「山口県立 山口博物館(’67)」を探訪・・設計は坂倉準三建築研究所。
(上写真) メインアプローチとなる外部大階段の境壁に開けられた不思議な開口・・不正形なカタチに、角度を変えた切り込み・・goodです。
「建築探訪 132」-Fukuoka
「福岡市美術館 (’79)」を探訪・・設計は前川國男。32m角×高さ12mの”タイル張りの四角いヴォリューム” の展示棟を見上げる・・上部から斜め張り、縦張り、横張り・・全体の構成としては、この “タイル張りの四角いヴォリューム” が4つ、L型に雁行しながら配置・・その間を大きなエスプラナードやエントランスロビーで、繋ぐカタチ。”タイル張りの四角いヴォリューム” には、寄棟屋根が乗っていますが・・地上からは見えません。
前川國男こだわりの「打込みタイル」・・これは「釉薬」のかかった「磁器質」で「PC版」・・「前川國男の打込みタイル」は年代を経てバージョンアップ・・。
「建築探訪 131」-Yamaguchi
「山口県立美術館(1979)」を探訪・・設計は鬼頭梓(1926-2008)さん。エントランスへと向かう・・建物正面&広場がスパッと迎えてくれます。煉瓦ヴォリュームの南北に細長い美術館は、鬼頭さんの師匠である前川國男の「熊本県立美術館 (’77)」を思い起こさせる・・
ピロティ下の建具は当初のものではなく・・フレームレスな現代的なガラス建具にリニューアルされていましたが・・上部煉瓦ヴォリュームとガラスの対比感が当初よりも強まっていて・・goodなんではないでしょうか。(開館30年を期に2012年に大改修)
左右対称で南側にも同じカタチで斜路が配置されている。この美術館の建築構成の要は、やはりなんと言っても・・建物中央に配置された斜路。(斜路が建築構成の要となっている建築といえば、鬼頭さんの師匠の師匠による・・この作品!!)
階段は一切使うことなく、斜路だけにより展示室を巡る構成は・・気分の断続を強いられる事なく各展示室を歩き回れる連続性を・・鬼頭さんが重視された様です。美術館設計にあたり・・萩焼きの窯元や香月泰男のアトリエ、市内の古い社寺・・様々な”山口”の場所を、訪ね歩き・・”山口”の美術館を模索されたそうです。
今は深澤直人デザインの椅子が並ぶ、おしゃれなスペースですが、もともとはこの場所もロビーだった様です。美術館設計の経験がなかった鬼頭さんは・・その不安を師匠(前川國男)に相談したところ・・前川が鬼頭に与えたアドバイスとは・・「何も教える事はない、物と人に聞け!!」・・物とは美術品、人とは学芸員。
師匠である前川と同じく、建築家の職業倫理観に厳しかった鬼頭の言葉。
「デザインの自由は、常にクライアントと社会のために行使されるという限界を超えることは許されない」・・建築家のエゴやデザイン至上主義への戒め、社会/生活/人間/建築の関係性を増進する為のデザイン・・
「建築探訪 130」-Osaka/茨木
安藤忠雄さん設計の「光の教会」(1989)・・竣工からもう四半世紀!!! 学生の頃、大阪在住だったからなのか・・建築専門のメディアだけでなく一般向けの雑誌TVでも・・度々眼にする事が多かったANDOさん・・「建築家といえば=安藤忠雄」。関西ローカルの放送だったのか?・・この教会の建築工事に追ったTV番組もありましたよね。
(下写真)18×6×8mの箱に、壁1枚だけ挿入という・・シンプルな構成
90年代に入ると公共建築などの大規模な作品にANDO建築はシフトしていくが・・建築史上、不朽の名建築と言っても過言ではない東邸(’76)同様・・とても小さく/とても質素だけれども・・厳選/熟考/純化された・・素材、ディテール、空間構成、光、記憶・・見えないものをカタチへと変える、建築家/安藤忠雄の力が遺憾なく発揮されたであろう・・珠玉の小建築。
(上写真 左上) 開口部そのものが十字架という・・アイデアがこの建築の要。
(下写真)十字架の開口部詳細。もちろんガラスが嵌まっていますが・・ANDOさん的には、ガラスは入れたくなかったそうです・・
「あそこガラス入れたら、なんか・・ん~難しいな。ないほうがええな」
「別になくってもええの違うかなぁ。ちょっと寒いだけやろ。」
「そらちょっと寒いわなぁ。だけどきれいや、なんか」
「ガラスないほうが。パーっとするで」
上記の言葉は、平松剛著「光の教会-安藤忠雄の現場」より・・さすがに「世界のANDO」な発言!! 大胆な提案!!・・光の教会(’89)、こどもの館(’89)、ライカ(’89)、タイムズ(’91)、水御堂(’91)、姫路文学館(’91)、大手前(’92)、六甲2(’93)・・80年代後半~90年代前半、竣工したばかりの(力作揃いの)ANDO作品を数々探訪していた学生時代が・・懐かしい限りです。
「建築探訪 129」-Finland 20 / ALVAR AALTO 15
アルヴァ・アアルト設計の「アルヴァ・アアルト・ミュージアム (1973)」を探訪。ユベスキュラ教育大の南・・勾配のついた敷地に建つ、窓の少ない外観の建物。正面まで辿り着くと・・竪繁げなその壁の構成が目を引く。建物正面にあたる南側外観は三面鏡を開いた様な外壁の構えだが、アシンメトリー&折れ点での微妙な段差・・シンプルそうに見えて、細かな工夫が見られる・・外観のデザイン。(上写真 南側外観を見る)
全体の平面形は一言二言では説明できない様な多角形。平面構成においては、この建物より少し前に計画が始まっていた「ラハティの教会」にも通じるものがあります・・展示や祈りの為の大きな主空間 + 諸室や設備の為の小さな機能空間が適宜適所で従属・・というカタチ。全くの自由にも見える多角形の平面構成も・・実は敷地の高低差に適応させようとした設計の工夫だったり・・
ピューッといってグッグッといい感じのカウンターがある・・1階のカフェを見る。残念ながら、ゆっくりとここでお茶する時間も・・このカフェの窓から見えるくらいすぐ側にある同じくアアルト設計の「中部フィンランド民俗博物館(1962)」をゆっくりと堪能する時間もなく・・次の探訪場所へと出発・・
“「建築探訪 129」-Finland 20 / ALVAR AALTO 15” の続きを読むさよなら「ホテルオークラ東京」
“日本美を体現した近代建築の名空間”の終幕
昨日(2015/8/31)を持って閉館
節目節目の機会には、家族の思い出の背景として在った場所・・最後の日に宿泊できた事に感謝。
「建築探訪 128」-Finland 19 / ALVAR AALTO 14
アルヴァ・アアルト設計の「ユヴァスキュラ教育大学(1951-76)」の・・「食堂棟(’53)」を探訪。左手にチラリと見えているのが「講堂/講義棟」・・
「建築探訪 127」-Finland 18 / ALVAR AALTO 13
アルヴァ・アアルト設計の「ユヴァスキュラ教育大学(1951-76)」を探訪・・ヘルシンキを早朝に出発、長距離列車に揺られること2時間半・・ニコライ1世により1837年に開かれた人口13万人ほどの町 “ユヴァスキュラ”に到着。
大学キャンパス全体の配置は・・「講堂/講義棟」「図書館棟」「ゼミナール棟」「プール/体育館棟」「体育学部棟」「学生宿舎/食堂棟」などなどの各建物が、中央にあるグランドを中心にぐるりとU字型に囲う形。
「建築探訪 126」-Finland 17 / ALVAR AALTO 12
アルヴァ・アアルト設計による「コッコネン邸(1969)」を探訪。コッコネン邸の・・主であるJoonas Kokkonen氏(1921-96)はアアルトの友人であり…フィンランドではシベリウスにつぐ有名な作曲家。
(上写真)東側外観を見る。黒く塗装された板張りの外観・・有機的な形をした白い庇が特徴的。大きな構成としては3つのヴォリュームからなる扇型プランの木造平屋建てのアトリエ付き住宅・・玄関とリビングがある中央部、右手にプライベート部、左手にアトリエ(音楽室)部。裏側となる湖の見える西庭には(北欧住宅には必須の)・・サウナ小屋も有り。
コッコネン氏が亡くなった後は、市がコッコネン邸を買い取り・・現在は市の許可を受けた音楽家夫婦が建物を管理。
コッコネン邸は音楽家の為の住宅・・アトリエの音響の素晴らしさを味わって欲しいとのことで・・プチコンサートが始まる。現在の管理者でもある・・ピアニストの奥様とオペラ歌手のご主人による3曲。シベリウス作の一曲、コッコネン作の一曲、そしてアアルトが愛したイタリアの歌曲。レパートリーとしてはgood。フィンランド語なので、言葉はよく分かりませんが…2人の会話で、曲間に笑いが絶えない…夫婦漫才のような掛け合いが行われていたのだろうか・・
左手の方が奥様・・今回ブログに使用した写真には、必ず管理者の方が写っています。というのも・・写真の撮影が可能かどうかを尋ねると、「僕達が写っていたらOK!」との事ですので・・建築を紹介する写真としては分かり難いアングルが多かったかも・・
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アルヴァ・アアルト設計による「ラハティの教会」を探訪。教会の設計は1969年から始まるのだが・・教会の完成は、アアルトが亡くなった3年後の・・1979年。”ラハティ”はヘルシンキから北へ100kmほどのところに位置する、人口10万人ほどの町。駅を降りて、市内中心の通りを少しブラリと歩くと・・小さな丘の上に教会が見えてきました・・ 都市軸に対し真正面で受けずに、僅かにファサードを振って構えています。