですのでもちろん完成した建物を実際に訪れて眼にする事もなかったのです。設計も基本設計図程度で、実施設計は日本側に任せ・・ フランスから遠い日本でこの美術館が実現できたのは、かつてフランスのアトリエでコルビュジェから建築を学んだ、弟子たち (前川國男/坂倉準三/吉阪隆正) が日本で頑張ったからこそ。
(上写真) 1階のピロティ部は後の改修でほとんどが内部空間に変わってしまいました・・当初は1階の半分くらいまでは屋外空間でした・・前庭の屋外床がずずっと建物下まで入り込んでいたそうです。コルビュジェの代名詞とも言える “ピロティ” が・・

大きな三角型トップライトと吹抜けがある中央ホールを見る

渦巻き状の動線システム、1階から2階へのゆっくりと上がる大スロープなど・・コルビュジェらしい建築言語がきちっと具現化しています。
ロの字型の動線計画、ピロティで持ち上げられた直方体、建物正面の四角い開口、建物中央の吹抜けなど・・ 坂倉準三の「神奈川県立美術館」と似ているところはさすがに多い。

「建築探訪 59」-Hiroshima 3

広島平和会館資料館

丹下健三の「広島平和会館資料館」(1952) を探訪・・ もちろん平和記念公園全体も1949年に行われた設計コンペで、当選された丹下健三さんによる設計です。どこの丹下建築を訪ねても多くがそうである様に・・作品集で見られる様な、竣工時の緊張感に溢れた、迫力ある、厳しく、美しい姿は・・ 今は感じられませんでした。戦後もっとも早い時期に国際的評価を受けた日本の近代建築・・ 建築家 丹下健三の出発点。

広島平和会館資料館
(左) 作品集で見られるかつての姿では・・2階は透明ガラスに水平ルーバーを設けた構成で、外部から内部が見えて、内部から外部が見える “透けた箱” でしたが・・
(右) 独特のかたちをした、1階のピロティ中央部を支える8本の “くさび型柱”・・出隅の柱4本はさらにユニークなかたち・・ 丹下さんの憧れでもある 建築家ル・コルビュジェのピロティ柱を連想させます
広島平和会館資料館
建物の出隅部分を見る。もともとの仕上げであるコンクリート打放しの上に、石を張った改修の様子がよく分かる。水平ルーバーは撤去。ガラスは色の付いたものとなり内側には内部展示室を囲っている壁がすぐに見える。外部から内部 or 内部から外部の様子は見えない・・  改修後は “閉じた箱” になってしまいました。

「建築探訪 56」-Kumamoto 4

熊本県立劇場

前川國男の設計による「熊本県立劇場」(1982) を探訪。
(上写真) 表玄関となる西側の外観を見る。西側の表玄関から東側の裏玄関まで、建物を東西に貫通する長いモールが平面構成の主軸となっています。モールの北側にコンサートホール、モールの南側に演劇ホールが配されています。

熊本県立劇場
演劇ホールのホワイエを見る。開放的な大開口窓により、とても明るい
熊本県立劇場
夕刻の光が差し込むコンサートホールのホワイエを見る

はつり仕上げの正面コンクート壁が効いてます。ヘリンボーン調型枠で施工された階段腰コンクリート壁もgoodです。開放的な両ホワイエの様子は、この建物の約30年前に建てられたこちらの作品 から変わらずに共通するところです。

「建築探訪 54」-Kumamoto 2

熊本県伝統工芸館
東側の庭から見る

菊竹清訓さん設計の「熊本県伝統工芸館」(1983) を探訪。
1階が工房と販売スペース、2階が展示室・・ 四角い建物の中央あたりに、換気/採光/動線の核として両階をつなぐ吹抜けが設けられた建物。大木もある緑に恵まれた敷地と建物の関係や、2階出窓のヴォリュームが・・goodでした。

熊本県伝統工芸館
(左) 東側の庭より見る
(右) 駐車場よりアプローチとなる南側外観を見る

菊竹さんの解説文によると・・ 「日本の伝統的なカタチにみられる “部分の連続” ・・ 決して全体像が一望できず、見え隠れする部分を通じて全体像が想像として形をあらわす・・ そういったカタチの考えにしたがってまとめた・・」との事。

熊本県伝統工芸館
(左) 外壁は「熊本県立美術館」と同じような「打込みタイル」。耳付きの目地を詰めない「打込みタイル」といえば後期の前川建築の代名詞ですが、どうして菊竹建築に? ・・ 両館共にすぐ近く、つくられた時期も同時期、共に県の建物・・ 何か理由があるのだろうか?
(右) 1階より少し歪んだ形をした吹抜け部を見る
くまモン
駐車場で南側外観を撮影していると、車から降りて来たのは・・ くまモン!!   これから伝統工芸館でイベントがあるそうだ・・