「建築探訪 34」 -Italia 3 /Verona

カステルヴェッキオ美術館

廃墟となっていたヴェッキオ城をヴェローナ市が1924年に美術館として復興するが、戦争での被爆もあり、復旧状態は未完成・・・1958年にカルロ・スカルパの手により復興が再開され、1964年に完了。スカルパの改修作品としては最大規模、スカルパの最高傑作と言ってもよい・・「カステルヴェッキオ美術館」。スカルパ58才の時の作品。 

カステルヴェッキオ美術館

城壁と塔に囲まれた・・14世紀後半にカングランデ2世により建築された城。ヴェローナは15世紀以降、ナポレオンのイタリア進攻によりヴェネツィア共和国が亡びるまでは長い間、ヴェネツィアの支配下にありましたが、それまでの中世中期は幾つかの有力貴族が支配権をめぐり熾烈な闘争・・その模様がシェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」のモデルにもなりました。 

カステルヴェッキオ美術館
1階展示室-東端

同じ大きさの展示室が東から西へ4室繋がっています。奥へと続いていくアーチ開口、一番奥の格子戸のある開口から出ると・・有名な “騎馬像のあるスペース”が在ります。 

カステルヴェッキオ美術館
1階展示室-中

古い建物を新たな機能の為に転用・・新旧要素の対比。古い部分の保存、新しい部分の挿入、あるいは古いものの切除・・機能的・形態的必然性や歴史的必然性・・取捨選択を行えるだけの視点/思想・・スカルパには改修作品がとても多いのだが、改修の仕事は難しそうだ・・「新旧要素の対比」とは言葉では平易だが、実際に巧くバランスを取ってデザインする事は大変だ・・ 

カステルヴェッキオ美術館
1階展示室-西端

展示作品と展示室が離し難い一体のものとして計画される事により・・絶妙な空気感を作り出しています。(どの古い建築写真を見ても、この展示状態) 

カステルヴェッキオ美術館
騎馬像のあるスペースを見上げる

展示を巡る動線の大事な位置につくられた・・棟と棟の間に生まれたこのスペースがとにかく秀逸・・このカングランデの騎馬像の展示方法・展示位置を含め、棟から棟へ移る際に1階からは見上げ、階上では見下ろし、渡り廊下では近づき・・様々な視点からこの空間/騎馬像を感じられる・・中世的赤レンガ壁と細やかなデザインが施された鉄骨柱梁&手摺等金属製部材&コンクリートとの対比。

カステルヴェッキオ美術館
騎馬像のあるスペースを見下ろす

ヴェローナはいい街でした・・田舎すぎず、都会すぎず、古い街並みもよく残っており。毎年6~8月にはローマ時代の円形劇場などで野外オペラや演奏会などが行われているそうですが・・・楽しむ間もなく夕方にはヴェローナを後にしてミラノへ向かい出発・・

「建築探訪 33」 -Italia 2 /Verona

ヴェローナ銀行
広場側ファサード

ヴェネチアから西に100km程・・・中世の街並みや古代ローマの遺跡も残っており、「ロミオとジュリエット」の舞台の街としても有名な・・歴史を感じられるとても雰囲気のある人口27万、イタリア北東部の小都市・・・”ヴェローナ”にある「ヴェローナ銀行(1980)」カルロ・スカルパ設計。
新築ではなく改修・・建物がひしめく市街地にあり建物全体を見る事は出来ず、広場と中庭に面した2面のファサードのみが外観として見る事が出来ます。

ヴェローナ銀行
広場側ファサード

歴史ある街並みの中ではあまり見る事のない窓の構成・・2階は正方形のガラス窓が壁面から控えることなくついた現代的なデザイン(厚さ3cmの防弾ガラス。3階は2種類の大きさによる丸窓(わずかに楕円)と出窓による構成、丸窓と言っても実際の窓は50cmうしろの壁にあり、丸く見えている部分は前壁に孔が開いているだけ・・その壁の間は設備などの配管スペースとなっています。4階部分はモダニズム建築のような水平連続窓だが、2本柱や金属製コーニスによる細部意匠も凝ったデザイン。

ヴェローナ銀行
広場側ファサードの各部分

スカルパらしい”ギザギザorデコボコ”の装飾が、広場側ファサードの低層部を帯状に飾っています・・(上写真左下) 建物下にローマの遺跡があり、この街路に面した地窓から見る事が出来たそうなのだが・・見逃してしまいました

💬え!そうなの!二度目だったのに知らなかった(泣)

ヴェローナ銀行
(左) “丸窓”を内部階段室から見たところ
(中)”丸窓”に面した事務室を見る。古い街並みに面した落ち着きのある素敵な事務室
(上左)階段室の最上階より外部を見る
ヴェローナ銀行
事務室が並ぶフロア。廊下もゆったり。床/壁/天井/建具・・どの部分も仕上材&ディテールがいい
ヴェローナ銀行
(左) 内部の階段部詳細
(右) 外壁低層部を飾る帯状の”ギザギザorデコボコ”を横から見る
ヴェローナ銀行
渡り廊下から中庭側ファサードを見る
ヴェローナの町並み
ローマ時代の遺跡があちらこちらに残る、ヴェローナの街の様子

「建築探訪 32」 -Italia /Treviso

ブリオン・ヴェガ墓地

「ブリオン・ヴェガ墓地」 (1972) 
設計はイタリア人建築家カルロ・スカルパ(1906-78)。ヴェネツィアから北へ20kmほど離れたトレビゾという田舎町・・・古くからあった既存墓地に付け加えるように建てられた “ブリオン家一族の廟”
スカルパ建築といえばまず眼に浮かぶのは、過剰とも思えるくらい細やかで技巧的なディテール・・コンクリート/石/金属/木といった建築の基本的材料の素材感と職人の精緻な技術力を活かした・・・シンプルイズムが大半を占める近代建築家の主流となるデザイン手法とはちょっと違う、手の込んだ装飾的細部がとても魅力的な建築。(上写真 礼拝堂への入口部)

ブリオン・ヴェガ墓地
庭園部よりエントランス棟を見る。奥には池に浮かぶパビリオン

展示・改修・増築といった経費/機能の面で拘束の多い仕事が大半であったスカルパにとって・・・予算に恵まれ機能性といった制約もほとんどなかったこの墓地の仕事は、彼が望むように作り得たと言える初めての作品・・

ブリオン・ヴェガ墓地
池に浮かぶパビリオンより見る。左側にエントランス棟。中央奥のアーチ部にブリオン夫妻の墓石
ブリオン・ヴェガ墓地
礼拝堂内の祭壇を見る、上部にはトップライト
ブリオン・ヴェガ墓地
エントランス棟内部より池に浮かぶパビリオンへの通路を見る

スカルパは計画案も含めると生涯に200以上のプロジェクトを手掛けたが、実現した新築の建築はこの墓地も含めてわずか3作品・・「ブリオン・ヴェガ墓地」はスカルパの最も重要な代表作と言われ・・スカルパ自身も「この墓地で初めて思う様に出来た・・」と言っている訳だが・・実際今回いくつかのスカルパ建築を体験した感想としては、改修作品の方がスカルパ建築は興味深い・・

(上写真3枚) 隅々までデザインされた細やかなディテール・・が連鎖していくように建物全体を覆いつくしていく・・ スカルパ建築

ブリオン・ヴェガ墓地
池を渡る踏石の水中部分にまで “ギザギザ デコボコ”
ブリオン・ヴェガ墓地
建物のあちらこちらで見られるディテール・・ “ギザギザ デコボコ” 
ブリオン・ヴェガ墓地
息子でデザイナーのトビア・スカルパがデザインしたスカルパの墓
ブリオン・ヴェガ墓地
左下の45°振った正方形が礼拝堂。上側庭園部の左にブリオン夫妻の墓、右に池に浮かぶパビリオン・・一般墓地を取り囲む様なL字型の配置

「建物探訪 31」 -Tokyo/丸の内

新丸の内ビルディング

「新丸の内ビルディング(’07)」 
設計:三菱地所 + Design Architect/マイケル・ホプキンス(英)
(上写真)北側の通りから見る。東京駅の向こうに「グラントウキョウノースタワー(’08)」。

明治より始まる丸の内オフィス街の景観はロンドン風/赤煉瓦オフィスビル街から始まり、アメリカ風/大型オフィスビル街へと変わり。そしてここ数年はガラス張りの現代的な新しい高層ビルに次々へと建て替えられ・・東京駅越しの八重洲口側/ヘルムート・ヤーン(米)がデザインアーキテクトを務める「グラントウキョウ」も含め、景観は大きく変貌しています・・・

東京駅から見ると、正面の皇居を結ぶ軸線(行幸通り)を挟んで建つツインタワービルの右側のビルです。デザインの大きな特徴の1つは、建物全体を高層部と低層部に分けている事・・低層部はかつての丸の内の景観を形成していた”31mの軒高さ”に合わせている・・それにより大きな建物と人(街路)の関係が失われる事がない様・・かつての31mという高さのままの基壇(低層部)が人(街路)と連続的な関係を築くようにとのピロティ等も設けて配慮している。もう1つは建物全体も”分節”に注意している事・・都市部で近頃たくさん出来る高層建物のデザインは細やかさのない大味な”箱のまま”が多いのですが・・大きい建物だからこそ細やかな部分・・部材と部材を繋ぐ細かな溝/縦フィン/水平ルーバー/低層部のフレーミングデザイン等・・細やかに分節したヒューマンスケールを見失わないデザインand 陰影のあるデザインが配慮されています。期待せずに見に行きましたが、鉄とガラスを多用した”レトロモダニズムな感じ”は悪くないと思います・・

新丸の内ビルディング
(左)東京駅から見る。その後ろには「東京海上ビル(’74)」by前川國男
(右)行幸通り、皇居側から東京駅を見る。左に「新丸の内ビルディング」 右に「丸の内ビルディング(’02)」

屋根

(左上)伊勢神宮外宮/古殿側からみる四重の塀の向こうに茅葺きの屋根
(右上)桂離宮/中書院-楽器の間-新御殿と雁行する柿(こけら)葺きの屋根
(左下)元興寺/飛鳥時代のとても古い瓦も使用されている屋根
(右下)大宮御所 御常御殿/大きく、反りが美しい寝殿造りの屋根

“屋根という建築的要素”は近代建築が始まるまで、古代寺院建築(or先史竪穴住居)から非常に長い期間・・1000年以上という単位で大きくは変化のなかった普遍的と言ってもいい要素のひとつでした・・
近代建築技術の進歩によって初めて”屋根がない”建築が現れ・・それは長い建築史から見ればここ最近20世紀以降の事・・・近代以降、大きな/公共的な建物は鉄筋コンクリート造/鉄骨造でつくられ”屋根がない”ことが当たり前なのですが、昔は逆に建物が大きな/公共的な建物であればある程”屋根が大きい”という事が重要でした・・・
雨が多く湿度の高い日本のような地域では”屋根が大きく&軒が深く”ある事は快適な居住環境を得るためには合理的/機能的な選択です・・・しかしそれだけが理由ならば、「そんなにも大きくなくてもいいだろう」と言うくらい日本建築の屋根は大きく・・・合理/機能だけではなく、そこには象徴的存在としての”大きな屋根”への言葉には成し難い様な「憧憬」のようなものがDNAに刻まれているのではないでしょうか・・・

「建築探訪 30」 -Tokyo/表参道

ディオール表参道

「ディオール表参道(2004)」、設計はいまや日本を代表し、海外での活躍もめざましい・・「金沢21世紀美術館」の設計などで知られる SANAA/妹島和世+西沢立衛

四角/ガラス張り/ミニマリズム/レスイズム・・・いわゆるガラスBOX建築・・近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)の系譜・・今もスタイリッシュな作風の多くの建築家が憧れる・・・ミースの 「完全なガラスの箱のような、なにもない建築をつくりたい」 という夢は・・
「フリードリッヒ街のオフィスビル」というこの1919年に描かれたドローイング(下写真)から始まっています・・90年近く前にミースが描いた夢に今なお多くの建築家が魅了されているのです・・魅了されているというよりも”呪縛”だね

「建築探訪 29」 -Kagawa 4

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 (’91)」(設計:谷口吉生) はとても素晴らしい美術館・・ 個人的にはかなりお気に入りの建築。
(上写真)ファサードを見る。黄色い彫刻は「星座」 右のは「シェルの歌」
普通ならばホテルやデパートが建つ駅前というロケーションや街に対して・・駅前から美術館まで一体がひと続きとなったデザインとした事、屋外彫刻を配したこのガランとしたスペースを設けた事、子供の落書きの様に自由なインパクトのある大壁画を設けた事、このファサードの大きな構え方・・・・ どこにでもある様な均質化した駅前とは違った “美術館がある駅前” という新しい場所性/風景を生み出す事に・・成功しているように思えます。

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
入口部分を見る。大きなファサードとは一転して、入口はとても小さい・・花崗岩の床、コンクリート打放しの壁、大理石の壁画壁、アルミパネルの庇。左側の階段は、建物の長手を貫き、3階の最奥にある屋上広場までつながっている “大階段”。
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
小さな入口を抜け、エントランスホールに入る・・ここも高さを抑えた空間。その先への広がりを予感させる、3段だけ上がったスペースへと自然と引き寄せられる。床/巾木はライムストーン、壁/天井は塗装仕上げ
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
上階の展示室へと繋がる階段と吹抜け。
幾何学的な理性が支配する、抽象的で洗練されたデザインスタイルは、”ザ・モダン” と言ってもいいと思うのだが・・ 次なる空間へのつながりが常に期待させられる様な空間構成を、建物にてリアルに感じていると・・ そのデザイン思想の根幹には “日本的感性” が強く浸透しているように思えま
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
9m以上はある、天井が高い2階展示室を見る

「この美術館の設計は時間がなくて完全に煮詰まっていない所が多いのだが、それがかえって建築を大らかな感じにしていて、そこが良かったのだ」と谷口吉生さんは仰っているのだが・・ どこがどこがという感じ・・細かな所まで完璧主義が貫かれた、あいかわらずの精緻極まりない谷口建築の見事さ・・ 

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
2階展示室の全体を見渡す

設計者である谷口吉生は猪熊弦一郎から「日本の建築はこまごまとして、スケールが小さい・・スケール感だけは大きくして欲しい。大きなスケール感がある建築で、光がよければ、あとは一切任せる」と言われ・・ “大きなスケール感”を出す為の、「プロポーションの決定」や「素材の使い方」に設計の多くの時間をかけたそうだ。

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
 “大階段” の2階部分を見る。置いてある彫刻は「草」

「建築にはいろいろな様式・・賑わしては消える流行の様式・・しかし最終的に建築の良し悪しを決めるのは、やはりプローポションと光と素材、あるいはスケールとテクスチャーなど基本的なこと・・ 」 by 谷口吉生

猪熊弦一郎美術館では「子供から入場料を取ってはいけない。少しでも取ってしまえば、よほどでないと来られなくなる。タダなら学校の帰りだろうと何だろうと、いつも寄ることが出来る。そういう風に見て貰わなくちゃいけない・・」との猪熊弦一郎さんの意見から、高校生以下は入場無料となっています。こんなに素敵な美術館に、倉敷からは1時間くらいで行けるので・・ LUCKYです。

「建築探訪 28」 -Ehime 3

坂の上の雲ミュージアムと菅井内科

愛媛建築探訪のメインであった・・安藤忠雄さんが設計され、昨年OPENしたばかりの 「坂の上の雲ミュージアム」 (上写真左)
5度傾斜したカーテンウォールの外壁に覆われた三角形平面の建築・・大きな池のあるピロティを眺めながら長いスロープを上がって 2階エントランスにいたります・・・エントランスの踊り場から建物裏を覗くと見えたのが・・ (上写真右)うねるカラフルなバルコニー腰壁が積層したただならぬ外観の建物・・・
(大御所”ANDO”先生のミュージアムはさすがにキチッと出来てました・・)

菅井内科

(上写真左)店舗が並ぶ通りからは、階段でかなり上がるかたちになるがこちらがメインアプローチのようだ・・「菅井内科」は長谷川逸子さんが1980年に設計された建築・・うねる壁面、軽く舞うパンチングメタル、華やかな色彩・・・過剰な装飾をまとい、押しが強く、理由もなく明るい・・ポストモダン建築時代の到来を予感させる・・
1986年「東京都庁舎」コンペで丹下健三が1等を勝ち取った年、もうひとつの話題コンペであった「湘南台文化センター」を”第二の自然”というコンセプトで見事に勝ち取った女性建築家(日本では女性建築家が大きな公共建築を手掛けるのはこれが初? だと思います)・・・長谷川逸子の80年代初期の作品・・

「建築探訪 27」 -Kochi 2

JR高知駅

最近 仕事で訪れるJR高知駅・・・内藤廣さんの手によりリニューアル。
(上写真) プラットフォームに降りると、鋼材と木材によるハイブリットの大きなトラスアーチ梁に包まれた空間に迎えられます・・頂部には内藤建築らしいトップライトが設けられています・・照明器具や待合室まで全体がデザインされていてGOODです。

JR高知駅
2階フォームから1階まで降りてくるトラスアーチ梁に囲まれたダイナミックな空間
JR高知駅
降りてくる屋根を受けている・・杉板型枠によるコンクリート打放しの “庇柱” の存在感/素材感が効いています
JR高知駅
大きな金属葺きのアーチ屋根がプラットフォームを覆う外観

高知といえば内藤廣さんの代表作と言ってよい「牧野富太郎記念館」が在ります・・・電車で高知へ訪れ、まずは駅舎を楽しんでから牧野へ。

「建築探訪 26」 -Shimane 4 /出雲大社

出雲大社

天照大神が大国主大神の御功績を称え、諸神に御造営を命じられたという・・毎年秋の”神在祭”には全国の八百万の神々が集う・・出雲大社が「平成の遷宮」にあたり、普段一般の人は全く立ち入ることの出来ない御本殿を特別に拝観させて頂けるとのこと・・現在の御本殿は1744年の造営以後-1809-1881-1953と3度の遷宮を行い、今回で4度目の遷宮となります(遷宮とは神社本殿の造営/修理に際し神体を移すこと)・・・出雲の遷宮記録を見ると 65年後(1回目)-72年後(2回目)-72年後(3回目)-55年後(4回目)となっており・・その機会を逃すと次は見られそうにないので・・最終日に参拝へ行ってまいりました・・御神体はすでに仮殿(拝殿)に遷され、本殿に還られるのは修理の終わる5年後だそうです
(上写真)2重の塀に囲われた本殿は普段は遠くから見るだけしか出来ません・・しかし今日は本殿の縁には特別拝観に訪れた人達で賑わっています・・

出雲大社

本殿の縁は地面から4.5mほどの高さ、縁から屋根の棟まで16mほどの高さ、総高さは24m・・・やはり大きいです、近くで見るとその大きさを再確認できました・・想像してみて下さい 7階or8階建てのマンションくらいの大きさですから・・さすが「天下無双の大廈(たいか)」と称えられる大きさは 神社建築としては比類なき壮大さ・・
拝観順路は妻側の階段から上がり、高欄のついた幅広い縁をぐるりと一周して、南面する妻側正面に戻り、開口部(蔀戸and開き扉)から殿内を拝観させて頂きました

殿内の天井板に描かれている鮮やかな”八雲之図”・・殿内は撮影禁止ですのでイラストですが